オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
28.ベルリン工事中

2002.12.22



 地下鉄でベルリン市街へ出て、地上に上がるとあちこち工事中だった。
壁で分断されている間に使われていなかった土地の開発が行われているそうだ。


工事中
クレーンの形が特徴的。アドバルーンが笑っちゃうくらいでかい。

 ちなみに今日は地下鉄の一日チケットを買った。買ってから機械でスタンプを押して、翌日の午前1時だか2時まで乗り放題で6.1ユーロ。
前にも書いたが、ドイツの鉄道には改札がないので、検察に引っかからない限り、切符を出したりしまったり、どこに入れたか探したり、ということがない。
これがとっても快適。

 あちこち工事中の町を歩いて、まずはブランデンブルク門に向かった。
きのうのバスでは裏側からしか見られなかったが、今日は裏側から接近して門をくぐって表側に出た。
門の正面は広場になっていて、たくさんの観光客が写真を撮っている。私たちもみんなで写真を撮りあった。


かつては分断の象徴、現在は統一の象徴ブランデンブルク門
ってこないだも書いたっけ。
しかし怖いくらい天気に恵まれている旅行である。

 次に向かったのがベルリンの議事堂。
 そこのてっぺんにあるガラス張りのドームというのが有名だそうで、きのうバスで回った時も、夕方のいい時間だったが、ドームへ上るための長い行列が外まで続いていた。
朝一番で行けばなんとかなるだろうか、と行ってみたが、すでにものすごい行列ができていた。
議事堂の入り口から長い階段を下って、前の広場まで延々続いている。
一旦みんなで並んでみたが、訊いてみたら、ここから2時間は待つだろうという話だ。
「2時間かぁ〜」みんなで腕組みして考えてしまった。
ドームに登ってみたいのはやまやまだが、ここで2時間つぶれるのもなんだなぁということだ。
朝遅刻した私は、
(もう30分早く出ていたら、状況が違ったかも)
と、胸がチクチク痛んだが、口には出さずにいた。

 結局議事堂はあきらめて(みなさんごめんなさい)、次の目的地へ向かうことにした。


せめて写真だけでも。これがドイツ連邦議会議事堂だ!
右上にチラーっと見えるのがガラス張りドーム。
手前に、ゾロゾロ並んでいる人たちも見える。

 で、その次の目的地というのが、実は私はわからないままみんなについて行ったのであった。木戸さんたちもベルリンの壁が残っているところには行ってみたいと言っていたので、くっついていればいつかはたどり着くだろうという他力本願の作戦だったのだ。
ベルリンタワーに登りたいという北岡さんと途中で別れ、六人で地下鉄に乗って「どこか」へ向かった。

 「どこか」というのは廃墟のようなところだった。
崩れかけたビルの壁や窓ガラスにたくさんの落書きがしてある。
中庭のようになっているところに、廃材やら、大きな金属製の、何に使うのかわからないような機械の一部分がゴロゴロしている。
秋山さんの話によると、廃墟だったところに芸術家が住み着いて芸術しているところなんだそうだ。
落書きじゃなくて芸術だったのだ。失礼。

 そう聞いてから見ると、確かに芸術である。と思う。ような気がそこはかとなくしなくもない。よくわかんない。


これが芸術的廃墟ビルだ!思い知れっ!

浅野さんが何かを見つけて近づいていった。
行く手の地面に赤いものがぶちまけられている。
何だ?地面にも芸術か?
前屈みになってじっとそれを観察する浅野さん。
浅野さんがにこにこしながら戻ってきて言った。

「ケチャップでした」

芸術へと至る道はまだまだ遠く険しいロングアンドワインディングロードなのであった。
がんばれオトー、負けるなオトー。あしたはあしたの陽が昇る、だぜ!

って、そういう話だったっけ?



「29.触ってみた」につづく
↓この下

オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
29.触ってみた

2002.12.26



 芸術的廃墟ビルを後にして再び歩き始めたが、そこここで、使われずに荒れた様子のビルや、壊しかけで放置されたようなビルが目に付いた。
このあたりはそういう区画なのだろうか。

次に私たちが向かったのは「ベルリンの壁博物館」。
博物館といっても建物はちょっと古めの普通のビルで、知らないで歩いていたら気にせず通り過ぎてしまいそうだ。
博物館が面している大きな通りはきのうバスで通った道で、ソ連兵の大きな絵がぶら下がっている。裏側はアメリカ兵の絵だ。ここが当時東西の境目で、「チェックポイントチャーリー」と呼ばれる西側の検問所があったところだそうだ。


検問所
左がソ連兵の絵。ぶら下がってないな。突っ立てるな。記憶違い

チケットを買って入場。
狭い空間に「壁」に関する写真や、物が展示されている。
予備知識が乏しいのと言葉がわからないのとで、見たもので感じるしかないのだが、迫ってくるものはある。
弾痕の残っている自動車。
見張りのための犬小屋。
壁の下にトンネルを掘るためのトロッコ。
人を中に入れて運び出すためにつなぎ合わされた大きなトランクや、中の機械を取り外された大きなラジオ。
東の高い建物から子供を吊り下げて、壁を越えて西側へ降ろすための道具。
東から西へ脱出するために思いつく限りの方法が考えられたように見える。
これらのうち、どれだけが成功したのだろうか。
越えたいものが目の前に実在する「壁」であり、行きたいのは「壁の向こう」というのはすごく直接的というか、わかりやすい状態という感じもする。

「ベルリンの壁」というと、私などは、フィクション(小説や映画)からその名前を聞くことが多かったので、こうして現物を見ていても、不謹慎だなと思いつつもフィクションで感じる種類の面白さも感じてしまう。

二階、三階といろいろ考えながら見ていって、そろそろ降りようかな、と思ったところで迷ってしまった。
あれ?
どこから上って来たんだっけ?
三階をぐるぐる歩く。
廊下に足跡の絵があって、それをたどってみたが、同じところを回ってしまう。
おかしいな。いくら私がひどい方向音痴とはいえ、こんな建物で迷うなんてちょっとひどすぎるぞ。

あちこちぐるぐる回ってやっと降り口を見つけて出口に向かった。
出口にはもうみんなそろっていて、というか、私ひとりを待つ体制になっていて、私は朝に続いて、またしてもみんなの時間を浪費させてしまったのであった。ごめんなさい。

といいつつ、出口のみやげ売場では、ベルリンの壁のカケラをプラスチックでパックした絵葉書のおみやげはしっかり買ったりしたのであった。


ベルリンの壁のカケラ、絵はがき付き。

博物館の前の店でみんなで昼食を調達し、食べながら先へ進むことになった。
硬いパンを飲み下しながら歩いて行った先は、私が今日一番行きたかったベルリンの壁がそのまま残っているところだった。


パンをかじりながら撮った壁の跡に埋め込まれているプレート。
左右に伸びているのがきのうのバスからは見えなかった壁の跡を示す赤い石。


壁が当時のまま残っている区画。

そこは壁に沿って柵が作られていて、近づけないようになっていたが、端のところから手を入れて触ってみた。
それはただのセメントだろうか。冷たくて中の鉄材がむきだしになった壊れた壁。
ただのセメントだろうか。
命を賭けて越えようとした者がいる壁。
それを阻止しようとした者がいる壁。
打ち壊される場面を世界中に報じられた壁。
その壁を触ってみた。


見たまんま。触ってます。

「30.エジプトへ至る道」につづく
↓この下

オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
30.エジプトへ至る道

2003.1.5



 壁の裏側の道には、たくさんの写真パネルが展示されていた。
説明文には西暦が記されていて、第2次世界大戦の少し前からの出来事が年代順に並んでいるようだ。

私の知識が乏しいのと、言葉が読めないのとで、絵柄から想像するしかないが、戦争へ至るまで、戦中、戦後の分断、と、国家とか政治といった大きなところから、一般市民が関わっているものまで、すべてを子細に見ることは不可能なくらいたくさんの写真があった。

それらの写真を見ながら壁の裏側を抜け、また普通の通りに出た。
少し歩いたところで、人と会う約束のある秋山さんと別れ、もう少し歩いたところで、バウハウスに行くという木戸さんとも別れた。

七人いた旅の仲間も今や、浅野さん、島田さん、島田娘さん、そして私、の四人になってしまった。
旅の仲間はどんどん減っていくのだ。指輪物語みたいだ。

なんつって、秋山さん以外は、夕食を一緒に食べようということになっていたので、きのう行った百貨店カーデーヴェー七階に六時半集合という約束をしていたのだ。
ほら、あの、行ったけど閉店時間だったレストラン、六階に肉の大平原があるあの百貨店。

四人が向かったのは「エジプト博物館」。
ドイツでエジプト。でもいいのだ。
午前中にベルリンタワーに向かった北岡さんも、後でエジプト博物館に行く計画だったはずだ。
エジプト博物館に行けそうな駅はふたつあったが、島田さんが「こっちから行ってみましょう」と言った駅に決めた。

地下鉄から地上に出て、枯れ葉が舞い落ちる道をまっすぐまっすぐ歩く。両側は集合住宅のようだ。何と言うこともない住宅地なのだろうが、歩道も車道も石畳なので、趣がある。


道々撮った写真。これゴミ箱。でかい。
しかし、本文で「趣がある」とか書いといて、写真はゴミ箱かよ。


なんの標識だろ、これ。
「輪ッかの付いた棒を持った人さらいに注意」かな?

趣があるのはいいが、歩いていると寒くてしかたがない。
このまま歩き続けるのはあまりに辛そうだったので、どこかでお茶でも、ということになり、集合住宅の一階にあるお店に入った。
通りに面している壁がガラス張りで、やや傾きかけた陽が差し込んで来る。あったかくて生き返る。これで熱いコーヒーでも飲めばエジプトまで歩いて行けそうだ。
と思ったら島田さんはビールを頼んでいた。
いつもは「とりあえずビール」の私であったが、この時はさすがにコーヒーにしておいた。島田さんとの実力の差を見せつけられた気がした。私は酒飲みとしてはまだまだひよっこなのだろう。
浅野さんも島田娘さんも熱い飲み物を飲んでいた。

店内は、普通の部屋を改造したような作りで、くつろいでいい感じだった。
このままこの暖かい店でずっとおしゃべりしていてもいいかな、という雰囲気だったが、やはりそうもいかないので、体があったまったところで店を出た。

再び通りに出て歩き始めようとしたところで突然島田さんが「北岡さぁん!」と叫んだ。
見ると私たちの進行方向20メートルほど先に見覚えのある後ろ姿が。
「北岡さぁん」
島田さんがもう一度呼ぶと北岡さんも気付いて振り返った。
午前中にベルリンタワーへ向かうために別れた北岡さんと再び巡り会ったのだ。この異国の地で。約束もしてないのに。
なんて、北岡さんもエジプト博物館に行くことになっていたから会っても不思議はないんだけどね。でもやっぱり時間が少しずれたり、二つの駅の別のほうを選んでいたらここでは会わなかったわけだから、ちょっとだけ不思議な偶然ということにしとくか。
こうして、北岡さんを加えて五人になった我々は、再びエジプト博物館への道を歩み始めた。

エジプト博物館は、外観がピラミッドやスフィンクスの形をしていたり、ミイラ男のコスプレをした人が客引きをしたり、というようなことはまったくなくて、なんていうか、外側にはほとんど自己主張のようなものが無かった。一度気付かずに入り口を通り越してしまったくらいだ。
しかし館内はすごくて、いきなり石造りの大きな門が建っていたり、大きな石像から細かい装飾品まで、こんなに持って来ちゃっていいのかよ、というくらい展示されていた。
ドイツとエジプトってどういう関係なんだろ。
ドイツにもエジプトにも美術品にも詳しくない私は、もう何がなんだかわからなくなりつつある。

ガラスケースに入っているものもたくさんあったが、ケースに入れられないで、そのまま展示されているものもかなりあった。
外に出されているそれらの展示物の裏側を見ると、太いボルトで直接展示台に固定されていて、ちょっとびっくりしてしまった。
こんなことしちゃっていいんだろうか?
貴重な物なんじゃないんだろうか?あんな太いボルトを何本もぶち込んじゃって大丈夫なんだろうか?ファラオの呪いとかは心配ないんだろうか?

その扱いが不思議だったので、博物館を出た後で浅野さんに
「あれ、全部ホンモノなんですかねぇ」と訊いてみたら、
「そりゃそうでしょ」と言われた。
確かにそりゃそうですよね。

「31.おみやげを選んでみる」につづく
↓この下

オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
31.おみやげを選んでみる

2003.1.7




幸いファラオの呪いも受けずに済んだ我々一行は、エジプト博物館を後にして、木戸さんとの待ち合わせ場所であるカーデーヴェー百貨店に向かうことにした。
約束の時間にはまだ早かったが、買物でもしていればいいでしょう、ということになったのだ。
私もそろそろ家族へのおみやげでも選ぼうかな、と思っていたので、大賛成だった。

集合時間まではバラけましょうということになって、一人で百貨店内を巡る。
さて、息子のおみやげは何がいいかな。
きのうの朝、フランクフルト空港から国際電話をかけた時に「おみやげ、何がいい?」と訊いたら、「ドイツ版チョコベーダー」とか、馬鹿なこと言ってたな。まぁ、ドイツみやげに何がいいかって訊かれてもわかんないだろうけどさ。チョコベーダーって…。
とりあえずおもちゃ売場へ行ってみる。しかし、子供のみやげでおもちゃっていう発想しか出て来ない私も私だ。

売っている物は日本とあまり変わらないように見える。
鉄道模型とか、ミニカーとか、見る人が見たら珍しい物があるのかもしれないが、私にはまったくわからない。息子はもっとわからないだろう。
しかし、鉄道模型はそれだけでかなりの売場スペースがあり、好きな人が多いのかもしれない。

ぐるぐる見てまわっているうちに、LEGOブロックのコーナーで、「バイオニクル」シリーズの、日本で見たことがないものを見つけた。
「バイオニクル」というのはブロックとはちょっと違った部品でロボットを組み立てるセットだ。
息子も好きでよく買っていたので、息子にはこれにした。チョコベーダーなんて言ってるくらいだからこのへんで充分だろう。


息子へのおみやげ。BIONICLE GALI NUBA
のケース。

さて、息子へのみやげはこれでよし。
次は二人め。一月に生まれる子にも何か買っておこうかな。
男か女かもまだわからないけど、赤ちゃん用ならあまり差はないだろう。

赤ちゃん用のおもちゃもたくさんあったが、押すと音が出たり光ったりするのやら、あひるの親子が歩くのやら、まぁどこにでもありそうっていえばありそうなものが多かった。
売場のすみのほうに、木製のおもちゃのコーナーがあり、デザインがいろいろ面白かわいかったので、その中からひとつ選んだ。


まだ見ぬ子へのおみやげ

妻へのおみやげはあひるの親子やLEGOのロボットというわけにもいかないので、この二つだけ買っておもちゃ売場を後にした。

普段は洋服売場などには興味がないが、ぶらぶらしていると、赤ちゃん向けの衣類が目に入り、思わず見てしまった。
結局買わなかったが、帽子やら靴下やら、選んでいる自分がなんだかおかしかった。

絵本なんかもいいかな、と、書籍売場をのぞいてみた。
しかし、どれがドイツの絵本で、どれが翻訳ものなのかわからないのでやめておいた。
あまりこだわることもなかったのかもしれないが、日本で日本語版が買えるイギリスの絵本のドイツ語版、というようなものはあまり買いたくなかった。
知っている絵本では「はらぺこあおむし」があった。あれはどこの国の絵本だっけ?

書籍売場にいると、木戸さんと会い、そのあと浅野さんと会った。
浅野さんは「ここにいるとみんなやって来るわねぇ」と言っていた。
みんな本屋に吸い寄せられるようにやって来るのだ。
なぜなら我々は「ブックフェア視察御一行様」だからだ。「本」のためにこの国へやって来たのだ。
なんてことはこれを読んでいる人はとっくに忘れていただろう。私も忘れていた。

「32.ビールを飲ませろ」につづく
↓この下

オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
32.ビールを飲ませろ

2003.1.11



妻へのおみやげが決まらないうちに集合時間になってしまったので、七階へ上がった。
七階のレストランは自分で好きな料理を好きなだけ取って、最後にレジで重さを測ってさぁいくら?というシステムだった。
こういう形式のレストランを一言で表す言葉が多分あるのだろうが、思いつかない。

まずは飲み物から選ぶ。まずはといえばビールだろう。と選ぼうとしたが、なんだか、ビールのようなビールじゃないようなビンがたくさん並んでいる。
どれだ?どれがビールなんだ。

私の前にいた島田娘さんもビールを求めて迷っている。ラベルをジッと見てビールらしいものを探している。
「これ!」と一本を選んで、備え付けの栓抜きで栓を抜き、鼻を近付けて匂いを嗅ぎ、大きくうなづいた。
島田娘さんの鼻を信じて私も同じものを取った。島田娘さんが匂いまで嗅いだのだから確かだろう。というか、ここはドイツだ。ビールの王国なのだ。ちょっと違っても大体ビールだろうさ。大体。

「大体ビール」をトレイに乗せて、料理コーナーへ移った。何がなんと言う料理なのかわからないが、見た目で肉やら野菜やらの料理を盛り付けていく。
そろそろこんなもんかなぁ、と思っていたら、島田娘さんが、やって来て、
「レジでこれじゃダメみたいなことを言われて追い返されちゃったんですよぉ」と言った。
えー!
何だ?何がダメなんだ?
レジに並んでいる人を観察していると、トレイをハカリに乗せ、重さを測り、それを見たレジ係が計算して、お金を払ってすいすい通り抜けてゆく。すいすい。
通り抜けてゆく客のトレイをじーっと見て、それから自分のトレイと島田娘さんのトレイをじーっと見てみた。選んだ料理が違うのは当たり前としても、会計を拒否する決定的差異は見つけられない。

どうしようどうしようとうろうろして、ついでにもう少し料理を取ってみたりしていたら、島田娘さんがさーっと風のようにやって来て、私のトレイに、口が広くて底が浅いグラスを置いた。
「なんかこれがなきゃダメみたいですよ」
なんだこりゃ?ズンドウの植木鉢のような変な形だ。底のほうになにかの液体が入っている。
なぜこんな物がレジ係の態度を変えさせるのだ?
しかし植木鉢グラスのおかげで、すんなりレジを通ることができた。
みんなのいるテーブルに行くと、北岡さんも同じグラスを持っていて、
「これに入れて飲むんだって」
と、私や島田娘さんと同じ「大体ビール」を植木鉢グラスに注いでいた。
話によると、北岡さんが「大体ビール」を乗せてレジまで行ったところ、レジ係が「もうっ!この東洋人どもはっ」という様子で走ってグラスを取って来たのだそうだ。
「大体ビール」と、植木鉢グラスはセットだったのだ。
へーえ、そうやって飲むものなのかぁ、さすがビール王国ドイツ。いろんな飲み方があるもんだと、私も植木鉢に「大体ビール」を注いだ。私の左斜め前で島田娘さんが切なそうな顔で植木鉢グラスの「大体ビール」を飲んでいるのがチラッと目に入ったが、あまり気にせず飲んでみた。

ぐえっ。

なんだこりゃ。

甘いじゃねぇか。
しかもねっとりとろーり。

ビールじゃねぇ!
こんなもんビールじゃねぇ!

島田娘さんも切ない顔になるわけだ。
私もこの時、かなり切ない顔になっていたと思う。
ちょっとドイツが嫌いになった。
しかし、もう一度ビールを探してレジに並ぶ気にもならなかったので、まぁ、これはこれ、と飲むことにした。  残しちゃったけど。

そこでは木戸さんがバウハウスに行ったけれど改修中であまり見られなかった話とか、北岡さんがベルリンタワーでコーヒーを飲んだとかという話を聞きながら食事をした。

帰りに酒でも買ってホテルで飲もうか、という案も出たが、翌日は朝早く出なければいけなかったのでやめにして、ホテルへ帰ることにした。

ホテルに戻り、北岡さんと部屋に入ったが、どうしてもビールを飲みたかったので、風呂から上がってから二人で部屋の冷蔵庫のビールを飲んだ。小瓶で三本。うまかった。やはりビールは風呂上りが一番である。
ドイツで風呂上りにビール。最高だ。
こうしてまたドイツが好きになった私であった。

「33.ベルリンの朝は早い」つづく
↓この下

オトーラの書TOP

文書の書目次

オトーくん海を渡る
33.ベルリンの朝は早い

2003.1.12




ホテルの近くにあった標識。
「ふくろう注意!」かな?

 で、その次の朝というのがどれくらい早かったかというと、朝5時30分にロビー集合だったのであった。

 実はベルリンの宿泊先は、日本を発った後、少しだけ空港に近いところに変更になっており、最初は朝5時出発の日程だったのだ。
それをガイドのジルが「5時ではかわいそう、5時30分で充分大丈夫です」と、変更になったのだ。
空港が近くなって乗る飛行機が同じなのだから、出発を遅らせるのは当り前と言えば当り前だが、私はガイドジルの「かわいそう」という言い方にしびれてしまった。

30分遅れたとはいえ、ホテルの朝食はそんなに早くからはやっていない。というわけで、ホテルではわれわれのために朝食のお弁当を作ってくれた。チェックアウトしたあとで配られたそのお弁当というのが、分厚いハムとチーズ、野菜を、レンガみたいなパンにこれでもかってくらい無理やりはさんだサンドイッチ2個と、バナナ一本、りんご一個、ゆで卵一個、ビン入りのオレンジジュース一本、というごついものだった。それから各自に栓抜き一個ずつ。それが手提げの紙袋に入れられて配布されたのだ。朝からこんなに食えねぇよ。

それでもみんな手に手にお弁当の紙袋を持って空港へ向かうバスに乗った。
今朝はなんと二階建てのバスで、浅野さん以外はみんな、「せっかくだから」と二階の席に座った。
あとから乗ったジルが一階のガイド席で「それではみなさん、あれ?」と言ったのがおかしかった。ガイドしようと思ったら浅野さんしかいなかったのだから、そりゃ「あれ?」だろ。

まだ暗い道をベルリン空港に向かい、暗いうちにジルとさよならして、暗いうちに空港でお弁当を食べた。私はオレンジジュースを飲みながら、サンドイッチひとつ、バナナ、ゆで卵を食べた。けっこう食ってるか。
残ったサンドイッチは、「もう食わねーだろうなー」と思いながら一応バッグにしまった(パリのホテルで捨てた)。りんごは眺めているうちにひらめくものがあったので、これもバッグにしまった。

そして飛行機へ。
私は進行方向へ向かって右の窓側の席で、隣は木戸さんだった。これからシャルル・ド・ゴール空港まで二時間の飛行だ。
人生三度目の飛行機。三度目の離陸。
初めてのドイツ。楽しかったドイツ。さらばドイツ、第二の祖国よ。

さぁ、次回から(やっと)「恋の花咲き乱れる官能のパリ編」だ!(やっと)


34シャルル・ド・ゴール空港にコンコルドを見た!つづく

オトーラの書TOP

文書の書目次