私が人生初の離陸に感動している間、隣の仮ジョセフィーヌは眠り続けていた。
この人は席に着いたと思ったら、ゴソゴソ眠る体勢を作り、そのまま眠りっぱなしなのだ。相当眠かったんだろう。
私の席は翼の上あたりなので、普通に外を見ていると、窓の半分くらいは翼で、その下のエンジンがちらっと見える。ちらっと見えるのはいいのだが、見ていると、そのエンジンが小刻みに揺れているのがわかった。
大丈夫なのか?飛行中にポロっと落ちちゃったりしないんだろうか?落ちるのを目撃したらどうすればいいんだろう?「ドロップザエンジン!」とか叫べばいいのか?
そんな心配をしていたら飲み物サービスがやって来た。
仮ジョセフィーヌも起きだして、オレンジジュースをもらっていた。日本人のスチュワーデスだったので、私は普通に日本語でウーロン茶を頼んだ。国籍不明はワインを飲んでいるようだ。
飛行機から雲を見るのは初めてだったので、しばらく眺めていたが、さすがに変化がなくて退屈してきた。
前の方にあるちっこいテレビに何か映っているが、つまらなそうだ。しかたがないので本でも読むことにした。
飛行中の窓から
私にとっては珍しい光景だが、いつまでも見ているようなものでもない。
スティーブン・キングの「グリーン・マイル」を読むことにする。薄っぺらい文庫本で全六冊。こういう旅行には勝手がいいかなと思って持ってきたのだ。
前書きを読んでいたら、フランクフルトブックフェアのことがちらっと書かれていて、「お、これから行くとこじゃん」と思った。まったくの偶然だが、ちょっとうれしい気分。
うれしい気分で読み始めたが、いくらも読まないうちに食事の時間になった。
今度は外国人のスチュワーデスが、ワゴンをガチャガチャ押して、客たちに英語で話かけながら接近して来る。
むむ。
何かを選択しなければならないようだ。英語で。何だろう?
国籍不明とスチュワーデスが、何かやり取りして、食事が支給されたが、私にはまったく聞き取れない。
次にスチュワーデスが何か言って、仮ジョセフィーヌが「ジャパニーズ」と答えた。
そうか!和食と何かを選んでいるんだ。…たぶん。
スチュワーデスが私に話しかける。「ジャパニーズ」しか聞き取れない。
「ジャパニーズ」と答える。「ジャパニーズ」でなければ何なのか気にはなったが、無事食事が支給されたので、よしとしよう。
「ジャパニーズ」は、まぜ御飯みたいなやつだった。ソバも付いてた。
まあ機内食なんてこんなもんだろうな、という予想通りのものだった。
食事が済むとトイレに行きたくなってきた。
しかし、窓側の席からトイレに立つには、仮ジョセフィーヌと国籍不明の席を通り抜けなければならない。
そのためには前の席の背に付いているテーブルをたたまなければならないのだが、そのためにはまだ置きっぱなしの食事のトレイを片づけてもらわなければならない。
トレイでトイレに行けないのだ。言葉は似ているがトレイとトイレは両立しないのだ。
そのうち、トレイがまだ下げられないうちに、仮ジョセフィーヌがまた眠り始めてしまった。
ありゃりゃ。
これじゃ、トレイが片づいても立ちにくいぞ。
よし。
私は決心した。飛行時間はあと9時間ほどだ。その間に1回だけトイレに立っていいことにしよう。そのために酒類とコーヒーは口にするまい。
その後、何時間か我慢した上に、最上のタイミングをつかんだ私は、このフライトでただ一度のトイレに立った。
立つ時に仮ジョセフィーヌと国籍不明を通路に追い出し、戻る時にまた二人を通路に立たせた。やはり何度もこんなことできるものではない。「トイレは一度だけ」という私の判断は正しかったのだ。
トイレに行って、身も心も落ち着いた私はしばらく睡眠をとった。飛行機の中は想像以上にエンジン音が響き渡ってうるさかったが、その日は早起きしたこともあって、何時間かはぐっすり眠ってしまった。
目覚めてみるとまだ飛行中だった(当たり前か)。
窓の外は雲が無くなっていて、地上が見える。ボーっと見ていたら右前方に雪山が見えてきた。かなり大きい。とりあえず「ヒマラヤ」ということにしておく。
しばらくするとまた右前方にでっかい雪山が見えてきた。「ヒラヤマ」と命名。
さらに飛んでいると、右前方にまたまた雪山発見。座席の位置の関係で、発見はすべて右前方なのだ。「ヒヤラマ」と命名。
元々地理に弱い私の頭の中で、とんでもない世界地図が出来上がっていく。
その後二回目の機内食を食べ、「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」という、アナウンスを聞いたりしているうちにフランクフルトが近づいてきた。
窓の外は物凄い雲海だ。
圧倒されつつ、「天気悪いのかなあ」と心配しつつ、雲海を突っ切る時は『風の谷のナウシカ』みたく、ビュビュビュビュヒューンって、なるのかなぁ、と思ってワクワクしていたが、いきなり外が真っ白になっただけだった。
そして、しばらくすると真っ白が真っ青になった。
フランクフルト上空は快晴である。
地上がだんだん近づいて来る。
おマタがヒューンとなったと思ったら、滑走路の衝撃が伝わってきた。
ついに私はドイツに到着したのである。
「11.オトーくんドイツに立つ」につづく
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