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オトーくん海を渡る
46.歩いてみた

2003.4.20




下りは、おみやげ屋の横にある石段を降りることにした。
その横にケーブルカーもあったが、せっかくだから石段にした。
「せっかくだから」ケーブルカーに乗る、というほうが「せっかくだから」度が高いような気がするが、石段のほうの「せっかくだから」を選択した。たいした距離じゃないし。

ところが石段を下っているうちに雨が少し強くなってきた。
横を屋根の付いたケーブルカーが下ってゆく。グァーンとかいいながら。いい調子で。
別にくやしくない。
せっかくだからフランスの雨に濡れることにした。せっかくだから。せっかくだから。日本に帰ったら日本の雨にしか濡れられないわけだし。

ところが、石段の一番下、ケーブルカーの地上の駅に着く頃には、「ポツポツ」だった雨が「サーッ」になっていて、「ザー」までは行かないけど、傘を差さずに歩くと「あの人どうかしてるんじゃないかしら?あんまりジロジロ見ちゃだめよ」と、母親が子供を抱きかかえるくらいには強かった。
まぁ、木陰にじっとしていればなんとか防げる程度なんだけど。
というわけで、石段を降りきったところの木の下で雨宿りすることにした。ケーブルカーの駅の前には、白い服を着て、顔を白く塗った、大道芸人というのだろうか、二人組が人形を持って地味な芸をしていた。
人形を操作しながら自分たちもゆっくり動いている。通りがかりの人が前に置かれた皿に小銭を入れると、人形とともにゆっくりおじぎをする。それだけ。
それだけなのだが、こっちは退屈なのでつい見てしまう。
退屈なので、つい二人組の写真を撮り、つい皿に小銭を入れてしまう。人形がゆっくりおじぎをした。


ケーブルカーの駅前にいた白っぽい人たち。
あまりたいしたことはしていない。

雨にも関わらず、観光客は後から後からやって来る。
にぎやかに接近して来てにぎやかにケーブルカーに吸い込まれていくおばさんの集団。指を折りながら家族の切符を買うお父さん。一つの傘で寄り添って歩く若いカップル。誰かと待ち合わせなのか、ボーっと白い二人組を眺めている若い男。
それらみんなを眺めている日本人(私)。

しばらくすると、耐えられる程度に小降りになったので、移動することにした。
朝降りた駅まで行くと、通り沿いにフリーマーケットが開かれていた。
日用雑貨や子供のオモチャ、洋服、間違って買ってしまったような民芸品など、いろいろ並べられているが、天気のせいか、やや寂しい空気が漂っている。

地下鉄の線路に沿って走っているこの通りを歩いてみることにした。
少し歩いていると、ちょっときわどい単語のネオンサインを掲げた店が並んでいる地帯に出た。
歓楽街に突入か?
朝、地上に出た時に感じた猥雑感はこっちの方から流れてきたものだろう。

映画のタイトルにもなった有名なクラブ「ムーランルージュ」もこの通りにあった。昨晩見たガイドブックに書いてあった通り、赤い風車が建っていたが、何ていうか、ちょっとちゃっちい造りに見えた。知らなかったらそのまま通り過ぎてしまいそうだ。
まあ、夜に来る店だから、昼間明るい中での印象なんてどうでもいいんだろうけど。


きわどい単語集
子供は見ちゃダメ。


赤い風車が目印の「ムーランルージュ」。
私の他にも写真を撮っている人が何人かいた。やはり有名なのだろう。

歩きながら他の通りも少しだけのぞきこんだりしてみたが、そこには店のようなものはあまり見当たらず、ゴチャゴチャゴチャっと建物が建っていた。
何となく、日本で言うと北千住あたりの、駅前の商店街から一本入った通りの雰囲気と近いものを私は感じた。

ガイドブックによると、この先のどこかには「ゴッホの家」というのがあるはずだが、そこには絶対行けないだろうな、と思っていた。
そもそもガイドブックの地図もぞんざいで、目印も道順も書かれていないような扱いだったから、見てどうというものでもないのかもしれない。わかんないけど。
「ゴッホの家100メートル先右折」とか、でかい看板でもあれば行けるかもしれない、もちろん日本語で。ゴッホの似顔絵なんかも描いてあったりして。

しかし、しばらく歩いてもそんな看板は現れなかったので引き返すことにした。


かわりにこんな看板が。
「犬はつないでクソは拾え」かな。
こんな姿勢で散歩してたら腰痛になるぞ。

「47.誘われる」につづく
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オトーくん海を渡る
47.誘われる

2003.4.27




来た道を戻りながら適当な駅で地下鉄に乗って、市街へ行こうと思った。
そこで昼食にしよう。
時間は正午を過ぎていて、お腹も空いてきていたが、この歓楽街的なエリアでどこかの店に入るのはちょっと遠慮したかった。

すきっ腹を抱えて歩いていると、左後方から声がした。
「エクスキューズミー」
振り向くと、年は五十代の終わりくらいだろうか、とても痩せていて小柄だが、目つきの鋭い銀髪のおばさんが立っていた。
襟の大きな真っ赤なシャツの上に真っ黒なカーディガンを、袖に手を通さず肩に羽織っている。右手で自分の左肘を、左手で右肘をつかんで、じっと私の目を見て、外見とマッチしたしわがれた声で話しかけてくる。
「ノーマネーノーマネーアイウォントジャストスピーキンジャストスピーキン」
金はいらない、話したいだけだ、ってことか。二回ずつ言うところが東洋人に対して親切心を見せてるってことかな。フランス語じゃなくて英語だし。
ところがわかったのはそのへんまでで、そのあとおばさんが二言三言何か言ったのは意味がわからなかった。
なーに話してんだろうなぁ、と思って聞いていると、おばさんは自分の後方、怪しげな店が並んでいるあたりをピッと指差して言った。

「セクシーショウセクシーショウ」

あっはっは。セクシーショウか。それならわかるぞ。二回も言わなくてもセクシーもショウも完璧に理解できるぞ。
私は右手の平を見せながらきっぱり「ノンメルシー」と断ってその場を立ち去った。

しかし歩きながら、ちょっと見たかったかな、と思っていた。
いや、セクシーが見たいってわけじゃなくて、ネタとしてって意味で。
「昼過ぎからひなびたセクシーショウを見たぞ」なんて、面白い話になりそうだ。ショウにあのおばさんが出てきてくれたりしたらもう大爆笑ネタだ。

だがやはり怪しくて怖い。昼間っから暗くて狭いところに連れ込まれ、そこには体格のいい怖いお兄さんが三人ぐらいいて…ということだってあり得るのだ。
後で木戸さんにも「ホームページにアダルトコンテンツを作るチャンスでしたね」と言われたが、怪しいところへ一人で踏み込む勇気は無い。大勢でもいやだけど。

無事帰国してこそのネタなのだ。誘われるままについて行って、怖いお兄さんに身ぐるみはがされ、着ているものまではがされた挙句通りに放り出されでもしたら自分がセクシーショウだ。
大きめのネタを逃したかな、という気もするが、ここは無事帰国こそが肝要なのだ。

無事帰国目指して地下鉄に乗った。
無事帰国目指してまずは昼飯だな。


「48.パリの寂しがりやさん」につづく
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48.パリの寂しがりやさん

2003.5.10




地下鉄を降り、さぁ昼飯だ、と地上に出たが、そこには食事できるような店は見当たらなかった。
しかたがないので、少し歩いてみる。行き当たりばったりは腹が減る。雨は、気力を出せば傘を差さずにいられる程度。
腹ぺこのまま歩いていると凱旋門が見えてきた。何だか家なき子みたいだ。相棒の犬はいないが。


相棒の犬はいないがだるまはいる。

昨日はバスの中から見ただけなのでちょっと見物していこうかな。腹ぺこだけど雨宿りついでに。
ガイドに教えられた通り、地下道を通って凱旋門の真下に行ってみた。


というわけで凱旋門真下から。


横の彫刻。すげー顔。


凱旋門の先はシャンゼリゼ通りだ。あそこなら食事できるだろうと歩いていたら、気力では防御できないくらい雨が強くなって来た。
晴れても降ってもシャンゼリゼ通りに来れば幸せよと、例の歌は歌っているらしいが、そんなのは嘘っぱちだ。雨のシャンゼリゼ通りはぜんぜんまったくこれっぽっちも幸せじゃない。
早くどこかの店に入って昼飯にしよう。そして雨が止むか、せめて歩き回れる程度に小降りになるまでそこにいるのだ。
しかしどこで何を食べよう。
そういえば昨日の夕食の時に秋山さんが、「パリでは日本語のメニューを用意してある店も多くて、そういう店はたいてい入口に日本語メニューを置いてある」って言ってたぞ。
そういう店なら簡単そうだぞ、と、探して歩いていたらあったあった、日本語メニュー。日の丸の旗まで立っている。
ここだここだここにしよう。
店は壁も扉もガラス張りだ。体格のいい、白髪に白ヒゲのおじさんがにこやかに迎え入れてくれたが、はじめフランス語のメニューを持ってきたので「ジャパニーズメニュープリーズ」と言うと「ソーリーソーリー」と、すぐに日本語のメニューを持ってきてくれた。
トーストのサンドイッチみたいのとビールを頼む。

白髪のおじさんはにこやかだったが、料理を持って来たウェイターの物腰はちょっと感じ悪かった。
ビールはともかく、サンドイッチはべちゃっとした感じでまずかった。なんか端の方がこげてたし。
異国の地で雨に降られ傘も無く、感じの悪いウェイターが窓の外をボーっと見ている横でベチャコゲサンドを食べていると少し寂しい気分になってきた。
隣のテーブルでは、近所の仲良しおばさんグループみたいな4人組がものすごく楽しそうに食事をしている。ホントに楽しそうだ。5秒に1回大爆笑している。
いいな。楽しそうで。

心の中で中島みゆきの「蕎麦屋」を歌って寂しい気分を増加させてみる。
♪まるでぇじぶんひぃとりだけがぁいらないようなきがするぅときぃ〜

しばらく寂しい気分に浸っていると、傘を差さずに歩く人が目につくようになってきた。そろそろいいかなぁ、と外を観察しているうちに雨は上がり、少し明るくなってきたようなので、寂しいごっこは終わりにして店を出た。感じの悪いウェイターにチップもちゃんと置いてきた。
かなり遅めの昼食だったが、みんなとの約束「オペラ座階段の上に夕方6時半集合」までにはまだずいぶん時間があった。
時間はあるけど予定は無い。はるばるパリまでやって来て、考えようによっては贅沢な状況。
まぁ、ぶらぶらあっちのほう(どっちだ?)へでも歩いてみるか。
こうして私の「ひとりで歩け歩け歩きまくれパリの街ツアー」が始まった。

「49.方向音痴にやさしい街」につづく
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49.方向音痴にやさしい街

2003.5.27




というわけで再びひとりで歩き始めた私であった。
凱旋門を背にしてまっすぐに歩いていけば、やがてコンコルド広場に出る。さらにまっすぐ進めばルーブル美術館にぶつかるはずだ。
きのうバスの中から見たルーブル美術館の建物はなかなか凄かったからあれでも見に行くか。中を見ている時間は無さそうだが。

とにかくまっすぐまっすぐ歩いていこう。なぜまっすぐ歩くことにこだわるかというと、私が曲がったことが大嫌いだから、ではなくて私がひどい方向音痴だからだ。今歩いている道をまっすぐ行くだけで少なくともコンコルド広場とルーブル美術館は見られる。方向音痴に優しい街…それは巴里。
そういえばこの道と直行している何とかって通りのあっちとこっちにも何かがあるってきのうのガイドが言ってたな。って何の説明にもなってないな。方向音痴以外にも根本的な問題がありそうだな。
なんてことは一人で歩いている間は何の問題にもならないので、私は歩き続けた。

何かの木の並木道を歩いていたら公園があったので入ってみた。
なんていうか普通の公園。花があって木があってブランコがあって親子が遊んでいる。ただし、ブランコの鉄柱に「0.8ユーロ」と書かれた箱がくくりつけてあった。金取るのかブランコ。0.8ユーロっていえば100円くらいだ。親子で遊ぶ場合は1.6ユーロか?3人兄弟なら2.4ユーロ払うのか?そんなことないのか?

公園で少し写真を撮って、さらに進んでコンコルド広場に出た。ここはきのうもバスから降りて写真を撮ったりしたが、ややあわただしかったのでゆっくりぶらぶらしてみる。
広場で、東洋系の、非常に若く見えるカップルが結婚式をしていた。

コンコルド広場の先はまた公園になっていて、大きな真ん丸い池の周りにぐるりと椅子が並べられていて、みんなそこでくつろいでいた。
その先がルーブル美術館だ。

コの字型になっている建物の中庭に当たるところに立って見回してみた。でかいでかい。
これが美術館かぁ。この中に美術が詰まっているのかぁ。私なんか一人でここに入ったら絶対迷子になっちゃうな。

パノラマっぽく、ぐるりと見渡す写真を撮ろうと試みたが、うまくいかなくて途中で挫折。


コンコルド広場を出ようとしてふと振り向くとそこに
「二つの塔」が!いや、それだけ。


人々がくつろぐ丸い池。
むこうに見えるのがルーブル美術館の一部。


お、俺のあ、頭にハトが…


なんで俺のあ、頭にハ、ハトが…


ルーブル美術館正面。
左にちらっと写っているガラス張りのピラミッドが入り口なんだって。
入って行く人の大きさと比べると美術館のでかさがわかるってもんだ。

さて。戻ろうかな。まっすぐに。同じ道を戻るのも芸が無いので、来た道に平行している隣の道を行くことにした。まぁ、それも芸があるってわけじゃないけどさ。

「50.ガーガーガー」につづく
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50.ガーガーガー!

2003.5.31



戻るのに選んだ道は、人通りが多い商店街のような通りで、歩いていて少し疲れるので、直行している道を曲がってみることにした。
直角に曲がってまっすぐ進む。危険を感じたらまたまっすぐに引き返す。方向音痴が見知らぬ土地で移動する時の基本である。
来る時に通った道のある方向に曲がったはずなのにまったく見覚えの無い広場のようなところに出てしまった。これも方向音痴の醍醐味か。どこへ行くのかわからない。

広場では仮設の小屋が建てられて、ファッション関係の展示会のようなものが行われているようだった。興味が無いのでそのまま進む。
ベンチに座ってあからさまに愛し合っているカップルを何組も見かける。やや興味があったが、あまり見ないようにして通り過ぎる。
やがてちょっと変わった形の橋が見えてきた。おお、この川は。あの有名なセーヌ川。なんつってパリで見かける川はほとんどセーヌ川なのだ。
川岸に降りてしばしセーヌ川の流れを真横から眺める。
橋に上がって、設置してあるベンチに腰掛けて違う角度で流れを眺める。


上の通りからも下の河原からも渡れる橋。


その橋の上から撮影。

風が冷たくて寒くなってきたので去ることにした。
橋から元の道へ引き返そうと歩き始めたら、後から「ガーガー!」っと音がした。何かと思って振り向くと、ローラーブレードを履いた二人の若い男がこちらへ滑ってくる。
「ヒョッヒョッヒョッヒョッ」とか「チッチッチッチッ」とか変な声を上げている。
こ、これって。スリか強盗か引ったくりか?身構えてバッグをつかむ。目をそらしたらやられるっ!
私がビビっている間にもお揃いの黒っぽい帽子と服の二人はどんどん接近してくる。ガーガー!二人とも笑っている。やつら笑っていやがる!ガーガー!獲物を見つけた悪魔の笑顔か?ガーガー!ガーガー!ガーガー!
「東洋の黄色いサルめ島国へ帰りやがれぇ!」という声が(日本語で)私の脳内にこだましたその瞬間、二人は私の両脇をすり抜けて行った。
橋の段差を体をひねりながらかっこよく飛び降り、着地した時には90度方向転換していて、セーヌ川と平行して通っている道を滑っていった。
その背中に白抜きでプリントされた「POLICE」の文字があっという間に遠ざかって行く。
POLICEって…けーかんかよ。
脅かすんじゃねーよ、と思いながらも写真撮りたかったなぁ、なんて思ってもいる。
でもPOLICEって英語じゃん。

個人的勝手に想像上のピンチを切り抜けた私はさらに歩き続け、待ち合わせ場所であるオペラ座近辺にたどり着いた。少し早めに着いたので、少し周りをぶらぶらしていたらみんながやって来た。
秋山さんは別に用事があるとかで、今日は全部で6人。これから6人でこの旅行最後の夕食だ(ホントは翌日機内食とかあるんだけどカウントしてあげない)。

「51.約束」につづく
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51.約束

2003.6.1



みんなで最後の夕食は、きのう食事をした店のある通りをもう少し先に行ったあたりの店にした。
きのう入った店よりも少しお気軽な感じの店。なんだか黄色っぽい内装だった。
木戸さんがウェイターに「ドゥユハバイングリッシュメニュ?」と訊いている。なるほどこう訊くのか。覚えとこ。使う機会があるかわからないけど。

ビール、ワイン、ムール貝、その他。夕食をとりながらみんなで今日の行動を報告し合った。
北岡さんと島田さん親子はベルサイユ宮殿見学の話。木戸さん、浅野さんは美術館めぐりの感想。そして私はセクシーショウに誘われたエピソード。
うーん。なんかバランス悪い。みんなが宮殿とか美術館の話をしているのに私だけ「セクシーショウ」。格調低い。しかも見てない。やはり見るべきだったかセクシーショウ。いや、実際見に行ったなんて話をしたらみんなとの距離が果てしなく広がっちゃいそうだ。
お城やら彫刻やらの話の合間に「いやぁ、めっちゃめちゃセクシーだったっすよう」なんて口を挟んだらどうだ?みんなが引いていくのが目に浮かぶ。パリの街に置き去りにされちゃうかもしれない。やはり行かなくて正解だったのだろう。

今日の話がひと段落すると、「この旅行ももう終わっちゃうんだよねぇ」というムードになってきて、旅行全体の思い出話に移って行った。
私もなごりおしいなぁという気分になっていたが、みんなも同じ気持ちのようだ。島田さんが
「どうでしょうねぇ、帰国してからみんなで集まって『写真交換会』のようなものをやるっていうのは」
と言い出した。ああ、なんてうれしいことを言ってくれるんでしょう。
「言い出しっぺですので私の自宅にでも来ていただいてと思っているんですが、名目はともかくみんなで集まって楽しく飲んで思い出話でもできればと考えてるんですけどね」
島田さん宅で開くか、別に場所を考えるかはともかく、帰国後みんなで集まるという案には皆賛成であった。
旅行が終わればそれぞれの生活に戻っていく私たちであったが、この約束をすることで「もうおしまい」というちょっと寂しい気持ちは「また会いましょう」という前向きな楽しい気分に変わっていった。

食事を終え、地下鉄に乗ってホテルのある駅へ。
街灯がチカチカ輝いているチンコ丸出し巨人の広場をプラプラ歩いてホテルへ向かう。
隣を歩いていた島田さんがしみじみと
「しかしまぁ、いいメンバーで旅行できてよかったですねぇ」
と話しかけてきた。まったく同感だった。私なんかみんなに頼りきりだったので余計そう思う。
運が悪ければ性質の悪いメンバーに囲まれて旅行していたかもしれないのだ。たとえば、えーと、喧嘩っ早いやつとか、朝から晩までぼやきっぱなしのやつとか。あと、家に帰りたいと泣くやつとか。
「そうですねぇ。この人数もちょうどよかったですよね」
ここにはいないが、秋山さんを入れて7人という人数は「ツアー」と言うにはちょっと寂しいのかな、と当初は思っていたが、終わってみれば、全員で動くにしても何人かに分かれて行動するにしてもちょうどいい人数に思えてくる。
こんな会話をしていたらまた少し感傷的になってきた。
ホテルにも少しだけ「なごりおしい」空気を持ち込んだ私たちはロビーでしばらく話をした。
実は明日帰国するのは、木戸さん、秋山さん、浅野さん、私の4人だけで、北岡さんは明朝早く発ってウィーンで奥さんと合流、島田さん親子はパリでもう一泊した後イタリアへ、と、もう少し旅行を続けるのだ。
島田娘さんが今日行ったノミの市で買ったキーホルダーをテーブルに並べて
「みなさん記念にひとつづつどうぞ」
と言ってくれたので遠慮なくひとつ選ばせてもらう。島田娘さんはみんなが選び終わるのを見計らって
「いいことみなさん、それを見たら私のことを思い出すのよ、オーッホッホッホッ」
と魔女のように笑った。


私がもらったキーホルダー。
「オーッホッホッ」と笑ったというのはもちろん嘘だが、暗示というのは恐ろしいもので、この後どんな「キーホルダー」を見ても島田娘さんを思い出すようになってしまった。
頭の中に島田娘さんの声がこだまする。「私を思い出すのよ私を思い出すのよ私を思い出すのよ私を思い出すのよ私を思い出すのよ、オーッホッホッホッ」
だからそんなふうに笑ってねぇって。


いつまでもなごりおしんでもいられないので、適当なところでおやすみのあいさつをして各部屋に戻った。北岡さんと同じ部屋で寝るのも今夜が最後だ。

「52.そして最後の朝が来た。」につづく
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52.そして最後の朝が来た。

2003.6.7



次の朝は最後の朝で早い朝だった。
というのも北岡さんが早い飛行機でウィーンへ出発するからだ。5時半くらいにホテルを出るということで、それに合わせて準備を始めた。
昨夜寝る前に
「早く出て行っちゃうから気にしないで寝ててね」
と言われたが、なかなかそうもいかない。そうもいかないが眠いことは眠い。そんな中途半端な状態だったので、なんとなーく物音で様子を伺いながらそろそろ準備が終わりそうだな、というところでずるずると上半身を起こした。
「ああ、起こしちゃったねえ、ごめんねぇ」「いえいえ」なんてあいまいな言葉を交わす。

北岡さんは荷物をチェックし終わったところで、椅子にかけてタバコに火をつけた。
天井に向かって煙を吐きながら、
「終わっちゃったねぇ」
しみじみつぶやいた。
「そうですねぇ」
私もしみじみ感を込めて言ってみた。
「いろいろお世話になりました」
「いえいえこちらこそ」
決まり文句のやり取りだが、この何日間かのことを考えるとそれなりに心もこもる。
「さて、っと」
タバコを灰皿に押し付けて北岡さんが立ち上がった。
「行きますか。じゃ、ホントにさよーならー」「はーい気をつけてー」
スーツケースを転がして北岡さんが部屋を出て行った。

時間はもうすぐ5時半というところ。
帰国組は8時15分にロビー集合だから、7時頃に朝食を食べて準備しようと思っていたが、ここで寝たら寝過ごしちゃうそうだ。一人だしな。起きてることにしよう。
つかの間のひとり部屋。
ベッドでゴロゴロしてみる。起きてタバコを吸ってみる。カーテンを開けて外を眺めてみる。
そんなつかの間のひとり部屋。ラララひとり部屋♪。あまり面白くはない。
そうだ。シャワーを浴びてみよう。ちょっと贅沢な気分を味わえるかもしれない。

ここのシャワーは、円筒形のガラスの扉でトイレや浴槽と区切られていて、中に入ると、昔のSF映画で悪い宇宙人に捕まってミクロ人間にされちゃう人の気分を味わえる。
「うわー、助けてくれー、ここから出してくれー、ミクロにしないでくれー」
40才にもなって一人でこういうことを考える私は相当おかしいのかもしれない。全裸だし。

朝食を食べ、荷物をまとめてロビーに下りると、すでに木戸さんがソファーに座ってテレビを見ていた。
「北岡さんは無事に飛行機に乗れましたかねぇ?」
「部屋は予定通りに出て行きましたよ」
予定では北岡さんはすでに機上の人のはずである。しかし北岡さんは今回が初めての海外旅行で、今朝からはまったくの単独行動になるので、みんなはその勇気を讃えながらも、けっこう心配していたのだ。
「僕らが行った時にまだ空港にいたら笑っちゃいますね」
私が言うと木戸さんは
「ベトナムとかに行っちゃわないでしょうねぇ」
と笑った。心配ではあるが、我々にできるのは冗談のネタにするくらいだ。いや、冗談で済めばそれでいいんだけど。

やがて秋山さん、浅野さんの順番でロビーに姿を現したが、挨拶もそこそこに二人が口にしたのは「北岡さん大丈夫ですかねぇ」という意味の言葉だった。
みんな心配なのだ。「北岡さんと空港でたちまち再会」、「北岡さん、ベトナムで発見」の話をしたら大笑いしていたが。

やがて、ここでもう一泊する島田さん親子も見送りに出てきてくれて、しばらく別れの言葉を交わした後、帰国組の4人は2台のタクシーに分乗してシャルル・ド・ゴール空港へ向かって出発した。
一台目に浅野さんと秋山さん、二台目に木戸さんと私、そして一日目にド・ゴール空港で私たちを迎えてくれたおにぎりみたいな風貌の男のガイドが乗り込んだ。
島田さん親子はホテルの玄関前まで出てきてくれて、車が見えなくなるまで手を振ってくれていた。

「53.シャルル・ド・ゴール空港に飛んでるコンコルドを見た。」につづく
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オトーくん海を渡る
53.シャルル・ド・ゴール空港に飛んでるコンコルドを見た。

2003.6.9




空港で秋山さん浅野さんと合流して、ガイドに別れを告げてチェックインした。
ここからまずミュンヘンへ行き、そこで成田行きに乗り換える予定だ。

搭乗までまだ時間があったので、4人とも思い思いに待ち時間を過ごす。
私も、ガラス張りの壁の向こうに見渡せる滑走路をしばらく眺めていたが、あまり変わり映えしないので椅子に座って目を閉じていた。
しばらくそうしているといきなり、「ズギューン!グゴゴゴゴゴゴゴォ」とすごい音が聞こえてきた。
滑走路のほうを見ると、特徴的な三角形の翼の飛行機が滑走路を右から左に走り抜け、離陸するところだった。
「コンコルドだ」
秋山さんがつぶやいた。
ガラスの壁に歩み寄って飛び去るコンコルドを見た。
離陸したコンコルドは直線的に上昇して行く。スピードが速いのと、音がすごいのとで、軌跡が急な坂道になって見えるようだ。
やがてコンコルドは私から見て右のほうに大きく旋回して空の彼方へ消えていった。
あっという間だった。写真を撮れればよかったのにと思うが、撮れなかった。
コンコルドが飛び去った後はなんだか静かで気だるい雰囲気になった。早く飛行機に乗りたいな。

ミュンヘン行きの飛行機は予定より少し遅れての出発だったが、到着はほぼ予定通りだった。
ミュンヘン空港では成田行きの搭乗口がとても離れていて、延々歩き続けてやっとたどり着いた。広さの割にあまり人がいなくて静かだ。
ミュンヘンと言えばやはりビールだろう。
スタンドの店があったので木戸さんと二人でビールを飲む。ここで飛行機に乗ったら次は成田なので、ドイツで飲む最後のビールだ。
成田に着くのは日本時間で朝の9時半頃だが、木戸さんはそのまま会社へ行って仕事だそうだ。なんて働き者なんだろう。私なんか帰国当日はもちろん、翌日も休みを取ってある。なんて怠け者なんだろう。

成田行きの飛行機に乗ってみると乗客のほとんどは日本人だった。あちこちで日本語の会話が聞こえてくる。別のグループの若い女が、飛行機に乗った瞬間「わぁ、日本だぁ」と言っていたが、まさにそんな感じ。
実際にはこの飛行機に十時間以上乗ってからでないと本当の日本には帰れない。
私の席は真ん中の4列の左から二番目。左隣には浅野さん、右は日本人の若い女。この状態で日本まで十数時間。そしてこれがほんっとに辛かった。

最終回「54.やっぱりうちがいちばん」につづく
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オトーくん海を渡る 最終回
54.やっぱりうちがいちばん。

2003.6.14




 帰りの飛行機はホントに疲れた。
中で眠れればよかったのだが、どうにも眠れなくて、ぼんやりしたままほとんどの時間起きていた。
機内が明るい時は本を読んだりも出来たが、照明が落ちると周りの人は眠る体勢になるので、自分のところだけライトを点けておくのは何だか心苦しい。しかたなく自分も眠る体勢をとるが、やはり眠れない。

前方に設置された小さなテレビで映画をやっていて、なんとなく観ていたが、面白くもなんともなかった。つまらないんじゃなくて、面白いともつまらないとも感じないのだ。
軍隊時代に犯した過去の罪で逮捕された夫を、やり手弁護士である妻が助けようとする話で、普通の状態で観ればそれなりに面白いのかもしれないが、今のように疲れきっていると、映画の中で何が起こっても心が動かない。主人公がピンチになろうが、意外な真実が明らかになろうが、何も感じない。
結局最後まで観てしまったが、「疲れているのになぜか見続けてしまった自分」しか記憶に残っていない。題名は忘れてしまったが、もう一度観たらあの時の「疲れ」を体が思い出してしまいそうだ。

だが、しかし。そんな辛い時間もいつか終わり、飛行機は無事成田空港に到着した。こちらは朝の10時前だ。
もうなんだか疲れ切っていて、ダラダラ引きずるように飛行機を降り、日本に入国した。
だらだらズルズル空港の建物を移動しながら、なぜか私はあちこちきょろきょろしていた。それが旅行中についた癖、何か珍しいものを探すための動きだと気付いてちょっとおかしかった。こんなに疲れてるのに何やってんだか。

来た時とは逆のルートでまず上野に向かう。
「ちょっとお茶してから帰ります」という木戸さんと空港の駅で別れ、スカイライナーの指定切符を買った浅野さんとホームで別れ、途中の駅で秋山さんと別れ、とうとう一人になった。

上野駅に着き、売店のそばの喫煙コーナーでタバコを一本吸う。身も心も今までに経験したことが無いくらい疲れている。これに匹敵する疲れが今までにあったとしたら、それは、高校一年の時の柔道部夏合宿4日目の夜だな。ぼやーんとした頭で思った。

もう一息。ここで東武線直通の日比谷線に乗ってしまえば自宅に最寄りの駅まで一本だ。スーツケースを引きずりながら乗り換えのホームに向かう。
もう一息。上野駅は通勤で毎日乗り換えている駅だ。ここはもう毎日通っている通路だ。
もう一息、もう一息。
「家に帰り着くまでが遠足です」
小学校の校長先生の顔が脳裏に浮かんですぐに消えた。

南千住、北千住、竹の塚、草加。もう一息。
空はよく晴れていて電車の中は暑いくらいだ。

駅に着き、身重の妻に電話する。
妻が運転する銀色の車がロータリーを回りこんで来たころには、疲れた状態に体が慣れたのか、疲労はあまり気にならなくなっていた。

「おかえり、どうだった?」
「も、すっげぇ面白かった。人生で一番楽しかったかも」
「そりゃよかったよかったよかったねぇ〜」
妻が歌うように言った。ああ、帰ってきたな。

夕方、小学校から帰ってきた長男に「ただいま」とあいさつすると「よっ」と手を上げた。
早めに風呂に入り、上がってから発泡酒の缶を開ける。ビールではなく。
家族でブジキコクの乾杯。ちなみに夕食の献立はおでんだった。
ひょっとしたら本当に人生で一番楽しい8日間だったかもしれないが、それでもやっぱり間違いなく絶対確実に「うちが一番」なのだということを噛みしめた。

その後。
現地で約束した「写真交換会」は、年が明けて、2003年の3月に、島田さんの自宅で開かれた。島田娘さんだけは欠席だったが、他の皆さんは集合できた。
みんなが心配していた北岡さんは、間違ってベトナムへ行ってしまうこともなく、無事ウィーンで奥さんと合流したことを報告し、みんなの称賛を浴びた。
島田さん親子はあの翌日、イタリアへ向かうための飛行機に乗り、一度は飛び立ったが、途中で故障して引き返してしまったそうだ。
「ずいぶん早く着いたなーと思ってよく見たら元の空港なんだよ。参っちゃったよ」
その日の宿の手配やら何やら、ずいぶん大変だったらしい。楽しそうに話してたけど。

島田さんが用意してくれた料理を食べ、私と北岡さんとで秘蔵の日本酒まで(無理矢理)出させて、さんざん楽しんでお開きになった。
また集まることがあるだろうか無いだろうか。どちらにしても初めての海外旅行がこのメンバーで良かったな。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。ベルリンの朝はご迷惑をおかけしました、と、もう一回くらいあやまっとくか、念のため。

「オトーくん海を渡る」おしまい


あとがき的に

 というわけで、長い長い、そりゃもう嫌がらせのように長い旅行記もやっと終わりました。
第1回は去年の9月にアップしているから約9ヶ月の8日間の旅でした。
そう。こんなに長く書いているからマルコ・ポーロのように大冒険をしてきたみたいですが、実際の旅行は8日間だったのでした。「出発前に6回も書いちゃって、肝心の旅行の話が盛り上がらなかったらどうしよう」なんて心配していたのがなつかしい。だいたい「エレベーターで怖い顔のおばさんと会った」なんて話で1回使ってたら、そりゃ長くなるよなぁ。

とにも、かくにも。
これでおしまい。長い期間読んでくれた人は大変だったと思うけど、書くほうはもっと大変だったんだと思い知れっ。なんて捨て台詞を吐きつつ、「オトーくん海を渡る」これにて終了でございます。

ホントにホントは、読んでくれた皆様にはありがとうさまですね。

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