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おと−がおじ−になる日まで

 自分のホームページを作ろうと思い立って、参考になる物は無いかと近所の本屋に言ったところ、その手の本がドカドカあるんですよ、たたみ二畳分くらいの棚に。

 それこそ
ホームページホームページホームページ、htmlhtmlhtml、タグタグタグ、ってかんじで。
 今まで気にしてなかった分野だったので、ちょっとびっくりしました。これだけホームページ作りのための本があると、世の中の人がみんなホームページを作ろうとしてるんじゃないかと思えてきて、思わず周りを見回しちゃいましたね。

 個人でホームページを起ち上げようという人がたくさんいて、それがこの先も続くとしたら、それはなんだか凄いんじゃないかと思えてきていろいろ妄想しちゃいましたよ。例えば。

 二十数年後、私にも孫の一人もいることにしましょう。今年三歳になる孫のマサハル(仮名)は怪獣が大好き。おじ-(私)もあいかわらず怪獣が大好き。

マサハル(仮名)「おじ-のかいじゅーみたいでちゅー」
おじ-(私)「よしよし見せてやろうなクリッククリック」
マサハル(仮)「わー、すごいでちゅー」
おじ-(私)「どうじゃ、すごいじゃろ?おじ-がむかし描いた怪獣じゃ」  
(こんな喋り方しないと思うけど、まぁおじいちゃんだから)
マサハル(仮)「ぼくもおじ-みたいにいっぱいかいじゅーかくでちゅー」
おじ-(思わず涙ぐみ)「よしよし、上手に書けたら、アップロードしてやろうな。」
マサハル「ありがとーおじー、だいすきでちゅう。あっぷろーどってなーにー?」

 どーです。
かわいいでしょ、うちの孫は。って話じゃないか。
こうして、うちのホームページには、親子孫と3代に渡っての作品が載せられるわけですよ。
こういう事が世界中で起こるわけですよ。
 そうなってくるとホームページってのは、その家の財産になるでしょう。

人気のあるサイトになると代々世襲制で継続されるから、「
老舗」とか「家元」なんて言い方をされて、「のれんわけ」なんて言葉も出てくるかもしれない。そうなると「跡目争い」で、殺人事件が起こるまでもうひといきってところですか。

ホームページ殺人事件 更新の権利争いで長男が家族を皆殺し

なんてのがワイドショーで見られるようになって、その長男が刑務所の中から獄中記みたいなサイトを起ち上げて、それがまた人気が出たりしますねきっと。とんでもない野郎だなこの長男は。

 それでまぁウチの場合はそんな血生臭い事とは無縁にページの更新が続いていくわけだけれど、いつかは私も死んじゃうわけですよ。いや、長男に殺されるってんじゃなくて、天寿を全うして、苦しまずに、眠るように、美しく、かつ威厳に満ちて(もういい?)。

 それで葬式やら何やら一通り落ち着いた頃に息子の嫁かなんかが思い出すわけですよ。
嫁「そういえばおじいちゃんのホームページ、どうしようか?だれかあとを継ぐ?」
息子「うーん。削除しちゃうのもしのびないけど、俺はおれのホームページがあるしなぁ。おとーのホームページって変だしなぁ」
(ここで、「公開しとかないで、ハ−ドディスクに保存しとけばいいじゃん」なんて野暮なことは言わないでね。話が終わっちゃうから)

まぁそんな、嬉しいような腹の立つような会話をしていると、今はもう大学生になったマサハルがやってきて言うわけですよ。
「僕がおじ−のホ−ムペ−ジもらっていい?おじ−魂は僕が世界に広げるよ」

ほ−ら、さすがマサハル。こんなにいい奴に成長してるわけですよ。そして、おじ−魂を受け継いだマサハルはバリバリホ−ムペ−ジを更新していき、それを私が空の上から見守っているわけですよ、頭に三角の布を着けて。

 おそらくトップペ−ジは私の遺影になるだろうね。銅像みたいに画像を加工してあるかもしれない。
「先代の頃から見てました」なんてメールが届いたりしたら幸せでしょうね。

うちみたいにいい孫に恵まれない場合は放置されるんだろうねしばらくは。死人の作ったホ−ムペ−ジ。こわっ。
「あそこのサイト、随分更新されてないけど、体の具合でも悪いのかねぇ」なんて話がメ−ルで行き交ったりしますね。じ−さんば−さんの間で。

そのうちホ−ムペ−ジ上に、死亡通知が載るわけですよ。
「生前中賜りました格別のご芳情に対しまして厚く御礼申し上げます 喪主」なんてのが。すると、それを見たほうは、弔電メ−ルを打つわけですよ。礼儀として。そんな時は宗派別のお経が流れる慶弔専用のメ−ラ−を使うのがお薦めですね。

 と、まぁこんなことを楽しみにこれからもホ−ムペ−ジ作りに励みたいな、と。そう思っている次第であります。なんつって、私がおじ−になるころには、世の中全然変わってて、こんな事にはなってないんだろうけどさ。


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ショッカ−悪の人事

 「仮面ライダ−」に出てくる悪の軍団「ショッカ−」の名前を聞いたことのある人はたくさんいると思うが、その実態を知っている人は意外に少ない。なにしろ秘密結社だから。

 ショッカ−の組織について、よく知られているのは、一番の親玉が「首領」、その次が「大幹部」(死神博士とか地獄大使とかね)、その下が、毎回変わるけど「怪人」と呼ばれる連中、一番下っぱが、イ−ッイ−ッとうるさい「戦闘員」。

 このへんまではテレビを見たり、仮面ライダーカードを集めていればわかることだった。

 しかし首領はともかく、大幹部以下は会社で例えれば、現場とか、外回りの営業さんといった役目で、組織である以上、他にも部署があるはずである。というかあるのだ。

 毎回仮面ライダ−にやられる怪人を作り続ける「研究開発部」だとか、幼稚園バスを乗っ取るなんていう、スケ−ルのビッグな事を考える「作戦部」だとかがあるのだ。

そしてもう一つ。笑っちゃいけないが(笑うとこだが)、あるのだ。ショッカ−にも。
「人事部」が。知ってた?

 聞くところによると、戦闘員は、犯罪者をさらってきて改造したもので、その中から優秀な者がさらに改造されて怪人になるらしい。そして怪人として頑張って実績を上げた者が晴れて大幹部となれるのだ。そしてそれを決めているのが人事部というわけだ。

 人事部の仕事は現実の会社のそれとほとんど変わらない。まず組織にふさわしい人材を探し出して仲間にする(ショッカ−の場合やや強引だが)、戦闘員や怪人の働きを査定して、昇進や配置転換を決める。ほら。会社と同じ。

 仮面ライダ−を見ていると、戦闘員も積極的にライダ−に突っ掛かっていく奴と、周りで、イ−ッイ−ッて言ってるだけの奴がいるが、そういうところを見ているのだ、人事部は。

 あまり働かないで帰ってきた奴を呼び出して「おまえそんなことだといつまでもヒラのままだぞ」なんていってるわけだ。えらそ−に。ほら、会社と同じ。積極的にライダ−に挑んだ奴はやられちゃうから帰って来ないんだけどね。

 結局よくわからない基準で査定が行なわれて、消極的なのが目立たない戦闘員が怪人に昇進するわけだが、怪人になったらこれがまた大変だ。戦闘員と違って目立たないようにしてられないから。怪人になっちゃうと。

 戦闘員という部下ができて、上からは「失敗は死で償え」なんて凄まれて、中間管理職の悲哀丸出しで作戦に臨まなければならない。
仮面ライダ−が強いのも知ってるし。

 怪人が最初に登場する時、妙にハイテンションなのは、やる気満々なのではなく、ヤケクソなのである。

 ところで、怪人が毎回やられちゃているのに、その中からどうやって大幹部になる者が出てくるのだろうと疑問に思う人もいるだろう。

実は、彼らは海外からやって来るのだ。
 ショッカ−の活動はワ−ルドワイドだから、日本は一支部にすぎない。仮面ライダ−というライバル会社がいるおかげで業績が伸びない日本支社へのてこ入れのため、海外で活躍している怪人を大幹部として日本に招くのだ。そしてそれを決めているのはもちろん人事部なのである。

 大幹部は、日本でしょうがなく怪人になってしまった奴とは違い、実績があり、実際非常に優秀である。

 それではなぜ仮面ライダ−一人(ないし二人)に勝てないのか?そこにショッカ−の人事制度の致命的欠陥がある。

 先にも述べたが、ショッカ−の掟は「失敗は死で償え」である。適当に手を抜いている戦闘員やヤケクソ気味の怪人を使っていてはどんな作戦も成功の見込みはうすいであろう。大幹部といえども失敗が続けばある時自分の命を懸けて直接ライダ−と戦わなければならない。そして敗れる。だが敗れることが本質的な問題なのではない。問題は組織としてのショッカーが、そこから何も学ばないということなのだ。

 ある大幹部が失敗続きだったとしよう。そして人事部が「次は仮面ライダーと直接対決してもらうよ」という決定をしたとしよう。(それは現実の会社であれば降格が決まった管理職といったところだろう。)

それはしょうがない。掟だから。だが、そう決まった時点で、次の幹部を決めて日本に呼んでおくべきなのだ。
ちゃんと引き継ぎをさせるべきなのだ

 大幹部たちは優秀かもしれないが、自分が着任したときは前任者は死んでいるから、また一からやりなおしなのだ。奴らが引き継ぎをしているところなど見たことがない。それじゃいつまでたっても仮面ライダ−には勝てるわけがない。もう少し現場のことを考えて人事を考えるべきなのだ。人事部は。

 実際の会社では殺されることは(多分)ないだろうが、社内の立場として殺されているようなことはたくさんあるだろう。だがそれが間違っているということは、仮面ライダ−一人(ないし二人)によってショッカ−が壊滅させられたことからも明らかであろう。悪の人事は最後には組織を殺すのである。

 ショッカ−も末期には別会社と合併して「ゲルショッカ−」となったが、その時に元ショッカ−の構成員はほとんど殺されてしまった。これなんかも現実の社会で似たような話がいくらでもありそうだ。

 皆さんも悪の人事に殺されないように充分に気をつけてほしい。え?そういう自分こそ気をつけろって?アイヨー。

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あるガチョウの死


 西暦2000年4月。春休み。とある日本一有名な動物園に、母親2人、子供4人が連れ立ってやって来た。とても天気の良い日で、総勢6人は、楽しく動物を見たり、それぞれ子供らしいことや、母親らしいことをしていた。よくある光景であった。それぞれの父親は、それぞれの職場でそれぞれな事をしていた。

 山羊の山の横は、トンネルになっていて、山羊の山にある池の水中と水面を同時に見られるようになっていた。親子は見学ルートに沿って、そのトンネルに入っていった。

 最初にその事態に気付いたのは、これから小学4年生になる女の子であった。

「がちょうが死んでるよ」

他の子供や母親たちが、その子の示す方を見ると、水面に一羽の鳥が浮いていた。その池には「がちょう」と表示されていた。

見ていると硬直しているようだった足が小刻みに動いていて、まだ息があるようだったが、どう見ても時間の問題であった。

 やがて、職員とみられるおじさんがガラスの向こうに現われ、手にした棒で、その鳥を引き寄せようとしたが、なかなか棒は届かず、苦労している様子であった。親子もみんなで事の成り行きを見守っていたが、母親の一人が妙なことに気付いた。

「あのがちょう、水かき無いね・・・」
「ホントだ」

みんなが同意した。

 鳥の収容作業は依然続いていたが、そのうち、やはり職員であろう、バケツを持ったおばさんがガラスのこちら側に現われ、

「ありゃあだめだねぇ」

などとつぶやきながら客と一緒に見物をはじめた。母親の一人は(手伝ってやればいいのに)と思いながらも黙っておじさんの奮闘を見守っていた。

 鳥の足のわずかな動きが完全に止まってからしばらくして、ようやく、おじさんの苦労は報われ、鳥は収容された。おじさんは親子が注目しているのを知ってか知らずか、鳥の足を片手でつかむと、ぶらぶらさせながら、みんなの視界から消えていった。

こちら側にいたおばさんも「やれやれ」といった感じで退場していった。一番年下の女の子が自分の母親に言った。

「がちょう、死んじゃったね」
「う、うん、でも、うん・・・」
もう一人の子が言った。
「あのがちょう、頭になんか赤いのが付いてたね」
「あ、あれは・・・とさかっていうんだよ」
 
 こうして親子は釈然としないまま、なにもいない池を後にした。日本一有名な動物園よ。あたりまえだが、動物が死ぬことはあるだろう。死体をていねいに扱えない事情もあるだろう。そんなことはわかる。だがしかし、日本一有名な動物園よ。にわとりはにわとりとして死なせてやってはくれまいか。

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いくちゃんの歌

 中学校時代の同級生に「いくお」という子がいた。 眉が太く、口や目鼻がくっきり大きくて、ひげが濃い目で、ややゴリラ顔だったが、運動も勉強もよくできる上に出しゃばらないタイプで、そのくせ時々素晴しく面白いことを言ったりするので、男子女子問わず「いくちゃん、いくちゃん」と呼ばれて、みんなからとても好かれていた。

 僕は特に親しかったわけではなかったけれど、時々話すととても楽しかったのを覚えている。そしてとても気になる存在だった事も。

 ある日の休み時間のこと、いくちゃんの近くを通りかかると、何か歌を口ずさんでいた。鼻歌レベルの音量で、でも、ちゃんと歌詞がある、という歌いかただった。立ち止まって聞いていたが、どうも歌詞が聞き取れない。気になったので(なにしろ「いくちゃん」が歌っているのだ)、

「何の歌?」

と聞いてみた。が、いくちゃんは横目で僕を見ながら、そのまま歌い続けている。やっぱり歌詞が聞き取れないので、再度

「ねぇ何の歌、歌ってんの?」

と聞いてみたが、いくちゃんはあい変わらずでかい横目で僕を見ながら同じペースで歌い続けている。その目が笑っている。歌っている口元も笑っている。いくちゃんが笑っている。笑いながら歌っている。僕を見ながら。しかし何の歌かはわからない。すこしいらいらする。でも相手はいくちゃんなのだ。僕は我慢して聞き続けた。いくちゃんの笑顔を信じて。ふいに僕を見てるいくちゃんの目もとに力が入り、歌声が徐々に大きくなっていった。そして彼は最後にはっきりと歌った。

「♪♪うちゅーうてつじんきょぉーだぁーいんーーー♪♪」
「・・・・・・・・」

歌い終わったいくちゃんは何も言わず、その場を立ち去った。
(いくちゃんて、キョーダイン見てんだ・・・)
一人取り残された僕はそう考えるのが精いっぱいだった。

いくちゃんが気になる存在だっただけでなく、少しだけいくちゃんのようになりたいと思っていた僕はその週から「宇宙鉄人キョーダイン」を見ることにしたが、中学生の僕にはあまり面白くなくて2回くらい見てやめてしまった。

 今の僕は特撮テレビシリーズを一生懸命見ているけど、いくちゃんは今、どうしてるんだろ?「タイムレンジャー」とか「仮面ライダー・クウガ」とか見てるんだろうか?

見てねぇだろうなー。

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正しいとはこういうことさ

 それは梅雨時の、ある曇った日の夕方のことであった。

私は、仕事の進行上のタイミングが悪かったおかげで、本当は行かなくても良かったある会社へ、本当は持って行かなくても良かったある荷物を届けるために、本当は乗らなくてもよかった山手線に乗って、日暮里へ向かっていた。

 気温はあまり高くなかったが、湿度は梅雨時のパワ−で私に襲いかかり、ネクタイを締めた首まわりや、ズボンのベルトのあたりは汗でベトベトして、私はまったく機嫌がよろしくなかった。

 二駅目くらいで目の前の席が空いたので、疲れ果てていた私はヘタリと座り込んだが、座れば座ったで窮屈で暑苦しく、私はまだまだ機嫌がよろしくなかった。

(本当はこんな電車に乗ってなくてもよかったんだよな−)

未練たらしくウジウジしている私を乗せて電車は走り続けるが、日暮里はまだまだ遠かった。

 私の右隣には若いサラリ−マンが座っていたが、ある駅で、その男の右の席(つまり私の隣の隣の席)が空き、そこへ、背は低いが、丸々と太った、ダルマに手足、といった体格のおばあさんが、ドドドっという感じで(他にその席に座ろうとしている客はいなかったが)突進してきて、どっかと座り込んだ。

狭いところに無理に入りこんだのか、私の隣の男はしきりに右側を気にして、もぞもぞ動いていた。その時、車内にケ−タイの着メロが鳴り響き、私の目の前に立っていた若い女性が「はい」と電話に出た瞬間。ダルマば−さんがとてつもなくでかい声で、叫んだ。

「ケ−タイうるさいからやめてくれない!!うるさい!!」

ビシッと、ムチのようにビシッと。
おとなしそうなその女性は消え入りそうな声で「はい」と答え、電話を切った。

私は思った。
(ば−さん正しい、まったく正しい、でもば−さんもうるさい)

そして、こうも思った。
(誰かのケ−タイ鳴らないかな)

もしも誰かのケ−タイが鳴ったら、ば−さんどうするだろうか?電話に出たら、またムチが飛ぶだろう。しかし、誰も出ないで、着メロが鳴り続けたら。犯人探しをするだろうか?耳をすまして「おまえかぁ!!」なんてことになるんだろうか?

みんなドキドキしてるだろうな。ば−さんのおかげで面白くなってきたな。乗らなくてもいい電車だったけど乗ってて良かった。私は断然、機嫌がよろしくなってきた。そしてこの後、予想を裏切る面白いことが起こるのだが、さて、それはどんな出来事でしょうか?

私のケ−タイが鳴った?

はずれ。
話としては面白いけどそれじゃ私が恐いでしょ。私はPHSを持っていたけれど、音が鳴らないようにしていたので余裕だった。まぁエチケットを守っていれば恐れることは無いわけですよ。みなさん。

結果的には、ば−さんが降りるまで誰のケ−タイも鳴らなかった。
じゃあ、何が起こったのか?
それでは次の場面を見てみましょう。
 
 ば−さんに一喝された子は、次の駅で降りてしまった。目的の駅だったのか、怒鳴られたショックで逃げだし、駅のトイレでシクシク泣くためなのかはわからない。確かめようもないし、まぁ、どうでもいい。 

 その駅で、今度は私の左側の席が空いた。乗ってきた客の中に、赤ん坊を抱いたママさんと、制服姿のまじめそうな男子高校生みたいのがいて、高校生が先に乗って、私の隣に座りかけたが、ママさんに気付き、声をかけ、席を譲ろうとした。

(おお、今時なんと善良な若者だろう)と見ていたが、結局ママさんは座るのを断ったようで、高校生が私の隣に座ることになった。その際、ドカッという感じで、少し乱暴に着席しやがったが(まぁ、この子はいい子だから)許すことにした。

 電車は走り続け、間もなく巣鴨という時に例のバ−さんが立ち上がった。
(おおっ、スガモッ。巣鴨で降りるかば−さんや)まったくなんて正しいば−さんだろう。感心していると、ば−さんは、私の隣の高校生の膝の辺りをチョンチョンと叩き、

「はい、これ食べな、ねぇ、こんな素敵な子がまだいるのねぇ。これお食べ。」

などと言いながら、高校生の手に何かを握らせていた。高校生は、なんだか戸惑いながらも「あ、はい」なんて言って、その何かを受け取っていた。

ば−さんは「じゃあね」なんて言いながら去っていったが、私は何が手渡されたのか気になってしかたがなかった。

その高校生は受け取ったままの体勢でじっとしていて、私はちらちら見ていたが、握り締められた右手の中身はなかなか見ることができなかった。

よっぽど「ねぇ、何もらったの?」と聞こうかと思ったが、勇気がなくて聞けずにいた。が、やがて、緊張が解けたように、その高校生が少し体勢を変え、握り締めた右手が少しだけゆるんだ。その指の間から見えたのは!黒いセロハンに包まれた飴玉。黒玉っていうの?黒飴?あれだったのだ。

 いや−、乗らないはずの電車に乗ったおかげでいいもの見させてもらったよ。最後の最後まで果てしなく正しいば−さんだった。社会に対する飴とムチの使い分けも見事。

少しばかり仕事がうまく行かないからって腐ってた自分が恥ずかしいよ。これからは私も正しく生きて行こう。
さわやかな感動に包まれながら電車をおり、改札を出ると、そこには見慣れない町並みが。
西日暮里じゃねぇか、コンチクショー!!

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西武線の惨劇

 むかしむかし、西武新宿線の沿線に住んでいたころ。

 会社の人たちと飲んだ帰り、一人で帰る電車の中での出来事。もういい時間で、ぼくの乗った車両は乗客もまばらであった。その中にひとり、座席がたくさん空いているにも関わらずドアのところで外を向いて立っているおじさんがいた。そのおじさんもだいぶ酔っているようで、立っているというよりは、頭をドアにもたれて、眠っているようだった。

 僕はそのおじさんを斜め後から見る位置に座ってぼ−っとしていたのだが、ある駅に着いてドアが開いた時、「あれっ」と思った。そのおじさんはやっぱり立ったまま眠っているようで、体が前後に揺れていて、頭が電車から出たり入ったりしていたのだ。

(あのままだとひょっとして・・・)酔った頭でぼんやり考えていると発車のベルが鳴り、「あっ」と思った時には「ガゴンッ!」と物凄い音がして、ドアがおじさんの右側頭部に激突し、左に飛んだ頭を今度は左側のドアがガゴンと強打した。僕が呆気にとられている間にドアは閉まり、電車はそのまま走り始めたが、相当痛かったようで、そのおじさんは「痛ぁぁ−いぃ、痛ぁあいぃ」と泣き声でつぶやいていた。

そりゃあ痛いだろ−。いい気持ちで眠っていたところへ両側頭部へガゴンガゴンじゃあ。かわいそうに。でも面白かった。でもかわいそう。などと考えながらもおじさんを観察していると、「痛ぁい、痛−い」の泣き声がだんだん小さくなっていき、「あらら?」と思う間に、おじさんはまた眠り始めてしまった。初めとまたっく同じ体勢で。よく聴くと、いびきに近いような寝息まで聞こえてくる。

「あれま−。あれじゃまた・・・たいへんだ−」

たいへんだ−。電車は走り続ける。たいへんだ−。おじさんは起きない。たいへんだ−。もうすぐ駅だ。おじさん起きない。おじさんが起きないまま駅に着いた。ドアが開く、おじさんゆらゆらー、ドア閉まる。ガゴンガゴン。

「痛ぁい、痛−い、痛−い、いたぁ・・・グ−ス−ピ−」

いや−、驚いちゃたよ。まったく同じ光景。時間が戻ったのかと思ったよ。
おじさん、まだ眠ってるし。この調子で両側から頭をガンガンやられてたら、へっこんじゃって、ひょうたんみたいな頭になっちゃうんじゃないかと楽しみ、いや心配して見守っていたら、次の駅に着いた。ドアが開いて、ワクワク、いやハラハラして見ていたら、おじさんはユラ−っというかんじで外に踏みだし、よたよたとホ−ムを歩きだした。「な−んだ」と思いながら、まだ何かやらかしてくれるんじゃないかと首を回して見ていたが、電車は走り出し、よたよた歩くおじさんの背中もやがて視界から消えた。

おじさんの去った車内はとても静かで、淋しく、変な話、とても広く感じた。
もう10年以上前の話だけれど、あのおじさん今頃どうしてるだろう。

あんまり飲み過ぎんなよ。

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猿霊の呪い

 それは昭和56年の真夏の夜の出来事でございます。

 当時大学生だった私は、夏休みで帰省しており、出身高校の柔道部の合宿にOBとして参加していた。

 他に、私と同期の者が4人と、我々の一つ上の代で主将を務め、柔道で体育大学に進学した先輩が同様に参加していた。

 自分が現役時代の夏の合宿といえば一日一日いっぱいいっぱいで、練習、飯、寝る、だけの日々であったが、OBともなると余裕があり、練習さえ終わってしまえば、みんなで泊りで遊びに来ているようなものだった。

 その日も一日の練習が終わり、夕食で後輩に無理矢理ご飯を食べさせたりして遊んだ後、我々はOB部屋に戻った。

日によっては、外に飲みにいって、夜中に疲れ果てて眠っている後輩を襲撃するという娯楽も行われたが、(我々も現役時代さんざんやられた)その日は部屋でどうということもない話をした後、そろそろ寝ようかということになった。

後輩が我々のために干しておいてくれた、ややカビ臭い布団に横になり、灯を消し、睡眠態勢に入ったが、まだぽつりぽつりと話しが続いていた。

やがて。誰かが、「大学の先輩から聞いた話なんだけどさぁ・・・」と、怪談を始め、それを皮切りに、恐い話大会になった。

みんな別々の進路だったため、それぞれの就職先や進学先から新鮮な怪談を仕入れており、場は大いに盛り上がった。体格が良くて、耳が潰れていたりする連中が、怪談で盛り上がっているというのは、滑稽と言えば滑稽だが、昼間、OBだと言って、偉そうにしていても、所詮19、20歳なんて、まだまだ子供だったということだ。

しかしやがて、良いネタが尽きはじめ、話の内容よりも盛り上がりの熱気だけで話し続けているようになり、その熱気も徐々に下降して行った。

 そんな中で、一つ上の先輩だけは盛り上がったままで、1人で話し続けていたが、悲しいことに先輩の話は、どこかで聞いたようなものばかりで、我々はますます冷めて行った。

そんな空気にはおかまいなしに、先輩は1人で話し続けたが、さすがにネタが尽きたのか、しばらくすると「お前ら何か話し無いのか?」と、私たち1人ひとりにふってきた。しかし、その時には我々と先輩との温度差はとてつも無く開いていたので、皆口々に「もうないっすねー」と、答えるばかりだった。
先輩は寂しそうに「そうか・・・」とつぶやくと黙り込んだ。誰もが(今日はこれでおしまい、今度こそホントにおやすみなさーい)と、心の中で思った。ただ一人、先輩を除いて。

「あ、そうだ。」闇の中で先輩が沈黙を破った。「 知ってるか?」まだ盛り上がってる。

「なんスか?」後輩の義務が答えた。

「こう、歩いててさァ、何にも無いのにつまづくことって、あるじゃんか?」
「は、はぁ」
(???これは聞いたこと無い話だぞ。でもこれって・・・怪談?)

「ああいうのなぁ、猿の霊にとりつかれてるんだって。」
・・・沈黙。そして後輩の義務。「そうなんスか・・・」「おう、そうなんだって。猿の霊だってさ」沈黙。え?・・・おしまい?そんだけ?まさか・・・私は探りを入れてみた。「猿の霊ですか」「おう、サルサル」・・・・沈黙。以上。おしまい。我々は今度こそ本当に眠りについた。

あの恐怖の一夜から20年近くが過ぎた。あの夜聞いて、怖かった話は全部忘れてしまったが、猿の霊の話だけは今も私の中に生き続けている。そして歩いていてつまづく度に、「ああ、俺は今、猿の霊にとりつかれてるんだ」と、私を恐怖のどん底に突き落とすのです。こわっ!

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