活字の子

ネットカフェ難民と貧困日本 

水島 宏明(著)  日本テレビ放送網
2008.3.2


小松左京の『日本沈没』は、映画やテレビ番組になったが、どちらでも、日本沈没が進行するにつれ、日本列島が形を変えてゆく状況を俯瞰で捉えた映像が挿入されていた。

見慣れた日本列島が姿を変える過程は、映像としてとてもインパクトがあるものだった。

私はこの、『ネットカフェ難民と貧困日本』を読んで、日本は沈没し始めてるんだな、と思ってしまった。

宇宙から見たら、日本列島はもう見慣れた形をしていないんじゃないかと思ってしまった。

海岸線というものは時々刻々と変化しているものだが、沈没により急激に姿を変えた海に放り込まれたのがネットカフェ難民と呼ばれている人たちなんじゃないだろうか。

泳ぎ続けなければ沈んでしまう場所に放り込まれた人たち。

こういう本を読んで身に詰まされるのは、もう少し海岸線が上昇したら自分の足も濡れてしまうと思っているからだろう。
自分の足も家族の足も。
高いところに住んでいる人には決してわからないこの恐怖感。

『日本沈没』では、人々を救おうという試みが政府レベルで必死で行われるが、今の首相は難民を見て、「海が好きな人たち」とか言いそうだ。

ネットカフェ難民の実態にもショックだったが、「貧困ビジネス」と「貧困の固定化」というふたつの言葉が、読んでいて気になった。

ネットカフェも日雇い派遣会社も、「貧困ビジネス」は、客としての貧困層を必要とする。
でも、他にも貧困層を必要とする者がいるんじゃないだろうか?

アメリカ合衆国の貧困層が、例えば、形式上は志願してかもしれないが、軍人として戦場に送り込まれてるなんて話を聞くと、生活保護を受けにくくしているお役所の恥知らずな所業も、何者かの思惑が働いてるんじゃないかと勘ぐりたくもなってくる。

悔しく情けなくもあるが、働く者は弱い。
鬱の果てに過労死する正社員も、日雇い派遣で夜は足を伸ばして眠ることも出来ないネットカフェ難民も、逃げ場の無い海岸線の住人だ。潮が満ちれば身体を濡らす運命だ。

「自己責任」だのなんだの言葉を弄して問題を片付けようとする者の、なんと浅はかで、想像力の無さ、そして卑劣な振る舞いよ。

人は人として扱われなければ人でなくなる。

ナチスの強制収容所で生き残った人の言葉だ。
足を伸ばして眠ることが出来ない生活を一年二年続けた人がどうなるか。
そういう「層」を必要としているか?
そういう「層」を必要としているのは誰だ?

想像力の無さが社会を壊す。


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