長安を出て372日目。

「うふっ…うふふん」

「うふっ
…うふふふ。…
いや〜ん。そんなところを触ってはなりませぬ」

「おかしなことを。私は手綱をとっているだけだよ」

「うそでございます。ほらまた」

「うれしそうに見えるのは気のせいかな?」

「お坊さまのいじわる」

「よいではないか」

「なりませぬ」

「よいではないかよいではないか」

「なりませぬなりませぬ」

「よいではないかよいではないかよいではないか」

「なりませぬなりませぬまりませぬ、
人に見られます」

「人なんていないもーん。猿と豚だけだもーん」

「あら、うふふん」

「はぁ〜…なにやってんだろうなぁ、お師匠様は。
俺の頭にこんなわっかがはまってなきゃびしっと言ってやるんだけどなぁ。
おい豚よ。お前からお師匠様にはっきり言ってやってくれよ」

「はん?なにが?お師匠様がどうかしたか?」

「はぁ〜…
お前は脳みそにわっかがはまってるみてぇだな…」

「えっ!? わっかがはまってんの?おらの脳みそ?」

「ああ、はまってるよ。がっちりな」

「うえー!なんだか痛くなってきたぞ、なんだか」

「はぁ〜…
どこかにお師匠様に意見してくれる者はいないもんかなぁ。
毅然として、正しいことをはっきり言ってくれる、威厳のある誰か。
どこかにいないかなぁ〜」

「いや〜ん、おひげがちくちくするぅ〜」
「うっふっふっ、それそれそれ〜ん」
「いやいやいや〜ん」

「はぁ〜…」

「お師匠様、新しくこちらのお方に旅のお供に加わっていただこうと思っているのですが、よろしゅうございますか?」

「あたしゃかまわないよ。なんたって天竺まで行くんだからね。
供は多いほうが心強いってもんだよ」

「ご快諾いただきありがとうございます」

「聞けば、天竺まで、衆生を救うためのお経を取りに行く旅とか。
天より高きそのこころざし、感服いたしました。
わたくしのような若輩者を供に加えて、心もとなくはありましょうが、この身を粉にして、たとえ微力なりともお役に立つ覚悟でおりますゆえ、よろしくご指導ご鞭撻のほどをお願いいたしまする」

「はいはい。なんだか堅苦しい御仁だねぇ。あたしゃなんだか眠くなってきたよ。もういいかい?」

「はっ。お時間が許されれば、今後の旅のためにお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ふわ〜ぁあ。まぁ、かまわないけどねぇ」

「はい。
長安を出発してから一年余りとお聞きいたしまたが、それにしては、旅程がはかどっていないご様子。一年あれば、少なく見積もっても、この3倍の距離はかせげるはず。この遅れはいったいいかなる原因によるものでしょう?」

「そりゃあんた、道々妖怪は出るわ、砂嵐は吹くわ、鼠は子を産むわで、なぁ、なぁ猿に豚」

「雨も降りましたな」

「そうそう雨雨。雨はよく降ったなぁ」

「お師匠様が村の娘と遊ぶために出発を延ばしたこともありましたな」

「ああ、でもあの娘は結局…、こら猿。そういうことは言わなくてもよろしい」

「なるほど。
大願を成就するために、旅のあり方のようなものをもう一度考え直したほうがよさそうですな。
なに、案ずることはありません。
わたくしはそういったことではお役に立てると思います。今までそのようなことを生業として生きてまいりましたゆえ」

「そ、そうかい…そりゃ心強いね」

「それではこれまでどのような旅をなさってきったかお聞きしましょうか」

「ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」

「……ま、ん。いいでしょう。
問題点はおおむね把握いたしました。
大事なのはきのうまでよりあしたからです。

明日からはこういたしましょう。
まず。
朝は日の出とともに出発」

「えっ!日の出って?!
俺、ちょっと朝に弱くて、血圧がひ…」

「ぐるるるるるるるるるるる」

「あ、いや。ぜったいだめってわけじゃ…」

「それから、午前のおやつ、昼食後の昼寝、 
午後のおやつ。これらはすべて廃止とします」


「ええっ!?
おやつも食べないで歩くなんて、おら…」

「ご、ごはんはたくさん食べてもいいんでよね?ならがんばれるか、な…」

「でもあんた、それじゃ、一日中歩きっぱなしってことにならないかい?」

「当然です。旅ですから。
わたくしの計算によると、今までのやり方では、天竺に着くまでに30年はかかりますよ。
いいんですか?」

「そんなおおげさな…」

「よろしいですか?片道30年、往復で60年ですよ。加齢による体力の衰えを計算に入れればそれ以上の年月を必要とするでしょう。
生きて長安に戻れるとお思いですか?
すべては大願成就、そして、衆生を救うためなのです。
お師匠様も長安を出る時にその覚悟はできていたでございましょう」

「まぁ、そりゃあねぇ…」

「そうでございましょう。一緒に天竺へ参りましょう。そして、お経を持って、長安へ戻りましょう」

「そ、そうだねぇ」

「それから、お師匠様が連れている娘。あれとはこの村で別れていただきます」

「な!なにを!やっとわたし色に染め…」

ガリリリッ

「む、むぁあ、…そろそろ別れてもいいかなー、とは思ってたんだよねぇ。
執着心は御仏の御心に背くものだし…」

「ご理解感謝いたしまする。
それでは皆々様、明朝の旅立ちにそなえて就寝いたしましょう。
消灯〜消灯〜」

翌朝。

「さあ皆様の旅の第二章のはじまりです。元気を出して参りましょう。この一歩一歩が天竺へつながるのです。大願成就への一歩一歩なのです。はい!いちにいちに」

「ああ、寒い寒い。今頃のこんな時間はこんなに寒いんだねぇ。
ごらん、息が白いよ、はぁ〜はぁ〜。
寒い時に馬に乗ると腰が痛いよねぇ。不思議だねぇ」

「あ〜は〜寝ている間にわっかがとれたぞぉ〜、あ〜は〜は〜ふがっ」

「こんなに早起きしたのにお昼まで何にも食べられないのかぁ。地獄のようだなぁ」

ぐるるらおおおおおおおおおおおおお!!

「この怠け者のクズどもがぁっ!!」

「お前らみたいな腐った奴ら、千年経っても天竺になんか着けるもんかぁぁぁっ!!
そこらでのたれ死ねええっ!!」

ぐぅわぁおおおおおおおおお!!

ドドッドドッドドッドドッ

「やれやれ、ずいぶんな言われようだねぇ」

「悪いお方ではないのでございましょうけどねぇ」

「お師匠様、こっちの丸いお菓子も甘くておいしゅうございますよ」

「おや、そうかい。どれ」

「猿のアニキ、あいつの肉球見たか?すげーの」

「え、ホント?見なかったよ。くっそー」

天竺への道は、
道は…
ぐるるるる…

(C)2005 OTO



ハゼパの書
オトーラの書TOP