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 エレキの力

2002.6.16




 昔、怪獣映画で『キングコング対ゴジラ』というのがあった。
コングは初め、ゴジラに負けるのだが、そのあと日本をウロウロしているうちに電線に引っ掛かってビリビリしびれたかと思ったら、なぜか帯電体質というものになり、パワーアップして、ゴジラとの再戦で優勢勝ちをおさめた。
 最近では『仮面ライダークウガ』というのがあった。
怪人の毒で心臓が停止した主人公に、医者が電気ショックを与えるのだが、その影響でクウガは新しい力を身に付け、前より強くなってよみがえったのだ。
 このように、電気というものは生物に不思議な影響を与えるとされてきた。
もっとずっと古い話では平賀源内が「えれきてる」というのをなんかして、なんか不思議だったらしいという話も伝えられている。
とにかく電気である。
エレキである。
エレキに注目である。

 何ヶ月か前から右肩に痛みをおぼえるようになった私は、とても不自由な生活を送ってきた。
四十肩だろうか?いや、まだ三十九歳だ。では「ほぼ四十肩」あるいは「おおむね四十肩」いや、「四十肩見習い」だろうか。
 いったい何の話になっちゃったんだろうかと心配でしょうが、あとでちゃんとつながるから安心してね。
とにかく、息子とドッジボールをしていてもヘニョヘニョした球しか投げられない。
左肩の後あたりがかゆくてもかけなくてイライラする。
そのうち右腕が途中までしか上がらなくなってしまった。痛くて。
電車の吊り革にもつかまっていられないくらいだ。
これはいけない。サラリーマンとして致命的な欠陥である。
病院行きか?
きらいだな。病院。
やだな、病院。
その時私は気づいた(病院に行きたくない一心で)。
まだチャンスはある!
エレキだ!まだエレキがある!
キングコングと仮面ライダーと平賀源内だ!
エレキングって怪獣もいたぞ!
 
 私は薬局へ走った。
肩凝り腰痛にはやっぱりエレキである。そう書いてある。
何種類か並んでいるうち、一番有名でお手頃のやつを購入した。
帰宅し、入浴後患部に貼り付ける。
「凝っているところに貼って下さい」と、説明がある。そりゃそうだろ。

 こういうものを使うのは初めてだったので、その後の夕食の時にも効果が気になってしょうがない。
夕食を食べながらも肩を回してみたりした。
ちなみに夕食はチゲ鍋だった。
ビール(発泡酒だけど)を飲みながら鍋をつつく一家だんらんの間にも、五分に一回くらい、仮面ライダーの変身ポーズみたいに腕を回してみる。
なんだか。
そこはかとなく。
痛みが和らいで。
可動範囲が広くなっているような気がする。
さっきまでの自分の肩と違うような気がする。
すごいぞエレキ!
エレキの力に感動しながら、酔っ払いながら、その日は床に就いた。
息子と思いきりドッジボールをしている夢を見た。
二人とも満面の笑顔だった。
笑顔がスローモーションになったりしていた。

翌朝。
肩を回そうとした。

回らなかった。
どうやら。
酔って痛みが麻痺していただけだったようだ。
今日から人並みの生活が送れると思っていた私は落胆した。
しかし、私はあきらめない。なにしろエレキなのだ。一晩で結論を出すのは早すぎると言うものだ。
勝負はこれからなのだ。
      

注:エレキの力の効果には個人差があります。薬局薬店で御相談下さい。

 

しかし、肩凝りに一番効果的なのは「腕を大きく振って歩く」ことだと最近発見した私であった。

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 誰か助けて

2002.5.30



 実は私は不器用で、昔から図画工作の図画は得意だが、工作は苦手だった。
多分、絵はなんとなく描いていてもそれなりになんとかなっちゃうのに対して、工作は手順を決めて作業しないとどうにもならないという事に関係があるんだと思う。
ちなみに粘土細工は得意で、わりと自信がある。
 ついでにもひとつ言うと、息子が小さいころは子供向けの雑誌の付録もかなり作った。
紙工作だけれど、決まった手順に従えばでき上がっていくので、差し込む穴が300番くらいまであるやつもキッチリ作った。
できあがるそばから息子が遊び始めて、あっという間に壊してしまったが。

 妻は私と反対で、工作や日曜大工的なことが得意で、大好きである。段ボールに布を貼った物でカラーボックスに入れる引き出しを作ったり、あちこちに棚を吊ったり、ということをよくやっている。
収納スペースの確保は主婦の本能とでもいうべきものだが、やはり、作業そのものが好きなんだと思う。
ある日私が帰宅すると、ダイニングテーブルのセットがやけに低くなっていたことがあって、何が起こったのかとびっくりしていると、「高すぎたから」、テーブルとイス四脚、合計二十本の脚をノコギリで切断したという。
「全部の高さを揃えるのに苦労したよ」だって。
庭には約15センチメートルの脚の残骸が二十個ころがっていた。
 テーブルはその後、さらに切断処理が施され、コタツくらいの高さのテーブルとなったが、やがて、家具調コタツとの生存競争に敗れ、その生涯を終えた。
イスは三つ並べた上にコタツ布団とクッションを乗せ、ソファーのようにして使っていたが、つい最近姿を消した。
家が狭いので、「収納」の名のもとに、全ては回転していくのだ。

 私たち夫婦はベッドを二つ並べて寝ているが、ある日、そのベッドの下の空間が妻の目にとまった。とまってしまった。
妻は日曜大工の店に走った。走ってしまった。
 その日私が帰宅すると、ベッドの下に、巨大な引き出のように見えるものが設置されていた。
「見て見て、ジャーン!」と、妻が取っ手を引っ張ると、ベニヤ板をたわませながら、巨大な引き出しが姿を現わした。
巨大な引き出しに見えたものはやはり巨大な引き出しだったのだ。
「何を入れるかが問題なんだよね。あんまり重いとダメだし、細かいもの入れても使いにくいし」
新たな収納スペースを手に入れた主婦の目がキラキラ輝いていた。

 それから二週間ほどたったある日。
「あのさぁ…」妻が沈んだ声で話し始めた。
「ベッドの下の引き出しに布団を入れたんだよね。
ほら、掃除機で吸ってペッタンコにする袋に入れて」
ああ、なるほど。それなら、重くもないし、大きさもちょうどいいね。布団もペッタンコで二重にお得な感じだね。
そうやって布団を入れたのが数日前。
「で、今日、お掃除してたらさぁ、シューッて音がするんだよね。どこからともなくシューッて」
どこからともなくシューッか…。
SF映画でありそうだな。
どこからともなく空気が漏れている宇宙船で、乗組員が必死で空気漏れの場所をさがしていて、シューッという音とともに、場面が盛り上がっていくようなシーン。
「で、そのシューッは、ベッドの下の布団袋だったわけよ」
わけか。あはは。
妻がシューッの出所をつきとめて覗きこんだ時には、袋に開いた穴から入った空気で、布団は元の大きさに膨れ上がっていて、巨大引き出しは押しても引いてもビクとも動かなくなっていた。
うちで盛り上がったのは布団だったのだ。

 妻がいない時に、そっとベッドを持ち上げようとしたら、引き出しまで形を歪めながらいっしょに持ち上がりそうになったのであわてて元に戻した。
それっきり放置してあるが、収納スペースもなくなり、布団も使えなくなり、二重に損した気分だ。
どうしよう。
誰か助けて。

追記
 実はこの文章は一ヶ月ほど前に書いたものだが、妻に見せたところ「これじゃ、私がまるでバカみたいじゃないか」と、クレームがつき、公開を見送っていたのであった。
しかし妻が「オカーの日記」で、私のバカ話を暴露したので、報復措置としてこのたび公開にふみきった。
このまま二人で報復のドロ沼にはまりこみ、世間から「バカ夫婦」のレッテルを貼られるのではないかと危惧している。
 加えて、息子のバカッぷりも「こぞーらの書」ですでに公開済みなので、きっと、わが家は「バカファミリー」というカテゴリに入ってしまうのだろう。
 Yahoo!で「バカファミリー」を検索したらわが家が引っかかったなんてことになったら、世界公認のバカファミリーだな。
いつの日にか、「おりこうファミリー」の「おりこうエピソード」を書きたいものだ。
 あ、そうそう、ふとんはその後無事に救出され、巨大引き出しは
薄手のふとんの収納場所として活躍している。めでたしめでたし、と。

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 出世した発泡酒

2002.5.26



 さしさわりがあるので商品名は出さないが、私が初めて発泡酒を飲んだ時の印象は
「づぉあ!なんだこりゃ!」
であった。
 まだいくつも銘柄が出ていなかった頃のことである。
 当時私は、いわゆるビール党で、何はなくとも冷えたビール、居酒屋でのつまみの選択もビールのため、仕事をするのもおいしくビールを飲むため、夏の暑さも、冬の鍋もビールのために存在が許される、という状態だった。
そんなだったので、見かけは同じで、味も似ているが、どこかが致命的にビールとは違う発泡酒というものを飲んで、「こんなもん飲めるかぁ!」となったのであった。
似ているだけに許せない感じだった。
ビールのパチモン。ビールのようでビールじゃない。
ムーミンとカバ。
いや、モビルスーツ・ガンダムとモビルフォース・ガンガル。
もしくはウルトラマンと透明ウルトラエース。
 孫にせがまれて、おもちゃを買いに来たおばぁちゃんを騙すような卑しい商人根性。
孫の喜ぶ顔を見たい一心で、早足でおもちゃ屋から帰って来たおばぁちゃんに突き刺さる「こんなのウルトラマンじゃないやいっ!おばあちゃんなんか大ッキライ!!」という、刃のような孫の言葉。
許せない。
こんな、おばぁちゃんをだますような発泡酒のやり口は。
安いからってだまされないぞ!
貧乏してもビールを飲み続けてやる!
私はかたく決心した。
かたくかたくかたく決心した。

 そして時は流れていった。
私は発泡酒を一切口にしないままであった。
ある日。
友人の家で飲み会があった。
冬であった。
鍋を囲み、冷えたビールを飲み、話は弾んだ。
私もビールをガバガバ飲み続けた。
やがて友人が
「最近は発泡酒も飲めるようになったよねぇ」
と言った。
私は「けっ」と思ったが、オトナなので
「へぇ、でもやっぱりビールとは違うものだよね、あれは」
と言うにとどめたが、友人は私のグラスを指さして
「でも、それはけっこういいでしょ?」

…え?
友人の指は一直線に私のグラスを指している。
私が自分でグラスに注いでいた缶を見ると、確かに「発泡酒」と明記されている。

いや、初めは確かにビールを飲んでたはずなんだけどね…。
いや、
いや、
いや、いや。

いいじゃん。

発泡酒で。
…安いし。

そんなに捨てたもんじゃないって。

いいじゃん。
透明ウルトラエースで。
「おばあちゃんなんか大ッキライ!!」と叫んだ孫も、いつかはおばあちゃんの愛情に気付く日が来るのだ。
 そしてある日。
おばあちゃんは偶然見てしまうのだ。
透明ウルトラエースで楽しそうに遊んでいる孫の姿を。
柱の陰でそっと涙をぬぐうおばあちゃん。

 これだよ。人の情ってやつはさ。
これがあるから人は生きていけるってもんだ。これを忘れちゃいけないよ。

 というわけで、それ以来わが家は「発泡酒党」である。
銘柄の選定には厳しく臨むが、発泡酒ばかり飲んでいる。
あげくのはてに、わが家で「ビール」と言えば、「発泡酒」のことを指すようになってしまった。
いいじゃん。かたいこと言うなよ。
孫だって、透明ウルトラエースをウルトラマンのつもりで遊んでいるのだ。
いいじゃん。
おばあちゃんが幸せならば。

●文中「モビルフォース・ガンガル」、「透明ウルトラエース」等、非常にマニアックな単語が出て来ることをお詫びいたします。
時間に余裕がある方は、ネットで検索して、実物の画像をご覧になっていただければ、この文章のニュアンスを理解する一助になるかと存じます。

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 忌わしい過去 中学編

2002.4.7



 幼児編、小学編に続く「忌わしい過去」シリーズ第3弾。
忌わしい過去の十字架を背負った私の物語もついに中学編。
中学生の私にも忌わしい出来事が襲いかかった。
ひょっとして「忌わしい」のは私の「人生そのもの」あるいは「私という存在」なのではないかという心配が、杉花粉のように降り積む春の曙である。

 私がデカ頭であることは「物理学の勝利」で書いたとおりである。
子供のころからデカかったのだが、小学生のころは、そもそも全身が、同級生よりひとまわり大きかったので、頭の大きさが特にクローズアップされることはなかった。
人生で初めて自分の頭のデカさを思い知り、そして傷ついたのは中学校に入学した時だった。
 私の入った中学校は、制服は入学式から着用していくが、どういうわけか、学帽だけは入学後、各自購入、という方式になっていた。
学帽は学校指定のどこかの店で買うのだが、友人のU君が「学帽を買うならこの店」というのをお兄さんから聞いてきていたので、そこへ行くことになった。

 U君のお兄さんおすすめのその店は、歩道に面したところがすぐカウンターになっている造りで、すでに何人かの小坊主どもがその歩道で列を作っていた(私たちの市の公立中学校は男子生徒は丸刈りという校則だったのだ)。
そこに新たな小坊主(U君)と大坊主(私)の二人が列に加わり順番を待った。
見ていると、小坊主どもは、順番にカウンター越しに頭を突き出し、向うにいるオバさんに頭の周りを計測されている。
そのオバさんがまた、ムッツリとして、あいそのない人で、黙って坊主頭にメジャーを巻き付け、黙って帽子を渡している。
小坊主どもも、順に、黙って計測と帽子の配布を受けている。
工場のオートメーションみたいだ。
その雰囲気の暗さに、気が小さくて心配性の私は漠然と不安になってきた。
注射の順番を待っている時の気分に少し似ていたかもしれない。
たいしたことないけどやだけどしょうがないから並んでるけどホントはやだ、というあの感じ。
 やがてU君の番になり、彼はそれまでのみんなと同じように計測を受け、みんなと同じように帽子の配布を受けた。
いよいよ私の番だ。
頭をカウンター越しに突き出した。ややぎこちない動きだったかもしれない。
それまでのみんなと同じようにメジャーが私の坊主頭を一周し、みんなと同じように計測された。
が。
みんなと違って、私には帽子の配布はなかった。
 オバさんは黙って「次」というように私の後ろの小坊主をアゴで指した。
しかたなく私は脇によけたが、どうしていいかわからず、オバさんを見ていた。
オバさんは小坊主の頭を測りつつ、私の方を見もしないまま、
「あんたは月曜日にまたおいで」と言った。約一週間後だ。
私を『処理済』に分類して、オバさんは作業を継続している。
内気で人見知りな私は、オバさんの作業を中断させてまで理由を訊く勇気がなく、そのまま店を後にした。
U君も理由を思い付かないようだった。

 私はその後一週間、学帽をかぶって登校する同級生に混じって無帽で登校するという心細い日々を過ごすハメになった。
 そしてついに月曜日。
オバさんの指示通り、再び帽子屋に向かった。
U君にもつきあってもらったが、U君は先週手に入れた学帽を着用しての登場だ。
オバさんに「言われたからまた来たよ」というようなことを告げると、「ふんふん」という感じで、後ろの棚から帽子を取り出し、私に手渡した。あっさりと。
しかし、ついに。
私にも学帽が支給されたのだ。
学帽は、スッポリピッタリ私の頭にフィットした。
 何であれ、新しい物が自分の物になるというのはうれしいものだ。
私は無事、学帽が手に入った安心感でニコニコ歩いていたが、突然U君が「ちょっと見せて」と、私の学帽をむしり取り、観察し始めた。
外側、内側、ひっくり返して子細に観察している。
自分の帽子と見比べたりしている。
そして。
U君の口の両端が吊り上り、三日月のような形になったかと思うと
「うひゃひゃひゃひゃっ」
と笑い始めた。
「うひゃひゃひゃひゃっここだよここ」
彼は私の学帽の内側を指差しながら笑っている。
 学帽の内側には、幅3センチくらいのビニール製のバンドがグルリと一周しているのだが、私の帽子は、後ろのところでそのバンドが数センチ継ぎ足されていたのだ。
「うひゃひゃひゃ、ほらほら、違うもん、ほらほら、うひゃひゃひゃっ」
U君は自分の帽子の内側を見せながら笑い続けている。
なるほど。彼の帽子はビニールのバンドが一本でビシッと一周している。ビシッと。
私が一週間待たされたのは、帽子を作り直していたからだったのだ。私のデカ頭に合わせて。

U君の帽子(左)と、私の帽子


 やっと手に入れた僕の帽子。
一週間待って、僕の頭にフィットした僕の帽子。
バンドが継ぎ足された僕の帽子。
♪ららら僕の帽子
 学帽を手に入れた喜びは、なんともさみしい感情に変わっていった。
この世にこんな面白い物があるのかという勢いで、息も絶え絶えに笑い続けているU君の不快さに耐えながら私は帰宅した。

 翌朝。
 いきなりケチがついてしまった学帽を着用して家を出た。
かぶっていればわからないさと、自分を納得させながら学校へ向かったが、そこでは、恐ろしい悪魔が、牙を研いで私を待ち構えていたのだ。
そんなこととは知らぬまま。
 みんなと同じように学帽をかぶって、桜舞い散る校門をぬけ。
 みんなと同じように学帽をかぶって、教室に入り。
 みんなと同じように学帽をかぶって、席に着き。
そして、みんなと同じように学帽を机の横のフックに架けた。
その時!
バサバサバササッ!と、悪魔の翼がはばたき、
「キキーッ!」と、その、醜いカギ爪のついた手で私の学帽をかっさらって行った。
U君だった。
 悪魔Uは、私の学帽をクラスメイト何人かが固まっていたところへ持ち込み、さらしものにし始めた。
やつはクラスメイトたちに、一回目に帽子屋へ行ったところから始めて、きのう、受け取った帽子の異常を自分が発見したところまで、得意げに話して聞かせた。
得意げに。
自分の手柄のように。
鬼の首でも取ったかのように。
みんなゲラゲラ笑っている。
その中心で悪魔Uが笑っている。悪魔Uを中心に、教室がグルグル回り出すような錯覚に襲われた。

ふ。
好きなだけ笑うがいいさ、悪魔め。
今、大人になった私は知っているのだ。
お前には半年後、『コックリさんでインチキした疑惑』で、友人たちからツマはじきにされるという、みじめな末路が待っていることを。
あわれなやつめ。
貧しく、卑しい魂の所有者め。
笑っていられるのも今のうちだけさ。
やがて正義の鉄槌が振り下ろされるのさ。
お前の(普通の大きさの)頭にな。
しかし。
そんなことは。
その朝の私には。
体はオトナ並みに大きくて、頭は並の大人以上に大きくても、やっぱり中身は12才の子供の私には、何の救いにもならず、教室はしばらくの間グルグル回り続けたのであった。



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 お花見ビュンビュン

2002.3.28



 日本人は桜が好きだと言われている。
私も桜が好きである。
桜が豪快にブワッと咲いているとそれだけでうれしくなる。
満開の桜の中に立つのも良し、遠くから白ピンクの固まりを眺めるも良し。
満開の桜が見られるのはほんの短い期間だが、もしもあの状態が一年中続いたら、きっと頭がおかしくなってしまうだろう。
 ついでだから言っておくと、私は海も好きだ。
「海が好き」と言うと、サーフィンとか、ヨットとか、加山雄三とかを連想しそうだが、そんなんじゃなくて「海水浴」が好きだ。
暑くて熱い砂浜で飲むビールが好きだ。
海の家のしょっぱいラーメンが好きだ。
海水浴シーズンも意外と短いが、あの状態が一年中続いたら、ラーメンの塩分で腎臓をやられてしまうだろう。
腎臓は大事だ。
しかし、今回は桜の話である。
というか、花見の話である。

 今年は桜が早いという情報をキャッチしたわが家では、3月21日を今年の「お花見デー」と決定した。春分の日である。
桜は油断しているとすぐに散ってしまうので、できるだけ早い休日に設定したのだ。

3月21日 8:10AM
起床。天気予報では風が強くなるということだが、気になるほどの風も無く、暖かい陽射し。

9:30AM
会場と定めた公園へ場所取りに出発。
本当のところ、はりきって場所取りするほど混み合う場所でもないのだが、年に一度のイベントに万全を期すため、シートを敷きに行く。
桜は満開一歩手前、というところか。つぼみもちらほら見える。が、花見に支障無し。
公園内は犬の散歩をする人たちや、家族連れがチラホラ歩いている。
野球場の横を抜けて広場に出ると、すでに何組かが花見態勢に入っていた。
桜に近い場所にシートを広げ、何枚か写真を撮って、一旦帰宅。

10:30AM
息子の友人一名を加え、四人で公園へ出発。計画に狂いはない。
暖かいが、少し風が出てきた。

10:45AM
現地到着。
花見開始。この時点で公園広場の花見客は十数組か。
桜を眺め、ビールを飲んで、ややいい気持ち。

10:55AM
突風が公園を襲う。
砂ぼこりが料理を襲う。ゆで卵が砂まみれになる。

11:05AM
広場の内側へ移動。砂ぼこりはやや緩和されるが、風はますます強くなる。
凧上げをしている親子を眺めていたが、あまりにヘタッピで面白くない。どうしてこの風で凧が上がらないのか理解に苦しむ。
ビョオオオオオオー、という風の音を確認。

11:15AM
風はますます強くなり、幼児やお年寄り連れのグループが次々に撤収を開始。
犠牲になるのはいつでも弱い者たちなのだと、憤りをおぼえる。

11:20AM
タコ焼とかき氷の屋台が風でバタバタしている。
公園の木々は、アニメ「となりのトトロ」の嵐のシーンのように揺れている。
ゴオオオオオオー、という風の音を確認。

11:25AM
公園に残っている人々が、全員風上に背を向けて座っているのを確認。
タコ焼屋が、強風で火がつかないという情報を入手。
砂ぼこりが竜巻のように舞い上がるのを確認。

11:35AM
不本意ながら、撤収の決断を下す。
昼食は帰宅後とする。
強風のため、シートはたたまず、丸めて携帯することを許可。
我々は、強風に完敗し、荷物をまとめて撤退する敗残の兵であった。
砂まみれの私のほほを悔し涙が伝い落ち、産卵中のウミガメのような顔になった。

こうして。
わが家の花見は終わった。一時間足らずで。

 私は桜が好きである。
満開の桜を見るだけでうれしくなる。
他には何も望むまい。人生に多くは望むまい。
今年も桜が咲いた。それでいいではないか。
しかし。

「お花見リベンジャー」につづく  


 お花見リベンジャー

2002.3.28


 
 わが家のお花見が突風で吹き飛ばされたその翌日(3月22日)。
日ごろ仲良くしている近所の家族が、23日(土)にお花見を計画中、という情報を察知した。というか誘われた。
が、23日は別の友人と映画「モンスターズ・インク」を観に行く約束をしていたので一旦断った。
3分間の家族会議の後、映画の約束を電話で断り、花見参加を表明した。
人でなしと言わば言え。桜が俺を呼んでいるのだ。
 ところが、夕方から降っていた雨が夜になっても上がらず、先方から、お花見を24日に延期しようという提案が出された。
最終決定は翌朝の天気を見てから、ということにしたが、結局天気は好転せず、花見は24日に延期と決定された。

映画の友達に電話した。
「面白そうな映画があるんだけど観に行かない?…」
とことん人でなしである。
人でなしついでに、映画をこちらから「ロード・オブ・ザ・リング」に一方的に変更。
その日は映画を観に行って、感動して夜帰宅。

3月24日快晴。
 三家族、総勢11人+ウサギ1羽で花見。
暖かい陽射しの中、ほどよい風に花びらが舞う。
広場にいる人たち全員が100パーセント幸せの笑顔である。
酒に、料理、ボール遊び、フリスビー。
犬は駆け回り、小鳥が歌う。
争い事の無い平和な世界。
これだ。
これがお花見というものなのだ。
花が咲いていればいいってもんじゃないのだ。
そんなレベルで満足していてはいけないのだ。
志は高く高く高く持つのだ。

そして夕方。
一日幸せな時間を過ごして帰宅。
わが家の花見は幸せのうちに終了した。
ありがとう、暖かい陽射し。
ありがとう、ほどよい風。
ありがとう、満開の桜。
そして、さらば、今年の桜たち。

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物理学の勝利

2002.3.9


 私は頭がデカい。と言われ続けてきた。
「頭がデカいというのはカッコ悪いことである」と、世間で言われるようになって久しい。
「八頭身」が美人の条件とされていることを考えれば当然なのだろう(私は男だが)。
フルフェイスのヘルメットをかぶれば「顔があふれそうだ」と笑われ、みんなで写真を撮れば「なぜおまえだけ、前に出ているんだ?」とからかわれた。
 思えば、頭がデカいというだけで暗い青春時代であった。
しかし。
青春時代は終りを告げ、今やオッサン時代が到来した。
容姿というものさしはほとんど価値を失った。
デカくて結構!もっともっとデカくなれ、ガッハッハッ!という境地に達した。
と同時に私は、頭がデカいことの素晴らしさに気づいた。
デカ頭はかけがえのない財産であることにこのオッサンは気づいたのである。
しかもそれは、私のひとりよがりや、負け惜しみではなく、科学的に、正確に言えば物理学的に証明できることだったのだ。
多くの人は、「そんなバカな」と思うことだろう。「デカ頭ヤロウの負け惜しみだろう」と。
しかし事実なのである。
以下でそれを証明してさしあげよう。


 私は通勤のため、毎朝7時59分の電車に乗る。
そのために7時41分に家を出ることにしている。
この時間に出れば、普通に駅まで歩いて、ぴったりの時間に乗車態勢が整う。
しかし、これが何かの理由で家を出るのが遅れることがある。
出かけるしたくに手間取ったとか、テレビ東京の「のりものスタジオ」に見とれていた、とかいった理由で。
 家を出るのが7時44分だったり、7時46分だったり、微妙に遅くなる。
そんな時は、当然いつもの電車に乗るために、早足で駅に向かうことになる。
わりと頻繁にそんな事態に陥るのだが、早足で歩きながら私は気づいた。
「早足の速度と、頭の傾きは正比例する」
仮にスタートが7時44分だったとしよう。
普通に歩く時の頭の角度が図1とすると、44分スタートの場合の角度は図2の通りになる。


 図1.  7時41分平常スタートの体勢


 
図2.  7時44分スタートの体勢

 デカ頭を前に傾けたため、進行方向に重心がかかり、自然に足を前に出さざるを得なくなる。この効果によって早く歩けるようになるのだ。
 さらにスタートが遅れて7時46分になってしまった場合も、図3に示す角度まで頭を倒せば無事、いつもの電車に乗ることができる。


 図3.  7時46分スタートの体勢


 私は頭の角度を調節することによって、自在に歩く速度を調節できるのだ。
すばらしい。
軽くて小さな頭ではこうはいかないだろう。ビバ、デカ頭。
それでは、もっとスタートが遅れた場合、さらに頭を傾ければ良いのかというと、そうでもない。
では、図3以上に傾けるとどうなるのか?(図4)


 図4.  さらに頭を前に傾けた場合


 走り出してしまうのである。これではダメである。
駅に着く前にヘトヘトになってしまうのである。
そして、さらにさらに傾けたらどうなるのか?
転倒してしまうのである(図5)。
これでは、仮に転倒を免れたとしても、バカだと思われてしまうのである。


 図5.  転倒もしくはまるでバカの図


 私は家を出る前に必ず時計を見て、頭の角度をセットする。カチリと。
これで自動的にぴったりタイムに駅に到着できるのだ。途中では何も考える必要無し。
すばらしい。
 繰り返すが、これは私の頭の質量があって初めて実現するのである。
通常の頭部であればここまでの効果はのぞめないのである。

 こうして私は青春時代のコンプレックスであったデカ頭を活用することに成功した。
若いころは色々なことで悩むものだが、若人たちも私を見習って、よき人生を送ることを願って止まない。

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UFOと僕

2002.02.9


 「ケータイ」といえば携帯電話、「ゲーム」といえばコンピューターゲーム、「シー」といえばディズニーシー。
 このように、元々は広い意味を持っていた言葉が、いつの間にやら特定のものを指すようになってしまうことがある。
 UFOという言葉もそのひとつで、もともとは、「未確認飛行物体」という意味の英単語の頭文字だったものが、いつの間にやら「宇宙人の(空飛ぶ)のりもの」を指すようになってしまった。
「ケータイを持っている」という言い方が、よく考えるとおかしいように、「UFOを信じる」という言い方もちょっとおかしい。
 昔、テレビアニメで「UFOを確認」というせりふを聞いたことがあるが、これなんか完全に間違っているのではないか?
未確認飛行物体を確認。
バカ。バカを確認
何十年も前のアニメに突っ込むのもどうかと思うが。

 私が子供のころには「UFO」というよりは、「空飛ぶ円盤」という呼称のほうが一般的だった。
 小学3年生のころ、私は「空飛ぶ円盤大百科」という上製箱入りの本を持っていて、何度も熱心に読み返すほど、お気に入りだった。
本には、世界各地の空飛ぶ円盤目撃談、宇宙人や円盤の写真、形による円盤の分類などが載っていて、これさえあれば宇宙人関係のことはひととおりカバーできる、というお買い得の一冊だった。
 その中に「宇宙人はこんな姿だ!」というイラストのページがあって、デカい金魚ばちみたいなヘルメットをかぶった目玉の大きい宇宙人がマンガっぽい絵で描かれていた。
 「怪力手袋(!)」を装着した両手にレーザーガンをかまえ、腰には「反重力ベルト」と、とにかく宇宙人はすごい科学力なのである。
「怪力」をどんな用途で使うのかは説明されていなかったが、著者は力の限り、進んだ科学力を想像したのだろう。
 さらにこの本には「空飛ぶ円盤を目撃したら交番に届けよう」というようなことが書かれていて、それはもう「国民の義務」なのだという調子であった。
 それによると、日本全国の各交番には、「未確認飛行物体目撃報告書」というものが備えられていて、目撃した場所、時間、大きさ、色、などを記入するようになっていると、用紙の写真入で解説されていた。
 著者はこの様な用紙の存在をもって、空飛ぶ円盤実在の強い証拠であるといいたげだった。
 私は円盤目撃のあかつきには、この用紙に正確に記入すべく、心構えは万全だった。
目撃時に時計を持っていなかったらどうしようと心配までしていたのである。
私にとって宇宙人が地球に来ていることなど当たり前のことで、問題はその「目的」や、「姿かたち」だったのである。


 そんなある日の夕方。
母が興奮した様子で帰ってきて、
「たった今、富士山の上空を弧を描いて飛んで行くオレンジ色の物体を見た!」
と、立ったまま身振り手振りをまじえて話し始めた。
左手で富士山を表わす大きな三角形を描き、その三角の少し上をなぞるように右手の指をパカパカ開閉しながら移動させていった。
富士山頂を通過するあたりでは、背伸びまでしていた。
「こんなふうに、こんなふうに」と、三回ほど同じ事をやっていたように思う。
私はくやしかった。
アダムスキーもヒル夫妻も知らない母が円盤を目撃したのだ。
私は見たことないのに。
私はどうなるのだ。
「空飛ぶ円盤大百科」で、日々、空飛ぶ円盤研究に余念のない私の立場は?
交番で報告書に記入するという私の夢は?
よりによって実の母に先を越されるとは。
 私はなんとかしてUFOを見たかった。母に負けたくなかった。
私は、いつも空を見上げて歩くようになった。母が目撃したという富士山方面を重点的に見るようにしたが、UFOを見る夢はかなわないまま、歳月だけが過ぎていった。
 そして、年齢が上がるにつれ、私のUFO熱も徐々に冷めていき、いつしかUFOや宇宙人に関しては「いるかもね、でも、いないかもね。うふふふ」というくらいになっていた。
が、冷めてはいても一度は好きだった哀しさで、テレビのUFO特番などは見続けていた。
まだ少しは未練があったのかもしれない。
しかし、そんな私がさらに冷え切ってしまうようなできごとが大学生のときに起こったのだ。
 ある日、深夜番組のUFO特集を下宿でねっころがって見ていると、つまらない目撃談の合間に、UFOで有名なナントカいう男が出ていて、「今日は最後にすごいものをお見せしますよぉ」としきりにひっぱっていた。
そして、エンディング直前、
「さぁ、それではいよいよお見せしましょう」
と、引き伸ばしてパネルにした一枚の写真を取り出した。
画面に大写しになったその写真を見て私は唖然としてしまった。
それは「空飛ぶ円盤大百科」に載っていた「宇宙人の死体」の写真とまったく同じ物だったのだ。
10年以上も前の子供向きの本に載っていた写真だ。
これを凄いと言うか?
 しかし、馬ヅラの司会者も、「こっれはすっごいですねぇ」と、しきりに感心している。
私は馬ヅラに教えてあげたかった。凄いのは写真じゃなくて、これを凄いといって見せるその男のほうだ、と。

 この日を境に、私は、UFOや宇宙人にまったく興味を失ったかといえば、まったくそんなことはなくて、新聞のテレビ欄に「宇宙人解剖フィルム」だの、「ミステリーサークルの謎ついに解明!」だのといった文字を見つけると、ビデオをセットして必ず見ている。
まぁ、ツッコミを入れながらではあるが。
 現在では「面白ければいいんじゃない?うふふふ」というスタンスである。
 今考えれば、日本中の交番に備えられているという「未確認飛行物体目撃報告書」も、(本当にそんなものがあったとして)どちらかといえば、国防上の目的の物なのではないだろうか?
私もオトナになったものである。
ちなみに、心霊現象の類のテレビもよく見るが、絶対に、まったく、一切信じないことにしている。  怖いからね。

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ゲテ

2002.01.30


 その時私は中学2年生だった。
中学生は授業の後、校内の掃除という御奉公があり、私はその日どこかの渡り廊下の当番だった。
 そもそも掃除という行為の意味をまったく理解していなかった私は、竹ボウキをぶらぶらさせて渡り廊下の同じ場所をなで続けていた。
 もう何分もしないうちに掃除の時間は終り、部活の時間になるはずだった。部活のためにも無駄なエネルギーは使ってはならない、このまま時を過ごすのだ。
その時。
「て〜ら〜さ〜ん」
遠くから私を呼ばわる声がした。(その頃私はみんなから「てらさん」と呼ばれていたのだ。ジジくさいけど)
見ると、当時仲の良かったアキヒコがゲラゲラ笑いながら、転がるようにこちらへ駆けてくる。
 小柄で、おむすびのような顔をしたアキヒコはぜぇぜぇいいながらも、笑いを我慢できない様子で私の元へ辿り着いた。
「ぜぇぜぇ、てらさんてらさん、ひゃひゃひゃっ」
「何だよ?」
「ぜぇぜぇ今さぁ、ひゃひゃひゃっ」
「何?」
「ぜぇぜぇぜぇ教室でさぁ、ひゃひゃひゃっ」
じれったいったらありゃしない。

 アキヒコの話はこうだった。

 当番だった教室の掃除が早く終ったアキヒコが廊下をぶらぶらしていると、教室内から、やはり掃除を終えた同じクラスの女子数名の話し声が聞こえてきた。
どうやら好きな男子の名前を言い合っているようだった。
これは特ダネ、と、廊下で立ち聞きしていると、ちょうど、A子ちゃん(仮名)の告白タイムであった。
おとなしいA子ちゃんはみんなに促され、
「私が好きなのは…

…てらさん…」
 A子ちゃんは背がすっと高い、美人タイプの子だったが(ホントホント)、私は特に何も感じていなかった(ホントホント)が、それでも好きと言われれば悪い気はしない。直接にも間接にも女子に「好き」なんて言われたこと無かったし。
だが問題はその後だった。

「そしたらさぁ、ひゃひゃひゃ」
アキヒコは話しながらもおかしくてしょうがないようだった。
「そしたらみんなで口をそろえて、
エ〜ッ!!
ゲテモノずき〜っ!!
だってーっ!うひゃひゃひゃひゃ〜」


…なんだよ、それ。オレのことかよ、ゲテモノって。
そんなに笑ってるからどんなにおかしい話かと思えばよ。

いくらなんでもゲテモノかよ…
普段使わないような単語使いやがって。
しかも声そろえてって…なんだよそれ。

 通常であればこの手のネタは恋愛ゴシップとしてからかわれたりするものだったが、私の場合はこの「ゲテモノ」の一言のおかげでそうはならなかった。
そのかわり、その後しばらく「てらさん」は「ゲテさん」と秘かに呼ばれたとさ。ふん。

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