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買ったよシリーズ

メガネを買ったよ2006
2006.12.6 
メガネが壊れた。
夜洗っていたら、カシャンとレンズが落ちた。
見ると、フレームの、レンズを囲ってるパーツの鼻の近くがぽっきり折れてはね上がっている。
右目のほうだ。
拾い上げたレンズは無傷だったが、これではかけられない。
そんなに使ってないと思うがなぜだ?
鬼怒川の温泉のお湯につけたからか?
マリックさんがスプーンを折ってみせるテレビを見たからか?

      こわれたメガネ
       こんな感じに



しかし困った。
ストロングな近眼の私は、メガネなしだと、色がぼんやりちらちらしている世界で生きることになってしまう。
翌日は朝から、アヤが今度行く幼稚園の行事に行くことになっていて、直している時間はない。
明日は、「折り紙を切ったり貼ったりしてみよう!」の日だそうだ。

幼稚園の時に、折り紙ができなくて泣きながら友達に教えてもらった私にとっては普通でも難関である。
メガネ無しでは絶対に不可能であろう。
めちゃくちゃになった折り紙を前にして泣いているアヤと私の姿が目に浮かぶ。
どうしよう。

翌朝オカーに言ったら、ひとこと

「テープで貼りましょう」

折り紙を切ったり貼ったりする前にメガネを貼ることになってしまった。

まずレンズをはめこんで、はね上がっているフレームを押さえつけながら、細切りにしたセロハンテープで貼り付ける。

折れた部分だけ貼ると、レンズを拭くときにレンズの反対側がはずれてしまうことがわかったため、対角線上の反対端も貼っておく。
レンズが厚いので、フレームからはみ出している厚みの部分とフレームを貼りつけるようにすると、視界をさまたげずに固定できる。
だんだん楽しくなってくる。

反対側は3箇所貼ってみた。
反対側がきれいに固定されると、先に貼った、折れた部分の修理の稚拙さが気になってきた。
折れた部分のセロテープをはがし、きれいに貼り直す。

よし。
修理が済んだメガネをかけてみる。
むりやり鼻の付近を見ようとするとセロテープが視界に入ってくるが、普通に物を見るぶんには全く支障ない。
これなら折り紙もできるだろう。

大きな問題が解決したので、洗面所に行って鏡を見る。
鏡の中にはちょっとだけ問題が残っていた。

人間って、他人の顔をどのくらい見るものだろう?

幼稚園では、先生や、知り合いの父兄と挨拶したり話したりしたが、私はやや顔をそむけるようにしていたと思う。
「ひとの顔を見て話さないのは、自信の無さの現われ」
とプロファイルされただろうか?
「こわれたメガネをテープで修理して使っているのは貧乏の現われ」
と分析されただろうか?

見た目はともかく、使用に耐える程度には修理されたメガネのおかげで、私は無事、折り紙を折ったり貼ったりして、「おでかけバッグ」を完成させた。
ついでだから言っておくと、先生が説明を間違えた。
「コップ」を折るところ、「きつね」の折り方の説明をしてしまったのだ。

そんなわけで、私たちのクラスの「お出かけバッグ」には、変なところに折り跡がついている。

でもいいではないか、そんな小さなこと。
いいではないか。「お出かけバッグ」に余計な折り跡がついていようと、メガネをセロテープで修理していようと。
親子で楽しく過ごせた、その思い出があればそれでいいではないか。

そんなわけでメガネを買ったよ。

「お出かけバッグ」を無事完成させた土曜日の午後、いつも行っている眼鏡屋へ行った。
セロテープで修理したメガネをかけて。
「メガネが壊れちゃったんです」
と言うと、初老の店員が、カウンター越しにのぞきこんで、
「あら、ホントだ〜」

レンズには問題がないので、使えるフレームを探してもらう。
しばらく待っていると、8個くらい候補が集まってきた。
壊れたフレームよりレンズ部分を小さくしなければならないので、どれもレンズ部分が細く小さめのおしゃれなデザインだ。
黄色だったり緑だったりピンクだったり、とってもおしゃれだ。
コメディアンの南海キャンディーズがかけてるような、とってもとってもおしゃれなやつもあった。
おしゃれなやつらをかけて、そっと鏡をのぞいてみたが、家族に見放されそうなおっさんしか映らなかったので、おしゃれ度は低めに設定することにした。

おしゃれじゃないやつには、昔のヤンキーがかけていたような、カチカチの長方形のメガネもあったが、坊主頭でこんなものをかけていたら就職活動に支障がありそうなので候補からはずした。

そんな消去法を実行したら、残ったのはたったひとつだった。
その、いちばん無難なやつをかけて、近くにいた若い店員に、
「これかなぁ」
と言ったら、その店員は、
「もう少し探して来ますね」
と言い残して売り場へ駆けて行った。
なんだよ。
これじゃおかしいのかよ。

若い店員は1分くらいで戻ってくると、
「惜しいのはいくつもあるんですけどねぇ、上下か左右かどっちかがちょっとあいちゃったりするんですよねぇ」
って、「惜しい」の報告なんていらねーよ、この場合。
使えるか使えないかどっちかでしょ。

結局さっきの無難なメガネに決定。

1時間くらいでできるというので付近で待つことにしたが、本屋とか行っても見えないとつまんないのね。
どこに何があるかもよくわかんないし。
『ありがたいブッダの教え』とか手にとっちゃったよ。

ぼやんぼやんとした世界で時間をつぶし、眼鏡屋に戻ると、約束通り私のメガネができていた。
かけてみると、なんだか前のより快適。
近眼用のレンズは、中心が薄く、周囲が厚くできているので、厚い周囲を削ったおかげでかなり軽くなったのだ。
ド近眼の人にはレンズが小さめのフレームをお薦めします。

家に帰ってアヤに顔を見せて、
「どう?変わった?」
「なにが〜?」
「メガネ」
「……わかんなあ〜い」

買物から帰ってきたオカーに顔を見せ、
「どう?」
「?何が?ああメガネ?ちっちゃくなったの?ふ〜ん」

月曜日は新しいメガネで会社に行ったが、誰にもNEWメガネを指摘されないまま帰宅した。
みんな人の顔なんかよく見ていないか、私に興味が無いかのどちらかだろう。

我々が気づかないだけで、街は、セロテープで修理したメガネをかけている人であふれているのかもしれない。

あふれていないだろう。


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