帰りの飛行機はホントに疲れた。
中で眠れればよかったのだが、どうにも眠れなくて、ぼんやりしたままほとんどの時間起きていた。
機内が明るい時は本を読んだりも出来たが、照明が落ちると周りの人は眠る体勢になるので、自分のところだけライトを点けておくのは何だか心苦しい。しかたなく自分も眠る体勢をとるが、やはり眠れない。
前方に設置された小さなテレビで映画をやっていて、なんとなく観ていたが、面白くもなんともなかった。つまらないんじゃなくて、面白いともつまらないとも感じないのだ。
軍隊時代に犯した過去の罪で逮捕された夫を、やり手弁護士である妻が助けようとする話で、普通の状態で観ればそれなりに面白いのかもしれないが、今のように疲れきっていると、映画の中で何が起こっても心が動かない。主人公がピンチになろうが、意外な真実が明らかになろうが、何も感じない。
結局最後まで観てしまったが、「疲れているのになぜか見続けてしまった自分」しか記憶に残っていない。題名は忘れてしまったが、もう一度観たらあの時の「疲れ」を体が思い出してしまいそうだ。
だが、しかし。そんな辛い時間もいつか終わり、飛行機は無事成田空港に到着した。こちらは朝の10時前だ。
もうなんだか疲れ切っていて、ダラダラ引きずるように飛行機を降り、日本に入国した。
だらだらズルズル空港の建物を移動しながら、なぜか私はあちこちきょろきょろしていた。それが旅行中についた癖、何か珍しいものを探すための動きだと気付いてちょっとおかしかった。こんなに疲れてるのに何やってんだか。
来た時とは逆のルートでまず上野に向かう。
「ちょっとお茶してから帰ります」という木戸さんと空港の駅で別れ、スカイライナーの指定切符を買った浅野さんとホームで別れ、途中の駅で秋山さんと別れ、とうとう一人になった。
上野駅に着き、売店のそばの喫煙コーナーでタバコを一本吸う。身も心も今までに経験したことが無いくらい疲れている。これに匹敵する疲れが今までにあったとしたら、それは、高校一年の時の柔道部夏合宿4日目の夜だな。ぼやーんとした頭で思った。
もう一息。ここで東武線直通の日比谷線に乗ってしまえば自宅に最寄りの駅まで一本だ。スーツケースを引きずりながら乗り換えのホームに向かう。
もう一息。上野駅は通勤で毎日乗り換えている駅だ。ここはもう毎日通っている通路だ。
もう一息、もう一息。
「家に帰り着くまでが遠足です」
小学校の校長先生の顔が脳裏に浮かんですぐに消えた。
南千住、北千住、竹の塚、草加。もう一息。
空はよく晴れていて電車の中は暑いくらいだ。
駅に着き、身重の妻に電話する。
妻が運転する銀色の車がロータリーを回りこんで来たころには、疲れた状態に体が慣れたのか、疲労はあまり気にならなくなっていた。
「おかえり、どうだった?」
「も、すっげぇ面白かった。人生で一番楽しかったかも」
「そりゃよかったよかったよかったねぇ〜」
妻が歌うように言った。ああ、帰ってきたな。
夕方、小学校から帰ってきた長男に「ただいま」とあいさつすると「よっ」と手を上げた。
早めに風呂に入り、上がってから発泡酒の缶を開ける。ビールではなく。
家族でブジキコクの乾杯。ちなみに夕食の献立はおでんだった。
ひょっとしたら本当に人生で一番楽しい8日間だったかもしれないが、それでもやっぱり間違いなく絶対確実に「うちが一番」なのだということを噛みしめた。
その後。
現地で約束した「写真交換会」は、年が明けて、2003年の3月に、島田さんの自宅で開かれた。島田娘さんだけは欠席だったが、他の皆さんは集合できた。
みんなが心配していた北岡さんは、間違ってベトナムへ行ってしまうこともなく、無事ウィーンで奥さんと合流したことを報告し、みんなの称賛を浴びた。
島田さん親子はあの翌日、イタリアへ向かうための飛行機に乗り、一度は飛び立ったが、途中で故障して引き返してしまったそうだ。
「ずいぶん早く着いたなーと思ってよく見たら元の空港なんだよ。参っちゃったよ」
その日の宿の手配やら何やら、ずいぶん大変だったらしい。楽しそうに話してたけど。
島田さんが用意してくれた料理を食べ、私と北岡さんとで秘蔵の日本酒まで(無理矢理)出させて、さんざん楽しんでお開きになった。
また集まることがあるだろうか無いだろうか。どちらにしても初めての海外旅行がこのメンバーで良かったな。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。ベルリンの朝はご迷惑をおかけしました、と、もう一回くらいあやまっとくか、念のため。
「オトーくん海を渡る」おしまい