高校三年生の時。
ひでとくんが僕の隣にやって来た。
それが出席番号順の並びだったのか、くじ引きかなにかの結果だったのか忘れてしまったが、とにかく僕の左隣の席にひでとくんがやって来た。
ひでとくんと同じクラスになるのは初めてだったけど、僕はひでとくんを知っていた。ひでとくんは有名だったから、僕だけじゃなくて、学校中が密かにひでとくんを知っていた。
なぜ「密かに」だったかというと、ひでとくんは「悪い子」だったからだ。
「悪い子」といっても、教室の扉に黒板消しを挟んでおくとか、お友達の上履きをすのこの下に隠してしまうような「悪い子」じゃなくて、屋根の上で赤いランプがくるくる回ってる自動車に乗せてもらえるような「悪い子」だった。
一年生の時にひでとくんと同じクラスだった僕の友達の話では、ある日ひでとくんを職員室に呼び出した担任の先生が、ひでとくんの余罪を追及しているうち、あまりにいろいろなことをやらかしていたので、最後にはあきれて「お前は放火と殺人以外はなんでもやってるんだなあ」と言ったらしい。
そして職員室から出てきたひでとくんは「放火はやったことあるんだよなぁ」とつぶやいたらしい。
すべては聞いた話で、本当かどうかはわからない。
この話が本当なら、ひでとくんは人身売買や武器の密輸もやってたことになるけど、そんなことはないと思う。でも本当はどうかわからない。
僕にこの話を教えてくれた友達はひでとくんとも仲良しで、
「ひでとはホントはすごく頭がいい」
「ひでとはまじめになった」
ということも教えてくれた。
友達の言うとおり、ひでとくんはまじめだった。
なにしろ毎日学校へ来た。
「出席日数」というものについて先生からお話があったようだ。
おとなしく授業を受けていた。
ただ、高校生にしてはおでこの両側が鋭角的にハゲていたのと、眉毛が極端に確認しにくいのと、学生服の裾がすごく短かくて、袴みたいなズボンを穿いていたのが僕にはちょっとだけ気になったかな。
そのころの僕はお絵かきが好きで、授業中もよくノートにマンガの絵を描いていた。僕のノートはマンガだらけだった。
ある日の授業中、いつものようにノートにお絵かきしていると、左側からの視線を感じた。
ひでとくんだった。
ひでとくんは僕のノートをじーっと見つめてから訊いてきた。
「何だそれ?」
僕は答えた。
「ザク」
「何だそれ?」
ひでとくんはもう一度訊いた。ひでとくんはモビルスーツを知らなかった。
僕は教えてあげた。
ちょうどそのころガンダムの再放送をやっていたのでそれも教えてあげた。
ひでとくんの目が見る見る冷たくなっていった。
「お前そんなの見てんのかよ」
ひでとくんはため息をついて前に向き直った。
僕はザクの腕の形が気に入らなかったので消しゴムで消した。
それからしばらく経った日の授業中。
僕は左わき腹をつつかれた。ひでとくんだった。
「なあ」
「何?」
「なぜシャアだけ赤いのに乗ってんだ?」
僕は2秒間絶句した後ひでとくんに「赤い彗星」のことを教えてあげた。
「ふうん」
聞き終わってひでとくんは前に向き直った。ひでとくんはまじめな顔で授業に集中しているように見えた。でも違った。
しばらくして僕はまた左わき腹をつつかれた。
「じゃあ、なんでアムロはあんなに強いんだよ」
僕が教えたように「赤い彗星」がそんなに凄いのなら、対等か、時にはそれ以上に戦っているアムロは何なんだ?と、まじめに考えていたようだ。
「ひでとはまじめになった」
友達の言葉が頭の中によみがえった。
僕はひでとくんに「連邦のモビルスーツ」のことや「ニュータイプ」のことを教えてあげた。
「ふうん」
ひでとくんは前に向き直った。今度こそ授業に集中できるだろうか。
できたようだ。その日はもう、授業中に左わき腹をつつかれることはなかった。
しかし、そのころからひでとくんは、授業が終わると僕のノートを見たがるようになった。
そして自分が知らないものが描かれていると、「これは何だこれは何だ」と訊いてきた。
そのたび僕は教えてあげた。
「グフ」「ドム」「ズゴック」。
そろそろいいかな、と、「ビグザム」を描いてモビルアーマーというものについても教えてあげた。
でも、家でビグザムの絵を練習してきたことは教えてあげなかった。
ひでとくんは、僕の絵を見てたった一度だけ、「かっこ悪いな」と言ったことがあった。
「何だこれ?」と訊くので教えてあげた。
「…お、俺が考えたモビルスーツ」
一瞬にしてひでとくんの目つきが険しくなった。
一年生や二年生のころは毎日こんな目つきだったのかもしれない。
しばらくそんな日々が続いた後の授業中。僕はまたまた左わき腹をつつかれた。
ちょっぴり得意そうな顔をしたひでとくんだった。
自分のノートを僕の方に向けて、開いたページをシャープペンのお尻でトントンと叩いている。
ザクが描いてあった。
しかもシャア専用ザクだ。鉛筆描きだけど頭のツノでわかる。
マシンガンを構えたザクは、よく見るとちょっと部品が足りないような気もするが、絵としてはしっかりしていて、くやしいけど、僕よりうまいくらいだった。
「ひでとはすごく頭がいい」
「ひでとはまじめになった」
僕は友達の言葉にもうひとつ付け加えた。
「ひでとは絵もうまい」
ある日、何かのテストが返された時、ひでとくんは自分のテストをじーっと見てから右手を僕のほうに出し、
「ちょっと見せてみるかい?」
と言った。「お前のテストを見せてみろ」という意味だけど、ひでとくんはよくこういう言い方をした。
僕は言われるままに自分のテストを渡した。テストの点を人に知られるのをいやがる人もいるけれど、僕はぜんぜん気にしなかったし、その時はかなりいい点だったから、進んで見せたいくらいだった。
僕のテストを見たひでとくんは、「う」というような顔をして、しばらくながめてから黙って僕に返した。
「ちょっと見せてみるかい?」
今度は僕が言ってひでとくんのテストを受け取った。
まあそんなに悪い点じゃなかったよ。
その後、ひでとくんとは、テストが返って来るたびに見せ合うようになったけど、何度か見せ合っているうちに、僕とひでとくんはだいたい同じくらいの成績だということがわかってきた。
理系の教科はひでとくん、文系は僕がややリード、って感じだったかな。
「ひでとはすごく頭がいい」を「ひでとは平均よりやや頭がいい」に書き変えたよ。
もちろんこの「頭がいい」の基準は、僕たちの高校でってことだけど。
一、二年生で悪いことばかりしていたことを考えればよくやっていたと言えるのかもしれない。
でもそんなことは僕たちの勝負には関係なかった。
そんなふうに毎日を過ごしていたら、やがて卒業の日がやって来た。
ひでとくんは就職、僕は進学が決まっていた。
ふたりとも特にさよならも言わずに教室を出た。
それ以来ひでとくんとは会っていない。