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ぼくのこと忘れないでね 2011.8.27

5月の連休中に、中学校の同期卒業生の同窓会があった。

中学に限らず同窓会など出たことはなかったが、案内のメールをくれたのが私の一番旧い友達のツトム(幼稚園に入る前からのつき合いで、中学高校の柔道部でも一緒だった)ので、出席することにした。

3月11日の震災や、原発の事故、3月15日には、同窓会で帰るその故郷、富士宮市でも震度6強の地震があり、気が滅入るやら心細いやらで、無性に人に会いたい気持ちになっていたのも出席した理由だ。

5月7日同窓会当日、午後の早めに実家に到着してダラダラしていると、みっちゃん(小学一年生からのつき合い、みっちゃんも中学高校と柔道部で一緒だった「文書の書」「距離(1)」参照)から電話。

「てらさん(私のこと)今日来るだら?」

「行く行く。家で待機中」

「カズヤはこれにゃあだって」

カズヤは中高の柔道部の仲間だ(「距離」に登場する東京在住バツイチというのはカズヤのことだ)。残念ながら今回は欠席らしい。

夕方。
妻子を実家に置き去りにして会場へ。
会場は、結婚式やら法事やら各種宴会承りますのホールだった。
受付に行くと、

「ああ、てらさん、何組だっけ?」

「え?あれ?オレ何組だっけ?」

「てらさんはねぇ、3組。初めはクラスごとのテーブルになってるから」

名簿をめくりながら教えてくれた。そうか。俺は3組だったのか、5組だと思ってたよ、なんとなく。

ということで3組のテーブルへ。
「3組」という札を見つけて接近するとそこに座っていたおっさん(同い年だけど)が、

「おー、てらさんこっちこっち」

と手招きしてきた。

「ここ座んなぁ」

と隣の椅子を勧めてくれる。とっても親しげに。でも。

誰だっけ?

「今どこにいる?」

「埼玉に住んでるんだよね」

「ああ、ホントぉ。埼玉のどこ?」

話は弾むが誰だか思い出せない。

誰だかわからないおっさんと仕事の話や家族の話などしているうちに他の3組の出席者も揃い始め、みんなまとめての会話に移行していった。

会場の人数も増えてきたが、私の中ではひと目で顔と名前が一致する者、顔はわかるが名前が出てこない者、誰だかまったくわからない者、の三とおりに分かれた。
とりあえず松竹梅と分類しておく。
となりのおっさんは梅だ。

やがて開会宣言と乾杯が行われ、私にとって人生初めての同窓会が始まった。
同期卒業生300人余りのうち出席者が60人くらいだそうだ。

しばらくすると隣の謎のおっさんが席を離れ、あっちのほうでツトムと話していた。
よし。
ツトムと謎のおっさんが離れたのを見計らってツトムに接近。

「今お前と話してたの誰?」

「ああ、あれサイトー」

ああーっ!サイトーっ!
サイトーは2年生の時も同じクラスで、日曜日になると毎週のように集まって遊んでいた7人の仲良しのうちのひとりだった。
俺たち先生からも「7人組」とか「セブン」って呼ばれてたくらいだったのに。
そのサイトーを思い出せないなんて。
すまんサイトー。
許せサイトー。
今からお前は「特松」に分類な。

テーブルに戻って再度歓談。

「サイトー何飲んでんの?」「これおいしいよサイトー、食べる?サイトー」「サイトーサイトー料理とって来ようか」

さっきまで巧妙に名前を呼ばないように話していたので、それを埋め合わせるためにむやみと「サイトー」を連発する。
これくらい呼んでおけば「名前呼ぶ率」が平均化されただろう、とひと息ついたころでみんなの近況報告タイムが始まった。

近況報告は1組からステージに上がりひとりずつ、出席番号順(50音順になっている)で行われた。
みんなが立っているステージの対面のスクリーンに、話している者の卒業写真が映される仕組みで、それが誰で、どれだけ変わり果てたか、果ててないかがわかるようになっていた。

卒業から33年。
変わり果てていて当たり前だが、中にはびっくりするほど変わっていない者もいる。

3組の番になり、サイトーは、最近二人目の孫が生まれたと告げ、会場を湧かせた。
この日の近況報告で同じくらい会場を湧かせたのは、

「旦那が元リーマンブラザーズで、」

と報告した6組の女子だった。
旦那さんはイギリス人とかで、なんだかカタカナのむずかしい名前になっていた。
そう思って見ると、ファッションもなんだかセレブリティックだ。

それにしてもひとり残らずいちいちみんななつかしい。
笑える話もごく普通の話も、誰の近況報告もみな楽しくうれしい。
同窓会がこんなに楽しいものだとは想像していなかった。
もうちょっとよそよそしく、大人ぶってるものかと思っていた。

これじゃまるで。

まるでみんな中学生じゃないか。

*******

全員の近況報告が終わってあちこちテーブルを回っていると、まーちゃんが近づいてきた。
まーちゃんはみっちゃんの双子の兄で、「文書の書」で書いた「世界一怖いホラー映画 後編 」に登場するのはこのまーちゃんだ。

「てらさーん、痩せちゃってぇ〜、こんなに痩せちゃって〜」

まーちゃんとは何年かに一度会うが、こいつは会うたび同じことを言う。
こっちはもう15年以上痩せっぱなしだ。

人の腕とか触りながら、

「死んだらちゃんと連絡来るようにしとけよお」

だと。
遠慮がないのも40年以上のつき合いだからか。

まーちゃんと話していると左後方から、

「てらさぁ〜ん」

テルイ君が現れた。

テルイ君とは、中学の時よりも高校3年で同じクラスになって仲良くしていた。
金八先生と僕 後編 」に出てくる「T君」というのはテルイ君のことだ。

「てらさんなんだかいい感じだねぇ」

よく意味が分からないがテルイ君が言うからそうなんだろう。

テルイ君は全然変わってない。体型も髪型とかも。
そう言うと、

「きょう床屋行ったからね」

テルイ君らしい、ストレートだけれどなんだかおかしい返答。

「てらさんさぁ、ガンダムの絵とか描いててうまかったよなぁ」

これも高校の時の話だ。

「ああいうのはもっとさぁ、アピールしたほうがいいと思うんだよね。もったいないよ」

うれしいことを言ってくれる。

「あ、そうそうガンダムっていえばさぁ」

ケータイを取り出しなにやら操作する。

「これこれほら、ガンダム」

写真を見せてくれた。
静岡に実物大ガンダムが展示されたことがあって、その時撮ったそうだ。

「てらさん見たら喜ぶかなぁと思ったよ」

ああそうか。
私も何かのきっかけで友達のことを思い出し、話に書いたりもするが、私も思い出されることもあるんだな、当たり前だけどなんかうれしい。

「絵は今も描いてるの?」

と訊くので、自分のサイトの話をする。
そこにテルイ君の話を書いたことや、家族で「金八先生」の話題になるとテルイ君の名前が出る事も。

「うれし〜、すげーうれし〜」

彼は昔と同じように心底嬉しそうな顔で言った。
テルイ君はいつもうれしい時は心の底から嬉しそうにするのだ。
実をいうと私のうれしがり方はテルイ君のマネなのだ。

*****

一次会はあっという間に終わってしまった。
締めのあいさつでツトムに、

「次回は3組が幹事クラスですからよろしく」

と言われた。
この会はクラス単位で幹事を回していく決まりで、次はわれわれ3組の番なのだ。

二次会の店に向かうため外に出ると、
「てらさぁ〜ん」とアキラ(別サイト『ゴブダシャ』「宇宙のだらだら日誌 1.出会いと別れ」参照)がやって来た。
アキラも変わんないなぁ。びっくり。
アキラは幹事クラスではないが、手伝っているそうで、二次会に行くみんなをてきぱき誘導していた。

二次会は、半分くらいの人数になったがそれでも30人以上。
洋風居酒屋みたいな店のほとんどを我々が占めたが、貸し切りではないので、3、4人別の客がいて、ちょっと気の毒。

次回幹事の3組はかたまって着席して次回の作戦会議。
地元の材木屋の長男クリブンがとりあえずのまとめ役になる。

クリブンと私はふたりとも、『宇宙戦艦ヤマト』のファンで、当時はよくヤマトの話をした。
幹事のための話がひと段落したところでクリブンが言った。

「でもてらさん痩せたな〜、どうしたの?」

と訊いてきたので、

「宇宙放射線病なんだよねぇ」

と、かねて用意のギャグで返したが、クリブンは真顔で

「まぁたわけわかんないこと言ってぇ〜」

!!っ
クリブ〜ン!ヤマト好きだったじゃん!あんなに好きだったじゃん!沖田艦長の病気じゃん、宇宙放射線病ーおー!クリブ〜ン!
波動砲直撃とまではいかないが、ロケットアンカーを頭部に喰らったかのようなショックでソファに撃沈。

私が衝撃を受けて沈んでいる間にもみんなは会話を続け、女子の一人が旦那とうまくいってないらしいという話題に移っていた。

やや深刻な空気。
私が事情もわからず

「別れちゃえ別れちゃえー」

と言うと、当人も含めた女子3人ににらまれた。
怖い怖い。女子は怖い。

その後、旦那が元リーマンブラザーズの女子がやって来て、私が生徒会の選挙に立候補した時に応援演説をしてくれた話を始めた。
そうだ。そんなこともあったっけ。すっかり忘れていた。

私はその選挙にびりっけつで当選して、生徒会の書記になり、ベルマークの集計とかしてたのだ。
そうだそうだ忘れてたよ、よく覚えてたなぁ、さすがリーマンブラザーズ。

その後も、当時背が高くてコンプレックスだったが「てらさんは私より背が高かったから安心して並べた」女子や、今は家を継いで神主になっている変わり種女子など、なぜか女子とばかり話しているうちに2次会もお開きになり、私はひとりで家路に就いた。
とてもとても充足した気持ちで。

鬱々と沈んでいた気持ちがカラっと楽になっていた。
誰かとの間に思い出があるというのがこんなに生きる力になるものだと初めて知った。

以前、生きていればこの会にも出席していたであろう友人の死に際して私は思った。

同い年の友人の死は体にこたえる。

死を自分にも近いものとして意識してしまうからだ。

今回、私は思い知った。

生きている同い年の友人は私に生命力を与えてくれる。

ならば、私にも生きている意味があるってもんだ。
いやきっと。

こんなにも充実した同窓会ではあったが、たったひとつだけ心残りがある。

出席していたカバさん(「カバさん」参照)と話せなかったことだ。

もう見た目全然変わってないのカバさん。
一次会でも二次会でもちらちら見てたけど、もうなんかまったくカバさんなの。
ホント癒されるわ。
近況報告で「名前も住所も変わってません」と言ってたけど、何がどう変わろうと変わるまいと、カバさんはカバさんのままなんだと確信したよ。



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