活字の子

コモエスタうすらバカ
東陽片岡(著)  青林工藝舎

2012.4.14



その昔、何を思ったのか「月刊ガロ」を読んでいた時期があって、その時期に年間新人賞の佳作を受賞したのが古屋兎丸と東陽片岡だった。
受賞後、ふたりの作品はガロでコンスタントに読めるようになり、作風はまったく違うが、私はどちらも好きで楽しみにしていた。

いつしかガロを読まなくなった私だが、この二人の名前は覚えていて、古屋兎丸が、ガロの頃とはまったく違う作風の仕事で話題になった時は若干複雑な心境になるとともにこう思った。
「で、東陽片岡はどうしてるんだ?」

月に一度、給料日にソープランドに行くことを人生唯一の楽しみにしている製本所のおっさんの話とか好きだったなぁ。また読みたいなぁ。
と思いながらネットで検索してみたがヒットせず、ああ、やっぱり今時はこれでもかってくらいかわいい少女を描けないと漫画の世界では生きていけないんだなぁ、とちょっと哀しくなった。

ところが先日。
暇を持て余した日曜の午後、散歩帰りに近所の書店に行き、この本を発見したのだった。

『コモエスタうすらバカ』東陽片岡。

そして知った。東陽片岡先生が何冊も本を出していたことを。
そして私が(たぶん)「東洋片岡」で検索していたことを。
私はレジに走り、家に走り、読み始めた。
やっぱ凄ぇや。
ひとコマの絵の密度がずっと高いところが凄い。
セリフのリズムが読み易い。しかも全部手書きの味わい深さ。
市井の名も無い人々の生態を描いているようで、時に三億円事件の真相に迫るような社会派(?)の話があるのが凄い。
いやホント。どれも面白いけど、この三億円事件の犯人の末路を描いた一作は特に面白かった。笑い、そしてなんだか身に詰まされるものも感じた。
これはきっと東陽片岡の漫画でしか味わえないものに違いない。

メビウスの後に東陽片岡の感想をアップして落差の激しさを狙ってみたが、実は日本の普通の漫画より東陽片岡のほうがメビウスやバンドデシネに近いような気がしてきた。
絵の密度の一定感とか、変な奴が唐突に現れるとことか。
最近の日本の普通の漫画(って何だ?)をほとんど読めなくなっている私(『ONE PIECE』全巻』全巻読破に2度チャレンジして、2回とも第8巻あたりで挫折)が偉そうに言うことじゃないけどさ。

かわいい少女が出て来なくても、仲間のために命がけで闘うような、子供ながらあっぱれな少年が出て来なくても、東陽片岡でなければ味わえないものを描いてる間は東陽片岡は生き残るんだ。きっと。


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