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オトーくん海を渡る
18.さらばブックフェア!

2002.11.10


 こうして私たちはブックフェアの会場を後にした。
のだが、メッセは広く、一旦建物の外に出てから敷地内の中庭を延々歩いていった。

 来た時と同じルートでもよかったのだが、メッセの広大な中庭には、民芸品のようなものを売っている店がたくさん出ていて楽しそうだったのだ。
 どこの国のものとも知れない木工品やら、ガラス細工やらを見ながら歩くのは楽しかった。正直、文字の読めない本が並んでいるのを見ているよりずっと楽しめた。

●メッセの中庭で売られていた色々な物。
何だかわからない物もたくさんあったが、それはそれで楽しい物品たち。

そろいもそろってでかい目玉でこっちを見つめるアニマルたち。

なんとも立派なお顔。
実物大。実物見たことないけど。

怪奇!青トカゲ。

木工の機械と木工のクマ。
後ろのは木工の、何だ?カメ?

宗教的な意味のある場面だろうか。とてもきれいだった。

 北岡さんが、息子さんから、あるサッカーチームのユニフォームを買ってくるように頼まれていて、それが買えるであろう百貨店に行きたいと言うので、まずはそこへ向かうことになった。

 今度はメッセの駅から地下鉄に乗ることにして、切符を買おうと、自動販売機の一覧表を探したが、目的の駅が見つからない。路線図にはその駅が載っているのだが、買う時に必要な番号がないのだ。
これは一体どういうことかと四人であっちの販売機、こっちの販売機と一覧表を探したが見つからない。
路線図をよーく見ると、太い線で囲ってあるゾーンがあって、目的の駅はその中にあった。
これはきっと、この「ゾーン」で切符を買うのではないかと誰かが言い出して、そういう目で見ると、確かにゾーンを示す番号があったのでそれで切符を購入した。
十中八九これで正しかったはずだが、前にも書いたとおり、ドイツの鉄道には改札が無く、検察にも遭わなかったので、本当にこれでよかったのかは未確認なのだが。

 目的の駅に着いて地上に出ると、並木道の両側に商店が並ぶショッピングゾーンだった。
通りは広いが、車は入れないようになっていて、真ん中にも花屋、八百屋、なんだかわからない食べ物屋、などが並んでいて、あらゆる年代の買い物客でにぎわっていた。家族連れが多いように感じたが、お年寄もたくさんいた。
 さてどっちだ?と北岡さんが地図を広げていると、通りがかりのおじさんが「何を探しているんだ?」という感じで声をかけてきた。
地図を指差してここに行きたいと伝えると「ああ、ここならこの道をまっすぐだ」と笑顔で教えてくれた。ドイツ人はなんて親切なんだろう。

 おじさんを信じて(疑う理由なんてひとつもないけど)歩いていくと、目的の店が見つかった。百貨店というには、なんていうか、ちょっと荒っぽい印象の外観だ。
各自バラバラで買い物しましょうということになり、集合時間を決めて散開した。
私は周囲にあった食べ物屋をちょっとのぞいたりしてからその店に入ったのだが、店内では、大きな足場を組んで、壁やら天井やらを大々的に改装していて、その中を買い物客が歩き回っていた。
店も客も気にしてないようだが、工事現場の中に店があるようで、面白い光景だった。

 工事はともかく、店そのものの雰囲気は、百貨店と言うより、日本ならダイエーとかイトーヨーカドーといった感じで、衣料品からスポーツ用品、電気製品、おもちゃまで揃っていたが、内装や商品の陳列の状態は、少しぶっきらぼーな感じがする。

 おもちゃ屋には、プレイステーション2やゲームキューブなどのソフト、デモ用のゲーム機が並び、『ピクミン』のポスターが貼られていたりした。他にも普通の子供向けの車やブロック、マニア向けっぽいフィギュアなどもあり、日本のおもちゃ屋とあまり変わらない景色だ。

 大きなおもちゃの箱を抱えた五歳くらいに見える子供が、母親と思われる女性に「これ買ってー」みたいなイントネーションで話しかけていた。母親は難しい顔をして子供から箱を受け取り、ちょっとながめてから、「同じようなのを持ってるでしょ、返してきなさい」と(多分)言って、箱を子供に押し付けた。日本とあまり変わらない景色だ。


通常価格25ユーロのところ15ユーロ。
お買得になっております。

 私はここでは買い物をする気はなかったので、ちょっと時間を持て余し、別に見たくもない衣料品やらスポーツ用品やらを見ていたら、北岡さんと出会った。手に紙袋を持っている。
「ユニフォームありましたかぁ?」と訊くと、「あったあった」と、袋から出して見せてくれた。
 「これくれって言ったらさあ、たたみもしないで紙袋に放り込んで『ハイ』だよ」
あはは。店員もぶっきらぼーだ。

 北岡さんも目的の物を手に入れて、まだ早かったが、二人で店の前の集合場所で待つことにした。
店の前には特売品だろう、大きな箱に衣料品が詰め込まれて、「どれでも5ユーロ(だったか8ユーロだったか、とにかく安いよって値段)」みたいに売られていて、おばさんたちがセーターやらマフラーやらをひっかき回して良い品を探していた。
なんだか。
だんだんドイツが好きになってきた。

「19.ドイツの中のニッポン」につづく
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19.ニッポン発見!

2002.11.13



 島田さん親子も買い物から戻って来たので、ちょっと遅くなったけど昼食に、ということになった。

 さて。鋭い読者の皆様はここで「あれ?」と思ったかもしれない。
「朝ブックフェアに行って、買い物をして、まだこれから昼食?」と、思われたかもしれない。
「それって時間的にどうなの?」と、思われたかもしれない。
思われたかもしれないが、あまり深く考えないでいただきたいかもしれない。

 「昼飯はヒゲマツにしようと思ってるんだけど、いいかな?」
北岡さんが言った。
「ヒゲマツ」ってなんだ?日本語みたいだぞ、と思ったら、和食の店で、地図で見ると「ひげ松」と書く。
北岡さんはかなり細かく調査した上で旅行中の日程を決めており、私はそれに何となく乗っかっているのだ。
その日程の中に「『ひげ松』で和食を」があったのだ。
ドイツに来て二日目で和食が恋しくなるというのは早すぎる気もするが、北岡さんは、「緑茶のパックを持って来たんだけどさぁ、こっちのホテルは部屋にポットが無いからお茶も飲めねえよ」と言うくらいの和風の人なのだ。

 「ひげ松」は、表通りから細い道に入ってぐるっと回りこんだところにあった。
のれんに「ひげ松」と大書きされていた。日本語だ!
中へ入ると「いらっしゃいませー」。日本語だ。
壁に貼ってあるお品書きも日本語、客も日本人が多く、会話も日本語だ。なるほど。こういうところか。

 一番奥に通されて、蕎麦屋にあるような角ばったテーブルと椅子の席に着く。
店員も日本人がいて、日本語で注文を聞きに来た。
壁のお品書きを見ていたら、「あちらは夜のメニューになっています。お食事はこちらになります」と、テーブルに立っていたメニューを指す。もちろん日本語。
そば、うどん、天丼、カレーライス、しょうが焼き定食。なるほど。
「まぁ、ビールでも飲もうよ」北岡さんが言った。
「キリンとアサヒがありますが」なるほど。
アサヒを頼んだ。
「和食」が食べられる、というより、日本語で思ったことを伝えられる安心感、日本の感覚で過ごせる楽ちんさ。せっかく海外に来たのだからこちらのやり方で、というのも気持ちとしてはあるが、やはりほっとする。昨晩のホテルのレストランでの出来事もあったので、ここで力を抜けるのはありがたく思えた。
私は唐揚げ定食にした。

 ご飯と味噌汁にさほど執着があるわけではないが(まだ二日目だし)、なんだか懐かしい気持で食べた。この懐かしさは、あと何日かはこういう食事はできないという未来の分の懐かしさも先取りされていたと思う。なにしろまだ二日目だから。それから、せっかく海外にいるのだから(無理にでも)日本を懐かしもう、という精神的作用もあったかもしれない。

 日本語で迎え入れられて、日本語のメニューで、日本語で注文して、支払いはユーロ。あはは。当たり前だけど、ちょっとだけおかしい。

 「ひげ松」の後は「ゲーテハウス」というのが北岡プランだった。
「ゲーテハウス」というのは「ゲーテ」の「ハウス」なのだ。
そしてそれ以上はわからなかった。
というのは、休館だったからだ。これは定休日ではなくて、臨時にお休みだったようだ。
島田さんが門をつかんでガタガタやったりしたが開かなかった。

 しかたがないので、外から写真を撮ったりしていたのだが、私たちが周りをうろうろしている間にも、三組ほど見学者がやってきて、門をガタガタやっては帰って行った。
中にはものすごく落胆しているグループもいたが、われわれは撮影を終えると、「さ、次」と「ゲーテハウス」を後にした。


 ゲーテハウス外観。
 今もひと組「あーら、開かないわ」
 「お休みかしら。がっかりね」と、
 門をガタガタやっている。

 「次」は、「シュテーデル美術館」だった。
ここはなかなかすごかった。

つづく

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20.向こう岸で美術に浸る

2002.11.15



 「シュテーデル美術館」は、大きな河を渡った向こう岸だった。「マイン河」という河だそうだ。
四車線ある車道の両側に歩道が並行している長くて大きな橋を四人でてくてく歩く。自転車とすれ違い、ジョギングする人が追いこしていく。
橋の真ん中あたりで街を見渡すと広々として、天気もいいのでとても気持ちがいい。ちょっと寒いけど。


マイン河にかかる橋の上から。

 河沿いの道をしばらく歩いて美術館にたどり着いた。
館内に入り、チケットを買い、奥へ進もうとしたら、ヒゲと体格がセイウチのような警備員がわれわれの前に立ちはだかった。
バッグをぐっと指差して、その指で入り口近くにあるカウンターを指す。
バッグを預けろということらしい。命令どおりに荷物を預け、再び進入を試みる。
「入ってよし」と、軽くうなずくセイウチの横を通り抜け、展示場に入っていった。

 美術館というものにほとんど足を踏み入れたことがないので、比較対照の基準は持ち合わせないが、まず建物の作りというか、部屋の配置に少し戸惑ってしまった。
 たとえば、ひとつの展示室に入ると、前方と左右が別の展示室につながっている。どれかひとつを選んで進むと、また前方と左右に別の展示室がある、といった作りで、順路のようなものがないので、ある方向に進んでいくつかの部屋を見たあと、また元の部屋に戻って別の方向に進む、といった動きを繰り返さなければならない。
気を抜いていると、同じ部屋に何度も踏み込んでしまい、「この絵さっき見たじゃん」と引き返すはめになる。品のいい迷路のようだ。

 私たちはそれぞれバラバラで見て回ったのだが、初めのうちはすれちがったり、同じ部屋で見ていたりしたが、やがてまったく出会わなくなった。

 もうひとつ驚いたのは、展示品を本当に間近で見られることだ。ガラスをはめた額に入っている絵もあったが、むき出しの絵もたくさんあった。それが触ろうと思えば触れるように展示されているので、近づいて見れば、筆の跡が付いた絵の具の凹凸もはっきりわかる。大きな絵を遠目に見てから、近づいて細部を観察する、という見方もできる。こんなふうに絵を見るのは初めてだ。

 たとえば一本の木が描いてある。離れて見ると、幹も枝葉も写真のように写実的だが、近づいてよく見ると、あたりまえだが筆と絵の具で描かれていることがよくわかる。
 空の雲も川の水も人の肌も馬のたてがみも、どんなに写実的で、本物のように見えても、みんな人の手で描かれていることが見て取れる。人の手で何でも描けるということに感動してしまった。

 それから色。
「これは何色?」と訊かれれば「赤」としか答えようがない、その「赤」のなんと種類の多いこと。というより、分類しようがないほど、すべて違う「赤」。
パンも夕焼けも子供の瞳も、みんな「この色」としか言いようのない色。
分類して単純化した瞬間に、もう別のものに変わってしまうようなデリケートさ。
そう考えると、子供に「空は青。葉っぱは緑」と教えて絵を描かせたりするのはちょっと乱暴なんじゃないかと思えてきてしまう。

 広くて迷路のような館内の、たくさんの絵を遠くに近くに見ながら歩いてゆく。足も疲れるが、その情報量の多さに圧倒される。
美術品には詳しくないが、どこかで見たことのある絵も何点かあった。
絵の横に作者や年代が記されたプレートが付いていたが、全部は見ていられない。読めないし。
それでもいくつか判読できたものにはムンク、ピカソ、ゴッホ、ルノワール、というように、私のような素人でも知っている名前があった。
ルーベンスの絵を見つけた時には、近くに大型犬がいたら寄り添ってそのまま死んでしまってもいいと思った。そして天使たちに天国へ連れて行ってもらうのだ(『フランダースの犬』より)。

 体も頭も心もフルに使って全館見終わったときには、充実感もあったが、身も心もへとへとだった。
私が出口にたどり着いたときにはみんなもうそろっていて、出口付近のベンチに座り込んでいた。みんなも疲れたのだろう。

 美術館を出ると、少し日が傾き始めていた。庭を一匹のリスが駆け抜けて茂みの中へ消えた。これからゆっくりと暗くなってゆくのだ。

 北岡プランでは、次は「りんご酒」が名物の居酒屋地帯だった。
「店の外にテーブルと椅子があって、そこで飲むんだって。どう?行かない?」
行く行く行く行く行く。
「りんご酒が名物だって書いてあったよ。どう?よさそうじゃない?」
よさそうよさそうよさそう。りんご酒ってどんなのか知らないけど。
美術館で感動した後は居酒屋で一杯。素晴らしい。
もう、どこまでもどこまでも北岡プランに着いてゆきたいフランクフルトの夕暮れちょっと前であった。 

「21.ドイツの幸せはどこにある?」につづく
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21.ドイツの幸せはどこにある?

2002.11.19



 車道までもが石畳という、過剰に異国情緒あふれる河沿いの道を戻り、渡ってきた橋を通り越して、われわれ四人は居酒屋地帯を目指した。


 車道までもが石畳。
 車が通るとガタゴトガタゴトうるさいったらない。

 たぶんここ、というところで右に入り、特に何もないちょっとさみしい道を進んでいくと、ありました。夢の居酒屋地帯。
なんかもう、「いいですねー」としか言いようのない雰囲気。みんなで口々に同じようなことを言って写真を撮りまくる。


 居酒屋地帯。
 とってもいい雰囲気。って、この写真じゃよくわからないか。

 
 どっかのテーマパークのように見えなくもない家並。

 しかしそのあたりには、外にテーブルや椅子が、という店は見当たらない。
「この辺じゃないのかなぁ」なんて話しながら世界名作劇場みたいな通りをぶらぶら進んでゆくと、あったあった。店の前に細長いテーブルと椅子が設置されている店が何軒も。
中にはまだ椅子をテーブルの上に乗せたままの店もあったが、見ていると客がやって来て、勝手にガタガタ椅子を降ろして座り込んでいる。

 私たちもよさそうな場所を選んで陣取る。
すぐに店員がやって来て、四人ともまずはビールを頼んだ。
屋外で、ちょっと寒いけど満場一致でまずはビールなのだ。
北岡さんも島田さんも、どこへ行っても「まずはビール、とにかくビール」の人なので、ビール好きの私としてはうれしいったらない。
すぐに出てきたビールをぐっと飲む。
うまい。寒いけどうまい。うまいけど寒い。

美術館で歩き回って疲れていた分、こうして周りの変わった風景を見ながら飲むビールは格別だ。
なんだか幸せになってくる。うまい。幸せ。でも寒い。

「うまい幸せ寒い」のパッケージで飲んでいたら、四歳くらいの小さな女の子が、私たちをちらちら見ながら行ったり来たりし始めた。
私たちのすぐ近くで飲んでいる八人くらいの「近所の家族連れ」みたいな客に連れられて来ていたようだが、子供は一人だけで、大人は勝手に飲んでいるので退屈しているようだった。
道を行ったり来たり、あいているテーブルをくぐったりと、一人で遊びながらも私たちのほうをちらちら見ている。島田娘さんがにっこり笑って手を振ると、ちょっと困ったような笑顔になった。
向こうのほうが先にお開きになって、父親であろう、熊のような体格の男に抱き上げられて帰っていく時にもこちらをずっと気にしていた。まぁ、われわれもちらちら見ていたので、そりゃあ気になるだろうけど。

 さて、ビールも飲んだし、次はガイドブックお薦めの「りんご酒」とやらを飲んでみようじゃないか、ということになり、メニューを見たが、どれがその「りんご酒」なのかわからない。
「apple」か、それに似た単語があったので、多分これだろうと頼んでみる。
薄黄色い液体がごく普通のグラスに入れられて出てきた。一口飲んでみる。
少しピリッとするジュースみたいな味だ。島田娘さんが「アップルタイザーに似てる味だ」というので、なるほどそうかと思う。アップルタイザーってよく知らないけど。

 通りの向こうからカランカランと、小さな鐘の音が聞こえてきた。
見ると、パンがいっぱい入った籠を乗せた自転車を引いたおじさんが近づいてきた。初めて見るが、間違いなくパン屋さんだろう。
パン屋は私たちが飲んでいる店のおばさんにパンを売っていた。パン屋とおばさんがやりとりをしている間にもう一人、徒歩のパン屋さんが現れ、私たちのすぐ横で立ち話を始めた。
島田娘さんが、パン屋の自転車を気に入って、「写真を撮ってもいいですか?」というドイツ語を調べ始めた。いきなりシャッターを切るのは失礼なのだ。
 それらしい言葉をみつけて話しかける。言葉がうまく通じたのか、それともカメラを手に小首をかしげて話しかけたから理解したのか判然としなかったが、おじさんは「おーよしよしぜんぜんオッケーだよ」と島田娘さんを手招きした。
島田娘さんとしては「パン屋のおじさんと自転車」という写真を撮りたかったのだが、おじさんは娘さんと写真に収まる体勢だ。「ま、いっか」と娘さんが席を立つ。
一枚撮った後、徒歩のパン屋さんが、自転車の荷台を指差して、「ここに座ってもう一枚どうだ」みたいなことを言ったら、自転車パン屋が、「それはダメダメ絶対ダメ」と強く止めた。大事な商売道具なのだろう。
お礼に、というわけでもないが、島田娘さんがパンをひとつ買って、パン屋とさよならした。


 パン屋のカゴ。
 後ろにチラっと写っているのが大事な自転車。
 前にカゴを乗せる台が付いている。

 パン屋とやり取りしている間にアップルなんとかを飲み干していたので、次は店のお薦めを飲んでみよう、ということになって、また島田娘さんが、ドイツ語を調べて、店員に尋ねた。すると店員は胸を張って「それはワイツェンビヤである」と答えた。
うむ。それにしよう。
ワイツェンてなんだかわからないけどとにかくビールだろう。
ビール王国ドイツのお薦めビール。どんなにおいしいものが飲めるんだろう?胸は高鳴る。相変わらず寒いけど。

目をキラキラさせて待っていた私たちの前に、背の高いグラスに入れられて、少し濁った感じのワイツェンビヤが運ばれてきた。
口が広く、下へ向かって細くくびれてゆく、官能的な形状のグラス。
グラスの細くくびれた部分をわしづかみにしてグっと飲んでみる。

んんんんーーーー。

んまいじゃん。

 島田娘さんが買った、チーズをまぶしたパンを四人でちぎって食べながら「ワイツェンビヤ」を飲む。

うまいぞ「ワイツェンビヤ」!
すごいぞ「ワイツェンビヤ」!
でも、ちょっと寒いぞ「ワイツェンビヤ」。
私はその名を胸に刻み込んだ。

しみじみと幸せ。

ドイツの幸せはいつもビールの隣にある。

なんてな。

ワイツェンビヤ。
飲みかけだけど。
ちょっとだるま写ってるけど。

「22.親方再登場」につづく
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22.親方再登場

2002.11.20




 ビール王国のおいしいビールを満喫した私たちはホテルへの帰路に就いた。
帰りは地下鉄でフランクフルト中央駅まで行って、そこからウィスバーデン行きの電車に乗り換える。

 フランクフルト中央駅に着いたところで、みんなでトイレに行こうということになり、地上に出てトイレを探す。掃除をしているおじさんに訊いたりして、たどり着いたトイレは有料だった。一回0.6ユーロ。
ホテルやお店のトイレばかり使っていたので気付かなかったけれど、ドイツもフランスも公衆トイレは有料が普通らしい。場所によって値段はまちまちだったが。

 お金を入れると開く、自動改札のような機械が入り口に設置されている。
電車には改札が無いのに、トイレのほうが厳重なのだ。

 それはそうと、こちらの男子用小便器は位置が高い。若干つま先立ちにならないと安心して用を足せない。それでいて子供用の低い便器はほとんど見かけなかった。ドイツの子供たちは小便をするたびに「早く大人になりたい」と思うのだろう。
それであんなに大きくなっちゃうんだな、きっと。

 トイレも済ませて安心して電車に乗る。
いくつか駅を過ぎたところで北岡さんが「ああ、あんなところまで車が来てるよ」と言った。見ると、ホームのすぐ外に車が駐車している。朝は気付かなかったが、改札が無いので、出るときはどこからでも出られるようになっていて、人も電車を降りるとほいほい横から出て行く。なんか楽そうでうらやましい。

 まだ食事らしいものを食べていなかったので、ウィスバーデンの駅の周りで買い物をして、部屋で一杯やりながら何か食べよう、という相談をしていたのだが、駅の周りは真っ暗で、買い物ができるような店は見つけられなかった。商店が閉まる時間は早いと聞いていたが、もともとそういう店が無かったのかもしれない。

 しかたがないので、またホテルで食べよう、ということになった。ホテルのあのレストランで。

 タクシーでホテルまで行き、レストランに入った。今日は四人だったので、奥のテーブルに座った。初めに飲み物を頼んだところまではよかったが、料理を頼もうとみんなでいろいろ言ったが、ウェイトレスには通じない。
ウェイトレスは困った顔をして引っ込んでしまった。ありゃま。

「ソーセージとかつまむくらいでいいよね」
「写真付のメニューとか置いといてほしいよねー」
「そういえば浅野さんも美術館に行くって言ってたけど会わなかったねぇ」
「あの作りじゃ会えない可能性高いですよねえ」

などと会話をしていたら、向こうからのっしのっしとやって来た。
やつが。
夕べのでかいスーパーマリオが。ダース・ヴェーダーのテーマとともに(ウソ)。
きのうと同じ展開だ。困ったウェイトレスがこいつを呼びに行ったのだろう。こういう係なんだ、こいつは。
きっと、「大将」とか「親方」とか呼ばれているに違いない。

 「さあ、何が食べたいのか言ってみろ」真上から声が響いてくる。
えーと、えーと、みんなしてソーセージを食べたいということを伝えようとした。親方はフンフンと聞いていたがやがてべらべらしゃべりだした。ほとんど何を言っているのかわからないが、「イエスタデイ」とか、「ディッシュ」という単語が聞き取れる。
きのうのやつが食いたいんだな、と言っているようだ。まぁ、そういうことにしとこうかな、と思ったら親方が「フォーディッシーズ」みたいなことを言った。四つもいらねーよ。

 私は必死で「イエスタデイのディッシュを二つ食わせろ」ということを英語で伝えようとしたが、親方は私の顔をのぞきこんで「お前なに言ってんだ?」という表情をしている。それでも指を二本立てたりしているうちに理解したらしく、大きくうなずいて、また何かをべらべらしゃべると、ひとりで納得して行ってしまった。

 やれやれ。何が出てくるやら。
みんなで、多分ソーセージは通じただろう、しかし帰り際にやつが口にした言葉の中に「フィッシュ」という言葉があったぞと話し合った。
きっと、ソーセージがふたつ、フィッシュがふたつ出てくるに違いない、と予測を立てた。
果たして。ソーセージの皿がふたつ(昨日と同じやつ)、魚料理の皿がふたつ運ばれてきた。もちろんパンもひとカゴ。
「わあ、ずいぶんたくさんあるなあ」島田さんが言った。
 私と北岡さんはきのうも見ているが、ソーセージは確かにびっくりする量だ。魚も多いと言えば多いが、ソーセージに比べればまだなんとかなりそうだ。

 ソーセージのようなものをまとめてドカっと見せられると、それだけでお腹がいっぱいになり、きょうもたくさん残しちゃうのかな、と少し心配したが、みんなで飲んで話しながら食べていたら、けっこう片付いた。ドイツ料理おそるるに足らず、だ。腹には足り過ぎだが。

 こうして、二日目が終わった。二日目も長かった。二日目も満腹だった。
普通は退屈な時間を長く感じるものだが、この旅行中は違う。目いっぱい詰め込まれた時間が長く感じるのだ。こんな経験も初めてだ。

 明日からベルリンだ。やれやれ。
あ、この「やれやれ」は、今この旅行記を書いている11月の私の「やれやれ」であって、旅行している時点の私の気持ちではない。
すごく長い旅行記になって、飽き始めている人もいるかもしれないが、誰も止めないのでこのまま続行。

次回からは「愛と追憶のベルリン編」だ。

「22.ベルリン潜入指令」につづく

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