キシワタリ天涯地 5 (C) 2012 Otora




「あそこね、茶色いマンションの前が登校班の集合場所」

「はい」

「月曜日からは7時50分にあそこに集合してみんなで登校ね」

「はい」


「明日美の頃はうちのすぐ裏だったんだけど、裏の家がおっきい犬を飼い始めてね。
一年生の女の子が怖がっちゃって。
それでちょっと遠くなっちゃったの。

その犬ももう死んじゃったけどね。集合場所は変わらずで。
まぁその分学校に近づいたから歩く距離は同じっちゃー同じなんだけどね。
二分くらい家を早く出なきゃなんだ。ふふ、にふんくらい」

「はい」

「……」




「さっ!
とうちゃーく。
ここが我が家」

「はい」

「…渉君?」

「はい」


「遠慮なんかしないでね。
ありきたりな言い方だけど。
今日からはここを自分のうちだと思って。
のびのびしていいのよ」

「はい…」

「自分の…

5


(このあたりって…もう)
………
(…誰も…?…)








ザザザッ、ザザッ、

スコッ、スコスコッ
ガキッ、ガキッ



ガチ、…

ギッ、ギッギッギッ…







トトトトッ、
「わたるちゃ~ん」
「わたるちゃんわたるちゃん、
わたるちゃ~ん、」

「ピッ」





「おーっ!、大きくなったけど渉ちゃんのほっぺだぞ。うんうん」


「元気だった~?覚えてる~?
明日美おねぇちゃんだよ~」

「あ、い、いいえ」

「覚えてるわけないでしょー、赤ちゃんだったのに。
あんただってあの写真でしか見たことないでしょ」

「あはは、ごもっとも」



「この部屋使ってね。
お父さんの部屋なんだけど単身赴任でずっと帰らないから遠慮しなくていいのよ。
部屋にある物も自由に使っていいのよ」

「はい」









ゴトッ…




ゴッ  ゴッ、ゴッ。…

(ミサト…、オレヲ、ダセ)

「今はだめ」





ゴッ、
ゴッ、ゴッ、ゴッ、

「やめなさい。                    
落ちてビンが割れたら二度と戻れないんだよ。
そのまま死んじゃうんだから」


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ





「やめなさいったらっ!」






「あの、…
「…これ、聴いてもいいですか?」

「え?お父さんのCD?
もちろん。
どれでもお好きに何度でも聴いていいわよ」
「渉君、そういうの好みなの?
渋いわね。

なんかお父さんの好きな歌って変わってんのよねぇ。
渋いっていうかマニアックっていうか

あ、使い方わかる?」

「はい。大丈夫です」






『いつか  指先が』 
 

全曲作詞・作曲:河岸 未優里



 1.生まれてから何度か笑ったことがある


 2.全身麻酔


 3.人智に限りあるは幸いである


 4.蜥蜴の切腹


 5.瓶の中


 6.すべての無念のために


 7.天使エレイン


 8.いつか神の指先が







「あの赤ちゃんがみっちゃんの子?だっこしてる方は?」
「埼玉の親戚だって。聡ちゃんの奥さんの何かだって」

「さとしちゃんて?」

「やだ倫子ちゃんのお兄ちゃんよぉ」

「あいつさとしってんだっけ?
なんか覚えらんねぇな、影薄いんだよなぁ。
そうかぁ、埼玉なんて遠くからなぁ。
そういえば倫子ちゃんの旦那、なんつったけ、ええと…」

「将吾さん?」

「そうそう将吾。見かけないねぇ」

「来てないもぉん。見かけるわけないよぉ」

「はぁん。お義父さんの葬式だっつのになぁ」

「あたしはあの人苦手だからいいけどさ。何か怖くて」

「ああ、俺もちょっと。まったくの堅気にゃ見えねぇもんな。
しかし、倫子ちゃんもどこであんな男と知り合ったんだろうねぇ」

「言わないらしいわよ」

「倫子ちゃんも体弱いからなぁ、なんかあったらあの子ひとりぼっちになっちゃうんじゃねぇか?
俺は心配だなぁ」

「縁起でもないこと言わないでよ」
















「ほぉらやっぱり。あたしの言ってたとおぉりになっちゃった」

「なんだよ言ってた通りって」

「繁六おじさんのお葬式の時に私が言ったじゃない。
倫子ちゃんにもしものことがあったらあの子ひとりぼっちになっちゃうって。
お父さんも堅気じゃないからどうなるかわかんないよって.
ぜぇ~んぶあたしの言った通りになっちゃったじゃない」

「お前そんなこと言ったっけ?」

「言ぃったじゃない」

「あの子、いくつだ?」

「繁六おじさんの時に赤ちゃんだったから、十かじゅういちってとこじゃない?」

「ふぅん。お父さんは、なんてったけええと…」

「将吾さん」

「そうそう。いつ出所するんだ?」

「知らないわよぉ。でも出てくるまであの子、聡ちゃんとこで預かることになったらしいわよ」

「さとしちゃんて?」


いつか

神の

指先が


あの子を掬い上げる

暦が果てるその前に



必ず神の指先が

あの子を掬い上げる

泥の底の底の底から


いつか

いつか

指先が







坊や、将吾さんの息子か?


お母さんは?


そうか。
悪いこと訊いちゃったな。かんべんな。
うー、今夜は寒いな、坊や。
坊や、ひとりで住んでるのかい?

そうかい。
もう高校かい?

中学生か。えらいな、えらい。
中学生かぁ、そうかぁ。
寒いなぁ。寒い
なぁ坊や、坊やもやってるのかい?あれ。

将吾さんのやってたあれだよ。
あれは俺が見たとこ柔道じゃないな。
柔道なら俺もやってたからわかるんだ。
あれは何かもっとこう、実戦的なやつだ。


古武道?坊やもやるのかい?


じゃ、喧嘩も強いんだろうな。


ははは。
気が弱そうに見えるけど、やっぱり将吾さんの息子だな。
坊や、その年でひとりぼっちで生きていくのは心細いだろう、
どうだい、俺に面倒見させてもらえねぇか?


…坊や。
ずいぶんはっきりものを言うね。

…お父さんが帰ってくるか、連絡があるかしたらここに…
電話してくれよ。
きっとだぞ。約束したからな。


また来るよ。











入学手続き、しなかったそうね。
もう高校へは行けないのよ。わかってるの?

でも、これがあなたの中学生活の結果。
先生が心配してた通りだわ。
あんな生活態度では。
先生何度も助けようとしたのだけれど。
あなたはまったく聞く耳持たずだったわ。

でも最後に先生助けてあげる。
仕事を紹介してくれるところを教えてあげるから行ってみなさい。









お父さん、…なんか事件に巻き込まれたんだって?

いや、うちにも刑事さんが来てね、そう言ってるんだよ。

でね、いや、刑事さんが言ったんだよ。
もしかしたらもう、って刑事さんがね。
かわいそうだとは思うけど。
うちもほら、家賃がほら、あれで、借り手もなかなかね、




だから、ねぇ。ホントに気の毒だよねぇ。







中卒の募集は無いなぁ。
今時はちゃんとした大人だってなかなか仕事なんて無いんだよ。

なんで高校行かなかったの?
学校の先生に相談してみたら?









暑いなぁ。暑い。

坊や…。
坊やなぁ。
おじさんとの約束、忘れてねぇよな。
俺は将吾さんのこと悪く思えねぇんだ。
だけどな、俺もひとりで生きてるわけじゃなくてなぁ。

おじさんは見た通り優しい普通の人だけど、
世間にはとてつもなく怖い人や、
なんていうか、気の荒いひともいるわけだ。

もうこんなに暑い季節だしな。
おじさんもちょっと焦ってきてるわけだよ。

わかるよな、そういうの。もう高校生だし。


え?


…そうか。
まぁ、そんなこともあるよな。


また来るよ。
でも次に来る時はおじさんひとりじゃないと思うよ。



いつか神の指先が

お前の胸を刺すだろう

恥じることなく生きたかと


まっすぐ胸を刺すだろう







みさと、











なんだか昏くなってきたみたい
昏くなったらあの人
死んじゃうよ




ガサッ…、






つづく





キシワタリ天涯地 5  2012. 3.4

絵の書もくじ
オトーラの書TOP