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金八先生と僕 前編

2003.8.21




 今でこそテレビにあの顔が映っただけでチャンネルを変えてしまうくらい鬱陶しくてしょうがない武田鉄矢であるが、昔のある時期はいくらか好きだったころもあった。
その時期というのがいつごろかというと、「母に捧げるバラード」が売れて、世の中の人が武田鉄矢という名前を知ったその頃だ。

そのころ私は小学生だったが、武田鉄矢は「面白い歌を歌う人」として認知された。
小学生は面白い人が好きだ。それがドリフターズあれ、コント55号あれ、よく聞けば方言がコミカルなだけの歌であっても、笑えればそれでいいのだ。
というわけで武田鉄矢も「面白い」というカテゴリーに入れられ、そのため「好きな人」ということになった。
なったのだが、武田鉄矢はいつの間にかテレビで見かけなくなり、せっかく芽生えた私の「好き」という淡い感情も、どこにもやり場の無いまま虚しく漂うばかり、ということになってしまった。

そんなある日。といっても武田鉄矢を知ってから四、五年経って、私もすでに高校生、という時間感覚めちゃくちゃな「そんなある日」だが。
新聞である記事を見つけた。それは武田鉄矢が中学校の教師役をやるドラマが作られる、という紹介の記事だった。
ひどくうれしかったわけでもないが、自分の中で「面白い人」に分類されてそのままになっていた武田鉄矢が教師役、ということで、勝手に学園ドタバタコメディーを想像して、ちょっと楽しみになった。

しかし、なぜか。
武田鉄矢主演の学園ドタバタコメディー(と勝手に私が思っているドラマ)は、いつになっても始まる気配が無かった。時々新聞記事のことを思い出して「いつ始まるんだろう?」と思うこともあったが、まぁその程度だった。

その頃私は高校の柔道部員だったが、ある日の練習の後、同級生の部員の話し声が聞こえてきた。
「きのうのキンパツ先生でよぉ…」
何かのテレビ番組の話のようだった。
金髪先生?
いやもう、ベタな聞き間違いで恥ずかしいったらないが、ホントにそう聞こえちゃったのだ。

どんな番組だ?金髪先生。
同級生たちから少し距離をおいていろいろ想像してみる。
金髪で先生って…。

最近とは違い、当時のニッポンでは髪を金色に染めるのはあまり一般的ではなかった。
金髪といえばまず外人、でなけりゃ水商売関係、さもなきゃマグマ大使、というのが私の認識だった。せいぜいビゲンヘアカラーで白髪を栗色に染める程度、というのが当時の日本人であった。
「金髪」の「先生」とくれば外人(多分女)の教師が主役の学園(ドタバタコメディー)ドラマ(若干お色気シーンあり)だと私が思ったとしても誰が責められよう。
そしてその前提の下に同級生の話に斬り込んで行ったとしても誰がその行為を笑うことができましょう。

てなわけで、同級生からさんざんバカ呼ばわりされながら聞いたところでは、「キンパツ先生」じゃなくて「金八先生」、武田鉄矢主演の学園ドラマで、放送は毎週金曜日の夜八時ということがわかった。
なるほどなるほど、これがあの時新聞で読んだドラマだったのだ。
謎はすべて解けた。放送が始まったことに私が気付かなかった謎も。
同級生は、私が「金八先生」を観ていないどころか知りもしなかったことが信じられないと呆れていたが、私には私の事情があったのだ。

そのころ金曜夜八時といえばワールドプロレスリングの放送時間である。
家庭用ビデオデッキがまだまだ普及していなかった当時のこと、私にとってプロレスの裏番組など存在しないに等しい。「どちらを観る」と比べることすら汚らわしい。

後に初代タイガーマスク人気などで大ブームを巻き起こす新日本プロレスであったが、そのころはタイガー・ジェット・シンや、ダスティー・ローデスなどが来日し、時々異種格闘技戦などが行われていた時代だったと記憶している。
後の大ブームの礎を築いていた大事な時期だったのだ。そんな時に何が悲しくて学園ドラマなど観なくてはいけないのか。
しかも聞くところによると「ドタバタコメディー」どころかシリアスなドラマらしいではないか。だからこそ観ろとやつらは言うが、シリアスな学園ドラマなど私にとって何の価値も無い。
猪木の延髄斬りを、シンのサーベル攻撃を、ローデスのエルボーを見ずに、なんで悩んでる中学生なんか見なけりゃいけないんだ、冗談じゃない。

ちょっと興奮してしまったが、そんな事情なので、私がドラマ「金八先生」を観たのは夕方の時間帯に再放送されるようになってからだった。
そのころはなんだか「観なきゃいけないドラマ」みたいなムードになっていて、「試しに」というような気持ちで観てみたが、やはりシリアスな学園ドラマは私には合わなかった。
チィ坊が妊娠しようが、マッチが長ランを着て歩くシーンで甲斐バンドの曲が流れようが、まったく私の心を捉えることは無く、結局何回も観ずに私と「金八先生」の関係は終わった。

と、思ったのだが、「金八先生」くらいの超人気ドラマになると、こちらが関係を断ったつもりでもぐいぐいと人生に喰い込んでくる力を持っているものだと思い知らされたのは私が高校3年生の時だった。

後編に続く


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金八先生と僕 後編

2003.8.22




 前編のあらすじ

武田鉄矢主演の学園ドタバタコメディーが放送されるとてっきり思いこんでいたオトーであったが、いつまでたってもそんな番組は放送されなかった。
ある日同級生の会話からその番組が「金八先生」というタイトルで放送中であることを聞かされたが、放送時間が金曜夜八時であることを知るに及んで、視聴を断念せざるを得なかった。金曜夜八時はプロレスの放送時間だったのだ。しかも聞けば「金八先生」は、ドタバタコメディーどころかシリアスな学園ドラマらしい。
すっかり観る気が失せてしまった高校生オトー。しかし世間の風は「金八先生」を観ないで生きている者に冷たかった。
しかたなく再放送を観るが、ちっとも面白くない。
最近ではすっかり酒飲みキャラとなった杉田かおるが妊娠してみせようが、「人」という字は人と人がどーしたなんて話を聞かされようが、面白く無さは変わることがなかった。
やめたやめた。もう「金八先生」なんか観るもんか。世間のやつらにどう思われようと俺は俺だ。腐ったみかんでけっこうだね。あーけっこうだとも。
こうして「金八先生」と縁を切ったオトーであったが、彼が高校三年生になった時、再び「金八先生」が彼の人生に襲いかかって来たのであった。
あらすじ長いよ。

高校三年の時にT君という友人がいた。
T君は、私の前の席だったが、とてもおしゃべりで、授業中でも真後ろを向いて私に話しかけてくるくらいだった。
高校にはおしゃべりしてもいい授業というのがあって、あ、いや、いいんじゃなくていくらおしゃべりしていても前方では勝手に授業が進んでいく授業というのがあって、そんな時T君は授業中ほとんど前を向くことなく話し続けた。
彼は話がとてもうまく、しかも自分の好き嫌いの気持ちを情熱込めて話すので、本当は勉強に打ち込みたい私もついつい彼の話に引き込まれてしまうのであった。

そしてある日のそんなおしゃべりしてもいい授業(生物だったが)でのこと。
授業が始まるや否や振り向いたT君は、いつにも増した情熱で話し始めた。色白でぽっちゃりした頬が紅潮していたかもしれない。
「ねえねえねえねねねね、きのうの『金八先生』観た?観た観た?」
そのころ「金八先生」はパート2だか第2部だかになっていて、それも前作に負けないくらい人気番組になっていたのだ。
しかし放送は相変わらず金曜夜八時だったので私の目に触れることはなかった。
「観てにゃー」
「うそー。信じらんにゃー。普通観るらー」
なんて静岡弁で言ってるT君であるが、「金八先生」の第2部が始まるまでは、振り向いて話す話題の中にプロレスネタもあったのを私は忘れていない。猪木の物まねとかやってなかったか、こいつ。
しかしT君は、私が「金八先生」を観ていないことには言葉ほどはこだわっていなくて、とにかく自分が観た感想をしゃべりたいようだった。
「じゃ、ぜんぜん知らにゃー?どうなってるか知らにゃー?加藤がどうなったのかも?」
こっちは加藤が誰かも知らない。
T君の話が始まった。
加藤がどんなやつで、どんなふうに金八先生やその生徒たちと関わってどんな事件が起こっていったのか。
繰り返しになるが、T君はとても話がうまくて、手際よく状況をまとめて話してくれた。
なんだか私のイメージしていた金八先生とは違って、ハードでバイオレンスな展開になっているようだった。
今までのいきさつをわかりやすくまとめたT君の話は、いよいよドラマのクライマックスに突入して行った。T君の描写も、より詳しく具体的になる。
放送室に立てこもった加藤たちや、説得を試みる先生たちとのやり取りも、熱のこもったセリフで再現していく。

「で、結局警官が踏み込んじゃうんだけど、そこでスローモーションになって、中島みゆきの歌がかかるんだよぉ。シュプレヒコールが何とかって歌」
T君はもう陶酔の表情である。
「金八がパアーンパアーンってビンタくれて」
T君の手も空中をビンタしている。
「二人の首をガッと抱えて」
T君の両腕もガッとなっている。
「お前らは俺の生徒だぁ!」
もう私に説明しているというよりきのうの金八になりきっている。
これだけ身振り手振り混じえて、何より情熱を込めて語られると、こっちもビデオで観ているようにシーンが思い浮かんでくる。
「警官が踏み込んでスローモーションになって…」
巻き戻ったりしてる。
T君は今は生徒たちになって、つかみかかる警官から逃れようともがいている。スローモーションで。
「ここで中島みゆきの歌が…俺中島みゆきって好きじゃなかったけど…あの歌は…いいんだよお…
シュプレヒコールがー♪」
彼は感動のあまり、きのう初めて聴いた歌をうろ覚えで歌い始めた。スローモーションでもがきながら。
「♪とおりすぎてーシュプレヒコールがーとおりすーぎてーシュプ」バコォッ!
 いつの間に忍び寄ったのか、T君の後ろには生物教師が立っていた。たった今T君の頭をはたいた黒表紙の出席簿を胸の前に抱えた生物教師が。

彼は非常におとなしい、大学出たての非常勤講師で、それゆえ我々になめられていたのだが、その時の彼は、唇を震わせて、言葉にはできないが大変な怒りと屈辱を感じている様子だった。
悪かったなー。こんなにおとなしい人を怒らせてしまって。
私はなんだかかわいそうなことをしてしまったと後悔した。
しかし陶酔の時間を切断されたT君は、右手で後頭部を押さえながら振り向き、こう言った。
「なにするだあ」

その後、反省した私は生物の授業をまじめに受けるようになった。受けるというより、積極的に質問したり、先生とやり取りするような態度で授業に臨んだ。
後にも先にも私の人生であれほど積極的に学校の授業に関わったことは無い。
T君も含めて何人かの生徒は面白がって、私と同じように授業に関わっていったが、その他の生徒は相変わらず好き勝手にしゃべっていた。
しゃべっていたが、歌ってはいなかった。
そう。この授業はおしゃべりはしてもいい授業だが、歌ってはいけない授業だとあの時みんなで学習したのだ。
生物教師(後にふとん屋の倅であることが判明)は、積極的に授業を受ける私に好感を持ったのか、放課後、校庭で見つけた珍しい虫をビニール袋に入れて、私に「ほら」と見せに来たことがあった。
ナナフシみたいな虫だったが、「ほら」って言われてもそれがどのくらい珍しいのか私にはわからない。彼は「ほら」と言ったきりニコニコ虫を見ている。「やるよ」とか言ったらどうしようかと思ったが、彼はせっかく見つけた珍しい虫を人にあげる気はないようだった。

えと。
金八の話か。もうどうでもよくなっちゃったけど。
後からわかったことだが、あの時T君が話してくれたエピソードは金八先生の中でも傑作と言われているらしく、大人になってからも、誰かが金八先生の話を始めると、必ず「加藤」とか「腐ったみかん」といった言葉が出てくる。
中島みゆきを好きじゃない人も「世情」だけは知っていたりする。「金八先生のあの曲」として。
そんな人たちと適当に話を合わせられるのはすべてT君のおかげだろう。
ありがとうT君。
ホントにホントにどうでもいいけど。

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ひでとくん

2003.8.31



高校三年生の時。
ひでとくんが僕の隣にやって来た。
それが出席番号順の並びだったのか、くじ引きかなにかの結果だったのか忘れてしまったが、とにかく僕の左隣の席にひでとくんがやって来た。

ひでとくんと同じクラスになるのは初めてだったけど、僕はひでとくんを知っていた。ひでとくんは有名だったから、僕だけじゃなくて、学校中が密かにひでとくんを知っていた。
なぜ「密かに」だったかというと、ひでとくんは「悪い子」だったからだ。

「悪い子」といっても、教室の扉に黒板消しを挟んでおくとか、お友達の上履きをすのこの下に隠してしまうような「悪い子」じゃなくて、屋根の上で赤いランプがくるくる回ってる自動車に乗せてもらえるような「悪い子」だった。

一年生の時にひでとくんと同じクラスだった僕の友達の話では、ある日ひでとくんを職員室に呼び出した担任の先生が、ひでとくんの余罪を追及しているうち、あまりにいろいろなことをやらかしていたので、最後にはあきれて「お前は放火と殺人以外はなんでもやってるんだなあ」と言ったらしい。
そして職員室から出てきたひでとくんは「放火はやったことあるんだよなぁ」とつぶやいたらしい。
すべては聞いた話で、本当かどうかはわからない。
この話が本当なら、ひでとくんは人身売買や武器の密輸もやってたことになるけど、そんなことはないと思う。でも本当はどうかわからない。

僕にこの話を教えてくれた友達はひでとくんとも仲良しで、
「ひでとはホントはすごく頭がいい」
「ひでとはまじめになった」
ということも教えてくれた。

友達の言うとおり、ひでとくんはまじめだった。
なにしろ毎日学校へ来た。
「出席日数」というものについて先生からお話があったようだ。
おとなしく授業を受けていた。
ただ、高校生にしてはおでこの両側が鋭角的にハゲていたのと、眉毛が極端に確認しにくいのと、学生服の裾がすごく短かくて、袴みたいなズボンを穿いていたのが僕にはちょっとだけ気になったかな。

そのころの僕はお絵かきが好きで、授業中もよくノートにマンガの絵を描いていた。僕のノートはマンガだらけだった。
ある日の授業中、いつものようにノートにお絵かきしていると、左側からの視線を感じた。
ひでとくんだった。
ひでとくんは僕のノートをじーっと見つめてから訊いてきた。
「何だそれ?」
僕は答えた。
「ザク」

「何だそれ?」
ひでとくんはもう一度訊いた。ひでとくんはモビルスーツを知らなかった。
僕は教えてあげた。
ちょうどそのころガンダムの再放送をやっていたのでそれも教えてあげた。
ひでとくんの目が見る見る冷たくなっていった。
「お前そんなの見てんのかよ」
ひでとくんはため息をついて前に向き直った。
僕はザクの腕の形が気に入らなかったので消しゴムで消した。

それからしばらく経った日の授業中。
僕は左わき腹をつつかれた。ひでとくんだった。
「なあ」
「何?」
「なぜシャアだけ赤いのに乗ってんだ?」

僕は2秒間絶句した後ひでとくんに「赤い彗星」のことを教えてあげた。
「ふうん」
聞き終わってひでとくんは前に向き直った。ひでとくんはまじめな顔で授業に集中しているように見えた。でも違った。
しばらくして僕はまた左わき腹をつつかれた。
「じゃあ、なんでアムロはあんなに強いんだよ」
僕が教えたように「赤い彗星」がそんなに凄いのなら、対等か、時にはそれ以上に戦っているアムロは何なんだ?と、まじめに考えていたようだ。
「ひでとはまじめになった」
友達の言葉が頭の中によみがえった。
僕はひでとくんに「連邦のモビルスーツ」のことや「ニュータイプ」のことを教えてあげた。
「ふうん」
ひでとくんは前に向き直った。今度こそ授業に集中できるだろうか。
できたようだ。その日はもう、授業中に左わき腹をつつかれることはなかった。
しかし、そのころからひでとくんは、授業が終わると僕のノートを見たがるようになった。
そして自分が知らないものが描かれていると、「これは何だこれは何だ」と訊いてきた。
そのたび僕は教えてあげた。
「グフ」「ドム」「ズゴック」。
そろそろいいかな、と、「ビグザム」を描いてモビルアーマーというものについても教えてあげた。
でも、家でビグザムの絵を練習してきたことは教えてあげなかった。

ひでとくんは、僕の絵を見てたった一度だけ、「かっこ悪いな」と言ったことがあった。
「何だこれ?」と訊くので教えてあげた。
「…お、俺が考えたモビルスーツ」
一瞬にしてひでとくんの目つきが険しくなった。
一年生や二年生のころは毎日こんな目つきだったのかもしれない。

しばらくそんな日々が続いた後の授業中。僕はまたまた左わき腹をつつかれた。
ちょっぴり得意そうな顔をしたひでとくんだった。
自分のノートを僕の方に向けて、開いたページをシャープペンのお尻でトントンと叩いている。
ザクが描いてあった。
しかもシャア専用ザクだ。鉛筆描きだけど頭のツノでわかる。
マシンガンを構えたザクは、よく見るとちょっと部品が足りないような気もするが、絵としてはしっかりしていて、くやしいけど、僕よりうまいくらいだった。

「ひでとはすごく頭がいい」
「ひでとはまじめになった」
僕は友達の言葉にもうひとつ付け加えた。
「ひでとは絵もうまい」

ある日、何かのテストが返された時、ひでとくんは自分のテストをじーっと見てから右手を僕のほうに出し、
「ちょっと見せてみるかい?」
と言った。「お前のテストを見せてみろ」という意味だけど、ひでとくんはよくこういう言い方をした。
僕は言われるままに自分のテストを渡した。テストの点を人に知られるのをいやがる人もいるけれど、僕はぜんぜん気にしなかったし、その時はかなりいい点だったから、進んで見せたいくらいだった。
僕のテストを見たひでとくんは、「う」というような顔をして、しばらくながめてから黙って僕に返した。
「ちょっと見せてみるかい?」
今度は僕が言ってひでとくんのテストを受け取った。
まあそんなに悪い点じゃなかったよ。

その後、ひでとくんとは、テストが返って来るたびに見せ合うようになったけど、何度か見せ合っているうちに、僕とひでとくんはだいたい同じくらいの成績だということがわかってきた。
理系の教科はひでとくん、文系は僕がややリード、って感じだったかな。
「ひでとはすごく頭がいい」を「ひでとは平均よりやや頭がいい」に書き変えたよ。
もちろんこの「頭がいい」の基準は、僕たちの高校でってことだけど。
一、二年生で悪いことばかりしていたことを考えればよくやっていたと言えるのかもしれない。
でもそんなことは僕たちの勝負には関係なかった。

そんなふうに毎日を過ごしていたら、やがて卒業の日がやって来た。
ひでとくんは就職、僕は進学が決まっていた。
ふたりとも特にさよならも言わずに教室を出た。
それ以来ひでとくんとは会っていない。


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秋の恐怖シリーズ 1
 世界一怖い便所

2003.9.25



私はとても怖がりの子供であった。
どれくらい怖がりだったかというと、夜ひとりでトイレ、いや、「便所」に行けないくらいの怖がりだった。
幼いころは母親を起こして同行してもらったりしていたが、それなりに大きくなってくるとそうもいかなくなり、たった一人で恐怖に立ち向かわなければならなくなった。

自分の寝ているところから、両親の布団の横を通り抜けて便所に向かうのだが、その部屋から、ふすまを開けて廊下に出るところがまず怖かった。
小さな家で、ふすまの先は便所までほんの数メートルの廊下があるだけなのだが、そこに何がいてもおかしくないと、当時の私は思っていた。
ふすまの引手に手をかけてそろそろ開けていくが、おんぼろの家のふすまは、20センチほど開いたところで必ずカツンと引っかかって、一度止まった。
20センチのすき間から覗いた廊下には、布をかけられた足踏み式のミシンや、小さくて丸っこい、亀のような形の椅子などの他、雑多に置かれたものが、ぼんやりと黄色い常夜灯に照らされて不気味に浮かび上がっている。

頼りない灯りの中、目を凝らして、廊下に何もいないのを確かめてからふすまを開け、廊下に踏み出す。ふすまは開けたまま、飛びつくように廊下の真ん中にぶら下がっている電灯の紐を引っ張る。古い電灯のうえ、私があまり踏み込まずに斜めに引っ張るので、紐が引っかかってなかなか点かない。しかしこっちも必死だ。力まかせに何度でも、点くまで引き続ける。おかげで何度か紐を切って父に怒られたことがある。「普通に点けろ」と。
蛍光灯がじらすように瞬いて点くのを確認してから、背後のふすまを閉める。退路を確保するため、開けたままにしておきたいのだが、閉めないと父に怒られるのだ。オバケも怖いが父も怖い。子供は怖いものだらけだ。

廊下も無事明るくなり、便所へのルートは確認できたが、問題はこの後だ。
なんと私はこのあと便所に入らなければならないのだ。
あの恐ろしい便所に。

明るくなった廊下を物陰や、何のためにそこにかかっているのかまったく理解できないカーテンの向こう側に注意しながら慎重に進み(って、何歩でもないんだけど)、黒ずんだ木の扉の前に立つ。
扉の横に紐がぶら下がっていて、これが便所内の灯りのスイッチだ。
カッチン。
木の取っ手をスライドさせ、扉を開く。中に何もいないのを確かめてからそっと中に入る。廊下のそれより少し薄い床板がギっと鳴る。扉は少し開けたまま。
汲み取り式の便所にはそれなりの臭いが漂っているが、夜の私は臭いなんかまったく気にならない。
手前に男子小便器、もうひとつ扉を開けると奥に和式の大便器がある。奥の扉にはスライドさせる木の取っ手が二つ付いていて、ひとつが錠になる仕組みだ。
裸電球の黄ばんだ光が便器や周りの壁を照らしている。
便器といえば白いものを想像するかもしれないが、うちの便器はくすんだ緑色をしていた。
用を足そうとその前に立つと、いやでも前の壁が目に入った。
それは汚らしい灰色の漆喰の壁で、全面にシミやひび割れが広がっていて、その形が裸電球の灯りの中、私にいろいろなものを連想させた。
もちろんそれは、おいしそうなソフトクリーム、とか、ふわふわのウサちゃん、といったものではなく、髪をゾロリとたらした着物の女、だったり、両腕をあげて襲いかかってくるフランケンシュタインの怪物だったりと、そろいも揃って私を恐怖のどん底に突き落とすようなものばかりだった。
しかも、なぜか私はその壁から目が離せず、用を足しているあいだ、じーっと見つめて、新しい「何か」を見つけては自ら恐怖のどん底へ落ちてゆくのであった。

あれやこれやの怪奇現象に耐えつつ用を済ませて、やっと便所を出られる。
しかし油断はできない。
不用意に便所を出ると、両親と反対側の部屋で寝ている祖父母のどちらかが立って待っていたりして、私に悲鳴を上げさせるのだ。
時には祖母が、廊下に置いてある椅子にちょこんと座っていることもあって、心臓に悪いったらない。
自分の布団に帰り着くまでは決して気を抜けないのだ。
深夜の便所は、子供の私にとってそのくらい怖い場所だった。

便所が怖いといえば、ちょっと方向が違うが、こういう怖さもある。
先に書いたように、この便所は汲み取り式なので、定期的に汲み取らなければならないのだが、タイミングが悪いと、かなり汲み取りの順番を待たされることがある。しかも何かで頼むのが遅くなっちゃったりしたらもう大変だ。
日に日に迫ってくる便面(水面みたいな意味ね)を見ながら用を足す恐怖は経験した者でなければわからないだろう。
尻を拭いた紙を落として、着便(着水みたいな意味ね)までのタイムが日に日に短くなってゆくあの恐怖は。
最近の若者が怖いもの知らずなのは、こういう日常的にどうしようもなく迫ってくる恐怖というものを知らないからだと思う。

うそ。思わない。

何だか長ったらしい上に汚らしい話になっちゃたな。
しかしホント、汲み取りのタイミングを逃した便所は怖いよ。
大人になってから夢に見たもんなぁ。
あまりに汚い光景でここには書けないけど。

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秋の恐怖シリーズ 2
 世界一怖いホラー映画
 前編

2003.9.28



この世には恐ろしいものがある。
私は怖がりなので、そういうものをできるだけ避けながら人生を送ってきた。
しかし人は出会ってしまうのだ。
恐怖と。

私が小学校の5年生か6年生のころ、『エクソシスト』という映画がヒットした。
少女にとり憑いた悪魔と、それを祓おうとする神父との闘いの映画だ。
「エクソシスト」というのが「悪魔祓い師」という意味だということをこのとき初めて知った。そしてこの世にそんな「師」がいるということも。

私が読んでいたマンガ雑誌でも『エクソシスト』の特集を載せていて、物語のあらすじとともに「これは実話を元にしている」とか、「撮影に関わった人が謎の死を遂げた」とか「撮影に使われた悪魔の像が撮影後行方不明になった」とか、いろいろ恐ろしいことが書かれていた。
小学生の私は、それを読んで、「自分も悪魔に憑かれるんじゃないか」とか「行方不明になった悪魔の像がある日私の目の前に現れるんじゃないか」と本気で心配すると同時に、「撮影に関わっていなくてホントによかった」と安心したりもした。
「悪魔は聖水に弱い」というようなことも書かれていて、本気で聖水が欲しくなった。
聖水というのがどんなものかは知らなかったが。

その他にも「『エクソシスト』は、本来は4時間くらいの映画なのだが、あまりに怖いので、日本では2時間の短縮版で公開される」という噂も耳にした。
そうか。そんなに怖いのか。2時間も余計に怖いのか。

『エクソシスト』が公開されている期間中、私はいやでいやでしょうがなかった。
どこへ行ってもエクソシストエクソシストエクソシスト!悪魔悪魔悪魔悪魔!!
テレビも雑誌も恐怖ブームに便乗して私を怖がらせようとしている。ちょっとでも油断すると悪魔や動物霊にとり憑かれるぞと脅してくる。怖くて町も歩けない。
しかたなく外出する時は、『エクソシスト』上映中の映画館の前を通らないように、慎重に道を選んだ。
しかし。
なぜだろう。
ある日、私は引き寄せられるように『エクソシスト』上映中の映画館の前を通りかかってしまった。
悪魔に呼ばれたのかもしれない。

「ああ、ここで、この中であの恐怖の映画、タイトルを口にするのも恐ろしいあの映画が上映されているのか…」
そう思いながらふらふらっと窓口のほうに近づいてしまった。
すると、そこ、券売所の小窓の横に、ボール紙にマジックで書かれたお知らせのようなものが貼られていた。
わたしはついそれを読んでしまった。つい。
そこには
「『エクソシスト』が短縮版で公開されているという噂が流れていますが、当館で上映中の『エクソシスト』は、アメリカで上映したものと同じであることを映画会社に確認いたしました。安心してご覧下さい」
というようなことが書かれていた。
少女に悪魔がとり憑く映画を安心してご覧になれる神経というのは私にはまったく理解できないが、とにかく『エクソシスト』に4時間長編バージョンがあるというのはガセネタだったということが確認されたようだ。
だからといって、「2時間なら恐さも半分じゃん。観てみよっと」という気持ちになったかというと、もちろんそんなことはなく、わたしはその恐怖ブームが去るのをいやーな気持ちでじーっと待っていたのであった。

そんなわけで、私にとって「エクソシスト」は「世界一怖いホラー映画」ではない。だって観てないもん。
私にとっての「世界一怖いホラー映画」は他にある。
「ならその話を書けよ」と思うだろう。
書くよ。

後編でね。ヒィーッヒッヒッヒッ(悪魔のような笑い)。

後編に続く

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秋の恐怖シリーズ 3
 世界一怖いホラー映画
 後編

2003.10.3




『エクソシスト』は、今なら観ても大丈夫そうだが、私には「決して観ないぞ」と、固く心に誓っている恐怖映画がある。
『悪魔のいけにえ』である。

『悪魔のいけにえ』を初めて知ったのは、大学生の時に見た、恐怖映画を特集したテレビ番組だった。
ほんの数分の紹介だったが、それまでに知っていた恐怖映画とは質が違う、非常に不快で強いショックを受けた。
なにやらとても異常な破壊力のようなものを感じたのだ。
「この映画だけは観てはいけない」
私は心に刻み込んだ。
というわけで『悪魔のいけにえ』も観ていないので、私の「世界一怖いホラー映画」ではない。

比較的最近の話だが、『リング0バースデー』という映画をビデオで観た夜、貞子がヘビのようにのたくりながらすごいスピードで追いかけてくるという、死ぬほど怖い夢を見たが、これは夢のほうが断然怖かったので、『リング0バースデー』も、私の「世界一怖いホラー映画」ではない。

では何が私の「世界一怖いホラー映画」なのか?

私の「世界一怖いホラー映画」、それは『サスペリア』である。
「決してひとりでは見ないで下さい」の『サスペリア』である。
魔女の囁きのような音楽が恐ろしげな、あの『サスペリア』である。
最近ではどこかのシーンに亡霊の顔が映っているとかで有名な、あの『サスペリア』である。
監督ダリオ・アルジェント、主演ジェシカ・ハーバー、1977年度イタリア作品の、『サスペリア』である。

あれは中学3年生の時だった。
「ひとりで見ないで下さい」と言われたので、友達のまーちゃんと二人で『サスペリア』を観に行った。
まーちゃんとは小学一年生の時からのつきあいで、中学でも同じ柔道部の仲間だった。
彼には「みっちゃん」という一卵性双生児の弟がいて、こちらも小学一年生からのつきあいであり、柔道部仲間でもあった。
二人は、小学生の時は「ミッチとマーチ」と呼ばれていたが、大きくなるにつれて「みっちゃんまーちゃん」と呼ばれるようになっていった。
それにともなって、小さなころはそっくりだった二人の外見にも徐々に差が生じ始め、みっちゃんはぶくぶく肥満体に、まーちゃんは出っpp、いや、上の前歯が非常に目立つ顔立ちになってゆき、私と『サスペリア』を観に行った中三のころになると、「よく見りゃ似てるかもね」程度の類似性しか認められなくなっていた。

『サスペリア』鑑賞当日、まーちゃんは手で口元を押さえながら私の前に現れた。
「きのう差し歯にしてさぁ、なんか変なんだよなぁ」
え?
なんで?出っpを直したの?
などとは訊かなかったが、きのうからまーちゃんの前歯は2本とも人工物になってしまったそうだ。ちょっとしたサイボーグだ。武器は前歯。
まーちゃんの前歯は、出ているのを直したにしてはあまり印象が変わっていないような気がしたが、まーちゃんが気にして口元を触ってばかりいるのでそれもよくわからなかった。

まーちゃんの差し歯を気にしている間に予告やらお知らせやらが終わり、いよいよ『サスペリア』が始まった。
なんだか困っているような顔の少女が空港に着き、例の魔女の囁きのような音楽が流れる。
怖い怖い。この音楽が怖い。
少女は全寮制のバレエ学校に入学するために飛行機でやって来たのだ。
そのバレエ学校というのがいやなところで、生徒が殺されたり、天井から蛆虫がボタボタ落ちてきたり、おじさんが犬に噛み殺されたりと、恐ろしいことが立て続けに起こる。
私は、目の前で繰り広げられる恐ろしい光景から目を離せないまま「寝る前にこんなシーンを思い出しませんように」と念じていた。「映画はどんなに恐ろしいことが起こっても2時間かそこらで終わるけど、俺の夜は7時間くらい続くからな。映画ってずるいよな」などとわけのわからないことも考えていた。
しかし、中三男子は、どんなに恐くても友達の前で恐がっている素振りなど見せてはならない。
女の子が有刺鉄線の束の中で血まみれになろうが、天井のガラスを突き破って死体が落ちてこようが、黙って見続けなければならない。内心どんなに怖かろうと。
ところが。
映画の途中で、左隣に座っているまーちゃんが、「ううっ」とか、「ああ」とか、声を上げているのに気付いた。
なんだこいつ。怖がってるのか?
俺も怖いけど、中三男子たるもの声を出しちゃまずいだろう、声を出しちゃあ。
なんて頭の半分で考えながら怖がりながら見続けていたが、まーちゃんはやがて、
「ううーんは」
「ぐうっぐっぐ」
というような、不気味な声を上げ始めた。
それも、怖くもなんともないシーンでも声を上げ続けている。
な、なんだ?何かにとり憑かれたのか?悪魔とか、動物霊とかに。ひょっとしたら自縛霊ってやつかも。
少しするとまーちゃんの声は、
「ううーははーううーははー」
という苦しげな息遣いに変わっていった。
もう間違いない。まーちゃんは悪魔にとり憑かれたのだ。悪魔のまーちゃんだ。
どうしよう?
画面では主人公の少女が困ったような顔のまま、バレエ学校の謎を解こうと行動を開始したところだ。今行動しなければ次は自分が殺される番なのだ。
私も悪魔のまーちゃんをなんとかしなければ自分がやられる、と思うのだが、怖くて左を見ることができない。
私が恐怖に震えている間にも、悪魔のまーちゃんの声は
「ううーはーいててーううーはーいててー」
と、変わっていった。
え?
痛てて?
画面の少女はずいぶん痛そうな目に遭っているが、まーちゃんがなぜ痛てて?

悪魔に憑かれているにしては少し様子がおかしいので、画面の残虐シーンが一段楽した時に勇気をふりしぼってちらっとまーちゃんのほうを見てみた。
映画館の暗闇の中、まーちゃんがハンカチで口元を押さえている。
なにやってんだ?よくわからない。
もっとよく見ようと顔を近づけた瞬間、まーちゃんがこちらを向きながら口元のハンカチを取った。
「!どへあっ!」
私は思わず声を上げてしまった。
まーちゃんの口は、ぽっかり開いた血まみれの穴になっていた。口の周りも血だらけだ。
悪魔か!やっぱり悪魔なのかぁっ!!

「痛ってーよぉー、ちきしょー、差し歯が取れちゃったよー痛ってーよぉー」

「…
へ?
あ?
…そ、そう、差し歯が、ね…そう」

事情はわかったが、私にはどうすることもできない。そのまま映画を観るだけだ。血まみれの友人を隣に置いたまま血まみれの映画を。
まーちゃんはその後ずーっと「痛い痛い」と言いながらも最後まで映画を見つづけて、映画が終わると同時に、しわくちゃで血まみれのハンカチで口を押さえながら小走りで帰って行った。きっとどんな映画だったか覚えてないだろう。

私にとっても『サスペリア』は、
「少女がバレエ学校にやって来て、天井から蛆虫が降ってきて、女の子が何人も殺されたあげく、最後は血まみれのまーちゃんが出てきておしまい」
という、世界一怖い展開の映画として記憶されることになった。

あー怖い。世界一怖い。

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言葉の獲得

2003.10.17




うちの0歳児が「あーあーうーうーばっばっばっばっ」と、音声を発するようになってしばらく経つ。
やがて言葉を話すようになるであろう。
彼女の頭の中には私たちが話す言葉や、テレビなどから聞こえてくる言葉が蓄積されている真っ最中なのだろう。こうやって人間は言葉を獲得してゆくのだ。知らず知らずのうちに。

しかし、言葉にはどこで覚えたかはっきりしている物も少なくない。
その昔、私がまだ「子供」だったころ、手塚治虫が、「子供たちは『エネルギー』という言葉をボクのマンガで覚える」というようなことをどこかで言っていたか書いていたかして、なるほどそうだったかもしれないなぁ、と思ったことがある。
似たような言葉は他にもあって、例えば「大リーグ」という言葉を覚えたのは「巨人の星」だったし、「白湯(さゆ)」などという言葉がこの世にあると知ったのは「あしたのジョー」であった。

私はアニメでこの場面を見たのだが、減量に苦しんだすえ錯乱状態に陥った力石徹に、白木葉子が「これをお飲みなさい」と差し出したのがコップに入った一杯の「白湯」だったのだ。
結局力石は飲まずに捨ててしまうのだが、私にはその時初めて聞いた「さゆ」というものがとてつもなくおいしいものに見えた。
「さゆ」って少しだけ甘いんじゃないだろうか?
でもちょっとスッとするような感じもする。
勝手に想像を膨らませて、「飲んでみたい」という気持ちに到達した。
とりあえず「さゆ」とは何なのか母に訊いてみることにした。うまくすれば「一杯のさゆ」を私に作ってくれるかもしれない。作って「これをお飲みなさい」と差し出してくれるかもしれない。

しかし、母の答えはそっけなかった。
「『さゆ』とはただのお湯のことである」

私はショックを受けた。
あんなにおいしく見えた「さゆ」が、ただのお湯だなんて…。

ただのお湯なんか飲みたくない。
大人になんかなりたくない。

ちょうどそのころ、小学校に巡回してきた劇団のお芝居で可憐な少女を演じていた女優が、舞台衣装のまま校内をうろちょろしているのを至近距離で目撃してしまい、その姿と、舞台の可憐さとのあまりのギャップに、小さな心に大きな傷を負ったばかりだったので、「さゆ」が、ただのお湯であるという現実は私には厳しいものだった。

知りたくなかった。知らずに生きてゆきたかった。
「さゆ」はただのお湯。
舞台の少女はすげー化粧をしてる。しかもオバさん。

「真実を知る」ということの厳しさと哀しさを知った小学四年生の秋だった。

ところが。
「さゆ」が「白湯」で、ただのお湯だと知った後、マンガで「あしたのジョー」を読んだが、何度読んでもあの場面で白木葉子の差し出す白湯はおいしく見える。飲みたくなっちゃう。
やはりあの場面に至るまでに力石に感情移入しているからだろう。渇ききっているのだ、読んでるほうも。
言葉というものは現実や感情と離れてそれだけがぽつんと存在しているわけではないということだろう。
あの場面の「白湯」は、ただのお湯であってただのお湯ではない。
あれは断じて「白湯」なのだ。「白湯」でなければならないのだ

「力石君、ここに『ただのお湯 』があります。お飲みなさい」
「これくらいの『ただのお湯 』を飲んだからといって急にウェートが増えることもないでしょう」

ねっ。

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