オトーラの書TOP

文書の書目次


エマージェンシー!

2005.4.9


あれは数日前。

夜の10時半頃家の電話が鳴った。
部屋には私しかいなかったので、よっこらしょと立ち上がって壁にかけてある受話器を取る。

『もしもし、オレだけど、自転車で事故っちゃって…』

ついにわが家にもオレオレ詐欺の魔の手が伸びてきたのかと一瞬思ったが、

『コーヤの自転車とぶつかって転んだんだけど、その時ペダルがタイヤに挟まって取れなくなっちゃてさぁ』

間違いなくショウヘーの声で、登場人物の名前もショウヘーの友達だ。
事情を訊くと、塾の帰りに自転車で話しながら走っていたら、接触転倒して、怪我は無かったが、その際、ショウヘーの自転車のスポークのところにコーヤの自転車のペダルが挟まって、どうにも抜けなくなってしまったらしい。

男同士でくっついて走ってっからだ。
バカメ。
バカドモメ。

とりあえず自転車で救出に向かう。
駐車場に寄って、車から懐中電灯と工具を取り出し、かごに入れる。

道々、
(いや待てよ。ひょっとしたら悪いやつらに脅されていて、親を呼び出し、のこのこやって来た親から金品を強奪する新手の犯罪かも)
などと思いつき、ドライバーを袖口に隠して接近しようかと思ったが、よく考えたら金品など所持していなかったのでやめた。

電話で告げられた場所に着くと、「悪いやつら」などどこにもおらず、ふたりが、街灯に照らされてショボーンと縁石に座り込み、その前には2台の自転車が絡み合うように投げ出されていた。

「怪我しなかったかー?」
再度確認すると、ふたりが頷いた。

自転車を見ると、なるほど、ペダルがスポークの間にがっちりはまり込んで抜けなくなっている。自転車の向きも反対になっているので、同じ方向に走っていたのなら、どちらかが180度回転したはずだ。

2年生とはいえ所詮中学生。こいつらが力ずくではずせなくても、大人が冷静に状況を分析すればすぐにはずせるだろう。

と。

高を括っていたが。

抜けない。

何度か角度を変えたりして引っ張ってみたが抜けない。
勢いをつけてひっぱったら、後ろに停めてあった私の自転車に肘が当たり、倒れてしまった。

背後の家で犬が鳴きだした。
小型犬らしく、キャンキャンキャンキャンうるさいったらありゃしない。
家の人間が出てきたら何て言おう。
とりあえず、
「怪しい者ではありません」
かな。
一度言ってみたいな、
「怪しい者ではありません」

「怪しいもんではござんせん」
のほうがいいかな。怪しくて。

そんなことはともかく、抜けやしない。
ペンチを取り出してスポークを引っ張ってみるが抜けない。
ドライバーを取り出して、スポークとペダルの間にねじ込んでみる。
これが行けそうだ。
ねじ込んでこじ開けてひっぱる。
ねじ込んでこじ開けてひっぱる。
ねじ込んでこじ開けてひっぱる。
だめだ。抜けない。

「こじ開けて」と、「ひっぱる」の間にどうしても「元に戻る」が入ってしまう。
ねじ込んでこじ開けて元に戻るひっぱる。
ねじ込んでこじ開けて元に戻るひっぱる。
ねじ込んでこじ開けて元に戻るひっぱる。

ってゆーかお前ら見てないで手伝え。

ねじ込んでこじ開けてやつらがひっぱる。
取れない。
ねじ込んでこじ開けてやつらがひっぱる。
取れない。
ねじ込んでこじ開けてやつらがひっぱる。
取れない。

なんだかロシア民話の『おおきなかぶ』を思い出した。

「この辺に入れたほうがよくない?」
ショウヘーがスポークの根元側を指差す。
「よくない?」の「ない」をトーンを上げて今風に発音しているのが気に食わないが、なるほどそのあたりが食い込み具合が強そうだ。

根元にねじ込んでこじ開けてやつらがひっぱる。

取れた。

さすが中学2年生。有意義な提案であった。

ショウヘーの自転車はスポークと泥よけ、泥よけを支えている棒が曲がっていたが、手でなんとなく整えると、少しこすれる音がしながらもなんとか走れるようになった。
コーヤの自転車は問題無さそうだ。

さぁ、帰ろう。
三台の自転車がゆるゆると走り出す。
やつらはまた接近してひそひそ話しながら私の前を走っている。懲りないやつらだ。

「またやっても今度は置き去りだからな」

と言うと、ふたりでひそひそ笑った。

「ありがとうございあしたー」

コーヤが去り、ショウヘーとふたりになった。
「ふたりではずそうとしてたのか?」
「あん。始めのうちは車も通ってたけどだんだん通らなくなって寂しかったよ」
ふたりで30分くらいがんばってたらしい。

ショウヘーだけ家に帰し、私は懐中電灯と工具をしまうために駐車場へ行った。
戻ってくると、オカーとショウヘーで自転車の様子を見ていた。
ショウヘーは、「自転車は一回転したけど、俺は見事に飛び下りた」とか威張っている。バカメ。
まぁ、怪我がなかったからよしとしようか。正確には自転車は半回転しかしてないけどな。

「ちゃんとオトーに御礼を言っとけよ」

オカーに言われたショウヘーが、
「ありがとうございました」
と頭を下げた。

どういたしまして。
でも、最初に電話が来た時、酒も飲んでいてちょっとメンドくさかった私が、「自転車そのへんに置いて歩いて帰って来ちゃえよ」と言ったのはしばらく内緒にしといておくれ。

オトーラの書TOP

文書の書目次


鳩を見る人びと

2005.3.6


平成16年秋。天気が良くて予定も無いような休日は、近所の河原へ鳩を見に行くというのが娘と私の小さな娯楽となっていた。自転車で2分ほどのところに、河原まで降りている石段があり、そこに鳩が群れているのだ。

もうすぐ2歳になる娘は母親にべったりで、数秒すがたが見えないだけで「かーかんはがしにいくー」と大騒ぎなのだが、私が、「ちりんちりんでハトポッポ見に行こうか?」と言うと、その時だけは喜んでついて来た。

自転車の座席に娘を乗せていると、近所のおばさんが声をかけてくる。
「どこいくのー」
「はとぽっぽ」
「お父さんといっしょでいいねー」
「バイバイ」
会話の流れにおかまいなく手を振る娘。それを合図に私も自転車をこぎ始める。

青い空。
白い雲。
適度な日差し。
娘。
私。
平和でのどかな幸せな時間。

これで、向かっている川が美しい流れだったりすれば言うことは無いのだが、残念ながらこの川は、関東地方でも汚いことで有名な川で、サラサラとはゆかず、黒くて油ぎった水がタポタポ流れている。
河原も、真っ赤に錆びた自転車が草の中に横たわっていたり、事務用の椅子が逆さに突き刺さっていたりする。

それでも鳩が群れている石段のあたりは日当たりも良く、ちょうどよいお散歩コースで、子供づれやら犬の散歩やら、年寄りのひとり歩きやらをよく見かける。川沿いの歩道をジョギングしている人もいる。

石段では、何十羽の鳩がひなたぼっこしている。
のんびりしたいい光景だが、自転車から降ろされた娘が、
「おいでー」
と近づいていくと、鳩ののんびりした時間も終わりを告げる。
といっても、よたよた接近する娘に鳩たちも、「しょうがねーなー」という感じでよたよた歩いて逃げてゆくので、それはそれでのんびりした光景なのだが。
よたよた接近する幼児は飛んで逃げるほどの脅威ではないのだろう。
集団で逃げてゆく鳩の後頭部の群れは、丸みと揺れ具合がなんとも言えず、何度見ても笑ってしまう。

鳩を追うのに飽きると、娘は石段に腰かけ、
「れもんばいよー」
と言いながら私を見上げる。
「れもん」はラムネ菓子、「ばいよー」は「食べよう」という意味だ。
前に一度石段に座ってラムネ菓子を食べたことがあり、それ以来ここに来たらラムネ菓子を食べるものだと思っているようだ。
私はポケットからラムネ菓子を取り出し、袋を開け、ひとつぶづつ娘に与え、四回に一回くらい自分の口にもラムネを放り込む。

追えば逃げる鳩だが、持参したパンなどをちぎって撒き始めると、今度は怖いくらい殺到してくる。
あまりの争いぶりに娘が、
「みんなでなかよくばいなさいー」
と、歌の歌詞のようなことを言う。

しばらくそんな時間を過ごして家に帰る。
娘と私の、大事な小さな娯楽。

*****

ある日、いつものように鳩を見に行くと、鳩は三、四羽しかおらず、60歳前後の男がひとりで座り込んで、ポップコーンを指ですりつぶしては鳩に与えていた。
もう一方の手にはワンカップの酒。ゴルフの時にかぶるような帽子のふちから、白くて短い髪がのぞいている。

鳩はその男のまわりにしかいないため、娘はひょこひょこ近づいてゆく。
鳩たちにとっては幼児の接近よりポップコーンの摂取のほうが重大事らしく、まったく動じない。
娘は、知らないおじさんを警戒して微妙な距離で停止した。
鳩には近づきたいが知らないおじさんとは離れていたい。
幼児の葛藤である。
葛藤の末の微妙な距離である。

葛藤に疲れた娘は、恒例の行動にでた。
知らないおじさんの3段ほど下の石段にちょこんと座り込むと、私を見上げ、
「れもんばいよー」
かねて用意のラムネ菓子を胸のポケットから取り出し、ひとつぶづつ娘に与える。

「おいくつですか?」

男が話しかけてきた。

「もうすぐ2歳になります」
「ああ、このくらいがいちばんかわいいですねぇ。ほらやるぞ、ほらほら」

と、鳩の面倒も見ながら受け答えする。私は娘にラムネ菓子だ。

男はポップコーンを指でチリチリしながらなおも話しかけてくる。
「だんなさんの会社なんか、景気はどうですか?」
だんなさんときたか。
「いや、まぁ、厳しいですけどなんとかやってますよ」
「ふうん。今はどこも厳しいみたいですねぇ」

目が遠くなってる。リストラでもされたのかな?

「うちのおねぇちゃんもねぇ…もう30なんだけど、嫁に行かなくてねぇ」
今度は娘の話か。
「30くらいじゃ結婚してない人もけっこういますよ」
私は即座に五、六個の顔を思い浮かべながら言った。

「できちゃった結婚でもいいから結婚しちゃえって言ってるんですけどねぇ」

私の話はあまり聞いてないようだ。

娘が立ち上がって、ひょこひょこ石段を降り始めた。
私は後を追い、男もポップコーンの袋を丸めながら立ち上がり、石段を登ると、とめてあった自転車に乗って去って行った。

*****

別のある日。
その日は鳩もたくさんいて、いつものように追いかけて遊ぶことができた。
ひとしきり鳩を追い立てた娘は石段にこしかけ、
「れもんばいよ〜」
いつものようにふたりでラムネ菓子を食べる。今日もきれいな青空だ。

河原の左のほうから、70歳くらいのおじいさんが、2匹の茶色い大きな犬に引かれるようにして近づいてきた。
小柄なおじいさんは、そり返り、一歩一歩踏ん張るようにして歩いて来る。
犬好きの娘がじーっと見つめている。

「親子なんだよ。よく似てるでしょ」

おじいさんが前置きも無く話しかけてくる。そり返りながら。踏ん張りながら。
「そ、そうですね…」
同じ種類の犬が似てるか似てないかのラインってよくわかんないけど。

「もう12歳でね、よくがんばってくれたよ」
私の戸惑いに関係なくおじいさんは話し続ける。そり返って歩きながら。
犬の12歳って人間でいうと何歳なんだっけ?
なんて考えているうちにおじいさんはそり返りながら行ってしまった。
おじいさんはもっと話がありそうだったが、犬がそれを許さなかったようだ。

*****

また別のある日。
鳩を追って、石段をあぶなっかしく登ったり降りたり、かと思うと走って川に突っ込もうとする娘にくっついて右往左往していると、石段の上の歩道のさらに先の車道に1台の車がちょっと乱暴な感じで止まり、乱暴にドアが開いた。

その乱暴な感じも私の気に触ったが、なにより、そこは対面交通ながら車がやっとすれ違えるほどの幅しかない道で、相当無神経でなければ路上駐車などできないような場所だったので、私の中に「要注意人物接近中」の警戒警報が発令された。

娘を追いつつも、どんな無神経なスカタン野郎が出てくるのかちらちら見ていると、年齢は50代終わりくらい、7割ほど白くなった髪を七三に分けた、いかにも接待ゴルフが似合いそうなおっさんがのっそりと姿を現わした。服装もそのままゴルフに行けそうなものだ。

おっさんはあたりを見下すように頭をめぐらせると、ゆっくり石段のほうに向かってきた。
「睥睨」なんて言葉が思い浮かび、おっさんへの印象はさらに悪くなる。
その間おっさんの車を邪魔に思った車がクラクションを鳴らして走り抜けたが、おっさんは振り向きもしない。
「尊大」なんて言葉が思い浮かび、印象はほぼ最悪まで転落した。

接待ゴルフのおっさんが石段の最上段に立って「尊大」に「睥睨」していると、おっさんの車のすぐ後ろにぴったりくっつけるようにして紺色の軽自動車が止まった。
中から20代半ばくらいだろうか、小柄でやせた、気の毒なくらい貧相な若い男がひょこひょこ降りてきた。
白い顔にとがったあご、垂れた目、そして中途半端な長髪。まるで山羊にグループサウンズのカツラをかぶせたみたいだ。
この、他人になめられるために生まれてきたような外見を持つ男は、ひょこひょこと接待ゴルフの隣まで歩いて来て、何か話しかけた。
知り合いかよ。
でもいったいどんな関係?ちょっと不思議な取り合わせだ。

疑問が膨らむ私の上方で、山羊と接待ゴルフはふたりで石段の最上段に腰かけ、会話を始めた。
山羊の声はまったく聞こえないが、接待ゴルフの声はでかくて、娘を追いながらでもほとんど聞き取れる。

聞いているとなんだか、会社の上司と部下みたいな雰囲気の会話だ。
あの時はこうすればよかったんだ、みたいな話から、これからはこうしろ、みたいな話。
お前にもやがて下の人間ができるだろうから下の者には金を使え、それは投資だと思えみたいなことを言っている。しゃらくせぇ。

しかし、休日にわざわざ車でやって来て石段に腰かけてこんな話するか?
そういう話は会社か、でなきゃ仕事の後の居酒屋とかでするもんじゃないのか?
ひょっとしてマルチ商法の親と子とかか?
接待ゴルフの声がよく聞き取れるばっかりに状況への疑問はふくらむばかりだ。
鳩たちもこのふたりに不穏なものを感じているのか、気持ち、遠巻きにしているように見える。

聞き耳を立て続けていると、接待ゴルフの話は具体的なことからそれていき、説教臭い精神論みたいになっていった。

「いいか。どんなに困ったり追い込まれても苦しい顔は絶対するなよ。」
「……」

山羊が返事をしているような間があくが、あいかわらず声は聞こえない。

「苦しい顔だけは絶対にしちゃだめだぞ」
接待ゴルフの話はなおも続く。
「苦しい顔をしてるとなぁ……悪霊が寄って来るからな」

私は石段を踏み外して転げ落ちそうになった。
悪霊って…

接待ゴルフは、以前ある男に悪霊が寄ってきてしまった実例を話し始めた。
例えとか心がまえとかいう話じゃなくて、実在するものとして悪霊が寄って来ると断言している。
なんかの宗教がらみなのかこのふたり。
この先会話がどんな方向に流れていくか興味は増すばかりだったが、娘が飽きてぐずりだしたので、しかたなく帰ることにした。

娘を自転車に乗せ、ゆっくりとこいで、鳩の石段をあとにする。
接待ゴルフの声が遠のいてゆく。
道がカーブして石段が見えなくなるポイントで振り返って見たが、山羊と接待ゴルフはまったく同じ体勢で話し続けていた。

鳩を見るひとはさまざまである。

*****

冬になり、鳩の石段からは足が遠のいていった。
寒かったこともあるが、娘が別の遊びでも私とつきあってくれるようになったのも大きな理由だ。
暮れは珍しく雪が積もり、家族で雪だるまを作ったりした。

年が明け、何週間か過ぎたころ、娘と散歩に出た。
ぶらぶら歩きながら、ふと鳩の石段のことを思い出し、
「はとぽっぽ見に行こうか?」
と言うと、
「うん。はとぽっぽいるかなぁ」

ぶらぶら向かっていったが、娘は途中で
「だっこ」
と両手を差し上げた。
石段まではまだ遠い。自転車で来るべきだったか。

それでも娘を抱いて歩いてゆき、石段が見える橋のところまでやってくると、その橋から石段のあたりまで、高さ2メートルあまりのフェンスが建てられ、その向こうではなにやら大がかりな工事が行われていた。

そうだ。
工事やってたんだ。

この橋は、私が毎日通勤で通りかかる道で、工事をやっているのは頭の片隅にあったはずなのだが、それを鳩の石段と関連付けて考えてなかったのだから私もそうとうボケボケしている。

「工事中だねー。はとぽっぽいないかな?」
「はとぽっぽいるよ」

根拠もなく言い張る娘を抱いてフェンス沿いに石段のほうへ下ってゆく。
フェンスはところどころ透明になっていて、工事の様子がのぞけるようになっていた。
せっかくなのでのぞいてみると、川に浮かんだ大きくて平らな船に乗せられたパワーショベルが川底をさらっているのが見える。

「すごいねー大きいねー」
「すごいねーきいろだねー」

かみ合っているようないないような会話を交わしながら石段にたどり着くと、石段の部分は、河原へ降りるための仮設の道路が作られ、大きなダンプカーが頻繁に行き来していた。もちろん鳩はいない。
鳩はどこへ?
見回すと、いた。鳩が。

川沿いの歩道にそって続く土手の上に鳩はいた。
すぐ横をダンプが行き来しているが鳩たちは平気なようだ。
石段と比べると狭くて、ちょっとかわいそうにも見えるが、まぁ、鳩はべつに気にしていないようにひょこひょこしている。

「はとぽっぽいたねー」
「いたねー」

*****

「おいでー」
娘が鳩を追う。鳩はひょこひょこ逃げる。
石段とはまた別の意味で足場が悪いので目が離せない。

ジョギングのおじさんがいいリズムで通り過ぎる。
散歩中の犬が土手に駆け上がり、また駆け降りる。
目の吊り上った若い男が走りぬけ、むこうのほうでまわし蹴りの練習をしている。

鳩たちは時には飛び立って逃げるが、またすぐに戻ってくる。

鳩はそこにいる。
なべて世はこともなし、だ。


オトーラの書TOP

文書の書目次