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距離(1)

2004.12.15


平成16年1月の最後の日、中学と高校の六年間、同じ柔道部に所属していた友人が、地元の市立病院に急遽入院したという報せが届いた。
肝臓がんだそうだ。
昨今ではそんな報せもメールで届けられる。
当時の友人たちとは、ある一人を除いてほとんどつき合いが途絶えていた私だったが、その「ある一人」からのメールだった。

東京に住んでいるその友人に、もう少し詳しい様子を訊いてみる。
昨今ではそんな連絡も携帯電話だ。
どこかの駅のホームにいるのであろう雑音の中で、手みじかに様子を教えてくれた。
「むりやりあっちに用事を作って見舞いに行って来たけど元気無かったな。痩せてたよ。普通の人になっちゃってたな。抗がん剤はきついぞって言ってたよ」

病気になった友人は重量級の選手で、身長は私と同じくらいだが、現役時代は100キロ以上あったはずだ。それが普通の人か。

そうか。
大学時代は、地元を離れていたとはいえ半分はあっちの人間だったが、大学を出て就職してからは地元との距離は開く一方だった。
この二十年ほどの間は、年に一、二回帰省する程度、それも私の両親に孫の顔を見せに行くための帰省で、入院した友人も含めて、地元の友達と会うことはほとんど無かった。
彼らとはもうずいぶん遠く遠く離れてしまったと思っていたが、しかし。

最近では、「昔ほど怖くない」というのが枕詞のようになっている「がん」だが、場所を考えたら楽観はできないだろう。

「抗がん剤はきついぞ」

彼の顔を思い浮かべたら、なんだかいろいろな思い出もよみがえってきた。
「まだ子供」の中学一年生から「おおむね大人」の高校三年生まで同じ柔道部で過ごした。その間、平日はもちろん、日曜日も春休みも夏休みも冬休みも、ほぼ毎日顔を会わせていた。数えてみたら、そういう友達は、連絡をくれた友人と私も含めて五人いた。
次の土日に見舞いに行くことに決めた。

現在の自宅から地元までは、車で約170キロほど走る。
土曜日はとてもいい天気で、ドライブ日和だったが、一人きりではあまり楽しくない。
東名高速道路で事故渋滞があり、順調に走れば二時間半のところ、一時間ほど余計にかかってしまった。
「同じ距離でも状況によって遠くも近くもなるな」
当たり前のことを今日はしみじみ感じた。

実家に到着して、事前に連絡しておいた地元の友人に電話をかけ、見舞いにつき合ってもらう。
つき合ってもらう彼、みっちゃんとは、小学校一年生で出会い、中高の柔道部と、病気の友人よりさらに長いつき合いだ。

ちなみにみっちゃんは、以前私が書いた『世界一怖いホラー映画』で、『サスペリア』を観ながら私の隣で血まみれになっていたまーちゃんの双子の弟である。

「今から行くから家で待ってて」
今日は会社に出ていたそうだ。
15分ほど自宅で待機していると携帯が鳴った。
「家の前」

家の前の乗用車を覗き込むと、みっちゃんの顔が見えた。
子供時代は、徒歩でやって来て玄関で名前を叫ぶような呼び出し方をしていたことを思えばずいぶん変わったものだ。

ドアを開けてふたり同時に
「おう」
助手席のシートに座った瞬間、体と一緒に精神的な何かもすっぽりとどこかに収まったのを感じた。今まで頭の中で感じていた、友人や地元との距離が無くなって、なじみの場所に収まったような感覚。

みっちゃんが見舞いに行った時の話を聞きながら病院へ向かう。
やはり痩せて元気が無かったということや、柔道部の先輩と見舞いに行った時の話。みっちゃんは独自に肝臓がんについて調べたということだったが、あまりいい話ではなかった。

病院に着き、売店で封筒を買ってお見舞いを用意する。
みっちゃんは、千円札を封筒に押し込みながら歩く私を振り向きもせずにエレベーターに乗り込み病室に向かう。

みっちゃんも元は重量級の選手で、現役当時とあまり体格が変わっていないので、後ろから見ていると大きな背中だ。
中学時代、柔道部の練習で、みっちゃんを肩車してグランドを歩かされたのを思い出した。現役当時でも私の腰や膝がきしむ音が聞こえるくらいみっちゃんは重かった。もちろん今の私にはみっちゃんを肩車するなんて到底不可能だ。
ひょっとしたら当時のものから一番離れてしまったのは、住んでいる場所や精神的なものではなくて、私の体格や体力なのかもしれない。

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距離(2)

2004.12.19


みっちゃんについて廊下を歩いてゆくと、彼がひとつの病室を指さした。
開いたままの入り口のすぐ右が、友人のベッドだった。
寝ている彼の顔が見えたが、顔つきが私の記憶とは違っていて、一瞬彼だとわからなかった。

もともと体格が良かったからか、ひどくやせ衰えたような印象は受けなかったが、以前会った時の丸々した輪郭とはほど遠く、やけに目が大きく見えた。
みっちゃんが、私が来たことを告げたが、私も昔と比べるとずいぶんやせていたため、彼もすぐにはわからなかったようで、大きな目で五秒ほど見つめられた。

「おう。どうしたの?」
彼がちょっと力の無い声で言った。

迂闊にも、地元を離れ、何年も会っていない人間が見舞いに来たら本人がどう感じるかということにその時まで思い至らなかった。

「あ、うん、ちょっと家に用事があったんだけど、入院したって聞いたからさ」
「ふうん」

彼はどう思っただろうか。
自分の病状が、聞いている以上に悪いんじゃないかと気をまわしたりしなかっただろうか。

ベッドの横に小さな冷蔵庫があり、その上が棚になっていたが、茶器やら漫画、週刊誌などが乱雑に置かれていた。その上にさっき用意したお見舞いを置く。
ベッドに横になったままの彼は、やや声に力が無かったが、しゃべるのが億劫だとか、辛いとかいうそぶりは見せず、入院に至るまでの自分の様子を話してくれた。

去年の暮れから疲れやすくなったのを感じていたこと、仕事中、車で30分ほどの道のりを帰るのに何度も車を停めて休まなければならなかったことなど、きっともう何人にも話したであろうことをまるで普通の世間話のようなトーンで話してくれた。

「女もたくさん見舞いに来るら?」
みっちゃんが少し笑いながら言った。
「ぼちぼち、だな。ぼちぼち」
やや不満そうな「ぼちぼち」に聞こえた。

「入院2ヶ月だってさ。自分じゃあ、1、2週間でちゃっちゃっちゃっと出られると思ってたんだけどな。ちゃっちゃっちゃってさ…」
「まぁ、2ヶ月ゆっくり休めよ」

三人で話していると看護師がやって来て、体温や、大便と尿の回数などを聞き取っていった。
質問にきびきび答える友人を見て、「しっかりしてるな」と少しだけ安心した。

その後もしばらく、それぞれが経験した病気や怪我、リハビリの話を自慢のように話し合い、共通の友人の近況を笑いながら話し、「まぁゆっくり休めよ」ともう一度言って、病室を後にした。

駐車場に向かいながら
「みっちゃん、夜ひま?」
と訊くと
「うん。飲み行くか。つんちゃんでも呼んでみるか」
と、高校の柔道部の友人の名前を出した。
私は私で「つとむ」に電話をした。
つとむは、やはり中学高校の柔道部でも一緒だったが、みっちゃんよりさらに古いつき合いで、今は引っ越してしまったが、もともとは私の実家から30秒ほどのところに住んでいて、物心ついたときにはいっしょにメンコや缶蹴りをしていた。

私が、「飲むから来い」と言うと「わかった」と応じた。
つんちゃんは、三人目の子供が今夜にも生まれそうなので出られないということだった。
私も去年ふたり目の子供が生まれ、年齢的にやや遅めの子だな、と思っていたが、まだまだそうでもないのかもしれない。
今夜はつとむとみっちゃんと三人で飲むことにしよう。

この三人と、私に連絡をくれた東京在住の友人、そして入院している彼、が、中学高校とも同じ柔道部だった五人だ。
付け加えると、五人の中で結婚しているのは私だけで、連絡をくれる彼は離婚歴1で、奥さんが育てている子供が一人いる。あとの三人はずっと独身だ。
そういえば以前、離婚歴1の彼と、柔道部独身率の高さの謎を議論したことがあった。
その時の結論は、まあ、ここでは述べないことにする。

その夜は私の家の近所の焼き鳥屋で飲み、つとむは一軒で帰ったが、私とみっちゃんはもう一軒、みっちゃんのなじみのスナックへ行って夜中まで飲んだ。
なじみの店でのみっちゃんの振る舞いや、店での扱われ方を見ていると、今さらながらお互い大人になったんだなぁ、と感じた。

さんざん飲んで、左右へよろよろしながら実家へ歩いて帰り、着替えもせずに布団にもぐりこんだ。

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距離(3)

2004.12.29


見舞いに行ってから一週間ほど経ったある日の夜、11時頃。私の携帯電話がブルブル震えた。うるさいのがきらいなので、通常は音が鳴らないようにしてある。
いつも連絡をくれる彼だった。

「あのなぁ、なんか、…ダメみたいだぞ」
入院している友人のことだ。
「そうか…」

田舎だからだろうか、何人かの人を介していろいろ話が伝わってきたそうだ。
どれも余命何ヶ月という話で、2ヶ月から3ヶ月、ひょっとするともっと悪いらしく、ご両親は知っているということだ。

「そうか…」
「あ、それからな、つんちゃんのとこ生まれたってさ。男。まぁ、こういう時だからあいつも遠慮しておおっぴらに喜んでられないみたいだけど、これはこれでな」
「そうだな」

情けないようだが、こんな話を聞く前に見舞いに行ってよかったと思ってしまった。
私は大人になったかもしれないが、こんな友人に見せる顔や、話しかける言葉はなかなか持っていない。情けないようだが。

友人が死の床にあっても、私は普通に会社に行き、普通に家族と暮らした。何も変わりは無い。
しかし、やはり。
絶えず心の表面が波立っているような感覚。
波の上に岩が吊るされて揺れている。いつか落ちて大波を起こすことがわかっているけれどどうにもならない落ち着かない状態。

次の報せは、彼が病室を移り、モルヒネを投与しているというものだった。
モルヒネ。
思わず調べてしまった。モルヒネ。
そうか。
何だか自分が痛みを感じたような錯覚があった。

この時期、携帯電話を持ち歩くのがいやだった。
もちろん携帯電話に罪は無いが、報せはここから来るからだ。
かつて妻からの「妊娠したよ」というメールを受け取った同じ機械が、遠からず友人の死を伝えてくる。

その報せが来たのは3月に入ってすぐ、出勤して間もない時間だった。ポケットの電話がブルブルした。電話の小窓にいつもの彼の名前が表示されている。
席をはずし、電話に出る。
「きのうの夜中、っていうか、もう今日だな。亡くなったって」
「そうか」

通夜は明日の夜7時、告別式はその翌日の昼12時ということだ。軽く打ち合わせをして電話を切った。みっちゃんが我々の代の卒業生の名前で花輪を手配することになっているそうだ。

上司に事情を話し、明日の午後とその翌日を休む段取りをする。
3月は年度末で、会社の仕事が一番忙しい時期だ。それだけに引き継ぐ要件が多い。お客さんにも、詳しくは話さないが、必要に応じて不在を伝える。
忙しくはあったが、私がいなければ滞ってしまいそうなものは無く、仕事は何とかなりそうだ。

それで。どうしようかな。
車で帰ろうか、電車で帰ろうか。
喪服その他の荷物を考えると車で行きたいところだが、一度会社に来ることを考えるとそれも面倒だ。
午前中仕事をしてから一度家に帰って車で出なおしても時間的には間に合うだろうが、都心を行ったり来たりするのも考えただけで疲れる。喪服と一泊の荷物を持って通勤電車に乗ることになるが、今回は電車で帰ろう。

翌日、午前中は普通に仕事をして、昼食を食べてから東京駅へむかう。
喪服以外の荷物はいつもの通勤バッグに詰め込んだのでパンパンに膨らんでいる。
時間が合えば東京在住の友人と同行するつもりだったが、仕事のトラブルで時間が読めないと連絡があり、ひとりで帰ることになった。

乗客のまばらな新幹線で、ゆったり座り、本を読みはじめたがなんだか集中できず、寝て行こうかと思ったがちっとも眠くならず、ぼーっと過ごした。
ぼーっとしていると死んだ友人の思い出がよみがえってきそうだが、案外そうでもなく、本当にただただぼーっと、だんだん田舎になってゆく風景を眺めていた。
同い年の友人の死というのは、悲しいというのとはまた別に、体にこたえる。

距離(4)へつづく↓

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距離(4)

2005.1.11


通夜の開始時間より何時間も早く実家に帰り着き、やることも無いので地元の新聞をながめていたら、友人の通夜の報せが載っていた。
「四十三歳」とある。
あれ?と思ったが、こういう時は「かぞえ」で表記するのだろう。

新聞も読み終わり、何が安売りになっていても私には関係ない地元の商店のチラシを眺め、テレビの地方CMに力なく笑い、ゆっくりゆっくり喪服に着替えてタクシー乗り場へ向かった。

普通なら10分ほどの距離なのだろうが、会場が近づくにつれて渋滞がひどくなり、遠くに会場の看板の灯りが見えたところでぱったり止まってしまった。
余裕をみて出てきたつもりだったが、このまま止まっていられたら遅刻しかねない。

運転手も「今日はやけに混んでますねー」なんて言っている。
歩いたほうが早いかなー、でもまだけっこう遠いなー、なんて迷っているうちに少しづつだが動き始めた。
見ていると、渋滞の原因は、通夜の式場に入る車の列のようだ。

結局会場に入ったのは7時5分前くらいだった。
友人の会場は2階だったが、すでに椅子席がほとんど埋まって、その後ろにも人が立っている状態で、柔道部の仲間を探そうにもなんだか身動きできないような雰囲気で、途方に暮れていたら、後ろから声をかけられた。

振り向くと、そこにまーちゃんが立っていた。
みっちゃんの双子の兄、まーちゃん。
『サスペリア』を観ながら血まみれになっていたまーちゃん。
中学は柔道部だったが、高校ではボクシングを始めたまーちゃん。

私ははじめ、まーちゃんが笑っているのかと思ったがそうではなく、前歯が大きくてそう見えただけであった。

「あっちにかっちゃんがいたよ」
まーちゃんが、共通の友人の名前を出す。
かっちゃんは柔道部とは関係ないが、小学生のころからのつき合いだ。

受付のほうにいたかっちゃんをつかまえて、今度は三人で途方に暮れていると、係の人が、
「こちらへどうぞ」
と、前のほうの席に案内してくれた。

席に着いて周りを見回すと、左前方に柔道部仲間が固まっていて、東京の彼の姿も見えた。仕事を済ませて間に合ったようだ。
みっちゃんが手配してくれた花輪も見つかった。

友人の遺影は、お見舞いに行ったときに見た彼とは違って、丸々と健康的な写真が使われていた。昔からの記憶に近い面影だ。

式が始まり、お経が続く中、順番にお焼香となった。
並んでいる列を見ていると、柔道部の先輩や、中学の先生や、懐かしい顔がちらほら見られた。
私たちもお焼香を済ませ、また席に戻る。

挨拶をしたのは、亡くなった友人のお兄さんだった。
お兄さんがいることは知っていたが、見るのは初めてだ。
お父さんは昔何度か会ったことがあるが、なんだか記憶よりずいぶん小さく見えた。

式の後、友人の顔をもう一度見せてもらった。
棺の窓から見える彼は、見舞いに行ったときのまま、ただ目を閉じているようだった。

帰りはみっちゃんの車に乗った。まーちゃんも一緒だ。
まーちゃんも東京で働いていて、仕事の関係で今日中に帰らなければならないそうだ。

車に乗っているうちにみんなの携帯電話が頻繁に鳴り、同級生で飲みに行く相談がまとまっていった。
人気者のみっちゃんには先輩からも誘いの電話がかかってきていたようだが、電話を切った後で、
「あっちは行かなくていいら」
とつぶやいていた。

みっちゃんの車は、住宅街の狭い道をクネクネ抜けて、私の知らないなんとかいう店に向かう。
周りはごく普通の住宅ばかりで、こんなところに店があるのかよ、と思っていると、ぽかっと開けて、洋風のおしゃれなつくりの店が現われた。
店はおしゃれなのだが、周りがホントに普通の家なので、ちょっと違和感がある。
まぁ、入ってしまえば関係ないが。

ここは、死んだ友人もよく来ていた店なのだそうだ。
柔道部関係に限らず、中学高校の友人たちが集まり、店は貸しきりの同窓会状態で、昔話や今の生活や仕事の話、みんなでいろんな話をした。途中で帰る者、加わる者、十数人が入れ替わりながら飲み続けた。

人は、友人が死んでも、飲み、喰い、語り、笑うことができる。

私はいつの間にか眠ってしまい、もうお開きにするぞ、と起こされたのは午前3時ころだった。
ボンヤリした頭で「なんだよこの時間〜」と思いながら、呼んでもらったタクシーを待った。
車で来た人間は、運転代行業者を呼んでいるそうだ。

いくら起こしても石像のようにびくともしないみっちゃんを残し、私は、つとむとふたりでタクシーに乗り、帰宅した。
告別式は正午からだ。

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距離(5)

2005.1.19


「居酒屋のメニューに納豆ってあってさぁ、なんだよ納豆って。納豆なんかで酒飲むやつの気が知れにゃあよってでっかい声で言ったら、後ろでカチャカチャ音が聞こえてきてさ、振り向いたらちょっと怖い顔のおじさんが納豆かき混ぜてんの。こっち見ながら。まいっちゃったよ。もうずーっとちっちゃくなって飲んでたよ。ずーっとこうやって」

正午からの告別式に時間ギリギリで滑り込んだ私は、後ろのほうの席で見知らぬおばさんにはさまれて、死んだ友人が、ずいぶん前にちっちゃくなりながら話してくれた居酒屋でのエピソードを思い出していた。

ゆうべ遅くまで飲んだ私は、さぞ酒臭かろうと、ちっちゃくなって座っていたのだ。
ちっちゃくなって、うつむいて座っていたのだ。

やがて司会者が友人の生い立ちから経歴を語り始めた。
あちこちですすり泣きの声が聞こえてくる。
私は。
自分の子供たちのことを思い出してしまった。
生まれ、立ち、歩き、しゃべるようになっていった子供たちのことを。

ゆうべは友人たちと夜中まで飲んで、酒臭い息を吐きながら告別式に参列している不謹慎な私だったが、気がつくとメガネのレンズに涙が落ちていた。
ハンカチを出して何度か拭いた。だが涙は、きれいに拭き取れず、こすった跡がレンズに残る。

弔辞が始まる。
読むのは、柔道部ではないが、中学高校と同じ学校だった男だ。
当時はちょっと頼りないような印象を持っていたやつだったが、よく通る声で、心のこもった弔辞を読みきったのを聞いて、変な話、感心してしまった。
彼はしっかり大人になったようだ。
私はどうだろう?

告別式が進んでゆくにつれ、早く家族の顔を見たいという気持ちがわきあがってきた。早く家に、元の生活に戻りたいと思った。
しかし。

告別式が終わり、目の前を葬列が通り過ぎて行く。
通り過ぎる彼の家族には、まったく元の生活というのは戻ってこないのだと思い至り、また悲しくなった。

ほらみろやっぱり。
命は大事なんだ。

私は信仰を持たないので、「あの世」のことはわからないが、「この世」のことはいくらか知っている。
この世には入り口と出口がある。
入り口は誰でも母親のお腹の中だが、出口はそれぞれだ。いつどこに開くかわからない。
この世の出口はいつどこで開くかわからないのだ。

だから。
入ってくる者はたくさんの笑顔と愛情で迎え入れ、出て行く者は尊厳を持って出て行けるように最大限配慮すべきなのだ。
いつかは皆ここを出て行くのだ。私も。

友人の棺を乗せた霊柩車は、クラクションを鳴らして走り出した。
手を合わせ、見えなくなるまで送る。

東京在住バツイチの例の友人が、さっきまで合わせていた両手をポケットに突っ込んで言った。

「さぁ、あいつの骨でも拾いに行くかい」

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距離(6)

2005.2.3


なんとなく「出棺まで」と思っていたのは私だけだったようで、仕事などでどうしても行けない者をのぞいて、ほとんどの同級生が火葬場へ向かった。

私は、先月3人目の子供が生まれたつんちゃんの車に乗せてもらうことになった。
先月出産した奥さんもいっしょだったが、奥さんは自宅に寄って降ろすそうだ。

「あいつが死ぬなんて信じらんにゃーなー」

職業体育教師のつんちゃんは大きな声で言った。目じりが下がっているのでいつも笑っているような顔だ。

「俺が見舞いに行った時見たら腕から胸の筋肉がだいぶ落ちてたなー。このへんの筋肉って鍛えにゃーとすぐ落ちちゃうさぁ」

と、体育教師らしいことを言ったと思ったら、急に、

「ここで問題です。こないだ生まれたうちの子の名前は何でしょう?」

へ?
なに言ってんだ?こいつ。

「そんなのわかんねーよ」

「やっぱりなー。覚えてないと思ったよ。おまえゆんべ何回聞いたと思ってんだよ。俺の顔見りゃ、「名前なんだっけ、名前なんだっけ」ってしつこく訊きやがってさぁ」

あらそう?
まったく覚えてない。
以前はいくら飲んでも記憶だけはしっかりしていたが、最近は記憶を無くすことが多くなった。どうもやはり年をとったということだろう。

地元の火葬場には何度も来ているが、すべて親戚の、それも年寄りの葬式ばかりだ。
手順は同じだが、やはり少し空気が違う。
最後に友人の顔を、瞬間だが、よく見せてもらい、石で棺の釘をコンコンと打った。
押し込まれる棺を、手を合わせて送る。
ふと顔を上げると、みんなから離れて壁にもたれて泣いている若い女性が目に入った。
やはりどうにも、年寄りの火葬とは空気が違う。
年寄りの葬式の空気は湿っているが、この葬式は、湿っているだけにはとどまらず、流れ出しているものがある。

焼香のあと、別室に用意された食事をいただく。
ビールやお酒も用意されていたが、さすがに手が出ない。
ゆうべ飲んでいた顔ぶれはみんなそうだ。
聞くところによると、運転代行業者を頼んだ者は、店で1時間以上待たされたそうだ。

食事が済み、なんとなくみんなで中庭に出た。
よく晴れているので寒くはない。
私たちの代の主将だったシゲが私に話しかけてきた。

「きのう家に着いたら3時過ぎでさぁ」

ちなみにシゲは婿養子だ。

「おじいちゃんに見つかると怒られちゃうから、みんな寝てるとこにそーっと入ってそのまま寝て、朝、みんなが寝てるうちにそーっと家を出て、仕事、休みとってたのに会社行って、こうやって机でずーっと寝てたよ」

と、立ったまま両腕に頭を埋めた。
婿養子もなかなか大変だ。
私に初めてタバコを吸わせたシゲは、今やおじいちゃんを恐れるシゲとなっていた。

そうやって話してるうちに、柔道部や、きのう飲んだ顔ぶれ以外の同級生も集まってきた。
弔辞を読んだ彼、母親と二人暮しだが失業中の者、むこうは私のことを知っていて、しきりに話しかけてくるが誰だか思い出せないやつ。

つとむにそっと、「あれ誰?」と訊くが、つとむも首を傾げている。
しきりに話しかけてくるが、先輩とも後輩とも同級生とも知れず、外見もちょっと、まったくの「カタギ」には見えないので、あいまいに距離をおいて接する。

そいつが、小学3、4年生で同じクラスになった男で、中学も高校も同じだった男だとわかったのは、中庭でのみんなの話がほとんど尽きたころだった。
あいつがねー。こんなになちゃうんだぁ。というくらいの変わりようだった。

彼の火葬が終了したとの放送が入り、みんなで移動する。
熱気のこもった部屋に、火葬されたばかりの彼の骨。
太くてごつい骨がゴロゴロしている。
このへんも年寄りの火葬と違うところか。
みんなで骨を拾う。
私はシゲと、あれは太ももの骨だろうか、ひときわごつい骨を、ごつかった彼のごつい骨を拾った。

このあとはお寺で納骨。
私はふたたびつんちゃんの車に乗った。

距離(7)へつづく↓

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距離(7)

2005.2.14



つんちゃんは、お寺そのものは知らなかったようだが、場所の見当はつくようで、
「あのへんだったらこっちのほうがはやーら」
と、他の車の流れとは違う道を選んだ。
しかし見事に迷い、つんちゃんの知り合いの別のお寺で道を訊いたりしながらやっとたどり着いた。
それでも他の車と同じくらいに着いたので、つんちゃんの判断はそう間違っていなかったということだろう。

そのたどり着いたお寺というのがびっくりするほど景色のいいところで、門の前に立つと、富士山が麓まで全部見えた。
こんな時でなかったら記念写真でも撮りたいくらいだと見とれていると、すぐ横で同級生の一人が携帯電話のカメラで撮影していた。

本堂で、お経のなか焼香を済ませ、住職の話を聞いている時に、ふと、4月から長男が中学生になることを思い出した。
私と、死んだ彼が出会った歳だ。
自分の思い出として振り返るとそうでもないが、あらためて息子がその年だと思うとはるか彼方の出来事のように思えてくる。
その歳になった息子には、日々を大事に、でも楽しく過ごしてほしい。
友達を大事に、命を大事にしてほしい。
なんだかしみじみそんなことを考えてしまった。

そんなことを考えていたので、住職の話などほとんど心に残らないままお寺を出た。
聞いたところによると、まだお墓は無いそうだ。

またまたつんちゃんの車で告別式の会場へ。
入り口で手を洗って中に入り、またまたお経を聞いていると、大き目のサイコロくらいに切られた餅が、皿に盛られてまわって来た。
そうそう。「縁切り餅」だ。
正確な意味は知らないが、あまりあの世との関係を持ったままでいないようにってことじゃないかと思っている。
「縁切り餅」を口にするたびに、「これってどこでもあるのかな?」と思うのだが、葬式が終わるときれいさっぱり忘れてしまって、調べたことはない。私の頭が「縁切り餅」だ。

そういえば、このあと食べる食事を「祓いの膳」というが、そろそろあの世との関係を閉じて、日常に戻る時が近づいてきたようだ。

祓いの膳をいただき、もう一度友人の遺影を見てからみんなで会場を出た。
東京バツイチがみっちゃんに、新幹線の駅まで送って行けと交渉している。
一旦家に帰るから、新幹線の時間に合わせて迎えに来いとか言っている。
勝手なやつだと思ったが、私の家もまわるという構想なので黙ってなりゆきを見守る。
まずバツイチの家、次に私の家、それまで自宅で待機ということで話がまとまった。
駐車場で地元の人間に別れを告げ、家まではまたつんちゃんに送ってもらった。

つんちゃんが運転しながら言った。
「お前、死ぬなよ」
笑ってる。
「つんちゃんもな」
「子供も小さいし、おたがいまだ死ねにゃあな」

夜の新富士の駅でみっちゃんに別れを告げた。
今回のことでは、お見舞いに来たときからみっちゃんにはいろいろ世話になりっぱなしだった。

切符を買い、発車まで時間があったので、ホームには出ずに改札の前のベンチで時間をつぶした。
バツイチが携帯を取り出して誰かと話している。
聞いていると、通話相手の奥さんの妹が少し前に離婚したとかで、今どうしてるのか?というような内容だ。
さらに聞いていると、みっちゃんの結婚相手にどうか?という話になってきた。

「あいつも見た目は化けモンみたいだけど気はいいやつだからさぁ」

すごい言いようだが、死んだ友人が独身だったこともあって、みっちゃんのことを案じているようだ。
こいつは。

電話を切ったあとで相手を訊くと、彼の弟だそうだ。
「みっちゃんの心配もいいけど、自分はどうなんだよ」
と言うと、
「俺?ばーか。俺はいいだよ」
と笑った。
確かに。
離婚原因とその後の行動からみて、こいつの女性関係を心配するのはバカバカしい。

その後、別ルートで新富士駅に来た二人を加え、四人で新幹線に乗った。
車中、いろいろ話しながら帰ったが、それらはもう、まったく日常の会話だった。

夜11時過ぎに家に着き、風呂に入って、ビールを飲んで、寝た。
明日は会社だ。
私の日常だ。

気持ちが塞ぐ出来事も多いがしかし。
日常を積み重ねたその先に、いつか出口が開く。
いつか必ず出口が開く。
人間、死ぬのと生きているのでは大きな違いだが、両者の距離はそんなには離れていないのかもしれない。

距離 終

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挫折の接待マン

2004.11.18


この20年ほどの間で、「接待をしない営業マン」としての地位を確立させてきた私だが、最近はその地位が揺らいでいる。

「飲みたくないやつとは飲まない」という態度は死守しているが、お客さんで話が合う人とは飲みに行くようになった。
って、そんな相手はひとりだけなんだけど。

そんなわけで昨晩、そんな接待をした。
もともと話が合う相手なのであんな話こんな話で盛り上がる。
接待費で落ちるから金の心配も無いし。

しかし。
金の心配はいらないが、時間の心配を忘れていた。
2件目の店で、解禁になったなんとかヌボーとかいうワインを飲んだときは12時を回っていた。
あしたもあることだしと店を出て地下鉄駅に降りると、どっちもこっちも「最終」の表示。
ヌボーなんか飲んでる場合じゃなかった。
「ああ、もう帰れねぇな。行けるとこまで行こう」と、来た電車に乗ったが、寂しいことに「行けるとこ」は、会社の最寄り駅であった。

本当ならここで乗り換えて、もう少し自宅に接近する作戦だったのだが、乗り換えの線のホームに降りる階段が見えたところで、電車が走り去る音と、「ただいまの電車をもちまして本日の…」みたいな、血も涙も無いアナウンスが聞こえてきた。

同じような経験は過去にも何度かあったが、なんだろう、あの寂しさ。
電車に乗り遅れるのと同時に人生にも乗り遅れてしまったような挫折感無力感オレはダメな男だ感。

「アオキが車で通りかかんないかなー」などとつぶやきながら地上へ出る。
アオキって、家が近所の友達なんだけどね。

しかしアオキくんは影も形も無く、地上で私を待っていたのは路上駐車で客待ちをしているタクシーの大群であった。
もうよりどりみどり。乗りたいタクシーに乗れる。買い手市場の入れ食い状態。
ではあったが、人生に乗り遅れて落胆中の私は、何も考えず、目の前の角に止まっていたタクシーに乗り込んだ。出口から普通に歩くと自然にたどり着く位置だ。

私よりいくらか若いくらいの女性ドライバーだったが、行き先を告げると急にテンションが上がって、「高速使っちゃいましょうかぁ!」と楽しそうに叫ぶ。好きにしてくれ。
ここからだとそこそこの距離だから、いい客らしい。ドライバーはあからさまにうれしそうだ。こんな「あからさま」に出会うのも久しぶりだ。

高速へ向かう道もタクシーの路上駐車だらけだった。
都心の、片側三車線の道路の一車線が全部タクシーの路上駐車で埋まっている。ちょっと異様な光景。

「この時間はいつもこうなんですよう!」

と、「いい客拾ったぁ!もらったぁ!」のテンションのまま話し続ける。
やはりあの角は客を拾うにはいい位置らしく、
「狙って停めてたんすよー」
そうか狙われてたか俺。つーか人生乗り遅れサラリーマン。
「もう大当たりでしたよー」
タクシー代は接待費で落とせないのでこっちは落胆しているのだが、
「ここからだといちまんにさんぜんはいきますからねー、いちまんにさんぜんは」
二回も言いやがった。うれしそうに。
「いきますからねー」じゃなくて「いっちゃいますからねー」だろ。そしてお前にわずかでも人間の心があるのなら「残念ながら」とか付け加えろ。
思わぬ出費で落胆しているおっちゃんに少しは同情してくれ。

「領収書もいりますよね?」
まだしばらくあるのに、ドライバーはあくまで明るくそんなことを問いかけてくる。いちまんにさんぜんの領収書を切りたくてしょうがないみたいだ。もうウキウキしちゃってる。

「落とせないからいいよ」
「えー!そうなんですかぁ?でももしかしたらってこともあるから一応出しますね」
もしかしたらなんてねーよ。

でも一応もらっとくことにする。

首都高速を走ってるのもタクシーだらけだった。
一台にひとりづつ、人生に乗り遅れたサラリーマンが乗っているのかもしれない。
乗り遅れサラリーマンを乗せたウキウキタクシーが集団で首都高を走る。愉快愉快。
愉快か?

しかし、いくらいい客と言っても一万いくらかだ。このドライバーのこの喜び方はちょっとバランスを失しているような気がする。
ひょっとしたら苦労人なのかも。苦労人に訪れたつかの間の小さな幸せなのかも。

家には幼い子供と寝たきりの父が待っているのかもしれない。
別れた夫が酒臭い息を吐きながら金をせびりにくるのかもしれない。
「あんたとはもう何の関係もないのよ」なんて言いながらそれでも金を渡して、
「お願いだからこれっきりにして。ヨシオ(子供の名前)に見つからないうちに帰って」
なんて言ってるのかもしれない。

そうか。
苦労してるんだ。
そんな、つらいことばかりの日常の、ちょっとした「いいこと」が私を乗せたことだったとしたら。
よかろう。
もう間抜けな乗り遅れサラリーマンに同情しろなんて言うまい。
よろこび称えよ、小さな幸せを。思う存分気が済むまでハイテンションで運転するがよい。苦労人よ。

中島みゆきの歌では、苦労人のタクシードライバーは「天気予報が今夜もはずれた話と野球の話ばかり」何度も何度も繰り返すことになっているが、私が出会った苦労人ドライバーは、ハイテンションでしゃべりまくり、着いてもいないのに領収書を切りたがる。

高速を降り、しばらく走ると懐かしいわが町が見えてきた。
もう少し。もう少しでわが家に帰れる。幸せなわが家に。
思わぬ出費は痛かったが、いいだろう。苦労人のドライバーをちょっぴり幸せにしてあげられた満足感は残る。

「あの信号の先あたりで止めてください」
「はぁーい」

「先あたり」でタクシーが止まる。
さぁ、領収書をお切りなさい。思う存分。
私は、小さな幸せを運ぶ小さな天使。ひとびとの笑顔が…

「あらー?」

何か?

「9,970円ですぅ。いちまんえんいきませんでしたぁ。」

ほんの少し声のトーンが落ちたのを私は聞き逃さなかった。
ほんの少し。にさんぜんえんぶん。


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買ったよシリーズ第五弾
冷蔵庫を買ったよ その1

2004.8.6


おなじみ「買ったよシリーズ」もついに第5弾。
それだけ「買ってる」のだ。
我は消費の奴隷である。キャピタリズムのSOSである。
なんて言い草はともかくとして、冷蔵庫を買ったよ。

私たち夫婦は結婚して15年になる。
15年間、雨の日も風の日もよくがんばった。
えらいぞ。
山あり谷ありの15年、よくぞ乗り越えた。
すごいぞ。
子供もふたりもうけた。
もうけたぞ。

しかし。
15年間がんばったのは私たちふたりだけではない。
もうひとり。
いや、もう一台、がんばっていたのだ。15年間。

…もう一庫?
そう。冷蔵庫である。

結婚した時にさまざまな電化製品を買いそろえた。
テレビ、洗濯機、エアコン、そして冷蔵庫。
その電化製品たちも、15年の間に次々と倒れていった。
『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』の愛の戦士たちのように次々と倒れてゆく戦友電化製品たちの中、冷蔵庫だけは台所で仁王立ちして、ブンブンうなり続けた。

正直なところ、おととしはちょっと危なかった。
氷がしっかり凍らなくなった。
ドアの閉まりが悪くなり、閉めたつもりが、ヘローンと開いていたりした。
もはやこれまでか。
もうわれわれに手段は残されていないのか?
地球は負けてしまうのか?
おのれ白色彗星帝国。

しかし。
なんとなく対応策を決定しかねているうちに夏が終わり、気づいたらなんとなく持ち直していた。
去年は冷夏だったこともあり、普通に機能していたのだが、今年は、梅雨時から猛暑全開で、のんびりしているわが家にも、さすがに「もういいだろ」「買い換えてもバチはあたらないだろ」という声が聞こえ始めた。
神も仏も信じてないのに「バチ」があたるのは怖いのだ。

そんなわけで、15年連れ添ったわれわれ夫婦は、15年連れ添った冷蔵庫をお払い箱にするために、ヨタヨタ歩く1歳半の娘を連れ、「顔が太陽」という、どうにも暑苦しいイメージキャラクターを使い、日夜「安さ世界一」に挑戦している家電量販店に冷蔵庫を買いに出かけたのであった。

「一円でも高かったらご相談下さい」
と、でっかく書いてある入り口を
「一円くらいで相談しねぇよ」
とつぶやきながら通過して、最近改装した明るく涼しい店内に入った

携帯電話、パソコン、液晶テレビプラズマテレビ、DVDレコーダー。最新のデジタル機器はどれもわがもの顔である。最先端消費文明の代表選手でございます、という顔でずらっと並んでいる。どこが顔やらお尻やら知らないけどさ。
なんてくだらないことを考えていると、娘がやたらとそこらのものに手を出して「よいしょよいしょ」とかわいらしく運び始めたりするので要注意だ。

娘をなだめながら店の奥の冷蔵庫コーナーに到着。
「とにかく狭い」という問題を抱えたわが家では、冷蔵庫を置くスペースも限られているので、サイズを確かめながら物色していると、暑苦しい真っ赤なハッピを着たおじさんが接近してきて説明をはじめた。
おじさんのおすすめはメインの扉が観音開きになっている日立の冷蔵庫だ。
なんとなく仏壇を連想させる。
観音開きのほうが冷気が逃げない、とか、開いた時に場所をとらないとかのメリットがあるらしい。なるほど。

おじさんの説明の間にも、娘はあっちをちょろちょろこっちをちょろちょろ落ち着かない。
冷蔵庫選びは妻の意見が重要なので、私は、あっちをどたどたこっちをばたばた娘を追っかけまわす役目をしていた。

そこらのものを適当に見せて、「ほらすごいねー」だの「きれいだねー」などとなだめていたが、やがてぎゃあぎゃあ泣き出した。
眠くなったようだ。
眠いなら眠ればいいのに、眠いと泣くっていうのはホントに不思議だ。
眠いと泣く大人がいれば面白いな、と思ったが、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
妻の判断で、私が娘を連れ帰って寝かすことにした。

家に着くと娘はすぐに寝ついたが、いくらも経たないうちに妻も帰って来た。
「今日買えば明日届けだって。また来るって言って帰って来ちゃった。あのおじさんはあれを売りたいみたいだね。どうかな?」

うーむ。
店員のお薦めと言われると、ちょっと警戒してしまうへそ曲がりの私だが、今使っている冷蔵庫を基準にすると、どれも良く見えてしまう。
たいてい自動製氷機が付いてるし。
実は、いつの間にか、家で氷を作る役目になっていた私は、この「自動製氷機」を早く使ってみたくてしょうがなかったのだ。
「使ってみたい」と言っても、「自動」だから何もしないのかもしれないけれど。

どういう仕組みなんだろ、「自動製氷機」。水はどこから供給されるんだろ「自動製氷機」。
早く使ってみたいな「自動製氷機」。今日買えば明日届くのか、「自動製氷機」。
私は言った。
「あれでいいんじゃん」

やがて娘が目を覚まし、昼食を食べた私たちは、再びさっきの家電量販店へむかった。
再びあのおじさんが接近して来て、午前中と同じ説明を始めた。
私はまた娘の係りだ。
これじゃ午前と同じだ。
また娘が泣き出して撤退か?
この夏も冷蔵庫は買わずじまいか?

と思われたが、結局おじさんお薦めの日立の観音開きを買うことにして、購入手続きに進むことができた。
店内の小さな机で住所やらなんやら記入していると、おじさんがおまけの品を持ってきた。ラップホルダーやらのつまらないものなのだが、中に、この店の暑苦しいキャラクターの人形があった。が、色や顔つきが微妙に違う。良く見ると女の子名が記してある。
女の子版もいたのか。メインキャラのあいつの彼女か?
暑苦しいカップルだ。
もらっておいてこう言うのもなんだが、こんなもんいらん。娘も見向きもしない。

冷蔵庫は翌日の午後届けてもらうことにして店を後にした。

つづく

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買ったよシリーズ第五弾
冷蔵庫を買ったよ その2

2004.8.16

翌日。
お届けの詳しい時間は午後一に電話が来ることになっていたので、午前中から古い冷蔵庫の片づけを始める。
紅しょうがが容器の底でかわいらしく干からびているのが見つかったり、何ヶ月も放置されたカスピ海ヨーグルトがなんとも形容しがたい状態になっているのが発見されたりしたが、旧冷蔵庫廃棄作戦はちゃくちゃくと進んでゆく。

内部が整理されるにつれ、淋しさがこみ上げてくる。
結婚以来わが家で共に過ごしてきた冷蔵庫。
長男が生まれたあの日も。
長女が生まれたあの日も。
それから、えーとえーと。
…とにかく毎日ブンブンうなり続けた冷蔵庫よ。さらば。
ゆっくりお休み。
もうすぐ廃棄されることも知らずに冷やし続けている冷蔵庫を見て、戦争中の「かわいそうな象」の話を思い出してしまった。

午後一。
約束どおり納品予定時間の連絡が来た。
5時から6時頃だって。ちょっと遅いなー。
もう片づけはほぼ終わっていたので、時間をもてあますことになってしまった。

午後は平常どおりだらだら過ごし、娘が夕方になってぐずりだしたので、妻が買い物に連れて行くことになった。
「中にまだ少し残っているから来たら出してね〜」
と言い残して妻は自転車で走り去った。

長男はどこかに遊びに行っているので、私ひとりで冷蔵庫の到着を待つ。
やがて大型トラックが我が家の前に停車し、イケメンテキパキ兄ちゃんと、さえないリストラ再就職(推測)おじさんが現われた。
急いで冷蔵庫の中に残っていたものを出す。もう放り出すように。

そして古い冷蔵庫の運び出し。さらば、古冷蔵庫よ。
床に毛布を敷いて、その毛布を引っ張って移動させる。なるほど。

見ていると、イケメンテキパキが主導権を握っていて、リストラ再就職(推測)は、その指示で動いているのだが、なんだかもたもたしている。
イケメンの指示は素人の私でもわかるようなものなのに、それに応じるリストラの動きはいちいちワンテンポ遅れるのだ。
イライラ見ていたら、わが家のキッチンに間抜けな着メロが鳴り響いて、リストラが自分のケータイに出た。
作業中に電話に出るか?うちの新しい冷蔵庫が斜めになってイケメンがささえてるぞ。そんなだからリストラされるんだよ(推測だけど)。着メロもセンスねぇぞ。

リストラの行動にいらいらさせられながらも新冷蔵庫の設置は無事終わり、イケメンが簡単な説明をして帰って行った。
イケメンが残していった言葉は、

1.中を拭け
2.氷の作り始めは臭いがつくので2回くらいは捨ててしまえ

のふたつだった。
一刻も早く自動製氷機を使いたい私は、退避させていた食品類を冷蔵庫に放り込み、説明書の該当箇所を読んだ。

なるほど。
水はここにセットして、氷はここに出てくるんだな、よしよし。
説明書によると、一回にできる氷は8個で、所要時間は約110分だそうだ。
半端だ。100分でも2時間でもなく110分。
水をセットしてしまったらとりあえずあと110分はやることがなくなってしまった。
そりゃそうだ。なにしろ「自動」だから。

自動製氷機をのぞけば、新しいとはいえ冷蔵庫は冷蔵庫。しょせんは中が冷たい箱にすぎない。
観音開きのドアが、わが家に新たな風景を提供していると言えなくもないが、開けたり閉めたりして遊ぶわけにもいかない。中身が冷えなくなるからだ。

やがて家族が帰ってきて、ドアを開け閉めしながらあーでもないこーでもない言い始めた。
「氷はまだできないのか」
と、責めるように私を問い詰める。
お前たちがドアを開けるたびに冷気が逃げて、氷ができる時間がじわじわ遅れていくのだよ。

しかし、なぜか何分経っても氷ができないまま夜になり、家族は就寝し、キッチンに私だけが残された。
氷貯蔵庫をガランと開けてみる。
フルに貯蔵すれば250個の氷が入る容積を誇るその貯蔵庫はまだ空だった。
うむ。
何か、操作が間違っていたのだろうかと、もう何度目になるか、説明書を読み直してみたが、ミスは見当たらない。

腕組みして夢想する。
250個の氷が貯蔵庫に溢れかえっている光景を。
氷つかいたい放題のぜいたくに家族の笑顔がはじけている光景を。

氷貯蔵庫をガランと開ける。
空だ。
夢想する。

氷貯蔵庫をガランと開ける。
空だ。
夢想する。

氷貯蔵庫をガラン。
空。
夢想。

氷貯蔵庫をガラン。
空。

寝た。

翌朝。
目が覚めて起きてゆくと、朝食の準備をしていた妻が言った。
「氷できてたよ」

急いでガランと開ける。
あった。
氷だ。

でも。

しょぼ。

250個収納できる貯蔵庫に数個の小さな氷がコロンコロン。
こんなにちっちゃいんだ、自動製氷機の氷って…。
なんとなく、居酒屋のチューハイに入っているような氷がガランガランしてるのを想像していた私は少々がっかりした。
昨晩ひとりで夢想していた光景がパチンパチンとはじけて消えた。

それでもせっかくだからと、アイスコーヒーに入れて飲んでみた。
イケメンの指示を無視したことになるが、別に臭いはなかった。
それよりその氷があっという間に溶けてしまったのにびっくりした。
後日、会社の人にその話をしたら、「そうなんだよー、情けねぇんだよー、あの氷は」と、強く同意していた。
そうか。情けねぇんだ。自動製氷機の氷は。

自動製氷機の氷は小さくて根性に欠ける。
またひとつ学んだわが家であった。
結局、根性の無い氷に物足りなさを感じたわが家は、100円ショップで丸い氷を作れる製氷皿を購入した。
テニスボールとピンポン玉の中間くらいの大きさの球形の氷を四つづつ作れる製氷皿をふたつ。
今ではこれがわが家のレギュラー氷である。自動製氷機の氷は、なんていうか、雑魚扱いである。単なるあたま数、ショッカーで言えば戦闘員、イーッ!イーッ!である。

もうひとつ付け加えると、半分ずつ開けるので冷気が逃げにくい観音開きのドアは、どこに何が入っているか把握していないと結局両方開けることになってしまう。
右へ左へ冷気逃げ放題だ。
ライトへレフトへホームランだ。

なんだって宣伝ほど便利だったことなんか一度も無い。せちがらい世の中である。

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出てきたもの

2004.6.8


わけあって会社の席替えがあった。
昨年11月に席替えをしたが、またあった。わけあった。またあった。

両そで机を使っていたのだが、片そで机にせよ、という指令が下った。
引き出し三段分に入っているものをなんとかしなければならない。
ただでさえ荷物があふれている私はもうパニックである。
この7ヶ月間、ちゃくちゃくと広げてきた我が帝国の領土も、会社側が引いた国境線に後退させられてしまった。
狭い領土に押し込められて、非常に仕事がやりにくい。
世界中で領土をめぐる紛争が絶えないのもよくわかる。
細かいことを言うようだが、トイレにも行きにくい。もらしそうだ。

まぁ、トイレには早めに行くように気をつけるとして、例によってゴミが山ほど出たという話も今回は触れるだけに留めて、このたび強調したいのは、「引き出しの中身」である。
もっと言うと、「右側の一番上の引き出しの中身」である。

前回までの席替えでは、机はそのまま使うか、同種の机どうしで、引き出しだけ差し替える、という方法でしのいできたが、今回は引き出しの大きさが合わなかったので、中身を入れ替えざるを得なくなった。
いつもは手前10センチくらいの、ペンが置いてある分しか開けないが、その奥がなかなかすごいことになっているだろうな、ということは予想していた。
しかし、思い切って「えいっ」と開けてみると、その惨状は想像以上であった。

ゼムクリップ、一円玉、はさみ、使いかけの付箋、ガスの切れたライター、インクの切れたボールペン、万歩計、宝くじを買った時にもらった招き猫のシール、宝くじを買った時にもらった招き猫の携帯ストラップ、何の薬だかわからない錠剤。
それら細々した物が、何十本もの輪ゴムにからまった状態で収納されていたのだ。
ついでにいうと、輪ゴムはベトベトしていた。
何かの動物の巣みたいだ。
見ているうちに笑いがこみ上げてきた。

「机を開けて笑うサラリーマン」というのはきっと珍しいのだろうが、片付けているうちにその笑いの衝動はどんどん強くなり、ついに私は爆笑してしまった。爆笑しながら引き出しの中を片付け続けた。
その、なんていうか、引き出しから次々に発掘される出土品の数々に、笑いが止まらなくなったのだ。

ゲラゲラ笑いながら引き出しを片付けるサラリーマン。
しかし、ひとつの引き出しからこんな物が出てきたら、笑うくらいしかできないのではないだろうか?

こんな物。

 ホッチキス5個。


 はさみ5本。
 ひとつあれば充分な物が複数発見されている。


カッターナイフ4本。そもそも誰のなんだ?

そして。


ボールペンのふた。赤8ケと黒6ケ。
ふたの無いボールペンも何本かあったのだが、ぜんぜん数が合わない。

このところテレビで、血液型性格判断を特集している番組をたて続けに観たが、「A型は几帳面」と言われるたびになんだか申しわけない気分になる私である。


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さがしものはどこですか?

2004.2.20


ある日、外回りで、やや細い道を歩いていたら、前方から、不自然にゆっくりゆっくり走る車が接近してきた。車種とはまったく関係ない話だが、日産のキューブだった。

何をそんなにゆっくり走っているのかと見ていたら、運転手がハンドルを抱えるような姿勢で「右斜め上」、「左斜め上」の繰り返しで首をぐるっ、ぐるっ、と巡らしている。
何かビルの表示を探している様子だ。
頼むから正面にいる私も見てくれよ、と思ったが、正面には神経が行き届いていないようなので私が道の端によけた。

運転手はずっと同じリズムで首をぐるっ、ぐるっとしながら私の横を通り過ぎて行った。
前なんかほとんど見てない。
あのままごつんとどこかにぶつかってくれたら面白いなと、後ろ姿をずっと見ていたが、車はそのままゆっくり走り続け、やがてゆっくりゆっくり右折して視界から消えた。
その時。
私の頭の中に、アフリカのサバンナ上空に閃く稲妻のように、ある考えが閃いた。

あの運転手はどこかのビルを探していて、その手がかりは右斜め上か、左斜め上にあると思っていた。だから首をぐるっ、ぐるっとしていたのだ。
つまり、人は何かを探す時には、それがみつかりそうな方を見るってことだ。

あたりまえじゃん。

でも私の話の大事なところはこの先だ。
なにしろ「アフリカ」だ。
「サバンナの稲妻」だ。

次の質問を真剣に考えてもらいたい。

「自分で覚えている一番古い記憶は何か?」



どう?


考えながらどこかを見たでしょ?

私は右斜め上を見た。
どうやら私の一番古い記憶は右斜め上にあるらしい。

じゃ次。

「初恋から数えて4人目に好きになった人の名前」


私は正面やや下を見た。私の恋の記憶はそのあたりにあるようだ。
あった。ミツコちゃんだ。顔は思い出せない。それが哀しい。幼い恋はいつも哀しい。

あ、違った、ミツコちゃんは5人目だ。
まあいいや、次。

「小学一年生の一学期、あなたの右隣に座っていたのは誰?」

これはみんな右側を見たと思う。
なぜか壁とか窓とかが浮かんできた人は、右端に座っていた人だ。

「初めて自分にかかってきた電話の用件」
「中二の担任の名前」
「親に捨てられて一番くやしかった物」

みんなどこかに記憶があるはずだ。考えながらどこかを見ただろう。そのあたりにあるのだ。
頭の外にあるのか?
そうじゃないぞ。
おそらく脳内の、記憶が格納されている部位と、周囲の空間が対応しているのだろう。
私は「親に捨てられて一番くやしかった物」を思い出す時、右後ろ下を見た。脇の下を覗き込む感じだ。脳の右後ろ下あたりに「親に捨てられて一番くやしかった物」が覚えられているということだ。ちなみに私のそれは仮面ライダーカードアルバム3冊分だ。
なんかさぁ。
騙されちゃったんだよね。
「まとめてしまっておくからこの箱に入れときな」
とか母親に言われてさぁ、おもちゃとか全部。
で、しばらくしてどこにしまってあるのかと思って訊いてみたら、
「あれは捨てたよ」
なんて当たり前のような顔で言うんだよね。
あー、書いてたら腹立ってきた。グレートマジンガーの超合金も入れちゃったんだよね。
くそぉ〜セツコめぇ〜。

なんだっけ?
あ、脳の話か。

これは大発見だと思う。

「脳の記憶部位と外部空間の対応関係ならびに思考中の視線との対応関係」

おそらく脳研究、今世紀最大の発見だ。今世紀始まったばかりだけど早くも最大。
養老孟司もまだ知らない。
私が教えてないから。


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