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オトーくん海を渡る
23.ベルリン潜入指令!

2002.11.21



 翌日。
 朝食後ロビーに集合して、またもやガイド付き大型観光バスでフランクフルト空港へ。
今日のガイドは日本人のおばさんで、空港へ向かう途中、いろいろ話をしてくれた。

 ブックフェア視察ご一行様ということで、本に関係ある話をしてくれたのだが、今ドイツで一番売れているのは、女癖の悪いプロデューサーが書いた本だそうだ。
なんでもこのプロデューサーは仕事も派手だが、私生活も派手で、何度も結婚と離婚を繰り返していて、よくワイドショーのネタにもなるような人物で、そのあたりの話を書いた本がとても売れているのだそうだ。

 そしてこのプロデューサー氏の元奥さんという人たちも、別れた後で深夜番組に出て、元夫のことを暴露する、というルートができあがっているらしい。
で、そういう番組を見たり、本を買ったりするのは、子育てが一段落した主婦とか、その姑さんとかなのだそうだ。
日本でもこんな人がいたら間違いなく、まったく同じ状態になるだろうと思うとおかしいやら情けないやらだ。

 もうひとつ教えてくれたのは、第二次世界大戦の時に経済の中心地だったフランクフルトは、徹底的に爆撃でやられたということだ。
「ゲーテハウスなんか残ったのは土台だけじゃないですかね」だと。
ふーん。どうせ入れなかったからいいけどさ。

 フランクフルト空港はとても混雑していて、チェックインは長蛇の列だった。ホント、スーツケースを転がした人たちが100メートルくらい並んでいた。
ガイドが「これじゃしょうがないから団体用の方から入りましょう。ホントは予約が必要だけどなんとかなるでしょう」と言うので、団体用の方に行ったらなんとかなった。

 今回はみんな座席がかたまっていて、乗り込んで待っていたらフランクフルトでは別行動だった秋山さんもやって来た。これで七人全員が揃った。
ベルリンまで飛行機で約一時間。
着陸の時にけっこう揺れてちょっとだけビビる。

 降り立ってみると、ベルリンはフランクフルトよりさらに寒かった。
なんだかドイツの太陽は、まぶしいのに暖かさを感じない。

 またまたガイド付の大型観光バスへ。ガイドはジル、運転手はグンタだそうだ。
ジルとグンタ。声に出したくなるような素敵な響き。そのうえジルはドイツ女性としては、きゃしゃな体格で、おまけにとてもきれいな人だった。


バスに付いていた器具。
たぶん非常時に窓ガラスを叩き割るための道具。
幸いこれを使うような事態には遭遇しなかった。
でもちょっと使ってみたい。

 今日は一日バスでポツダム方面やベルリン市内の観光の予定だが、時間的に、初めに昼食にしましょう、ということになり、ジルのおすすめの、森の中にあるレストランへ向かった。
バスは市街地を抜け、森に分け入り、湖畔のレストランに着いた。
保養地みたいな場所らしく、老夫婦がのんびり散歩していたりする。


 ジルとグンタに誘われて森のレストランでお食事。なんだかメルヘンの世界だ。
妖精が作った料理を小人さんのウェイターが持ってきてくれるのだろう。
と思ったらウェイターは大男だった。特に意味も無く「アリガト」を連発するのでわれわれも意味も無く「どういたしまして」と答える。

 ジルがメニューを読み上げて料理の説明をしてくれる。
あー、とってもうれしい。苦労した上に結局またソーセージを食べるはめにならずにすむ。それはそれで楽しいけれど。
私は鹿のステーキにした。メルヘンチックなレストランで森の鹿さんを食っちゃうのだ。
飲み物もビールだけでもいろいろあって、ジルが説明してくれる。
「ワイツェンは小麦のビールですね」
それ。

 ワイツェンビヤはきのう飲んだのと同じ形の大きなグラスで出てきた。
鹿肉はどこかで食べた味のような気がするが、思い出せない。味付けがなかなかしょっぱい。


 鹿肉のステーキ。

 ここで書いておかなければならないのは木戸さんが頼んだ料理だろう。
アイスバインという料理だそうが、豚足の親分みたいのがドカンと出てきた。親分というより大親分、豚足のラスボス。


 本日の強烈料理アイスバイン。
 「どうだ!」と、いばって登場。

 「これはぁ…」木戸さんも絶句している。
みんなも口々に「すげー」だの「食べられるの?」と心配顔で注目しつつ笑っている。
ジルの話では、ドイツ人でも普通は一人では食べないだろう、ということだ。
木戸さんも切り分けてみんなに分配していたが、なんだか切っても切っても原型をとどめていた。
食べても食べても減らないものなぁんだ?
もちろん答えはアイスバインである。

ドイツ料理恐るべし。

「24.宮殿でスリスリ」につづく
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24.宮殿でスリスリ

2002.11.28



 メルヘン満腹レストランを出たバスが次に向かったのは「サンスーシ宮殿」だった。

 「サンスーシ宮殿」は、「大王」と呼ばれるフリードリヒ2世の宮殿だそうだ。
「大王」というと、アレキサンダー大王や、えんま大王などが思い浮かぶが、フリードリヒ大王もなかなかの大王と言ってようであろう。なにしろ私でも聞いたことがあるくらいの大王だ。
 そう言えば「流血大王」ってニックネームのプロレスラーがいたなぁ。誰だっけ?
キラー・トーア・カマタだ。ブッチャーのパチモンみたいなやつ。
なんて話はともかく。
 そんな大王の宮殿だけに、ここは警戒厳重で、時間予約をして、資格のあるガイドと同行でなければ入れないのだ。


 サンスーシ宮殿外観。
 宮殿というとシンデレラ城みたいのしか思い浮かばないが、
 外観はむしろ質素な印象で、あまり大きくも感じない。
 しかし中に入るとまた少し印象が違う。

 ガイドが入り口の鍵を開け、いよいよ宮殿の内部へ。ジルは通訳状態。
入ったところには靴の上から履くでっかいスリッパが備えられており、中に入る人はみんなそれを装着しなければならない。
「足を引きずるように歩いてください。スケートの要領でやるとよいでしょう」というジルの指示に従って、みんなでスリスリ進んでゆく。
どこも天井が高い。
ベンチが置かれた廊下のようなところを通った。広くはないが、彫刻やら絵やら飾られていて、豪華だ。ゴーカなローカだ。
ベンチは、飾りなのか、実際に使ったのか、意見が分かれているそうだ。
へーえ。と思ってベンチを見ていたら、ガイドが「本物はあれだけで他はみんな複製です」と、ずっと向こうのベンチを示した。私は複製を一生懸命見ていたのだ。まあ、言われなきゃ気付かないけど。

 話によると、この宮殿は「ロココ様式」で建てられているそうだ。
私は「ロココ」と聞くと、しりあがり寿の「おらぁロココだ!」という漫画を思い浮かべてしまうのだが、説明によるとロココというのは、植物のツルみたいな、有機的な曲線を使ったものなのだそうだ。たしかそう言ってた。
このあたりの私の解説はあまり本気で読まないほうがいいかもしれない。なにしろ「おらぁ、ロココだ!」だから。

 フリードリヒ大王は読書大王でもあったそうで、蔵書4000冊(だったかな?)の読書室兼書庫というのがあった。その部屋には入れないようになっていて、ガラス越しに外から見ただけだったが、古い書物が壁いっぱいに並んでいる様子は、なんだか絵を見ているようだった。

 そんなこんなで、われわれスリスリ様ご一行は、外から見てドーム状になっていた部屋の高い天井を見上げて驚いたり、客室に使われていた部屋のベッドや壁の彫刻を見たりしながら、スリスリスリスリ宮殿内を進んでいった。

 この旅行記で初めて観光スポットが出てきたのに、なんだかうまく記述できなくて申し訳ないが、こういう宮殿を見るのは初めてだったので、とても面白かった。そしてなぜか、修学旅行で適当に見て回った京都のお寺なんかももう一度見に行きたくなった。
 ただ、出口直前に、アンディー・ウオーホール作のフリードリヒ大王の肖像画というのが展示されていたが、私はなんだか場違いな印象を受けた。アンディーに罪は無いけど。

 宮殿を出たあとはみんなで広い広い庭園の散歩へ。
宮殿内部は彫刻やらなんやらで密度が高い感じだったので、庭園の開放感をいっそう強く感じる。


 宮殿の正面の石段を降りたところに噴水がある。もう、広い広い。


 植木はこんな形に刈られていた。


「わしの必殺技を受けてみろ!うぉりゃああ!!」
「イテテテッ!ギブギブギブ!」


 庭園散歩中にとんでもないものを発見してしまった。
 岩でできた門のようなものの上に鎮座する鷲と蛇の像。
 もちろんゲルショッカー本部だ。


 こうしてサンスーシ宮殿の見学を終えた私たちは次の見学地に向かった。
次は「ポツダム会議」が行われたなんとかっていう宮殿だ。
なんていう宮殿かは忘れた。次までに調べとく。

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25.それはツェツェリエンホーフ宮殿である

2002.12.3



 ということです。
ポツダム会議が行われた宮殿の名前。
ここも専門のガイド同行で見学。なんだかにこやかでさわやかな若い男だった。ちなみにサンスーシ宮殿のガイドはどこから見ても普通のおばさんという感じの人だった。

時代が違うからあたりまえといえばあたりまえだが、宮殿といってもサンスーシ内部の豪華な感じとはぜんぜん違って、落ち着いた感じだ。
入ってすぐの所に当時(第二次世界大戦前後)の写真が展示されていた。解説は読めないが、サンスーシ宮殿のように、明らかに違う時代のものを楽しむのとは違って、現代とつながっている歴史を感じる。
私たち七人は年代がバラバラなので、それぞれ感じ方は違うのだろうが。

もともと住んでいた皇太子という人が船が好きだったそうで、船室を模したという部屋があった。言われてみれば、天井が低いところや、調度なども船に見えてくる。船なんて遊覧船くらいしか乗ったことないけど。

 そしてポツダム会議が行われたという部屋へ。
でかい窓から光が差し込んでいる。
そんなに広くはないが、狭くも無い(何の説明にもなってない)。
丸いテーブルの上にアメリカ、ソ連、イギリスの国旗が飾られている。
テーブルクロスも赤。椅子の背もたれとケツが乗るとこも赤。カーテンもじゅうたんも赤、ソ連の国旗も赤。
赤、赤、赤、だ。

 ここでアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が戦後処理を話し合ったということだ。
アメリカ代表はあの入り口から入り、ソ連代表はあそこ、イギリス代表はあっちの入り口から入場、と教えてくれた。
うーんなるほど。しかし各国代表の部屋がどこだったかはいくつか説があるそうだ。

そんなこんなで(どんなだ)見学を終え、出口前の売店で絵葉書を買って外に出たら少し暗くなり始めていて、寒さが増していた。

あれ?
終わっちゃったよ。ツェツェリエンホーフ宮殿。せっかく名前を調べたのに。
やっぱり観光地に弱い旅行記だ。致命的だ。

今回は文章が短いので話と関係ない写真のオマケつき。


前傾姿勢が「逃げろ!」って気持ちを盛り上げるドイツの非常口のマーク。


急いで逃げろっ! 下へ。


急いで逃げろっ!右ななめ上へっ!


ちなみにこれが日本の非常口。ちょっとのんびりな感じ。
学校の避難訓練でヘラヘラしていて、後の集会で校長先生に
「お前らは死んでいる」と説教くらった経験は誰にもあるはず。
しかし私たちはこのマークのように優雅に逃げていたのだ。
あ、避難訓練は走っちゃいけないのか。
何の話してんだ?

 私たちを乗せたバスは、KGBの宿舎があったという一画を抜け、宿泊先のホテルへ向かった。
ホテルでチェックインしたあとベルリン市内の観光へ、という作戦だ。ベルリン突入大作戦。作戦成功のカギを握るのは誰だ!

本文が短いからいらないこと書いてるな。

「26.ベルリンの三日月」につづく
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26.ベルリンの三日月

2002.12.10



 ホテルは「ホリデイ・イン」だった。なんか、チェーン店みたいなホテル。

 ラマダホテルよりかなり大きくて、入り口からフロントまで目測で12メートルくらいある。
チェックインを済ませて、一度部屋に入った。またも私が奥のベッドで北岡さんはドア近くになった。
少し荷物を整理して再度ロビーに集合。
グンタ運転のバスで、夕闇迫る中、ベルリンの市内観光に出発した。

 ベルリンといえば「ベルリンの壁」がすぐに思い起こされるが、私の「ベルリンの壁」に関する知識なんてとっても寂しいもので、

1.いくつかのスパイ小説や映画で登場したのを見たり読んだりした。
2.漫画「サイボーグ009」で、アルベルト(004)が、恋人のヒルダを連れて西側に亡命しようとして失敗。ヒルダは射殺され、自らも重傷を負い、サイボーグに改造されるきっかけとなった。その際ヒルダはライオンの着ぐるみを着用していた。
3.壁が崩壊した時、みんなでバカンバカン壊しているのをテレビを通して何度も見た。

くらいのものだ。
 この中で、3は、私が普段ボーっとしていることもあるだろうが、突然始まったような印象があって、びっくりしたのを覚えている。ただ、秋山さんもそんなことを言っていたので、実際日本に伝わったのは「突然」だったのかもしれない。
 しかし、、冷戦の終結という点で言えば、その後のソ連崩壊の時の、レーニン像が引き倒される映像のほうが、私にはインパクトがあった。
 歴史の年号などはあまり覚えない私だが、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年で、私が結婚した年。ソ連の崩壊は1991年で、こちらは長男が生まれた年。そういうわけでこのふたつの出来事の年号だけは記憶している。

 他の車のヘッドライトやテールランプの灯りの中、ジルの解説つきでバスは市内を走る。
「かつて壁があったところには赤い石が敷かれています」
ジルが教えてくれたが暗くてよくわからなかった。

 かつては東西分断の象徴、今は統一の象徴と言われているブランデンブルク門の裏側を通過(表側は車では通れない)。暗くなった町にきれいに浮かび上がっている。
 ブランデンブルク門のような古い建造物があるかと思えば、新しい高層ビルもある。
ダイムラーベンツのビル群や、ソニービルが輝いてそそり立っていた。


ブランデンブルク門
バスの中から撮ったのでちょっとブレている。


ベルリンの夜空に聳え立つソニービル
ダイムラーベンツのビルも目を引いたが、
写真を撮りそこねた。うけけ。

 バスは市街を走り続け、西側の検問所だった、チェックポイント・チャーリーや、ベルリンの壁がそのまま残っている区画などを通り過ぎた。明日は一日自由行動だから、このあたりはもう一度来てみたいな。

 バスが走り続けている間にあたりはすっかり夜の暗さになっていたが、青みがかっていた空の色がじわじわ黒くなっていったころ、新旧入り混じった建物の向こう側、青と黒の境目あたりの低い夜空に、やや太目の三日月が浮かんでいるのが見えた。
低い建物が連なっている区画ではそのすぐ上に。ビル街ではその谷間に。それは、ベルリンの近代的な町なみとも、古い一角ともよく似合って、とても美しく、私はずっと三日月を視界に入れながら風景を見続けていた。

 市内観光をひととおり終え、バスを降りたのは「カーデーヴェー」という百貨店の前だった。
ジルとグンタとは今日のところはここでお別れだ。
私たち七人は食事の場所を求めてカーデーヴェーの七階へ上がった。ジルの話では七階に、自分で好きな料理を盛り付けていく形式のレストランがあるそうだ。
「カーデーヴェー」は、フランクフルトで入った、ダイエーかイトーヨーカドーを思わせる店とは違い、いかにも「百貨店!」という感じだった。

 しかし、七階に着いてみると、今日はもう閉店、ということだった。レストランは少し早めに終わってしまうらしい。残念。
しょうがないので、六階の食品売り場でものぞいて行こうということになって、ひとつ下へ降りたのだが、そこはなんだかすごいところだった。

 「食品」と呼ばれるものはひと通りあったのだと思うが、とにかく「肉」が、すごかった。それも「ソーセージ」類。でかいのちっちゃいの、太いの細いの、白いの黒いの、あらゆる種類のソーセージ類が、売場の彼方まで並べられている。
「酒池肉林」という言葉があるが、ここは肉の大平原のようだ。
ラマダホテルのレストランで「ソーセージ」と言って通じなかったのは、種類を指定しなかったからだろうかとも思ったりした。魚屋へ行って「魚くれ」って言ったみたいな状態。違うかな。

 みんなで見て歩きながら、それぞれ好きなものを買った。私はミネラルウォーターを買った。
純和風の男、北岡さんは日本酒「大関」の、500mlくらいのビンを一本買った。

 みんなの買物も済んだので、今度こそ食事できるところを探しましょう、ということになって、カーデーヴェーを出た。

「27.楽しい夜とありゃりゃな朝」につづく
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27.楽しい夜とありゃりゃな朝

2002.12.14



 夜のベルリンをあちこち歩いて入ったのは、なんだか雑多な装飾の、私には国籍不明に思える店だった。なぜか「魔女」の人形や置物が目に付く。なぜだ。

 木戸さんと秋山さんがメニューの解説をしてくれて、みんなで料理を選んでいく。
肉やら、じゃがいもやらの料理を順調に選んでいったが、メニューに「チリコンカン」というのが出てきた。私は初めて聞く料理だったが、秋山さんによると、豆の料理だそうだ。チリコンカンも頼むことになった。

 料理を選んでいる私たちの横を、妙にノリと体格のいいウェイトレスが走り回って客の注文を受けたり、料理を運んだりしている。コロコロした体のわりにリズム感のいい人で、踊るように店内を移動している。ウェイトレスを見ているだけで楽しい。

 注文が決まったので、走り回っているウェイトレスを引っつかむように呼び止めて注文した。
みんなビールやお酒を頼んだが、秋山さんだけは「飲むと寝ちゃうから」と、アルコール類は頼まなかった。
やがてビールが運ばれてきて、一番通路側に座っていた北岡さんがジョッキを受け取ろうとすると例のウェイトレスは「ノノノノノノノノノ」と言って北岡さんの手を遠ざけ、「レィディファァスト」と、そのジョッキを島田娘さんの前に置いた。みんな大爆笑。ウェイトレスも満足げに笑っている。

 みんなで明日はあそこに行きたい、あれを見たいというようなことを中心に楽しく話している間にも順調に料理は運ばれ、みんなで楽しく平らげていった。チリコンカンもおいしかった。

 おいしいビール、おいしい料理。ワインまで飲んで店を出ると、寒さがさらに増していた。
さまざまな色や模様に塗られたカラフルな熊の像があちこちに並んでいる町を歩いて地下鉄の駅へ向かう。
バスで聞いたジルの解説によると、ベルリンの「ベ」は、ベアーの「ベ」なんだそうだ。
熊の町ベルリン。恋の町は札幌。


こんなの
これは翌日の昼間に撮った写真だが、
こんなやつらがあちこちにいるのだ。
左側を歩いているのは人間。念のため。

 ホリデイ・インに帰り着いて、北岡さんと二人の部屋へ入る。
風呂が終わったところで北岡さんが「あそこで酒、買ったんだけどさぁ、ちょっとやらない?」と言ってきた。
カーデーヴェーでお酒を買ったのは知っていたので多分そういう話になるだろうな、とは思っていたが、やっぱりそうなった。
実はうれしい。
二人で部屋の小さなテーブルを挟んで「SAKE」を飲み始めた。
なんだかしみじみとうまい。
ビールもいいけど日本酒もいいぞ。

 私はあまり自分から話題を振るほうではないが、北岡さんは逆で、いろいろな話をしてくれた。
息子さんの話、奥さんの話、職場の話、出版業界の話。
島田さんと北岡さんは同じ会社で長いつき合いなので、いろんなことがあったそうだ。
島田さんはどちらかというと、飄々とした感じの人だと思っていたが、職場では別の面があるのかもしれない。他のみんなもこの旅行中で見せるのとは違う面をそれぞれ持っているんだろうな。

そんな話で盛り上がって、気がついたら午前2時になってしまった。
いいかげん寝よう。ということになって、おやすみなさいをした。

そして。
そして。

 翌朝は8時にみんなで食事を、ということになっていたのだが、私たちはなんと遅刻してしまったのだ。
なんとなくごそごそ起きていたのだが、二人ともボーっとしていて、島田さんから「もう8時半ですよー」という電話が来るまで、部屋にいたのだ。
大変だ!

ダッシュで一階に降りて、すでに食事を終えていたみなさんに平謝りに謝って、ダッシュで食事をして、ダッシュで出かける準備をした。
もうまったく自己嫌悪である。
酒のせいではない。ただぼんやりしていたのだ。酒のせいで。あ、いや、まあ、理由はともかくぼんやりだったのは確かだ。
普段でも時間に遅れるというのは許されないことだが、こういう状況では時間の大切さは普段以上だろう。まったくみなさんには申し訳ないことをした。
この場を借りて深く深くお詫びします。反省しております。

というようなことがあって、ホテルを出たのは九時半近くになってしまった。
寒さはさらに厳しく、路上駐車している車のウィンドウに霜が降りていた。
寒いわけだ。

「28.ベルリン工事中」につづく

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