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オトーくん海を渡る
1.お前が行け

2002.9.23


 それは七月初めのある暑い日のことだった。
会社で上から何番目かのエライ人から内線があって、ちょっと来いと呼び出された。
ひょっとして「アレ」がバレたのか?それともあの件か?いや、あの件は完全にもみ消したはず、ではなぜ?俺もついにリストラか?いや、それなら俺の前にあの人だろう。
こっちは下から何番目かなので、何事かと思いながら呼び出された部屋へ向かった。

 部屋に入るとそのエライ人は、「いや、悪い話じゃないんだよ」とにこやかな顔で言ったので、私もようやく、自分がそんなには不良社員じゃなかったことを思い出した。そんなには。
「ほら、毎年やってる海外研修にさ、今年は君に行ってもらうことになってね」

 実は、アメリカで開催される印刷機材展に、会社から毎年一人派遣されていたのだが、今年は私が指名されたという話だったのだ。
 ところが私を派遣する事が決まったのはいいが、去年起こったテロの影響で、毎年機材展ツアーを企画していた会社が今年はツアーを行わないらしく、まだ行き先が決まっていないというのだ。
実際去年のツアーは九月十日に帰国しているので、一日ずれていたらしばらく帰国できない事態になりかねず、危ないところだったのだ。

 その日は「ま、秋頃ね、どこでもいいけどヨーロッパなんかいいんじゃない?自分で探してきてもいいよ。パスポートだけ用意しといてね」と、あまりにおおざっぱな打ち合わせで終った。

 私は海外旅行というものに行ったことがなかったので、行けるのならどこでもいいな、と思いつつ、何か機材展に近いものがヨーロッパで開催されないかネットで検索してみたりしたが、見つけられなかった。

 まったく話が進展しないまま日がたっていったが、とりあえずパスポートだけでも取っておこうと、お盆休みに、住民票、戸籍抄本、証明写真を持って春日部のパスポートセンターという所に行ってきた。
証明写真の顔が暗いと言われて撮り直したりしたが、まぁ、無事にパスポートは取得できた。

 そしてまた進展のない日々が続き、とうとう九月に入ってしまった。
 最初に話を聞いた時は、初めての海外旅行ということもあり、それなりの緊張感もあったが、何も決まらないまま、日が過ぎて行くと、それもだんだんゆるんでくる。
会社の人に「ホントに行くのかよぉ」と言われても「さぁねぇ」と答えるしかなかった。

 そんなある日、別のエライ人が旅行会社の広告のコピーを持ってやって来た。
「スペインでジャパンフェスティバルっていうのがあるけど、どうかな?」
印刷とはまったく関係ないけど、別にいいよ、ということだった。鷹揚な会社なのである。
私は、どこでもいいと思いつつも、スペインにはちょっと心惹かれるものを感じた。そうかぁ、スペインかぁ。
コピーを見ると、ヨーロッパと日本の文化交流のために毎年開かれている行事だということだ。
なるほど印刷とはまったく関係ないな。でも、そのほうが気楽でいいな。しかし、何のために行くんだろう、俺。
海外旅行初心者の心は戸惑うばかりである。

 そのコピーを読んでみると、「ジャパンフェスティバル」はまぁいいとしても、「観光」の日程の中に「『ドン・キホーテ』の舞台となった乾ききった大地が波打つように地平線まで続く『ラ・マンチャ』地方の景色を楽しみます」というのがあった。
何度も言うが、私は海外旅行初心者なのでよく分からないのだが、「乾ききった大地」が、「地平線まで続く」景色というのは楽しめるものなのだろうか?どうなんだろうか?

 しかし結局、最初のエライ人(ややこしいな)が、もう少し印刷会社の社員向けのツアーを探し出して来たため、『ラ・マンチャ』地方の謎は永久に謎のままになってしまったのであった。

「2.ブックのフェアだ」につづく
(この下↓)

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オトーくん海を渡る
2.ブックのフェアだ

2002.9.27


「こういうの見つけたんだけど、どう?」
最初のエライ人が階段の踊り場で話しかけてきた。

 見せられたチラシには『フランクフルトブックフェア』とある。
なるほど、私が勤めている会社は書籍の印刷が主な業務なので、「ブック」の「フェア」なら、そう遠くはない。
行程はフランクフルト→ベルリン→パリとなっていた。
ドイツとフランスかぁ。いかにも「ヨーロッパ」だ。
しかし海外旅行初心者の私が一気に二ヵ国の旅。お得だ。「一石二鳥」という言葉があるが、こっちは「一気に二ヵ国」だ。どうだ。

「でも、まだ六人しか希望者がいないんだって」
ほえ?「少ないとツアー自体やらなかったりしますよねぇ」
「是非やるようにって言っといたよ」
まるで自分が決めるような口調だが、社内ではエライ人でも、世間では関係ないからなぁ。

 と、心配していたが、数日してその人がまたやって来て、あっさり「決まったよ」と伝えられた。
 出発は10月8日。もう一ヶ月もない。8日間の行程なので帰国は10月15日になる。
あれ?このあたりの日付に何かあったような‥。
あー、そうだ、あれだ。
 息子の小学校のクラスで、「30人31脚」という、テレビ局企画の大会に出場することになっていて、その予選が12日か13日にあるんだった。
 息子に「死んでも決勝に出ろ」と言うと、「無理」と一言。
妻の話では、まだ50メートル完走できたことがないらしい。
こりゃ見れないな。代わりにエッフェル塔を見てこよう。

それはそれとして。行き先が確定して、ようやく気分が盛り上がってきた。

ドイツ。漢字で書くと独逸。
アルベルト・ハインリヒ(サイボーグ004)の国ドイツ。
冷戦の象徴ベルリンの壁があった国ドイツ。
ビールを水代わりに飲む夢のような国ドイツ。

そしてフランス。漢字で仏蘭西。
フランソワーズ(003)の国フランス。
『スタートレック』のピカード艦長の国フランス。
ワインを水代わりに飲む天国のような国フランス。
普通なら『アタック25』で優勝して、さらに最後のクイズに正解しないと行けない国フランス。
よしよし、これで準備にも力がはいるってもんだ。

とりあえずインターネットで現地の気候を調べてみる。
 海外旅行関係の掲示板で調査すると「晴れた日はTシャツ、雨が降ったらコートが必要なくらい寒いでしょう」
たちわりーな、おい。
準備は必要だけど使わないかも、ってことだもんな。
厚めの上着を持ってかなきゃ、ってことか。
そうだ。だるまも連れて行こう。
「だるまの大冒険 海外編」
だるまとベルリンの壁跡地、だるまとドイツビール、だるまとエッフェル塔、だるまとフランス美人。夢はぐんぐん広がる。
準備はぜんぜん進まない。

「3.準備の開始だ」につづく
(この下↓)


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3.準備の開始だ

2002.9.28


 出発まで一ヶ月弱あるとはいえ、集中して準備できるのは休日に限られているのであまりのんびりはしていられない。
 以前アメリカへ研修に行った同僚に何が必要かいろいろ訊いてみる。
「腹痛の薬、酔い止めの薬、荷物を減らせるようにあっちで捨ててもいいようなスリッパ、捨ててもいいようなパンツ」
とっても参考になる。
服装のことも訊いてみた。
「背広一着、ワイシャツとネクタイ何本か、それ以外にラフすぎない服も用意したほうがいいですよ」
ラフすぎないって?
「いや、普通の服ですよ。ゴルフやるようなカッコでいいんですよ」
ゴルフやんないもん。ま、いいや。あとで考えよう。

 それから、海外旅行といえばスーツケースである。誰かに借りちゃえばいいかなと思っていたが、この同僚によると、けっこう乱暴に扱われるというというので買うことにした。

 休日にダイエーでセールをやっていたので必要な買い物をした。
 私は会社では背広にネクタイ、家ではラフすぎる格好なので、この機会に服も少し揃えることにした。
 ついでにパンツも何枚か買っておいた。異国の地でもしものときに「捨ててもいいパンツ」ではちょっと恥ずかしいではないか。フランス美人にも失礼だ(なぜ?)。
スーツケース以外は普段でも使えるので別に無駄ではないのだ。
いろいろ考えながらたくさんの買い物をして、へとへとになって帰宅した。

 私はスーツケースというものに初めて触ったので、家で、鍵やらなにやらいろいろ試してみた。スーツケース特有のギミックもあって、横のスイッチをカチッと押すとハンドルがカリカリカリっと伸ばせるようになって、引っ張って歩けるのだ。って、そんなことみんな知ってるか。
私も知っていた。知っていたが、実際やるのは初めてだったので、面白がって家でガラガラ引っ張っていたら妻に怒られた。
空のスーツケースをガラガラするのは面白いが、中身を入れてあちこち移動するのは大変そうだ。

 パンツは「3枚いくら」とかの安いやつを買ってきたのだが、家に帰ってよく見たらトウモロコシとか、アヒルとか、変な柄ばかりであった。
普段ならまったく気にしないが、もしもの時に現地の人間に見られたら「ニッポンジン、ヘンナパンツハイテルネ。パンツノセンスサイアクダヨ」なんて言われやしないか心配だ。まぁ、言われてもこっちは言葉がわからないんだけどさ。

「4.安心を買いに」につづく
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4.安心を買いに

2002.9.29



 とりあえず必要になりそうなものの買い物はすませたので、ちょっと安心状態、というか、やることがなくなった。
渡航準備を進めながらも日常業務はあるわけだが、ある日ヤボ用で水天宮へ行った。
何となくお札やお守りコーナーを見ていたら、「渡航安全お守り」というのを発見。
私は信心深いほうではないが、このタイミングでこういうものを偶然見つけてしまったからには買わないわけにはいかないだろう。


渡航安全御守。これで旅行の安全は保証された。

隣にあった「魔よけの河童」にも心惹かれるものを感じたのでついでに(と言ったらバチが当たりそうだが)買っておいた。


魔よけの河童。これで留守中も安心だ。


 水天宮は弁財天を祀ってあるそうだ。普段は神も仏もないような生活をしている私だが、これからは七福神は信じることにしよう。

 あとは何が必要だろうか?
早く出発しないと余計なものをたくさん買い込んでしまいそうである。なにしろ初心者なので。

 実はひとつ重大な問題が放置されたままだった。
それは言葉の問題である。英会話だってできないが、英語なら知ってる単語を並べればなんとかなりそうな気もするが、ドイツ語フランス語になると、まったくわからない。単語のひとつも知らない。ツアーで行くのに、どの程度の会話能力が必要なのかわからないが、場合によっては必要になるだろう。
とりあえず私が知りたいのは、
・ すいませーん、ちょっと教えて下さーい。
・ トイレはどこですか?
・ ○○ホテルに行きたいのですが。
・ リーズナブルな値段で食事ができる店を教えて下さい。
・ もう一度言って下さい。
・ もう一度ゆっくり言って下さい。
・ 英語で言って下さい。
・ できたら日本語で言って下さい。
といったところだろうか。
しかし、こちらががんばって通じる言葉を話しても、相手の言葉を理解できなければまったく意味がないのだ。ていうか、通じてるかどうかすら判断できないだろう。
さんざんわけの分からないやり取りをして、しまいに「日本語で言え」なんて言ったら怒るだろうなー。国際問題に発展しかねないな。日本人は入国拒否。

 日本語を勉強している女子大生に偶然出会う、ってことはないかな。
お互いに言葉を教え合ったりなんかして。
楽しいひと時を過ごしたりして。
できたら恋に落ちたりして。
やがて別れの日がやってきたりして。
「オトーはニッポンヘ帰ってしまうのね」
「許してくれジョセフィーヌ、私には日本に妻と子が」
「そうね、出会った時から分かっていたことね。でも私忘れないわ。あなたのパンツがきれいで新しかったこと。私が今まで会った日本人はたいてい捨ててもいいようなパンツをはいていたわ」
「ジョセフィーヌ、今のは問題発言だよ」
「ふふ。少しは妬いてくれるのね」
「ああ、ジョセフィーヌ」

 なんてことはまったく起こりそうにないので、旅行者用の会話の本を買うことにした。
書店に行くと、ヨーロッパへ旅行する人のために何ヶ国語かまとめて解説してある本があったので一冊購入した。
 家に帰ってパラパラ見てみると、「空港にて」とか「ホテルにて」と、場面ごとに必要になりそうな文例が日本語、英語、フランス語、ドイツ語他で載っている。
各言語の下にはカタカナでルビがふってあって、「この通りに読めば通じます」と心強いことが書かれていた。
言ったな。通じるって言ったな。

 笑っちゃったのは「ディスコにて」。
「ディスコにて」ってタイトルですでにおかしいが、そこの文例が「踊れる場所はありませんか?」で始まって、「何時からやっていますか?」「どんな音楽ですか?」と続き、この辺はまあいいのだが、「若い人は多いですか?」「何かお飲みになりますか?」「彼女にはりんご酒、私にはビールをください」って、ナンパしてるよこいつ!

 そうか!この会話をマスターすればジョセフィーヌと仲良しになれるのか!
ジョセフィーヌはりんご酒が好きなのか!

妄想から抜け出せないまま次回へ。

「5.早起きは苦手さ」につづく
(この下↓)

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5.早起きは苦手さ

2002.10.1


 会社のほうに詳しい日程が届いた。とりあえず気にしていたのは初日の集合時間。
「成田空港第2ターミナル午前8時集合!」
「!」は付いてなかったけどさ。
8時かぁー。何時に家を出ればいいんだ?
お、スカイライナーの案内が入ってるぞ。どうせならこれで行こう。
8時に間に合わせるには、と。上野発6時30分、上野まで通勤時間帯で1時間くらいだから、5時ごろ家を出れば余裕だな。途中でトイレに行きたくなっても大丈夫だな。ということは何時に起きればいいんだ?4時だとちょっとバタバタしちゃうかな。3時半か。3時半に起きればいいんだな。

…?
3時半に起きる?
3時半に?起きる?
いきなり時差ボケだ。

 何時の飛行機だよ。10時?2時間前に集合かぁ。そんなもんか。
何時に着くの?14時50分。
え!そんなに早く着いちゃうの?!よじかんごじゅっぷんで到着しちゃうの?
ちけー。ドイツってちけー。

と思ったら時差があったのでした。
時差って?「マイナス8時間」。つまり8時間プラスよじかんごじゅっぷん飛行機に乗ってるのか。
てことは12時間50分飛行機に乗って向こうに着いたら午後2時50分かぁ。ふしぎー。時差って。ふしぎー(計算合ってるよね)。

 と、子供のようなオドロキはこのくらいにして、大人の計算をしてみようかな。
 午後の2時50分に到着するということは、毎朝7時に起床している私としては、通常なら起きてから約8時間経っているということだ。つまり到着の8時間前から起きていれば体がいつもと同じ状態になるということだな。飛行機に乗ったら最初の5時間はひたすら眠って、あとの8時間はひたすら起きていればいいってことだな。簡単な計算だよ。
ついでに帰りの計算も済ませておこうかな。
ミュンヘン発15時30分、成田着9時45分だから、えーと、今度は時差がプラス8時間だから、えーっと。
わかんねぇや。
 到着の2時間45分前までひたすら眠っていればいいってことかな。へへへ。寝てばっかりだな。こりゃ楽チンでいいや。
到着の2時間45分前になったら誰か起こしてくれないかな。
スチュワーデスさん?スチュワーデスのジョセフィーヌさん?
スチュワーデスだったのか、ジョセフィーヌ!

まだ言ってるよ。

「6.心配もあるけど元気に行ってきまーす」につづく
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6.心配もあるけど元気に行ってきまーす

2002.10.7


 そもそも旅行記として書き始めたのに、出発もしていないのに第六回。
こりゃよほど旅先で何かしでかさないと世間様が許してくれないんじゃないかという心配が鎌首をもたげる出発前日。

 心配と言えば、旅行会社から送られてきた日程表も私を心配にさせるものだった。
なんだか「各自」という記述が多いのだ。

・10月9日 フランクフルトブックフェア 各自、会場までお越し下さい。
・10月10日 06:30モーニングコール(各自お願いします)
・10月14日 各自、シャルル・ド・ゴール空港へ

 まあ、モーニングコールなんかどうでもいいような気がするが、一番気になるのは14日の「各自、シャルル・ド・ゴール空港へ」だ。朝、ロビーへ集合、とか書いてあるくせに「各自」って?
無理矢理バラバラで行動させるのか?俺、行けねーよ。一人じゃ。それがヨーロッパのやり方なのか?それがヨーロピアンなのか?
ここはやはり日本流でいきたいではないか。
みんなで一緒に行こうよ。
団体行動、相互扶助、付和雷同。結構ではないか。
美しく日本流を通そうよ。ね、みんな。
って、誰に呼びかけてるんだか。

 あと、「旅のアドバイス」っていうのも一緒にもらったんだけど、それ読んでると、むこうに着いたらあっという間に荷物を盗まれて丸裸にされちゃうようなことが書いてあるんだよね。
ドロボーの国に行くのか?俺は。
フランスはルパンの国だからそれでいいのか?

 こういう事ばかり書いていると、旅慣れた人に笑われそうだが、こっちは初めてだから真剣だ。
なにしろ個人的に40年間も鎖国をしていたのだ。海外に関しては幕末並なのだ。感臨丸とか、勝海舟とかジョン万次郎なのだ。心配も不安もたっぷりあって当然なのだ。
でも、同じくらい楽しみもたっぷりあるからいいけどね。

 荷造りもほぼ済んだし。絶対に忘れてはいけないのはパスポートと現金とだるまかな。着るものとかはスーツケースに入っているし。
スーツケースを忘れるようだったら、絶対に精神状態がおかしいから、行かないほうがいいだろう。

 今の望みは、明日晴れるといいなってことと、飛行機では窓側の席に座りたいなってことである。
「酔いやすいんです」って言ってみようかな。

ということで、いってきまーす。

「7.空港へ」につづく
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7.空港へ

2002.10.16


 さて、今回からいよいよ(というかようやく)、渡航編でございます。

 出発当日の朝。
集合時間から逆算すると、最寄りの駅を朝5:33発の電車に乗らなければならないので、5時過ぎに家を出た。
息子も早起きして玄関で見送ってくれた。ちょっとボヤーンとしていたが。

 妻の運転する車で駅まで送ってもらい(荷物が多いからね)、予定通りの電車でまずは上野へ。上野から6:30発の京成スカイライナーで成田空港第二ビルの駅へ向かう。
スカイライナーで、スーツケースのような大きな荷物はどうするのかなー、と思いながら、座席まで持って行ってしまったが、後から乗って来る人を見ていたら、入り口の横にある大きな棚に入れていた。なるほど。
しかしこっちはすでに海外旅行モードに入っているので、荷物は常に手元に置いておくのだ。ということで自分を納得させて、スーツケースを抱えるような体勢で約一時間乗車していた。

 改札を出て、同じビルのターミナルへ行く途中に、旅行用品の雑貨屋のような店があった。
「何か忘れ物があったらここが最後のチャンスだよ−」という感じだったので、ふと立ち止まって、何か忘れてないか考えてみる。


あれ、スリッパ…。
入れたかなぁ。
荷造りがほぼ済んだ後で気がついて、用意したのは覚えていたが、スーツケースに入れた記憶がない。
しかしここでスーツケースを開けて調べるのもなぁ…パンツとか飛び出しちゃったら相当恥ずかしいぞ。
と思っていると、横のほうで若い女性がスーツケースを開けて何か見たりしていた。
なるほど、スーツケースを開けるのも「あり」か。よし。

 それでも人通りが多いところでははばかられるので、人気のない通路のほうへ引っ張って行ってそこで調べる事にした。
カギが二つと、ナンバーで合わせるロックも付いているのでちょっとめんどくさい。
スーツケースを開けて、あちこちめくってみたが、スリッパは見当たらない。
これ以上調べるためには、かなり荷物をかき回すことになるので、どうしようかなぁ、と思っていたら、ドヤドヤと団体客がこちらへやって来てしまった。
団体は私のスーツケースをよけながら両脇を流れていく。
中洲のような状態にいたたまれなくなって、スリッパの捜索はあきらめて、購入することにした。
 しかし、実はホテルに着いてから荷物を見たら、スリッパがちゃんと入っていたのだ。あの時団体さんが来なければ…、いや、もっと自分を信じろって話か。
まぁ、たかがスリッパだが。

 空港のターミナルに入って集合場所を探す。広くて人が多い上に、初めて足を踏み入れるので見つかるかちょっと心配だったが、集合場所の「Aカウンター」の上にはでっかく「A」という表示があったのですぐわかった。

 スーツケースにツアーのステッカーを貼った人たちが何人かいたので、私もスーツケースのステッカーが見えるような角度で接近していくと、すぐ気付いてくれた。
この時点で、集合時間10分前の7時50分。いい時間だ。
みなさん初対面なので、名刺交換をしたり、少し話をしていたが、旅行会社の人がまだ来ていないことがわかった。
 常識的には旅行会社の人は早めに来ているべきなのだろうが、まぁ、まだ時間前だし、とみんなで待っていた。
しかし、5分が過ぎ、10分過ぎ、8時を回っても旅行会社の人は現れなかった。
航空券その他はここで受け取る事になっているので、旅行会社の人が現れなければ身動きとれないのだ。
若干の不安が頭をよぎる。まさか…でも…このままでは出発できない。

 心配症の私は、この旅行記を出発前から6回も書いたり、「だるまの大冒険」もそのための流れにしたりと、さんざんネタとして煽っておいて、もしも何らかの理由で旅行が中止になったらどうしようと、ずっと考えていたのだ。
実は「その時はなんとか合成写真でもでっちあげてごまかそう」とまで考えていたのだ。
アポロ11号も月へ行っていないと言う人がいるくらいだから、海外旅行くらいなら軽いもんだろう、と。

 などと善後策を検討しながら、でもホントに行けなかったらどうしよう、と、一秒毎に不安は降り積もって行くのであった。

さぁ、オトーはホントに旅立つことが出来るのでしょうか?


つづく








なんつって。もう行って来たのは報告済みなんだけど。まぁここは一緒にドキドキして下さいな。

「8.まだ空港で」につづく
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8.まだ空港で

2002.10.18


 成田空港第2ターミナルAカウンター近辺では、我々の頭上にだけ、不安という名の黒い雲がたちこめていた。
 周囲に他のツアーの団体客もたくさんいたが、そこにはガイドがちゃんと現れ、客たちは、指示を受けながら旅行の次の段階へ進んでいった。
 我々の横を何組もの団体がすりぬけてゆく。にこにこしながら。
我々だけが取り残される。
なんだかお迎えが来ない幼稚園児みたいだ。
このまま来るはずのないあの人を待ち続けるのか。空港で。それじゃテレサ・テンの歌だ。

 なんて言ってるうちに8時10分。やっとガイドが現れた。
直前まで「時間を守らないなんてとんでもねぇよな」と思っていたが、謝りながら現れたのが、ちょっとかわいらしい若いおねえさんだったので、許すことにした。
では、もしも現れたのがコキタナイじじいだったらどうしたか?やっぱり許したのである。

 おねえさんはみんなに(実は客のほうも遅れている人がいたのだが)飛行機のチケットやら、旅行中の保険の書類やらを渡して「じゃあ、チェックインしてきてください」と言った。
チェックイン?
私はわからなかったが、みんなが動き出したのでついて行った。この「わからないけどついて行く」というのがこの旅行では重要な行動様式になるのだ。

 チェックインというのは、航空券を持っていって、スーツケースを預けたり、席や搭乗ゲートを刻印したチケットを受け取ることだった。
 チェックインを済ませると少し時間があったので、一度解散して搭乗時間が近づいたらゲート近くで再度集まるということになった。
 私はこの時間に空港を偵察することにした。なにしろ初めて足を踏み入れる場所なのだ。
あちこちうろうろして、少し高いところから(だるまを持って)写真を撮ったり、滑走路が見える屋上のようなところに出て(だるまを持って)写真を撮ったりした。

 そして再度集まった時、おねえさんから日程表に変更があることが告げられた。
ホテルが一箇所変更になったことや、時間の書き間違いなどと一緒に、とても大事なことが変更になっていた。
「14日の朝、『各自シャルル・ド・ゴール空港へ』とありますが、この日はガイドが付きます」
へ?「各自」じゃないの?
うへへへへぇ。よかった。

 心配のひとつが解消したことで、やや軽い気持ちで搭乗ゲートに向かった。
 おねえさんはここまでで、あとは現地のガイドが要所要所に現れるという手はずだ。
 そして、ゲートに向かう列の途中で、もうひとつ私の安心度を大幅にアップさせる出来事があった。
 ツアーの参加者の一人が、私の名前と会社名を言いながら自己紹介してきたのだ。
 実はその人は、私が5年くらい前まで担当していた出版社にいた人で、今は会社を変わっていたのだが、名簿を見て、私だと分かって、話しかけてくれたのだ。

 正直に言うと、話しかけられて10秒くらいはその人のことを思い出せなかったのだが、話しているうちに顔を思い出して来た。事務的なやり取りだけではあったが、話もしたことがある。

「奇遇」というのはこういうことを言うのだろう。
「奇遇」の見本みたいな話だ。息子に「奇遇って何?」と尋ねられたら、この話をしてやろう。始めから延々と。

 私が「海外へはよく行かれるんですか?」と訊くと、「ヨーロッパへはあまり行かないんです」という答え。
「ヨーロッパへは」「あまり」なのだ。これはかなり旅慣れていると見た。
なんて心強いんでしょう。これでこの旅は成功したも同然だ。
 しかし俺はなんてラッキーマンなんだろう。息子に「ラッキーマンて何?」と尋ねられたら、黙って自分の胸を指さすことにしよう。
 

「9.さよならにっぽん」につづく
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9.さよならにっぽん

2002.10.19


 飛行機に搭乗する前に、金属探知機をクリアしなければならなかった。
機内持ち込みの手荷物や、ポケットの金属類をミニベルトコンベアに乗せて、自分は四角い枠を通り抜ける。実は右肩に(わざと)エレキバンを貼っていたのだが、チェックされることはなかった。

 そしてついに飛行機へ。書いてなかったかもしれないが、私は飛行機に乗るのも初めてなのだ。ルフトハンザ711便。ルフトハンザといえば、高校生のころに好きだったPANTA&HALというバンドの「TKO NIGHT LIGHT」という歌にルフトハンザという単語が出てきて、当時は何のことだかよくわからなかったが、今や、そのルフトハンザに乗るのだ。乗って飛ぶのだ、どこまでも。いや、フランクフルトまで。

 機内に入って席を探す。ツアーの人たちとはバラバラの席なので自力で見つけなければならないのだ。私の席は「31K」だ。1、2、3、…と、表示を見ながら奥へ進む。
しかし、エコノミーの席ってのはせめーなー。29、30、32、あれ?無いじゃん、31が。
その先は、33、34、ありゃりゃ?
 合格発表で自分の受験番号だけ無かった時のような衝撃。不合格か俺。ここで引き返すのか?引き返して家で擬装用の合成写真をシコシコ作るのか?
ちょうどスチュワーデスがいたのでチケットを見せると、ちょっと手前の席の背をポンポンと叩いて教えてくれた。あー、びっくりした。

 そして。Kというのは進行方向に向かって右の、窓側の列だった。うふふ。外が見える。うれしいな。と、その時は思ったのだが、実は窓側の席はなかなかやっかいな場所だと気付いたのは、それから3時間ほどたってからだった。
だが、その時はそんなことには思いが至らず、飛行機の小さな窓に顔をくっつけて「わぁひこーきだ、かっそーろだー」と子供のように喜んでいるバカな四十男であった。


出発前の窓外の風景
私の席は翼の真上だ

 窓側の列というのは通路側から見て、三列並んだシートの一番奥になる。やがて私の隣に若くてきれいな金髪のおねえさんが乗り込んできた。仮にジョセフィーヌと名づける。少しして、通路側の席に国籍不明のおっさんが座り込んだ。特に名前は付けてあげない。

 そしてついに飛行機が滑走路へ向かって動き出した。私は窓から外を見続けている。ポツポツと雨が降り始め、雨滴が窓を流れていく。
アニメ「タイガーマスク」の最終回で、正体がバレた伊達直人が日本を去るシーンがあって、彼も今の私のように飛行機の窓から外を見ていた。しかしアニメのシーンのように、外から顔が見えるようにするには、相当窓に顔をくっつけなければならず、キザ兄ちゃんの伊達直人も、けっこう子供っぽかったということがわかる。

 私がくだらないことを考えている間にも飛行機は滑走路へ向かい、離陸待ちの列に並んだ。前の飛行機が順番に飛び立っていく。

そして!
ついに!
私の番!あ、いや、私の乗った飛行機の番になった。
エンジン音がひときわ高くなり、発進!
体にGがかかり、ゴガゴガゴガと、滑走路からの衝撃が機体を揺らす。窓を見ると真下に流れていた雨滴が真後ろに流れている。おお!物理学!
 滑走路からの衝撃がふっと消え、窓の雨滴が今度は斜め下に流れ始めた。離陸したのだ。ついに飛んだのだ。飛翔したのだ。ビバ!ルフトハンザ!ビバ!ライト兄弟!
飛行機は上昇を続け、やがて、窓の外に見えていた地上の風景も雲の下に消えた。

 ついに日本を離れるのだ。さよならにっぽん。そして、ありがとうにっぽん。


「10.トイレは1回食事は2回」につづく
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10.トイレは1回、食事は2回

2002.10.20


 私が人生初の離陸に感動している間、隣の仮ジョセフィーヌは眠り続けていた。
この人は席に着いたと思ったら、ゴソゴソ眠る体勢を作り、そのまま眠りっぱなしなのだ。相当眠かったんだろう。

 私の席は翼の上あたりなので、普通に外を見ていると、窓の半分くらいは翼で、その下のエンジンがちらっと見える。ちらっと見えるのはいいのだが、見ていると、そのエンジンが小刻みに揺れているのがわかった。
 大丈夫なのか?飛行中にポロっと落ちちゃったりしないんだろうか?落ちるのを目撃したらどうすればいいんだろう?「ドロップザエンジン!」とか叫べばいいのか?

 そんな心配をしていたら飲み物サービスがやって来た。
仮ジョセフィーヌも起きだして、オレンジジュースをもらっていた。日本人のスチュワーデスだったので、私は普通に日本語でウーロン茶を頼んだ。国籍不明はワインを飲んでいるようだ。

 飛行機から雲を見るのは初めてだったので、しばらく眺めていたが、さすがに変化がなくて退屈してきた。
前の方にあるちっこいテレビに何か映っているが、つまらなそうだ。しかたがないので本でも読むことにした。


飛行中の窓から
私にとっては珍しい光景だが、いつまでも見ているようなものでもない。

 スティーブン・キングの「グリーン・マイル」を読むことにする。薄っぺらい文庫本で全六冊。こういう旅行には勝手がいいかなと思って持ってきたのだ。
前書きを読んでいたら、フランクフルトブックフェアのことがちらっと書かれていて、「お、これから行くとこじゃん」と思った。まったくの偶然だが、ちょっとうれしい気分。
うれしい気分で読み始めたが、いくらも読まないうちに食事の時間になった。
今度は外国人のスチュワーデスが、ワゴンをガチャガチャ押して、客たちに英語で話かけながら接近して来る。
むむ。
何かを選択しなければならないようだ。英語で。何だろう?

 国籍不明とスチュワーデスが、何かやり取りして、食事が支給されたが、私にはまったく聞き取れない。
次にスチュワーデスが何か言って、仮ジョセフィーヌが「ジャパニーズ」と答えた。
そうか!和食と何かを選んでいるんだ。…たぶん。
スチュワーデスが私に話しかける。「ジャパニーズ」しか聞き取れない。
「ジャパニーズ」と答える。「ジャパニーズ」でなければ何なのか気にはなったが、無事食事が支給されたので、よしとしよう。

「ジャパニーズ」は、まぜ御飯みたいなやつだった。ソバも付いてた。
まあ機内食なんてこんなもんだろうな、という予想通りのものだった。

 食事が済むとトイレに行きたくなってきた。
しかし、窓側の席からトイレに立つには、仮ジョセフィーヌと国籍不明の席を通り抜けなければならない。
そのためには前の席の背に付いているテーブルをたたまなければならないのだが、そのためにはまだ置きっぱなしの食事のトレイを片づけてもらわなければならない。
トレイでトイレに行けないのだ。言葉は似ているがトレイとトイレは両立しないのだ。
そのうち、トレイがまだ下げられないうちに、仮ジョセフィーヌがまた眠り始めてしまった。
ありゃりゃ。
これじゃ、トレイが片づいても立ちにくいぞ。
よし。
私は決心した。飛行時間はあと9時間ほどだ。その間に1回だけトイレに立っていいことにしよう。そのために酒類とコーヒーは口にするまい。

 その後、何時間か我慢した上に、最上のタイミングをつかんだ私は、このフライトでただ一度のトイレに立った。
立つ時に仮ジョセフィーヌと国籍不明を通路に追い出し、戻る時にまた二人を通路に立たせた。やはり何度もこんなことできるものではない。「トイレは一度だけ」という私の判断は正しかったのだ。

 トイレに行って、身も心も落ち着いた私はしばらく睡眠をとった。飛行機の中は想像以上にエンジン音が響き渡ってうるさかったが、その日は早起きしたこともあって、何時間かはぐっすり眠ってしまった。

 目覚めてみるとまだ飛行中だった(当たり前か)。
窓の外は雲が無くなっていて、地上が見える。ボーっと見ていたら右前方に雪山が見えてきた。かなり大きい。とりあえず「ヒマラヤ」ということにしておく。
 しばらくするとまた右前方にでっかい雪山が見えてきた。「ヒラヤマ」と命名。
 さらに飛んでいると、右前方にまたまた雪山発見。座席の位置の関係で、発見はすべて右前方なのだ。「ヒヤラマ」と命名。
元々地理に弱い私の頭の中で、とんでもない世界地図が出来上がっていく。

 その後二回目の機内食を食べ、「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」という、アナウンスを聞いたりしているうちにフランクフルトが近づいてきた。

 窓の外は物凄い雲海だ。
圧倒されつつ、「天気悪いのかなあ」と心配しつつ、雲海を突っ切る時は『風の谷のナウシカ』みたく、ビュビュビュビュヒューンって、なるのかなぁ、と思ってワクワクしていたが、いきなり外が真っ白になっただけだった。

 そして、しばらくすると真っ白が真っ青になった。
フランクフルト上空は快晴である。
地上がだんだん近づいて来る。
おマタがヒューンとなったと思ったら、滑走路の衝撃が伝わってきた。

ついに私はドイツに到着したのである。

「11.オトーくんドイツに立つ」につづく
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11.オトーくんドイツに立つ

2002.10.24



 こうして。
 私が乗った飛行機は、途中、救命胴衣や酸素マスクのお世話になるような事態も起こらず、オレンジ色に輝く三つの物体に追跡されることもなく、無事フランクフルト空港に着陸した。

 飛行機を降りて人の流れに乗って歩いていくと、入国審査の長い列に突き当たった。
列に並ぶ前に「円」を「ユーロ」に換えてもらう。私は日本でお金に関することは何も手配していなくて、ビタ1ユーロも持っていなかったのだ。1ユーロ無しなのだ。
1ユーロ、129円くらいだったが、これには手数料も含まれている。
ユーロは、硬貨はともかく、紙幣がちゃちい。後で聞いた話では「モノポリーのお金」などと言われているそうだ。紙幣には銀色の細い帯が付いている。自動販売機などで識別するためのデータでも入っているのだろうか。
現地通貨を手に入れて一安心して列に並んだ。


これがユーロだ!本文中で触れている「銀色の細い帯」が写ってないところがある意味テクニシャン。
写っている硬貨はセントユーロだが、1ユーロ硬貨、2ユーロ硬貨もある。1ユーロ=100セントユーロなのだ。

 入国審査というので、何を審査されるのかとドキドキして並んでいたが、パスポートを見せただけだった。
これで正式にドイツに入国したというわけだ。
 次にスーツケースを取りに行くのだが、成田空港でガイドのおねえさんに、「フランクフルト空港では、国際線と国内線で荷物の受け取り場所が違っていて、間違って国内線の方に行ってしまうと、二度と再び自分の荷物にはたどり着けません」と脅かされていたので、入国審査を同じ列で通過した、あの、成田空港で再会した、昔仕事で付き合いがあった人と慎重に進んでいく。
 スーツケースの絵のある表示をたどって「こっちですよねぇ」「こっちしかあり得ませんよねえ」なんて会話をしながら。途中で、「ああ、ここから引き返せなくなるんだ」というところで少し躊躇したが、ツアーの他の人たちもやって来たので、間違っていなかったようだ。

 そのまま歩いていったら、荷物の受け取り場所に着いた。スーツケースが楕円のベルトコンベアの上をグルグル回っている。
現地ガイド(ドイツ人)もすでに来ていて、たどたどしい日本語で、他のツアー客と話していた。

ここで全員がそろったので、今回一緒に旅行するメンバーを紹介をしておきたい。いつまでも「成田で話したあの人」じゃあ面倒でしょうがない。ちなみにすべて仮名。

木戸さん:成田で再会したあの人。出版社勤務。30代前半。
北岡さん:
出版社勤務。50代後半。この人がこの旅行中、ホテルで私と相部屋になる。
島田さん:
北岡さんと同じ出版社勤務。北岡さんより少し年上。
島田娘さん:
島田さんのお嬢さん。このツアーで一番若い人。
浅野さん:
出版社勤務。私よりは年上。
秋山さん:
出版社勤務。年は私と北岡さんの間のどこか。秋山さんだけは、フランクフルトは別行動で、ベルリンで合流することになる。
オトー:
私。印刷会社勤務。40歳。妻と息子を日本に残して、って自分の話はいいか。

以上、総勢7人。このうち島田娘さんと浅野さんが女性。

 全員の荷物がコンベアから無事降ろされ、外で待機しているバスに向かう。秋山さんを除く6人は、フランクフルトから少し離れたウィスバーデンというところにあるホテルに宿泊するのだ。秋山さんとはここでしばしのお別れ。

 空港の建物から外に出ると少し肌寒い。
晴れ渡った空の青色が、日本より少し濃いような気がする。
「フランクフルトは日本晴れ」と書ければ文章的に面白かったのだが、残念ながらそこそこの量の雲が浮かんでいた。
みんなで「寒いねー」なんて言いながらバスに向かう。われわれ6人とガイドのために用意されていたのはバカでかい観光バスだった。みんなで散り散りに席に着く。

バスが走り始めるとガイドが「ドイツでの心得」みたいのを話し始めた。
「ありがとう」はドイツ語で「ダンケ」と言うとか、チップはあまり気にしなくてもいいとか。それからとても大事なこと、鉄道の切符の買い方もこの時教えられた。

 そんな話を聞いているうちにバスは高速道路に入った。これがあの有名なアウトバーンか。
思えば私がアウトバーンという言葉を初めて知ったのは松本零士の漫画「潜水艦スーパー99」を読んだ時であった。
悪役のドイツ人が、自分たちの作った海底トンネルを見せびらかして、「わがドイツには世界に誇る高速道路、アウトバーンがある。これはその海底版なのだ。われわれはこのトンネルを使って世界中の海に行くことができるのだ。アッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」というようなセリフを言うのだ。昔の漫画はスケールがでかい。
そのアウトバーンに今乗っているのだと思うと感慨深いものがあった。いつかは海底版アウトバーンも通ってみたいものだ。そんなもんねぇよ。

 なんてことを考えていたら、バスがスーっと右側に寄って行き、止まってしまった。運転手がドイツ語でガイドに何やら言ったと思ったら、運転席のドアを開けて、路上へ出て行ってしまった。
「カレハミラーヲナオシニイキマシタ」ガイドが言った。「カクドガワルカッタヨウデス」。
なるほど見ていると、運転手はバスの右側に回りこんでミラーを動かしている。
ミラーの調整はすぐ終わったが、運転手はなかなか席に戻れなかった。運転席は左側にあり、ひっきりなしにビュンビュンと走り抜ける車のためにドアまで行けないのだ。
さすがアウトバーンである。
「クルマガキテイマスネ」
「ナカナカノレマセンネ」
ガイドがいちいち解説してくれる。彼はガイドの使命を果たしているのだろう。
ようやく車が途切れ、運転手は無事席に戻り、再びバスは走り始めた。
「アブナイトコロデシタネ」ガイドが人ごとのように言った。

バスはアウトバーンを走り続ける。どんどん田舎になってゆく。
やがてわれわれ6人が二泊する「ラマダホテル」に到着した。
ガイドが言った。「ホテルノマワリニハナニモアリマセン」。


ウィスバーデン、ラマダホテルの看板。
ここで恐ろしい惨劇が…起こらない。

「12.町にくり出せ六人組」につづく
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12.町にくり出せ六人組

2002.10.26



 ホテルでチェックインして(全部ガイドがやったのだが)、業務連絡的なことを済ませたら自由時間だ。
 六人で相談して、各部屋で荷物を整理したら観光と食事を兼ねてみんなでウィスバーデンの市街地へ行ってみようということになる。
ここで気付いて時計を現地時間に合わせる。マイナス8時間と聞いていたので、腕時計の竜頭を引っ張って「一時間、二時間」と、グリグリ針を戻していく。
3時半過ぎになった。ところが、みんなの話を聞いていると、5時過ぎにロビー集合という話になっている。一時間以上も荷物の整理をするのか?海外旅行ってそんなものなのか?
いくらなんでもそんなはずはないと思い、北岡さんに
「時差って八時間ですよねぇ?」と訊くと、
「いや、十月までは夏時間で、時差は七時間なんだって」と教えてくれた。
ははぁーん。夏時間かぁ。夏にしちゃさみーなー、と思いながら今度は針を一時間進める。
これでオッケー現地時間だ。

 北岡さんと部屋に向かう。一階の部屋だったが、ロビーからはけっこう離れていて、スーツケースをガラガラ引きずりながら長い廊下を何度も曲がり、やっとたどり着いた。右隣が浅野さんの一人部屋、左隣が島田さん親子の部屋だ。木戸さんの部屋だけは離れたところだった。
カードキーを差し込んで開錠、部屋に入った。
北岡さんが
「なーんだかビジネスホテルに毛が生えたようなところだなあ」と感想をもらす。
普段ホテルなど使わない私にはとってもぜいたくに感じられるのだが。
部屋に入った順番で、私が奥のベッドを使うことになった。

 町へ行くに当たって必要なものを手持ちのバッグにまとめる。といってもほとんど入れ替えるものなどなかったが。
この時スーツケースを開けて、家から持ってきたスリッパを発見。ちっ。
デジカメと、会社に提出用の写真を撮るためのAPSカメラ、そしてだるまが入ったバッグはなかなかの荷物だった。しかしこれは、パスポートや現金とともにこの旅行中は手離せない3点セットなのだ。

 集合時間には少し時間があったが、ここでもう一度円をユーロに換えてもらいたかったので早めに部屋を出た。空港で一度両替しているのになぜ?と思うかもしれないが、細かいお金が欲しかったのだ。そのためにはスモールチェンジなのだ。スモールチェンジって何?と思う人もいるだろうが、私も日本で買った本で見て初めて覚えた言葉で、小額のお金を混ぜて両替してもらいたい時はこう言うのだそうだ。英語だけど、まぁなんとかなるだろう。
「スモールチェンジ、スモールチェンジ」と口の中でつぶやきながら長い廊下をロビーに向かう。途中の小川を「どっこいしょ」とまたいで「どっこいしょ、どっこいしょ」なんてことは起こらずにロビーに着いた。
フロントにいた従業員に一万円札をヒラヒラさせながら「チェンジプリーズ」と言う。
まずは両替の意思を伝えるのだ。通じたようだ。次に「スモ」と言ったところでその従業員が奥に引っ込んでしまった。ありゃ?
すぐに女性従業員が出てきて、私の手の一万円札を見て「オッケー」と言うようなことをにこやかに言った。
担当が違うのか。それとも日本円が珍しいのか。奥で「主任、東洋人が見たことも無い紙幣をちらつかせて、下手な英語でチェンジしろって言ってます。どうしましょう?」「落ち着くのよアルベルト、私に任せて」なんてやり取りがあったのだろうか?考えすぎだ。
あらためて「スモールチェンジ」と言う。その女性従業員はまたしてもにこやかに「オッケー」というようなことを言った。
あ、いけね、プリーズって言うの忘れちゃったよ。これじゃいばって命令したみたいじゃないか。女性従業員は別に気にしている様子も無く、小額紙幣を混ぜて用意してくれているが、内心「失礼な東洋人ね。これはニッポンのお金ね。以前は羽振りが良かったらしいけど、バブルが弾けて今は先行きの見えない不況にあえいでいるらしいじゃないの、いい気味だわ」なんて思ってるかもしれない。だから考えすぎだって。
私の妄想には関係なく、無事スモールチェンジしてもらって、伝票にサインした。

 みんながそろったので2台のタクシーに三人ずつ分乗することにして、フロントで頼んでもらう。
「町のどこへ行けばいいのかなぁ」と北岡さんが誰にともなく言うと、木戸さんが「ガイドの話では町に劇場があって、オペラって言えば行けるらしいですよ」と言った。オペラ集合ということで決まり。

 まず一台来たので木戸さんと浅野さんと私で先に出発することになった。
次に6人が揃うのはオペラ前なのだ。だがしかし。

「13.後続チーム大ピンチ!」につづく
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13.後続チーム大ピンチ!

2002.10.28



 先発タクシーには、助手席に木戸さん、後の席に浅野さんと私という形で乗り組んだ。
木戸さんが運転手に「オペラまで」と言うようなことを英語で言っている。しかしなぜか運転手には通じていないようだ。二言三言やり取りがあって、「オペラ」ではなく、「テアトロ」という単語で通じたようだ。
その時は通じてよかったよかった、としか思わなかったが、この件が後でちょっとした事件になる。

 ドイツでは車は右側通行。バスに乗っていた時は気にならなかったが、小さな車に乗ると違和感を感じる。さらに空いている道ではけっこうなスピードを出し、車線変更もギュインギュインとメリハリがあるので、ちょっと顔がこわばってしまう。
 しかし、市街地が近づくにつれて車が多くなってきた。自然、車のスピードも落ちてくる。
ゆっくり走る車の窓から外を見ると、古い石造りの建物が並び、傾きかけた陽の光に映えてとても美しい。運転手が「ラッシュアワーなんだ」と英語で教えてくれた。この運転手は英語で話す上に愛想がいい。木戸さんが通訳してくれるが、何となく運転手の英語も聞き取れる。
「このあたりの通りはブロードウェイのコピーなんだ」とか、「このあたりはオリジナルなんだ」と簡単なガイドをしてくれる。
そんな話を聞いているうちに「オペラ」改め「テアトロ」に着いた。
タクシー代は約9ユーロ。木戸さんが、チップを含めて10ユーロ渡す。
タクシーを降りると改めて寒さが身にしみる。明日はセーターを着て出かけよう。

 後続のタクシーを待つ間、写真を撮ったり、近辺を軽く偵察したりした。タクシーを降りた場所からあまり離れない範囲で。


 待ち合わせの劇場を背に一枚。


 ところが、5分過ぎ、10分過ぎ、15分を過ぎても後続のタクシーは現れなかった。初めのうちは「二台めがなかなか来なかったんでしょうかねぇ」などと話していたが、それにしても遅いなぁ、ということになって、表の通りに出てみたりしたが、来る気配はなかった。

 木戸さんが裏の方を見に行ったので、私と浅野さんは、通りとタクシーを降りた場所両方が見える位置で待機した。
私が、他に劇場と似たような場所があるのかも、と思って地図を広げていると、通りかかった人が、「どうしたんだ?大丈夫か?助けてやろうか?」と英語で話しかけてきた。私が「大丈夫だ。オッケーだ。心配ない」といいかげんな英語で答えると笑顔で去って行ったが、これで私のドイツ人好感度はググーンとアップした。

 結局、後続チームが現れたのは、我々の到着から30分くらいたってからだった。
そんなに遅れたのは、タクシーが来るのが遅かったからでも、渋滞にはまったからでもなかった。
「いやぁ、まいったよ。フランクフルトに連れてかれそうになっちゃってさあ」我々の顔を見た北岡さんが、ホントにまいってるような表情で、それでいて楽しそうに話し始めた。

 北岡さんによると、タクシーの運転手に「オペラ」まで、と告げたところ、調子よく走り始めたが、なぜか高速道路に乗ってしまった。おかしいと思って、島田娘さんが「ウィスバーデンの『オペラ』だよ」みたいなことを言ったところ、運転手は「ウィスバーデンに『オペラ』なんて無い、『オペラ』があるのはフランクフルトだ」と答えた。
 こりゃ間違ってると、とにかくウィスバーデンに戻れと伝えたが、高速道路なので次の出口までは降りられず、しばらくそのまま走り続けてからUターンして戻って来たという。

 結局タクシー代は30ユーロほどかかってしまったらしい。我々の三倍だ。
先発組の三人は「よく途中で気付きましたねぇ」と口をそろえて賞賛した。
ホントに、よく気付いて正しい場所まで戻って来られたと思う。
木戸さんと浅野さんはともかく、私だったら絶対に気付かなかっただろう。もしも私だけだったら、フランクフルトまで行ってしまって、間違いに気付いてもホテルに戻るのが精一杯だっただろう。

 なにはともあれ。六人が揃ったので、その辺をブラブラして、時間を見て食事できる店を探そうということになり歩き始めた。
ガイドも言っていたが、ウィスバーデンは古くて美しい建物が多い。現代的なビルディングの向こうに古い石造りの建物が見えたりして、こういうのを異国情緒と言うのだろうか。どっちを向いても写真を撮りたくなるような風景ばかりだ。


 表通りから一歩はいるとこんな建物ばかり。


 うわぁ!建物から顔が生えてるよ!とちょっとビビる。
 この二人が誰かは不明。

 突然、圧倒されるような高さの建物が現れた。島田さんが「これは何だろうねぇ」と言うと、北岡さんが地図を調べて「これはぁ…『マルクト教会』だな」と教えていた。
教会かぁ。鋭く尖った塔がそそり立っている。
教会の前に像が立っていた。島田さんが「これは誰かねぇ」と言ったが、今度は誰も調べなかったので、誰の像かはわからなかった。

マルクト教会(左)。教会の一番高い塔は92メートルもあるんだって。
右はその前に立っていた謎の像。後の調査で「沈黙の人」と呼ばれたヴィルヘルム・フォン・オラニエン公の像と判明。しかしなぜ「沈黙の人」と呼ばれたのか、そもそもオラニエンって誰なのかは謎のままなのだ。
これで現地時間で午後6時少し前。明るい夕方が長く続いている感じがする。

 教会とだるまの写真を撮っていると、木戸さんに「だるまですか」と話しかけられた。
だるまをかざして写真を撮るなんて、普通に考えたらかなり奇異な行動だと思うが、とても冷静に話しかけられたので、私も安心して「いや、実は…」と、『だるまの大冒険』の話をした。木戸さんは「なるほど、色々なところへ行くわけですね」とにっこりと察してくれた。
ここでだるまの話をしたおかげで、後のだるま撮影が気楽に進められるようになったのであった。


 
「14.食事を描写する」につづく
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14.食事を描写する

2002.10.30



 古い町並みを歩き回り、そびえる教会も見上げたので、そろそろ食事にしましょうか、という雰囲気になってきた。
「そろそろ食事に」と言い始めたあたりには食事ができそうな店は見当たらなかったが、少し歩くとそれらしい店が何軒かあった。

 「飲むだけ」ではなく、食事ができる店を雰囲気を頼りに探して歩く。
店の前にメニューを出してある店もあったが、ドイツ語を読める人がいないので、あまり参考にならない。私は、「ドイツでビール」という状況であれば満足なので、みんなの後から着いて行っているだけだが。

 やがて木戸さんが一軒の店のドアを開け、店の人と何やら話して、ここがよさそうだ、ということになった。
全体的に黒っぽい店で、4人がけのテーブルが10個くらいあるだろうか、あとはカウンター席で、広すぎず狭すぎず、客も混みすぎず、空きすぎずで、なんだかとっても「ちょうどいい」感じ。
夫婦とも親子とも兄妹とも、どうとでも取れるような男女二人でやっている店で(私が年齢の判別ができないだけなのだが)、二人とも店に合わせて黒い服を着ていた。

 やはり「まずはビール」ということになって頼むと、「ライトビヤ」か「ダークビヤ」のどちらにするかと訊かれた。「ダークビヤ」は、おそらく黒ビールのことなので、私はライトを頼む。黒ビールはちょっとだめなのだ。

 次に料理の注文だが、具体的な料理名などはわからないので、みんな「やっぱりソーセージみたいのが食べたいよね」「そうですよねぇ」とか「チーズも食べたいなぁ」「いいですねぇ」みたいなやりとりになる。女性店員には英語が通じるようなので、木戸さんがみんなの大雑把な希望をまとめて伝えてくれた。
大雑把には伝わったようだが、どんな形のものが出てくるかは現物を見るまでわからない。

 旅行記といえば、そこで食べた料理の描写というのが重要な要素になる。
普通は。
しかしこの『オトーくん海を渡る』では、料理の描写はあまり重要な要素にはならないことをここで宣言しておく。っていうか白状しておく。
なぜなら、私が料理というものにあまり執着が無く(「食べる」こと自体への執着は強いが)、知識もほとんど無いからだ。
食べ物は「米」「パン」「麺」「肉」「魚」「野菜」くらいの区別しかつかない。幼児並だ。
普段から、豚肉も牛肉もみんな「お肉」、さんまも鯛もマグロもみんな「お魚」なのだ。あと、がんばれば「海藻」、「キノコ」くらいの区別はつく。調味料の知識なんてゼロだ。

 そんなわけだから、この店で出てきたものは「なんか、ソーセージを薄めに切って野菜が付いてるの」と「チーズを細めに切ったのにポテトがついてるサラダっぽいもの」と「何かがはさまってるサンドイッチみたいの」だった、という表現で勘弁してもらいたい。
これ以上は問わないでくれ。
これで精一杯だ。私にしてはよくやった。もう見逃してくれ。

 というわけでおいしい料理を食べながらおいしいビールを飲んで、話も弾んだ。
みんなと話していると旅行前に心配していたことがひとつずつ消えてゆくような気がした。
どんどん幸せな気分になってゆく。この旅行はすごく楽しいものになるぞ、という確信が生まれてくる。まぁ、ビールの酔いもあったのだろうが。

 それでも私にはひとつだけ心配なことが残っていた。
それは出発の前日、インターネットで「フランクフルトブックフェア」のことを調べた時に「土曜、日曜以外は、一般の方は入場できません。入場される場合は出版関係者であることを証明する英文の名刺をご用意の上チケットをお求めください」という記述を見つけたことだ。
私はそんな話はその時初めて知ったので何の用意もしていなかった。

 みんなにその件を話すと、みんなも初耳だと言う。
そもそも「フランクフルトブックフェア」へ行くツアーなのだが、チケットが用意されているわけでも、会場でガイドが待っているわけでもない。
 会場へ行ってから入れなかったらどうしよう?いや、ホントのホントに正直なところ、私は入れなかったら入れなかったでかまわないかなぁ、どこか別のところを見物してもいいかなぁ、とは思っていたのだが。
 帰国してから会社で「いやぁ、入れませんでしたよぉ」って言うのがちょっと恥ずかしいかな、と思うくらいで、何が何でもブックフェアと思っていたわけではなかった。

 それでも、北岡さんたちが、ブースを出している団体に知り合いがいるようだったので、いざとなったらその人たちに話せば何とかなるだろう、とにかく行ってみてから対処しましょう、ということでこの話は落ち着いた。

 食事を終え、7時半ころ店を出た。外はやや薄暗く、さらに寒くなっていた。
ここで「ホテルへ帰る組」と、「もう少し町をブラブラ組」に分かれる。
私は北岡さんと浅野さんと一緒に「ホテルへ帰る組」に入った。3人でタクシーに乗りホテルへ。

 「今日はもう休みます」と言う浅野さんと部屋の前で別れ、私と北岡さんはホテルのレストランでもう少し飲むことにする。
しかしこれは、海外旅行初めてコンビの私たちにはほんのちょっとだけ無謀な試みだったのだ。


 
「15.さらに食事」につづく
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15.さらに食事

2002.11.1



 北岡さんと二人でホテルのレストランに入ってカウンターに着き、とりあえずビールを頼んだ。
ここまでは何とかなったのだが、ウェイトレスが「何か注文は?」というような意味のことを(多分)言った。
北岡さんが「ソーセージとかチーズとかそういうのでいいよね」と私に問う。さっき食べたものとあまり変わらないが、私も別にかまわなかったのと、他に思いつかなかったので「そうですよね」と答えた。
が。
 二人で「ソーセージ」とか、「ソゥセィジ」とか言ってみたが通じない。ウェイトレスは困った顔をして引っ込んでしまった。
「ソーセージじゃ、通じないんですねぇ」なんて話しながらビールを飲んでいると、突然われわれ二人の上に大きな影が落ちた。何事かと顔を上げると、引退したプロレスラーのようにガタイのいい、コックさんの格好をした大男が、カウンターに両手を突いて私たちを見下ろしていた。鼻の下にスーパーマリオのような髭をたくわえている。
男はその体勢のまま「さぁ、俺がお前らの注文を聞こうじゃないか」と言った(多分)。左手(私の側)の太い指がカウンターをコツコツ叩いている。
 私たちは二人で「ソーセージソーセージ」「チーズチーズ」と、基本的にはさっきと変わらない内容のことを今度はなぜか必死で伝えようと、身振り手振りで表現した。
ソーセージは手で形を作っているうちに通じたようだったが、困ったのはチーズだ。
「チーズチーズ」と言いながら手で塊のような形を作るのだが、我ながらこれでチーズの形とは思えない。
しかし、突然マリオが、「ケイゼン?!」と叫んだ。
ケイゼン?
チーズはケイゼンなのだろうか?言われてみればそんな気もする。
マリオは何度も「ケイゼン?!ケイゼン?!」と言いながらこっちに顔を近づけてくる。
「ケイゼン?!ケイゼン?!ケイゼン?!
思わず「イエス、ケイゼン!」と言ってしまった。
ノーなんて言ったらまた一からやり直しだ。
いいではないか。食べようではないか、ケイゼンを。たとえそれがどんな料理であっても。
マリオはのっしのっしと奥へ引っ込んでいった。
「いやぁ、注文するのもひと苦労だねぇ」
北岡さんがそう言ってビールをグイっと飲んだ。
私も今ので喉が渇いたので、同じようにビールをグイっと飲んだ。

 北岡さんが今のやり取りに懲りて「ちょっと部屋からドイツ語の手引きを持ってくるよ」と席を立ったので私ひとりになった。
しばらく周りの客を観察しながら飲んでいたら、ウェイトレスがパンの入ったかごを持ってきてどんと置いた。かなりの量がある。うーむ。パンが付くのかぁ、でもこんなの食えねぇよ、と思っていると、今度は私たちが食べたかったソーセージが運ばれてきた。
直径30センチくらいの皿にどっさりと。

こんなに食えねえよ。

どうしよう、と各種ソーセージが大量に盛り合された皿を眺めていたら、今度は、通じたか心配だったチーズが運ばれてきた。
よかったぁチーズだぁ。チーズはケイゼンでよかったんだぁ。よかったんだぁ。これで望み通りチーズが食べられるぞ。いやって言うほど。

そう。チーズもまた、直径30センチ皿に各種たっぷり盛り合わせになっていたのだ。
こんなに食えねぇって。

 30センチ皿二枚とパンかごを目の前にして、私はただただビールを飲み続けた。現実から目をそらしたくても視界いっぱいに皿がある。いや、視界からはみ出している。

 やがて北岡さんが「やー、お待たせお待たせ」と戻ってきた。
「なかなか見つからなくてさ、」と言いながらカウンターの椅子に座ろうとした北岡さんの動きが止まった。
「何これ?」
目が二枚の大皿に釘付けになっている。お尻を椅子に乗せ掛けた体勢で止まっているので体が斜めだ。
「チーズとソーセージです」
一応言ってみた。
「パンもあります」
気付いてないようなのでパンかごを指差してみた。
「す、すんごいなこりゃ」
北岡さんの動きが再開され、ようやく椅子におさまった。

 考えてみれば若干軽めだったとはいえ、一応食事の後なのだ。ホントにつまみ程度で充分だったのだが、そんなことを伝える会話能力は無い。っていうか、ほとんど会話なんてできない。
 
 しかし出てきたものはしょうがない、と、ソーセージをフォークでつつき、チーズの塊をこそげ取って口に運んだ。いくらも食べられないのは分かりきっていたが。
「このチーズは癖が無くて食べやすいね」とか、「これはちょっときついですねぇ」なんて言い合いながら食べていたが、根本的にはそういう問題ではないことも分かりきっていた。

 われわれが座っているカウンターは、背後が色ガラス張りになっていて、後ろを振り向くとガラス越しにホテルの入り口が見える。
私たちは「もう少し町をブラブラ組」が帰っては来ないかと何度も振り返って見張っていた。
みんなで話をしながら飲んだら楽しいだろうな、という気持ちももちろんあったが、人数が増えれば目の前の大皿も何とかなるんじゃないかという気持ちもかなりの割合を占めていたことは否定できない。

しかし。
「もう少し町をブラブラ組」をキャッチできないまま、私たちのお腹は限界に達してしまった。チーズとソーセージはほとんど減っていない。うまく寄せれば出てきた時と見分けがつかないようにできそうだ。

 あのガタイのいいスーパーマリオがちょうど通りかかったので「チェックしてくれ」と頼んだ。
マリオはわれわれの皿をチラッと見るとひとこと、
「ノー」
っておい、頼むよ。悪いと思ってるよ、こんなにお残しして。でも日本人は胃が小さいんだよ、医学的にそうなってんだよ、これ以上食ったら死んじゃうよ、と伝えようとすると(無理だけど)、マリオのやつはニヤリと笑ってウィンクしやがった。ちっ、からかわれたぜ。

 人の悪いデカマリオからお許しが出たので、私たちは会計を済ませ(二人で約40ユーロだった)部屋へ戻った。
 北岡さんと交替で風呂に入り、明日は7時ころ起きましょうということにしてベッドに入った。お腹いっぱいのまま。
考えてみたら、出発前に家で朝食を食べ、飛行機内で二回、こちらへついてから二回、と、今日は合計五回食事をしている計算になる。時差があるとはいえ、食べ過ぎだ。帰国するころにはすっかり太ってしまいそうだ。

とにも、かくにも。こうして、長かった旅行第一日目が終わった。


怒濤の第二日め       
「16.突入!ブックフェア」につづく


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