TOP

文書の書目次


背中ヒミツ

2001.03.31

 息子の背中に、わりと大きなあざがあって、それを見るたびに、どうしても思い出してしまうことがある。

 妻が妊娠8ヵ月のころ、私の祖母が他界して、葬式のため二人で実家に帰った。
 もうすぐ告別式が始まるという時に、私の母がやって来て、
「腹帯にちゃんと鏡を入れた?」
と聞くのである。妻も私も何のことかわからず、もちろん鏡など入れてなかったので、そう言うと母は
「やだ困ったよ。どうしよう」と、何だか一大事のようである。通りかかる叔母たちに「鏡を入れてないんだって、鏡を入れてないんだって」と、訴え始め、叔母たちも「あらやだ、あらやだ」と、やっぱり一大事のようである。

一体何が問題なのかとたずねると、「妊婦が葬式に出ると、あざのある子供が生まれて来るのだ。それを防ぐためには、腹帯に鏡をいれておくしかないのだ」と、説明された。目が真剣だった。
 何だかロールプレイング・ゲームの重要アイテムみたいだが、私も妻もそのテの話は気にしないほうなので、「どうでもいいや」という視線をかわしていたが、母はとてもそんな雰囲気ではなく、困り続けていた。

 結局、両親と同居している兄嫁が小さな鏡を持っていることが判明し、無事アイテムゲットとなった。
 そのテの話を気にしない二人は、「それで母たちの気が済むのなら」という柔軟性も持っていたので、指示通り、ゲットした鏡を腹帯に入れた。アイテム装備、である。
 笑っちゃったのは、その小さな騒動が一件落着した後で兄がやって来て、まじめな顔して、「鏡入れた?」と妻に尋ねたことだ。お前もかよ。

 兄はその昔、子供だった私がスプーン曲げにチャレンジしているところにやって来て「そんなもん曲るわけねーじゃねーか、ぶぁーか!」と、思いっきり罵倒したことがあったので、オカルトや迷信なんて信じないやつだと思っていた。
私は「あざなんかできるわけねーじゃねーか、ぶぁーか!」と言ってやろうかと思ったが、おとなげ無いのでやめた。

 しかし、そんな迷信だか言い伝えなんかぜんぜん知らなかった。しかも、おばさん連中はともかく、二つしか歳の違わない(スプーン曲げを信じていない)兄までそんな事を言い出すなんて。
 帰宅してから妻の両親やら、それなりの年齢の人たちに聞いてみても、そんな話は聞いたことが無いということだった。あの辺だけの話なんだろうか?高校を卒業するまで住んでいた町にそんな秘密があったなんて。

 やがて息子は無事誕生したが、最初に書いたようにその背中には大きなあざがあったのであった。それを発見した時は、「ちゃんと鏡を入れといたのにー」と、妻と二人で大笑いしてしまった。

TOP

文書の書目次


ツッパってた僕

2001.04.14

 あれは私が中学校に入って間もないころの出来事だった。
 柔道部に入部した私は、その日、一年生のお勤めである練習前の道場の掃除が始まるのを、ポケーっと待っていた。
そこへ卓球部のK君がやって来て、「ちょっと来て」と私を呼んだ。
 K君は、同じ小学校の出身だったが、ほとんど話したことは無く、おたがい、名前は知っている、という程度の間柄だった。
そんなK君がなぜ私を呼び出すのか不思議だったが、あまり深く考えずに、小柄でやせっぽで、卓球服の良く似合う、K君についていった。
 K君の目的地には数人の卓球部員が暗ーい顔で立っていて、その中心に、明らかに中学生ではない、リーゼント頭の、乾電池みたいな体型の若い男が座っていた。
乾電池は、私を睨み付けて言った
「お前、ツッパってるんだってなぁ」
「?」
私は何を言われているのかわからなかった。ついこの間まで小学生だった私は「ツッパってる」という言い方を知らなかったのだ。何がなんだかわからなかった私はK君を見た。スネ夫によく似たK君は、全身から「僕はここにいないんだ、僕はここにいないんだ」という光線を発していた。
乾電池は、怒ったような口調でもう一度言った
「お前、ずいぶんツッパってるんだってなぁ」
こんどは「ずいぶん」まで付いてしまった。どうしよう。体は大きかったが気の小さかった私は必死で考えた。「ツッパってる」って何だろう?この人はなぜ怒ってるんだろう?
「何とか言えよ。おい」
怒ってるよ。どうしよう。何か言わなきゃ殴られちゃうかも
「お前、ツッパってるんだろぉ?」
「はい」
とりあえず返事をしてみた。乾電池の表情が険しくなった。しまった。
「ツッパってるのかぁ?」
「いいえ」
私は即座に路線を変更した。私はツッパっていてはいけないのだ。どういう意味かわかんないけど。
「ツッパってンじゃねぇぞ」
「はい」(よくわかんないけど)
「わかったか?」
「はい」(わかってないけど)
「行っていいぞ」
「はい」
K君を見ると、かすかにうなずいた。
 九死に一生を得た私は走って道場に帰り、いつものように掃除をして、いつものように稽古をした。
練習のあとで、先輩に聞いてみた。
「ツッパってるって、どういう意味ですか?」
「んー。生意気っていうか、いばってるっていうか、そんな感じ」
と、教えてくれた。今思えば、少し違う気もするが、その時はそういう意味なんだと認識した。
 まじめな私は、自分のどこかにツッパっていた所がなかったかと一生懸命考えた。が、思いあたることは無かった。
だいたい、ついこの間まで小学生で、本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった私が「ツッパってる」わけがないのだ。
K君に聞けば教えてくれたかもしれないが、口もききたくなかった。
 私は「あいつはきっと、どこかで覚えた『ツッパってる』という言葉を使いたかっただけだったんだ」と結論付けた。

 やがて、「ツッパってる」とか、「ツッパリ」とかいう言葉は一般的になり、ツッパリタレントがテレビで、自分のツッパリエピソードを自慢げに話すのを見かけるようになった。
そういう話が好きな友人もいたが、私はこの一件のこともあって、ツッパリエピソードは好きになれなかった。
「柔道部のでかいのをビビらせたぜ。全開バリバリだぜ」なんて、私もあの乾電池のツッパリエピソードに加えられていたと思うと少し嫌な気分になる。思わず「バックレてんじゃねぇ」などとつぶやいてしまう。言葉の使い方が間違ってるかもしれないけど。

TOP

文書の書目次


自転車を買ったよ。

2001.06.06

 自転車を買った。
27インチ、銀色の車体、9800円。
2、3年前に、スティーブン・キングの『IT』(アイティーと読まないで)を読んだ時から、今度自分の自転車を買う時には銀色のやつ、と決めていた。
 自分の自転車を手に入れるのは小学校4年生(現在の息子と同い年!)以来なので、実に29年ぶりという事になる。
 当時、同級生の多くは、5段変速で、後の荷台に、フラッシャーと呼ばれる方向指示ライトが装備された自転車に乗っていた。
私も「あんなのが欲しいな−」と思っていたが、兄が(自分の好みを絶対だと信じている王様のような兄が)「あんなもんが付いてるのは絶対に買うなよ」と、怖い顔で迫って来たので、フラッシャーはあきらめて、26インチ、5段変速で黒い車体、セミドロップのハンドル、という形の物を買ってもらった。
ちなみに兄は10段変速にドロップハンドル。2台とも、ブリヂストンの自転車だった。
自転車はブリヂストン、オーディオはSONY、野球はジャイアンツ、歌は井上陽水。当時の兄の信条だった。
 何年かすると、同級生たちはフラッシャーを取り外し始め、兄が正しかった事が証明された。
フラッシャーが格納されていた荷台の骨組みだけが残っている自転車を見るたびに、私は、兄が正しかったのだと思い知らされた。
 セミドロップというハンドルの形は、最近あまり見かけないが、当時は小学生が乗る自転車はこのハンドルが主流だった。
ある友人に「セミドロップのセミってどういう意味かなあ?」と尋ねたところ、「形が蝉の羽に似てるからだよ」ときっぱり答えてくれた。
それが嘘だと気付くのに、私には3年の歳月が必要だった。
 途中そのセミドロップのハンドルをドロップハンドルに付け替えたりしながら、その自転車には高校を卒業するまで乗っていた。
 小学校の校庭にあった小山からすごいスピードで何度も走り降りた。
 中学の夏休み、部活に行く途中で、チェーンがへんなはずれ方をして、なかなか直せなくて困っていた時、通りかかった大学生(多分)のお兄さんに直してもらった。ブックバンドで本を止めていたのがカッコいいな、と思った。
 坂を登り続けた先にある高校へは自転車通学で、毎日行きは大変だったが、帰りはほとんどこがないで家まで帰って来た。
自転車っていいな。
 新しい自分の自転車で目的もなく走り回ってみた。
青い空と白い雲、かわいた風。
塀の上のネコが首を回してこっちをじっと見ている。
自転車っていいな。
近所の子が田んぼでタニシ取りをしている。
「見えるけど、届かないよ−」「そーかー、がんばれよー」
自転車っていいな。
川沿いの道を走っていると、尾羽根の長い鳥が目の前を横切っていった。
自転車っていいな。
速く走ったり、ゆっくり走ったりしてみた。
自転車っていいな。

 家に帰って妻に「自転車に名前書いたほうがいいのかなー」と言うと、「そうだね書いといてあげる」と言ってくれた。
「科学特捜隊の流星マークのシールも貼っちゃおうかな−」と言うと、「それはダメ」と、きっぱり言われた。
(わかってないなー)と思ったが、多分、妻が正しいのだろう。

TOP

文書の書目次

「ババダッ!!」とY君は叫んだ

2001.06.13

 私が小学3年の夏休み。
町では市会議員だか市長だかの選挙運動が盛り上がっていた。
市政の行く末がそれなりに気になっていた私ではあったが、選挙権を持っていなかったので、しかたなく、友人のY君と学校のプールへ遊びに行くことにした。
 私たちは、水中鬼ごっこや、消毒用の塩素のかたまりを投げては取ってくる遊びで、夏休みのお手軽レジャーを満喫した。
 その帰り道。
学校を出てすぐの細い道をダラダラ歩いていると、100メートルほど先の大通り(田舎の商店街だけど)を左から右へ変なものが走り抜けた。
それは、車には違いなかったのだが、なんというか、L字型をしていたのだ。
当時、私は近眼になりかけていたのと、もともと頭の回転が速くないのとで、今見た画像の処理に手間取っていた。
(いーまーのーはーおーぷんかーにーのったーじゃーいあんとー…)
「ババダッ!!」Y君は叫ぶと同時に走り始めていた。つられて私も後を追った。
そう。それはオープンカーの後部座席に乗ったジャイアント馬場だったのだ(L字のたて棒が馬場さんね)。
それはわかった。わかったが、Y君よ、なぜ走る?相手は車だぞ。追いつくつもりか?そりゃあ、俺だって馬場は見たいよ。でもな、Y君、相手は車だぞ。けっこういいスピードで走ってたじゃないか。追いつくつもりか?
そんな私の大人っぽい思いにはおかまいなく、Y君は(後に高校球児として甲子園のグランドに立つY君は)走りつづけた。
大通りを右折して、それでも走り続けた。
短距離ならともかく、長距離走は死ぬほど苦手だった私はヒーヒーいいながらついていった。
やがて。
前方に、停車しているオープンカーが!車の後部に張られた白い布に、ブッとい墨文字でG馬場来たる!
追いついた!馬場に!L字の縦棒にっ!
 G馬場さんは、選挙の応援演説に来ていたそうで、車が止まっていたところが、その会場だったのだ(商店街のど真ん中だが)。
 応援演説が始まるまでの時間、他の人が集まってくるまでのひととき、私とY君は馬場さんを満喫した。
見上げてみた。回りをぐるぐる回ってみた。ちょっとさわってみた。Y君は足の大きさを比べてみたりした。並べた足を馬場さんが軽く踏んだ。見上げると馬場さんがニヤリと笑った。幸せな夏休みのひとときだった。
やがて、人が集まり始め、私たちは馬場さんから遠ざけられた。
 走りつづけたY君のおかげで、素敵な思い出ができた。
ありがとう、Y君。ありがとう馬場さん。
Y君とはもう、20年以上会ってないな。どうしてるかな。
馬場さんも亡くなって、何年もたつな。
馬場さんの試合をテレビや会場で見ましたよ。
亡くなった後、テレビのドキュメンタリーを見た時は泣けてしょうがなかったな。
それでね、馬場さん、ボクの息子の名前は「しょうへい」っていうんですよ。
字は変えましたけどね。エヘヘ。

TOP

文書の書目次

買ったよシリーズ第二弾
ケータイを買ったよ。

2001.06.30

 『携帯』と言ったら『携帯電話』のことでしょ。
という事になってから、一体どれだけの月日が流れただろうか。
「携帯を持つ」とか、「携帯を買いに」という言い方は、日本語としておかしいと感じるのは、私が間もなく39歳になるおっさんだからだろうか?
『てぶくろをかいに』の母ギツネは親として失格ではなかろうかと思うのは、私が子育てに悩むひとりの父親だからであろうか?
親ギツネの資格はともかく。『携帯』を買った。妻と二人で。
 特に必要があって買ったわけではなくて、持たないなら持たないまま天寿をまっとうする覚悟はできていたのだが、ある日妻と飲んでいて、どちらからともなく「そろそろケータイでも買おうか?」という話になった。
「そろそろ」ってなんだよ、という気もするが、おそらく、テレビのコマーシャルや、世の中全体の雰囲気が、われわれ夫婦に「そろそろだよ」と圧力をかけていたのだと思う。
 以前は、歩きながら通話したり、メールを打ってるやつを見ると、「前向いて歩けよ」とか、「いい大人がポチポチ押しながら歩いてみっともないぜ」とか思っていたが、いざ自分で所有してみると、まったく同じ事をしていた。いいじゃん、ポチポチしながら歩いてもさ。
それどころか、(いわゆる)コギャルがメールを入力する速さには尊敬の念さえ覚える。いつかはああなりたいものだ。
 少し前に、「携帯電話を所有する事によって、人は多重的な存在になる」と、書いていた人がいて、それは、仕事中でも、同時に個人的な存在を維持できる、という様な意味で、読んだ時も「なるほど」と思ったが、自分で所有してみて、さらに実感することになった。
 営業で得意先回りをする道々、「暑くてまいっちゃうよ」と妻にメールする私。
帰宅途中の乗換駅での待ち時間に「現在北千住で待機中!ビール冷え冷えOK?(^_^)」と妻にメールする私。
みごとに多重的に存在していると言えよう。ケータイを持つ事によって、私は多重人間に生まれ変わったのだ。
妻にそのことを宣言すると、
「えっ?ビリー・ミリガンみたいに?」だと。
そりゃ、多重人格だ。

TOP

文書の書目次

困りはてた僕たち10円玉にすべてを賭ける。

2001.8.15

 中学生になった私が柔道部に入ったことは以前書いたが、入部後初めての大会が近づいてきた。
といっても、われわれ一年生は、まだ試合に出るわけではなく、当日は先輩の練習相手になったり、マッサージをしたり、試合中は「ファイトでーす」なんて言って応援するのが役目だった。
 一年生の仕事は前日にもあって、選手用の柔道着、試合後使う冷やしたタオル、喉が渇いた時にチュウチュウするレモンスライスなどを用意して、誰が持っていくかを決めなければならなかった(けっこう上下関係が厳しかったので、少しでも不備があると大変なことになるのだ)。
試合前日の軽い練習が終わった後、初めてで要領のわからない一年生のために、二年生のUさんとYさんが残って、準備の指導をしてくれることになった。ホントはあまり強くないので他の二年生に押し付けられたのだが。
 部室に保管されていた試合用の道着七着(胸に学校名が刺繍されているやつ)、試合用のきれいなタオルたくさん、それらを誰が持ってくるか決めて、レモンスライスの担当も決めて、Uさんに「いいか、絶対忘れるなよ!」と当たり前の事を凄んで言われ、これで終りかなと思った瞬間Yさんが叫んだ。
「ブキ!」
Uさんも
「そうだ!ブキッ!」
え?なに?ブキ?柔道は素手の競技だから武器は使わないよ、なんて突っ込みは入れなかったが、われわれ一年生は『ブキ』というのが何だかわからなくてきょとんとしていた。
「旗だよ、はぁた!」
なるほど『部旗』ね。
大会の時は会場に部旗をはって、勝利を祈願するのだそうだ。
そして間もなく、大変な事実が発覚した。
部旗が無いのだ。
本来部室に保管されているべきなのだが、いくら探しても見つからなかった。
大変だ。部旗が無い!試合に負けたら部旗が無かったせいだ!(多分)
部旗の大捜索が始まった。
手がかりは全く無かったが、とにかく探し回った。
学校中を柔道着姿のくりくり坊主が走り回る!
体育器具室!
無いっ!
他の部の部室!剣道部!野球部!卓球部!英会話部!
無いっ!無いっ!無いっ!無いっ!
どこにも無かった…もう探す所も無い…
Uさん、Yさん、一年生全員は暗い顔をして校舎のかたすみに立ち尽くしていた。
UさんとYさんはホントに死にそうな顔をしていた。そもそも二年生がしっかり保管していなかったのだから、彼らの責任なのだ。
Uさんが悲愴な表情で言った
「お前ら、大変なことにな〜る〜ぞ〜」
って、俺達に責任ないだろ。
「なんとかし〜ろ〜よ〜」
って、おい。
もう打つ手はまったくない。Uさんは一年生が悪いという妄想に逃げ込もうとしている。
絶体絶命だ!その時、ある一年生がポツリと言った。
こっくり、さん…」
「あぁん?」とUさん。
「こっくりさんに聞いてみましょうか?」
な、なんだって?そ、そ、そ、そういうもんか?こっくりさんて?
いや、俺もこっくりさんくらいやるけどさぁ。(当時だよ^^;)こういう場合…。
Uさんを見ると、眉間にしわを寄せて、言い出したやつをにらんでいる。
見ろ、怒ってるよ、こういう時にやるもんじゃねぇだろ。
Uさんは顔の真ん中にギュウゥっと力を込め、そして言った。
「霊感強いの誰だ?」

 当時は、つのだじろうの恐怖マンガが大ブームで、『亡霊学級』とか『恐怖新聞』とか、みんな読んでいた。当然こっくりさんもはやっていて、すべての中学生はこっくりさんのノウハウを熟知していた。
 こっくりさんのバリエーションで、『エンゼルさん』とか、『ご先祖さま』とかいうのがあって、「こっくりさんと違って祟らない」というのがセールスポイントだが、やることはみんな同じだった。
 こっくりさんは学校では禁止ということになっていたが、学校でこっくりさんをやっているのを先生に見つかった生徒が、「いえ、これは『エンゼルさん』です」と言い逃れようとして、よけい怒られたという噂もあった。
 そんな話はともかく、先生よりも、祟りよりも、明日の先輩の方が何百倍も恐ろしいわれわれは、こっくりさんにすがることにした。
こっくりさんはへたをすると祟るかわりに、一番当たるとも言われていたのだ。
 あっという間にこっくりさん用紙(五十音と、「はい」「いいえ」、数字などが書かれた紙)が作製され、10円玉一個が用意され、そして、霊感の強い(であろう)一年生三人が選抜された。
私は霊感が弱そうだったらしく、選ばれなかった。まぁ、ホッとしたが。
さあ。想像してみよう。
放課後の中学校の教室。
真ん中あたりの机を囲んで座った、柔道着姿の三人の選ばれし霊能中学生(一年坊主)。
さらにそれを取り囲む10名余りの柔道着の坊主ども(含む二年生二人)。
 そして儀式は始まった。お決まりの呼び出し文句。お決まりの質問(あなたは男ですか?女ですか?)。ひととおり終え、さぁ、いよいよ本題の質問。みんなが固唾を飲んで見守る中、
「柔道部の部旗はど」バァーン!
教室のドアが開き、
「お前ら何やってんだー!!!!」
全員、腰を抜かすくらいびっくりしながら声の方を見ると、そこには悪霊のようなすさまじい顔をした、数学のS先生が立っていた。
ダーッ!と教室に駆け込んでくるS先生!周りで見ていた者は勢いに押され道をあけたが、選ばれし三人は十円玉に人差し指をのせたまま、身動きできなかった。儀式を正常に終了させるまでは、十円玉から指を離してはいけないのだ。祟られるのだ。
 S先生はこっくりさん用紙をスパァーンと取り上げると、頭の上でビリビリビリッと破いてしまった。勢いで飛ばされた十円玉が床の上でクルクルクルッと回った。
 それでも霊能三人組の指は元の位置関係を保っていた。よっぽど崇りが怖いのだろう。もうダメだけど。
 しかし、実は、私は見てしまったのだ。先生が入ってきた瞬間、驚いた霊能者の一人が十円から指を離してしまい、またそ〜っと戻すのを。

 S先生にさんざん説教され(U先輩が、部旗がどこにあるか聞こうとしていた事までしゃべってしまったので、怒られた上にバカ扱いまでされてしまった)、部旗も見つからないまま、われわれは絶望のドン底で家路についた。
 翌日、部旗の件は、三年生に怒られたが(もちろん二年生が)三年生も試合の方が大事なのでそんなにたいしたことにはならなかった。まぁ、あたりまえといえばあたりまえだが。
かわいそうな霊能三羽ガラスは、しばらく意気消沈していたが、誰かが祟られたということはなかったようだ。

多分。

TOP

文書の書目次

臨戦体制

2001.08.25

 何年か前のある日。
 どうせゲームのやりすぎかなんかだと思うが、その朝俺は(今回は『私』ではなく『俺』なのだ)寝不足でふらふらしながら、通勤電車に乗り込んだ。
 俺が使っている駅は、ひどく混み始めるやや手前に位置しているが、座れることはめったにない。
その日も、半分眠るつもりで、つり革のひとつに両手でつかまって立っていた。
 電車が揺れたかなにかした瞬間に、ふと意識を取り戻し目をあけると、目の前に座っているオヤジと目が合った。
やや乱れた長めの白髪で、目つきの悪い、背広姿のオヤジが俺を見上げている。
他の乗客と目が合うことはよくあるが、そのオヤジは不自然なくらい、視線をそらさない。
(なんだ、このオヤジ)と思ったが、こちらから視線をそらした。俺は本来トラブルを好まないのだ。
 もう一度眠る体制に入ろうと目を閉じたが、どうにも前のオヤジが気になってしょうがない。
オヤジの顔を直接見ないように、首の角度を微妙に調節してから、そぉ〜っと目をあけた。
(み、見られてる!)
見られてるなんてもんじゃない。これはガンを飛ばしてるってやつだ!
オヤジの視線は俺の顔をじっと睨んだかと思うと、下に移動して、腿のあたりをじっと見て、また、顔に戻るという動きを繰り返している。
間違いないっ!これはあれだ!不良とかがケンカの前にやるガンの飛ばし合いの手法だっ!
俺はもう一度目を閉じ、考えた。
(俺に悪いところはない。体が接触したわけでも、大きな音をたてたわけでもない。こいつに不快な思いはさせてない。なのにこいつは俺にガンを飛ばしている。つまり)
このオヤジは頭がイカレていて何をしでかすかわからないあぶないやつなのだ。
もしも。
もしも、こいつがこれ以上の行動に出たなら、上等だ。やってやる!俺は覚悟を決めることにした。
 俺はそっと目をあけた。敵と決めたからには目を離すのは命取りだ。
オヤジの視線は例の上下動を繰り返している。
(どうくるか?)
立ち上がりざまに、顔面に頭突き?
俺は左肘で顔面をガードした。
いきなり股間を蹴り上げる?
足の位置を変え、半身になる。
右手をつり革から離し、手首を回し、拳を固める。
そうだ、アキレス腱も伸ばしておこう。

 体の準備とともに、心の準備も始めた。
通勤途中での暴力行為だ。警察沙汰にでもなったら、会社にもいられないだろう。家族を路頭に迷わせることになる。
妻よ子よ、愚かなオトーを許してくれ。でも男にはやらなきゃならない時があるのだ。

 とにかく、最初の一撃をかわして取り押さえる。これしかない。
そして。ついに。
オヤジが行動に出た!
腰を浮かし、立ち始めたのだ。
まるでスローモーションのように、視線を俺にあわせたままのオヤジの顔が近づいてくる。
くるか?
やるのか?
 覚悟を決めたといいながらも、自分が暴力行為に巻き込まれるという事実に、まだ戸惑っていたが、もう猶予はない。
俺は肘のガードに力を込め、腰を沈めた。
やってやる!
オヤジの顔がなおも接近してくる!アドレナリンがピュウッ、と分泌された。
やってやる!
妻よ子よ!
やってやる!
やってやる!
愚かなオトーを!
やってやる!
やってやる!
やってやる!
許してくれぇぇっ!

 その時、電車が止まり、オヤジの顔も止まった。
オヤジの顔は俺の顔のすぐ左にある。そしてオヤジはささやいた。
「前、開いてるよ」
臨戦体制のまま固まっている俺を残して、オヤジは降りていった。
俺の隣に立っていたおばさんが「ラッキー」という感じで空いた席に座った。

妻よ子よ。


恥ずかしいオトーを許しておくれ。

TOP

文書の書目次

人生最高のアルバイト

2001.10.06

 そんなに多くはないが、学生時代には、いくつかアルバイトをやった(卒業してからもしばらくやってたけど)。
パチンコ屋の店員、健康食品の配送、ビアホールの皿洗い、プールの監視員。
さまざまな時給と勤務時間。友達ができたり、できなかったり、カネが貯まったり、かえって使っちゃったり。
いろいろなドラマがあった。どのバイトも思い出深いものだった。
しかし。どのバイトが一番よかったかと問われれば、私は迷わずこう答える。
「それは仮面ライダーです」と。
そう、仮面ライダー。
正義の改造人間仮面ライダー。
私は世界の平和を守っていたのです。バイトで。
日給七千円で。2日間だけ。
まぁ、改造はされなかったんだけどね。バイトだから。

 それは、大学に入った年の夏休み。
帰省していた私に、高校の同級生だった女の子から電話がかかってきた。
自分の母親が農協に勤めていて、農協主催のイベントをやる、と。そこで『仮面ライダーがやって来る』という催しがあり、着ぐるみに入るアルバイトを探している、と。ついてはぜひ、仮面ライダーになってくれないか、と。そういう話だった。
断る理由はなにもなかった。
暇だったし。
日給はいいし。
女の子の頼みだし。
何より仮面ライダーだし。
喜んで引き受ける旨を伝え、その上で私はとても大事な質問をした。
「それは怪人と戦ったりするのか?」
彼女は言った。
「それはない。子供に風船や花の種を配布するのが主な任務である」
ゆるい任務だ。…まぁ、しょうがないだろう。農協主催だし。
軽く打ち合せをして、最後にもうひとつ質問してみた。
「なぜ俺を選んだのか?」
彼女は言った。
「そういうの好きそうだから」
…。
そうか。
そういう風に見られてたのか…。
まぁ、思い当たるふしはいくつもあるが。
複雑な気持ちで電話を切り、すかさず高校時代に仲の良かった友達に電話した。
「聞いてくれよ。俺、仮面ライダーになるんだぜ!…」

 そして当日。
私は同級生と、その母親の車で、山のてっぺんにあるイベント会場に向かった。あいにく小雨のぱらつく天気だったが、途中、事態を察知したショッカーに襲われるようなこともなく、会場に無事到着した。
 そこでイベント屋のおっちゃんに紹介され、ライダースーツが手渡された。
しまった!
何がしまったか?
渡されたのは、仮面ライダーは仮面ライダーでも、仮面ライダー・スーパー1というやつだったのだ。
仮面ライダーといえば私には1号ライダーしか頭になかったのだ。
これではきのうの練習が水の泡じゃないか。
何の練習かは秘密だが。
しかし。まぁ、仮面ライダーは仮面ライダーだし。すーぱーわんだってすぐわかるくらいに知ってたわけだし。放送は見たことなかったけど。
 実は私には全然不満はなかった。というか、早くライダースーツを着たくてしょうがなかった。
 特設会場なので、更衣室などというしゃれたものは無いので、イベント屋のおっちゃんの車、フォルクスワーゲン・ビートルの中で着替えることになった。
スーパーマンは電話ボックスで変身するが、スーパーワンはワーゲンで変身するのだ。
 ライダー変身セットは、マスクもスーツも、そこはかとなく、もわっと汗の臭いがした。そこはかとなく。
背中のファスナーは自分で閉められないので、とりあえずそのまま、マスクとマフラーを持ってみんなのところに戻った。
イベント屋のおっちゃんにファスナーを閉めてもらい、同級生にマフラーを結んでもらい、マスクをカチリと装着して変身完了。みんなから拍手で祝福。
 イベント開始まで少し時間があったので、慣れるために、少しあたりを歩いてみる。
 ぶらぶらしていると、関係者の子供だろうか、三才くらいのハナタレ小僧が、口を半開きにして私のほうをじーっと見つめていた。
私を。いや。仮面ライダーを。
どうしよう。なんか、ライダーっぽいことをしたほうがいいんだろうか?変身ポーズか?だめだ。スーパーワンの変身ポーズなんて知らない。
と、とりあえず…
私は人さし指を立て、どんよりと曇った空を指差してみた。
ハナタレは表情も変えずに私を見つめ続けていた。ぴくりとも動かずに。
私も黙ってそこを去った。できるだけライダーっぽい歩きで。

 イベントが始まり、私は子供たちに風船を配ったり、握手したり、いっしょに写真を撮ったりと、ちゃくちゃくと任務をこなしていった。ママさんまで握手してくれと来るのは参ったが。
 小学校の高学年くらいのガキどもになると、胸の筋肉みたいなところをボコボコ殴ってきたり、「暑い?」などと聞いてきたりで生意気だった。
あまり興味も無さそうなのに「変身ってやってー」と、明らかにこっちを困らせようとして言ってくるようなガキには
「もう変身してるからダメ」と言ってやった。

 任務遂行中、どこかの母親達が私を見て、
「このくらい大きい人がやってくれるといいわよねぇ。この前見た仮面ライダーは小さい人でつまんなかったわぁ〜。このくらい大きい人ならいいわよねぇ。小さい人はダメ」
なんて話していた。私もそんなに感心されるほど大きいわけではないが、よっぽど前に見た仮面ライダーがちっこかったのだろう。ちびの仮面ライダーを想像しておかしくなってしまった。

 イベント屋のおっちゃんは、「適当に休みながらやっていいよ」と言ってくれたので、その通りにした。
思いっきり人が通るところで弁当を食ったり、ソフトクリームをなめたり、子供の夢を壊しまくった。
 
 そんな調子で、私の仮面ライダー第一日目はあっという間に終ってしまった。

 二日めは前日とうって変わって朝から青空が広がり、絶好のライダー日よりだった。
そして、ライダーになるんだと報告した友達と、もう一人の友人が見物にやって来た。
二人はホントのライダーなので、バイクで来ていた。(というか、だからこいつらを呼んだ)
バイクがあるのなら、やることは決まっている。

仮面ライダーといえばバイク!バイクと言えば仮面ライダー!時速200キロで突っ走る!(マフラーがなびいていないのはなぜ!)

ライダージャンプ!仮面ライダーのジャンプ力はひと跳び20メートルなのだ!(写真でわかりにくいのはカメラマンがヘボだからだ!)

怪人と戦う仮面ライダー!世界の平和を守るのだ!

 このようなくだらない写真を撮る合間にも、前日と同じ仕事をこなしていったが、この日は、どこかの幼稚園の鼓笛隊の演奏があるとかで、その子達の前に登場するという、急な任務が加わった。
 100人くらいの園児達の演奏の後で、「きょうは仮面ライダーさんが来てくれました〜」と紹介され、園児全員と握手させられた。
 その後、子供に交通安全について話してくれと言われたが、それは丁重にお断わりした。今思えば、何か適当にしゃべっておけばよかったと思うが、その時は、何も思いつかなかったのだ。

 こうして。
夢のような二日間は終った。
任務完了後、イベント屋のおっちゃんに生ビールをおごってもらい、さらにいい思いをして家に帰ったのであった。
 振り返ると、あまり仕事もせずに遊んでいたような気がする。イベント屋のおっちゃんには悪いことをしたなぁ。この場を借りておわび申しあげます。
トォッ!

補足
「仮面ライダー・スーパー1(ワン)」(1980年放送)
NASAの科学者だった沖一也が変身する惑星開発用改造人間、それが仮面ライダースーパー1だ。愛用の「Vマシン」は
最高時速1340キロで突っ走る。せんさんびゃくよんじゅっきろ!

TOP

文書の書目次