活字の子

木村政彦は
なぜ力道山を
殺さなかったのか

増田俊也(著)   新潮社

2012.3.20

自主的に「冬休みの課題図書」に選定していたが、年末年始は怠惰な生活に押し流され、3月も半ばになってやっとこさ読了。
各地で高評価のようだが、いやほんと、面白くてためになる。何より著者の情熱が伝わって来るいい本。2段組み700頁のヘビー級。
語られる物語の時間的な長さと奥深さを考えればこの物量は必要だったのだろう。


柔道経験者でプロレス好き、格闘技好き、本好きの私にはもうたまらない立派な本。背の書名が三行って。もうたまんない造り。
電子書籍をいくら読んでも得られないであろう読後の充実感(全然関係ない話だけど、電子書籍端末には「あなたはこれだけ読みました」ってメーター表示を着けるべきだと思う。車であるじゃん、総走行距離とか、ある条件の距離がわかるやつ、ああいうの。あるのかな?そういうの。使ったことないからわからん)。


ジャイアント馬場が登場する冒頭から名人の寝技のように引き込まれるが、読みながらいろんなことを考えもした。
人はなぜ格闘技を欲し、惹かれるのだろう。


進化の歴史のような本でもある。格闘技の。
柔道は今ある柔道では無かった可能性があった。


私は中学、高校、大学と十年間柔道をやっていたが、それは正確には、「講道館柔道」と呼ぶべきであるということを、この本を読んで初めて知った。
柔道=講道館柔道では無いということも初めて知った。
しかも現在の講道館柔道が、講道館柔道の模索の一つでしかないということもこの本を読むまでは知らなかった。気にしたことも無かった。


大きな大会の前におじさんたちが演じる「型」には、当て身や、刃物に対応する技があったが、これから試合に臨もうという緊張しきった選手には、その、約束されたのんびりした動きに、感じるものは何も無かった。むしろ失笑していた。


もしも柔道が現実にたどって来たのとは違う進化の道を歩んでいたら。
そしてそこに自分が身を置いていたら。


顔が変形するようなことになっていただろうか。
もっと厳しい性格になっていただろうか。
厳しさに耐えられなくてあっという間に逃げ出して、ふにゃふにゃな、今よりずっと、どうしょもないくらいふにゃふにゃな人間になってしまっただろうか。
そんなSF的な風味を勝手に加えつつ読んでいた。
すると。
木村政彦。
力道山。
大山倍達。


格闘技界の伝説の(そして生身の)英雄と、ほんの少しだけ。
ほんのほんの少しだけれども。
自分の人生と、まったくのまったくは無縁ではないのだと感じることができた。


そして本書の価値を決定的にしたのは最終章の最後に書かれた衝撃の(ホントにびっくりしました)事実。
いやびっくり。
そして読者は知るのだ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」。


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