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オトーくん海を渡る
40.巴里の幽霊男

2003.3.9



 ノートルダム寺院の後、バスは「免税店」に向かった。ここがバスで回る最後の目的地だ。
見るもの見たら、買うもの買えと、そういうことらしい。資本主義なのだ。

免税店では税金が免除されるのだ。くわしいことはよくわからないが、免除してくれるって言うんだから免除してもらおうじゃないか。きっとお得なんだろう。
まぁ、買物しなければ免除もされないんだけど。

 ややごちゃごちゃした通りでバスを降り、免税店に入ると、「いらっしゃいませ」と日本語で出迎えられた。店員が口々に言うその言い方が妙にソフトで、ちょっとくすぐったい、私の苦手な雰囲気。
並んでいる商品もきらきらしていて、なんだかなぁ、という気分になる。

きらきら商品の中を二階に通され、そこで店員から説明を受けた。
七人で一列になって聞いているのがちょっと変な感じ。

店員は、こんな商品があって、買うとお得ですよ、とか、ユーロ、円、クレジットカード、どれでも支払いできますよ、とか、重くて持って帰るのがいやなら宅配サービスもありますよ、とか、そんな説明を事務的な口調で話していたが、私は、そこの何人かいる女子店員がみんな、妙に幅の広い顔に厚化粧という濃い目の外見なのが気になってしょうがなかった。
中に一人だけ男の店員がいたが、そいつがものすごく痩せていて、影の薄い幽霊みたいなやつで、女性店員と対照的でおかしかった。

ひととおり説明を受けたが、みんなはあまり買い物をする気が無いらしく、夕食時にまた集まりましょうという相談をして、集合場所と時間を決めると、さーっといなくなってしまった。後には私と北岡さんだけが残ったが、北岡さんもお酒を何本か買って宅配を頼むと姿を消した。

ここまで免税店についてあまりいいことを書いていないので意外に思われるかもしれないが、私はここで買い物をしていく気になっていた。
妻へのおみやげをまだ買っていなかったのと、明日の日曜日は、原則として商店は休みだとガイドが言っていたのを思い出したからだ。
妻へのおみやげを買うチャンスは今日しか無いかもしれない。

一人残された私は、「妻へのおみやげ無し」を阻止するため、きらきらちらちらする商品の中をうろうろしていた。きらきらちらちらうろうろだ。
カバン、財布、スカーフ、各種装飾品。うーん。
なんだかカチっとくる物がなくて店内を何周もしてしまう。きらきらちらちらうろうろ。

妻へのおみやげを決められないままきらちらうろしていると、子供服が目についたのでペラペラ見てみた。
これから生まれる子に服を買って行くのもいいかな。
しかし、「子供服」はあるが、「ベビー洋品」は見当たらない。
重なっている服の下の方まで見てみたがみつからない。

どこかに無いかと、付近でベビー洋品の探索をしていると、右後方に人の気配が…。ハッとして振り向くとそこにあの幽霊男が黙って立っていた。
音も無く近づくなよ。ホントに幽霊みたいなやつだな。しかしちょうどいい。
「赤ん坊の服ってありませんか?」
と訊くと、目の前にあった服を2、3枚、ペロペロっと見て、
「一番小さくて4才用みたいですねぇ」
と、上の前歯の裏から出しているような声で答える。これがフランス語の日本語なのか?小鳥のさえずりみたいだ。

赤ちゃん洋品は無いのか。
ま、そのうち4才になるわけだし、買っとくか。ひょっとしたら4才児くらいのすごく大きな赤ちゃんという可能性もあるしな。ないな。

白いトレーナーが欲しかったのだが、見当たらないので幽霊に訊いてみると、
「ここにあるだけみたいですねぇ」
って、さっきから他人事みたいな口のききかただなテメ。ま、他人事だろうけどさ。

迷いながら子供服をかき回していると、幽霊男が、男の子か女の子かと訊いてきた。少しは私の力になろうと思ったのか、あまり商品をかき回されたくなかったのかは定かでないが。
「これから生まれるんで、まだどっちかわからないんですよねぇ」
と答えると、
「それなら赤なんかどうでしょう?」
と、前歯の裏からアドバイスしてきた。
赤もいいけど、こんな時は「それはおめでとうございます」とか「それはそれは」とか言えよ。
そういう受け答えを想定して何て答えようかちょっと考えちゃってただろ。
あ、この会話じゃ私の子かどうかわからないのか。
それにしても幽霊男は言ったきりしらっとしている。
お前、あれだろ、「日本にはどうも馴染めなくてパリにやって来ました」なんて言ってんだろ。そんで顔幅の広いオバチャンに囲まれて、もっと馴染めないものを感じたりしてんだろ。
なんてことを考えながらも結局は赤いトレーナーを選んだ私もどうかと思うが。
胸にエッフェル塔や凱旋門の絵と、「PARIS」と文字がプリントされているものを買った。
4才になって着られるようになった時に「このトレーナー、どうしたんだっけ?」とならないためにである。

結局妻へのおみやげは、女店員が「ここでしか買えないここでしか買えない」としきりに自慢する、まん中に陶器の飾りの付いたネックレスにした。
なんだかんだいって店員どもの言いなりである。
まぁ、このネックレスに決めた最大の理由は「ここでしか買えない」ではなくて「持っているか持っていないかわからないほど小さくて軽い」だったのがやつらに一矢報いたというところか。


妻へのおみやげに買ったネックレス。
写真ではよくわからないが、男女の絵が描かれている。
「さぁ、ピエール、私をつかまえることができて?オホホホホ」
「言ったな、フランソワーズ、このじゃじゃ馬娘め、アハハハハ」
「オホオホオホホホ」「アハアハアハハハ」
って感じ。


幽霊男にアドバイスされて買った赤いトレーナー。
四年後に大活躍の予定。

こうして無事おみやげを調達した私は免税店を後にした。
夕食まではひとりぼっちである。
ひとりぼっちの巴里、である。

「41.わかりやすいオペラ座」につづく
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41.わかりやすいオペラ座

2003.3.15



 免税店を出た私は、夕食時の待ち合わせ場所、「オペラ座」の確認に向かった。
ガイドから夕食にお薦めの店を訊き、待ち合わせ場所は「オペラ座」がいいでしょう、ということになったのだ。

オペラ座は免税店を出たら右、大きな通りにぶつかったら左へまっすぐ行った突き当り、という、とてもわかりやすい場所で、地図にも間違いようのないくらい大きく表示されているのだが、なにしろこっちはひどい方向音痴なので、確認は常に必要なのだ。
別にどこかへ行く予定は無いし。時間はたっぷりあるし。

古い建物を眺めながら通りを進んでいくと、オペラ座が見えてきた。
でけー。
これで迷ったら私はバカである。


オペラ座へ至る道。
正面突き当たりに見えるのがオペラ座。

「オペラ座での待ち合わせは階段を登ったところで」というのがガイドのアドバイスだった。
階段の下はすぐ道路に面していて、スクーターを使った引ったくりに遭う恐れがあるのだそうだ。
スクーターでビューンとやって来てバッグをひったくって行くそうだ。手に持っていようが、肩にかけていようがおかまいなし。
そんなことされたらバッグを取られるどころか大怪我しかねない。
というわけで待ち合わせは「オペラ座の階段を登ったところ」となったのだ。
オペラ座は、何本かの道がぶつかるところに建っていて、凱旋門の周りほどではないが、交通量が多い。車がビュンビュングルグル走っていて、スクーターはみんな引ったくりに見える。
とりあえず階段が見えるところまで行って、確認終了。あそこに6時半。


オペラ座。でかい。
こんなにでかいなら迷うわけないな。と、この時は思った。
まん中あたりにスクーターが写っている。ひったくりか?


オペラ座の近くで見つけた日本語。なんじゃこりゃ。

無事確認を終了したのはめでたいが、さて。
どうしようかな。集合時間まではまだ1時間以上ある。
まったく下調べのようなことをしてこなかったので、どこで何をすべきか見当がつかない。
私がこのあたりで知っている場所といえば、ここオペラ座と…。
免税店か。
もう一回免税店へ行くか。行って幽霊男の謎でも解くか。

もう一度免税店に行くのはいやなので、とにかくブラブラ歩いてみることにした。
大通りから外れて細い道へフラフラ入ってみる。細い道はまったく人通りが無かったりして表通りとは雰囲気が違う。
オペラ座の裏側の方にも行ってみる。
フラフラフラフラ。
勝手気ままな一人旅状態。
ただ歩いているだけだが。


モーター付き自転車。
ちょっと乗ってみたいぞ。


異国の花々。


歩行者信号。スリムな感じ。
ちなみに、うまく写真を撮れなかったのだが、
ドイツの歩行者信号の人物はとてもごつい体格だった。

目につくものを撮影しながらあちこち歩き回り、そして。

私は。

道に迷った。
私はバカだった。

適当に歩き回って、さて、ちょっと余裕をみてオペラ座へ向かおうかな、と。さて、と。
あれ?こっちだよなぁ。あれ?この道見覚えないぞ。あれれ?
あ、こっちか。あれれ?またさっきの道に戻っちゃったぞ。この道は違うんだよな。
私は完全に自分のいる場所がわからなくなっていた。

油断していた。オペラ座を確認して、そのあまりのわかりやすさに油断していた。
しかし、いくらオペラ座がわかりやすくても、自分がわかりにくいところに行ってしまえば同じことだという当たり前のことを忘れていた。
ちょっと一人で歩いていい気になっていた。天狗になっていた。不遜だった。思い上がっていた。

泣きたくなってきた。通りの名前を見て、地図で探した。涙で滲んだ目に、地図の文字は細かすぎて読めない。もともと読めやしないけど。
地図の上にポタポタと水滴が落ちた。
私の涙だった。
紙質の悪い地図はあっという間にボロボロになり、さらに読みにくくなった。
北風がビュウと吹き、私の手からボロボロの地図を吹き飛ばした。地図はあっという間に通りの向こうへ消えて行った。
異国の街でもう頼れるものは何も無い。

なんて、300パーセント増しくらいに大げさに書いていると最後にはばったり倒れて死んでしまいそうなのでこのくらいにしておくが、かなり心細かったのは事実だ。
本当に自分の居場所を見失っていたのは10分あまりだったと思うが、さ迷い歩いてオペラ座を見つけた時には抱きつきたいくらいだった。オペラ座に。

結局、若干の余裕をもって集合場所に到着できた。
もうみんな集まって階段の上で話をしている。
とりあえず間に合ったので、迷ったことは内緒にして、何食わぬ顔でみんなの輪に加わった。
私がみんなの顔を見てどんなにうれしかったか誰も知らない教えない。

さ、気を取り直して飯だ飯だ。フランス料理へゴーゴー!

「42.貝の怪」につづく
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42.貝の怪

2003.3.22



フランスといえばフランス料理である。
他にも、人形とかパンとかあるだろうけど、今は料理である。
腹へってるから。あ、パンは食えるのか。
夕食は、免税店で別れる前に秋山さんが、「値段は50ユーロまでで、コース料理が食べられる店」という条件でガイドに訊いたところ、オペラ座にぶつかって右に入った道に条件に合いそうな店が並んでるよ、ということだったので、われわれ7人はそのゾーンへ向かってぞろぞろ歩いていった。

何軒も並んでいる店からよさそうな店を選び、入ってみると、そこはなんだか「赤と黒」という印象のかっこいい店だった。
われわれはすぐにテーブルに案内されたが、席から入り口のほうを見ていると、後から後から客が入ってきて並んで待っている。人気のある店なのか、時間帯によるものか、少し遅れたら入れなかったかもしれない。私が迷子になって集合に遅れていたらまたもや肩身の狭い思いをするところだった。あぶねあぶね。

料理は、秋山さんがメニューの説明をしてくれたので、何不自由なく選ぶことができた。
私は「カジキマグロのステーキ」を頼んだ。なんだかヘルシーな感じがしたので。
秋山さんが「みんなで生牡蠣でも食べましょうか」と言い出し、疲れているところにたくさん食べて当たっても困るので、一人にひとつずつ生牡蠣を頼むことにした。
秋山さんがウェイターにそのことを伝えると、ウェイターは怪訝な顔でなにやら聞き返している。
どうやら「一人に一つ」というのが問題になっているらしい。一皿いくつとか決まっているのかな?
ようやく話がついて、ウェイターが下がっていった。
秋山さんによると、「一人にひとつずつ」と言ったら「信じられない」と言われたそうだ。それは注文の最低ロットがいくつ、とかの問題ではなく、こちらの人は貝類は山ほど食べるのが普通で、ひとつずつなんて食べ方は考えられないのだそうだ。
「日本人とは胃腸の出来が違うから同じように食べてたらお腹壊しちゃいますよ。貝を山ほど食べてからそのあとメインディッシュですからね」
と秋山さんが教えてくれた。
ふと横を見ると、隣のテーブルで、体格のいい金髪のおじさんが、段重ねになった銀色の皿に山盛りになった貝をすごい勢いで食べていた。貝殻なんて、バケツみたいな器に放り込んでいる。
なるほど。こんなふうには食えないな。
われわれは日本人的食事に徹することにした。

店内はウェイターたちが忙しく歩き回っていたが、みんなきびきびと切れのいい動きだった。片手にお盆を持って、すいすい歩き、コーナーを曲がるときは体を内側に傾斜させてクルっと方向を変える。
お、なんかかっこいいぞ。フランス人てみんなこんなふうに歩くのかな、と思い、街角でみんなが体を傾斜させてクルっと曲がっているのを想像したらちょっとおかしかった。
もちろんみんながこんな歩き方をするわけがない。
なんて下らないことを考えているうちに料理がやってきた。


カジキマグロのステーキ。
味は…なんていうか、…お魚でした。

かっこいい動きといえば、北岡さんがウェイターに「マッチをくれ」と頼んで、持ってきたウェイターに火をつけてもらっていたが、よどみなく手が動いてさっと火を差し出すその動作も洗練された動きでかっこよかった。ちょっとした手品みたいだ。
私も大学の体育会時代に、先輩のたばこにマッチで火をつけさせられたが、人がくわえているたばこにマッチで火をつけるのはけっこう難しいのだ。
その後も、北岡さんがたばこをくわえ、自分で火をつけようとしているところにちょうど通りかかったウェイターが、「ノンノンノンノンノンノンノン」と言って、同じようにさっと火をつけていたが、不意を衝かれた北岡さんは思わず「シェシェ」とお礼を言っていた。
それは中国語ですって。

料理をたいらげ、苦いエスプレッソコーヒーを飲んで夕食終了。
お勘定は50ユーロ弱で、予算どおり。みんなでニコニコして店を出ると、入るときには気にしてなかったが、店の前に魚屋の棚のようなものがあり、そこにたくさんの貝類が並べられている。
欧米人はこれで食欲のスイッチが入るのだろう。


貝。
つげ義春の漫画で、散髪で切った髪の毛を何かに使えないものか、
というのがあったが、ここいらで毎晩大量に出る貝殻を何かに使
えないものかと考えてしまった。

明日は、みなそれぞれの予定で動くことになっていた。島田さん親子と北岡さんはベルサイユ宮殿へ、木戸さん、浅野さんは美術館めぐり、秋山さんは朝、ノミの市へ行って、その日は人と会う約束があるのでそちらへ、というふうにみんなそれぞれ計画があった。
そして私は。
こちらへ来てからずっと人の後にくっついて歩いてきて、最終日にひとりぼっちになるのは不安だなぁ、と、今まで思っていた私は、今日になって、ひとりでどこかに行ってみたい気持ちになっていた。
どこでもいいからひとりで。
行けそうなところでいいからひとりで。
みんなと一緒に行動してきて、自分なりになんとなくふるまい方がわかってきたような気もしていたし、「せっかくだから」ひとり歩きも経験したいな、という気持ちも生まれていた。

というわけで、ホテルに戻ってからロビーでの別れ際に、「みんな明日は?」という話になったときに私は、「一人で適当にどこかに行きます」と答えていた。
ついさっき迷子になりかけて泣きそうになっていたことなんかすっかり忘れていた。

「43.旅立ちの朝」につづく
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43.ひとりぼっちの出発

2003.3.27



そして夜が明けた。
きょうは夕食までは一人で行動だ。少し大人の気分。ベッドから身を起こした私の眉毛はキリっとつり上がっていたに違いない。

「おー。きれいだなー」
部屋の窓から外を見ていた北岡さんが声を上げた。まだ一人じゃないのだ。
何かと思って私も見に行った。
おお。夜明けだ。パリの夜明けだ。パリの街に日が昇る、だ。

美しい夜明け。
この朝日を見て、今日もいい天気と勝手に
決めつけたおかげで、後でひどい目に遭う。

「ベルサイユ宮殿は午後からだから午前中はゆっくりしようかな」と言う北岡さんを部屋に残し、ひとりで朝食を食べに行く。単独行動で、時間を決めて動くわけではないが、余裕があるに越したことはない。

朝食を終えて部屋に戻ると、北岡さんは私が部屋を出たときと同じ体勢でたばこを吸っていた。ホントにゆっくりしてる。
身支度をしながら、
「午前中は出かけないんですか?」
と訊くと、
「う〜ん。わかんねぇなぁ。どうしようかなぁ」
ホントにホントにゆっくりしている。
私はゆっくりする気はないので、「夕方までさようなら」と部屋を出た。

地下鉄の駅はショッピングモールの中にあるので、きのうと同じようにチ○コ丸出し巨人の横を抜けてスタスタ歩いてゆくと、新凱旋門が見えてきた。
せっかくだからここも見て行こうかな。
巨大な階段を登り、新凱旋門の真下に出る。有料エレベーターがあって、上に登れるようになっているが、まだ営業していない。さらに進むと、彼方にパリ市街が見えてきた。ここをまっすぐ行くと相対する位置に凱旋門が建っているはずだ。ここからでは見えなかったが。

ショッピングモールに侵入して地下鉄の切符購入に挑戦。一人ぼっちは、何をするのも挑戦なのだ。
きのうはバスで市街に出て、帰りは秋山さんが買った回数券を1枚売ってもらったので、フランスで切符を買うのはこれが初めてだ。
切符の販売機は、コンピューターの画面になっていて、手元のトラックボールで、買いたい切符を選んで、クリックする仕組みになっている。
しかし。
きのう見た販売機と表示が微妙に違う。
パリ市内は、どこへ行くにも一律で1.3ユーロなので、1.3ユーロの切符を探せばいいのだが、初期画面には値段の表示が無い。あちこち画面を開いてみるが、出てくるのは、値段の高いものや、回数券とおぼしきものばかりで、1.3ユーロは出てこない。
画面に大英帝国の国旗が表示されていたので、カーソルを合わせてクリックする。
これで英語表示に変わるのだ。
だがしかし。
フランス語がわからないから英語に変えてみたのだが、英語もわからないことを忘れていた。
闇雲に画面を開いてゆくが、階層構造になっているところもあって、深く入り込むと戻れなくなりそうだ。外国では、路上で迷子になるばかりでなく、こんなところにも迷子の罠が仕掛けられているのだ。

我ながらすごいスピードでいくつもの画面を切り替えて、ようやく1.3ユーロを見つけた。必要もないのに叩きつけるようにクリックしてやった。てこずらせやがってこのやろう。
近くには誰もいなかったが、フランス人が見ていたら、「日本人は切符を買うのにもゲームみたいに必死なんだ。」と思ったに違いない。

それにしても、ゆうべのうちに地下鉄の路線や駅名を調べて準備万端のつもりだったが、まさか切符を買う段階でつまずくとは思わなかった。

苦労して買った切符を握りしめて地下鉄のホームへ。
なんだか、故郷を追われて上京する青少年のような気分になってきた。

「44.メトロから地上へ」につづく
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オトーくん海を渡る
44.メトロから地上へ

2003.4.6



地下鉄に乗っていよいよ発車。
まずはCharles de Gaulleナントカ駅まで行って、2番の路線に乗り換えという作戦。
そこまではすぐ着いて、よしよしと電車を降りる。
が、ふと気配を感じて今降りた電車を見ると、中の座席に座っている若い男が私を指差して、笑いながら隣の女に話しかけている。
私が見ていることに気づくと、両手の指でメガネの形を作って、ベロベロっと舌を出して見せた。明らかに私を挑発している。
電車は走り出したが、その男は顔の横で指をヒラヒラさせたり、舌を出したり引っ込めたりということを見えなくなるまで続けていた。
どこの国にもバカはいるということか。

実害の無いバカは気にしないことにして、路線の番号を調べて乗り換える。

路線番号も方向も確かめて電車に乗ったのだが、駅に着くたびにいちいち手元の路線図の駅名と照らし合わせ、正しい電車に乗っているという安心と感動を噛みしめる。
ホントは一つ目の駅だけ確かめれば充分なのだが、停車するたびに窓から外を見て確かめてしまう。
乗り越しちゃなんねぇ。きのう調べたルート通りに移動しないと、もうどこへ行っちゃうかわかりゃしない。
などと、必要以上にハラハラしながら乗っていると、ある駅でアコーデオンを抱えた中年の男と、その妻のように見える年恰好の女が乗り込んできて、演奏を始めた。
軽快な曲だったが、演奏している男と連れの女はとても暗い目をしていた。

ある程度曲が進んだところで女が紙コップを持って客席を廻り始めた。何人かの客はその紙コップに小銭を入れていたが、たいていの客は首を振ったり無視していた。
私のところにもやって来て紙コップを差し出したが、中にはあまりお金は入っていないようだった。
手元の小銭をパラっと紙コップに入れると、女は私と目を合わせずに消え入りそうな声で「メルシー」とつぶやいて男のほうへ戻って行った。
二人は次に停車した駅で隣の車両に移って行き、電車が走り始めると、また同じ曲が小さな音で聞こえてきた。
実はドイツの地下鉄でも同じようなことをやっている若者を見かけていて、その時は木戸さんが小銭を渡していた。私は隣で「なるほどそういうものか」と思って見ていたので、まねして小銭を出してみたのだ。
まねして同じことをやったつもりではあったが、ドイツの若者はとても陽気だったので、雰囲気はまるで違っていた。

そんなことをしながらも目的の駅を見落としてはいけない。
私は毎駅の確認作業を怠らず、あとみっつ、あとふたつ、と、あえて緊張感を高めていって、ついに目的の駅Anversに到着した。
私は電車を降り、さらにドキドキしながら地上に向かった。

さて、ここまで読んでくれた人は疑問に感じていることだろう。
こいつはいったいどこへ向かっているのか、と。
地下鉄で地元のバカになめた態度をとられたり、紙コップに小銭を入れたりしながらどこを目指しているのか、と。
実は私は「モンマルトルの丘」を目指して突き進んでいたのだ。
なぜにモンマルトルの丘なのか?
それは、パリ市街のものすごく有名な場所を除くと、聞いたことがあるのがモンマルトルの丘くらいだったのと、なんとなーく芸術的な響きがあるのと、何よりも地下鉄で行きやすそうだったから。
そんな、そこはかとない理由でモンマルトルの丘を目指していたのだ。

地上に出ると、そこは想像していたのと違って芸術的な雰囲気は無く、ちょっと猥雑な感じの町並みだった。
どっちへ行けばいいのかわからなかったが、一方が登りの坂道になっていたのでそちらへ行ってみる。
なにしろ「丘」だから。高いほうにあるに違いない。

あまり広くない坂道には間口の狭いみやげ物屋がたくさん並んでいて、日本で言えば、観光地化したお寺や神社の参道のような雰囲気だった。
まだ時間が早かったので、みやげ物屋が店開きを始めているところで、あちこちで店員たちが絵葉書のスタンドを引っ張り出したり、棚に商品を並べたりしていた。
そんな中を登っていくと、あったあった。
北岡さんに見せてもらったガイドブックに載っていた、モンマルトルの丘の上にあるという「サクレ・クール寺院」が見えてきた。やったぜ。

見よ!
これが!
私が初めて単独でたどり着いた異国の地!
モンマルトルの丘だ!


って、この写真撮るまでにそこそこ登ってんだよね。丘を。
で、もうちょっと登るんだな。
写真で見るより高度あるんだから。ホントホント。

「45.地上から丘へ」につづく
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45.地上から丘へ

2003.4.15



見えてきた寺院を目指してテクテクテクテク登っていく。けっこう高けーなー。さすが「丘」。
途中の路上に物売りが何人かいたが、絵葉書みたいなおみやげの他になぜかバッグを売っている人が目についた。なぜバッグ?買う人いるの?バッグ。
このあたりはスリや置き引きが多いって聞いたから、ひょっとしてバッグを盗られた人がしかたなく買うんだろうか?
でもバッグごと盗られたらもうバッグは必要ないな。っていうか財布も盗られちゃってたりするか。
まさか盗んだバッグをその場で売ってたり、なんてことはないだろうな。
どうでもいいけど。

坂道や階段を登りつめて寺院に着いた。とりあえず中に入ってみる。
きのう見学したノートルダム寺院と似たような雰囲気、と言っておこう。全然説明になってないけど。
ここも「祈りの場」なので、薄暗い中、静かに見学。出口近くに記念メダルの販売機があったので、記念に買ってみた。そういえばノートルダム寺院にもあったな、記念メダル販売機。あっちは人がたくさん並んでたから買わなかったけど。


サクレ・クール寺院
白い寺院と、もっと白い空。ふっふっふっ。曇ってるぜ。

寺院を出て丘の下のほうを見ると、急に人が増えていた。団体客が何組も到着したような感じで、わらわらと歩き回っている。
私が着いた時はぱらぱらとしか人がいなかったので、ぐっと観光地の雰囲気が盛り上がってきた。
親子連れ、老夫婦、若いカップルなど、写真を撮ったり、ビデオ撮影したり、「おーぉ、観光地なんだなあ」と感心してしまうくらい観光地の光景だ。
私もその中に入り混じってみる。
寺院の階段を降りたあたりに、ハープを弾いているおじさんや、アコーデオンを弾いているお姉さんがいて、観光客に撮影されたりしている。
私も撮影しておこう。
ハープおじさんを一枚撮って、アコーデオン姉さんも一枚、とファインダーをのぞくと、アコーデオン姉さんはこちらを見て薄く笑いながらうなづいた。と、その瞬間。
カメラが動かなくなった。
何度押してもシャッターが切れなくなり、電源のスイッチも反応しなくなり、レンズは飛び出たままになってしまった。
ありゃりゃ。
姉さんは演奏を続けている。
しばらくその場でカメラをいじっていたが、どうにもならない。カメラはもう一台デジカメを持っていたのだが、じたばたしたあとでデジカメで撮り直す気にもなれなかったので、しかたなくその場を離れた。
少し離れた場所でもう一度カメラをあちこち押したり引っ張ったりしていたら突然生き返った。いろいろ操作してみるが、問題はないようだ。
うーむ。不思議。

少し下ったところに小さな公園のような場所があり、その先におみやげ屋があった。
絵葉書、キーホルダー、ボールペンなど、観光地らしい品に混じって、複製画や、ベレー帽など、芸術に関係あるんだな、と匂わせる品も売られていた。
しかしベレー帽か…。
いろいろ悩んで、エッフェル塔のキーホルダー、エッフェル塔の灰皿、エッフェル塔の消しゴム、を買った。
こういう場所ではできるだけ「ベタ」な品物を選ぶのが正しいのだ。

あたりをざっとひと回り見て、もう一度寺院のほうへ登る。

モンマルトルの丘といえば、芸術家にゆかりの地らしいので、寺院の横の広場に座り込んで、ノートにボールペンでスケッチをしてみる。まぁ、しゃれだけど。


「モンマルトルの丘でスケッチをしたのだ!」と言いたいだけで描いた。
ただそれだけ。
あちこち歪んでるところが、味があると言えば言えなくもない。   か?


スケッチしていた広場に止まっていたポリスの車。
パリ市警かな?

少し寒い中、かじかんだ手でスケッチしていると、ノートの上にポツリと小さな水滴が落ちた。
ありゃ。
ボールペンを持った手にポツリ、メガネのレンズにポツリ。ほんの少しだが雨が降ってきた。
ありゃりゃ。
実は、ホテルの窓から朝日を見て、「こりゃ、今日もいい天気だな」と勝手に決め付けた私は、この旅行中ずっとバッグに入れて持ち歩いていた折り畳み傘を部屋に置いてきてしまったのだ。
きのうまでずっと持ち歩いていたのに。きのうまで一度も使わずに持ち歩いていたのに。今日に限って置いてきてしまったのだ。
バカ。俺のバカ。

傘を差すほどの雨ではないが、ノートをたたんで避難することにした。
さっき見かけた公園まで降りて、木陰のベンチに座る。ここなら濡れることもない。
目の前にパリ市街が見渡せる。遠くに小さなエッフェル塔が見える。
そんな景色を眺めながらボーっとしていたが、考えてみればもうここでやることもない。スケッチもしたし。


「見渡せる」などと書いているが、ここからだとすぐ前の建物がじゃまで景色は良くない。
寺院の正面あたりからだとよく「見渡せる」が、そこからだとエッフェル塔は見えない。
人生はままならない。

雨が強くなる前に移動したほうが賢いかな。
傘を置いてきた馬鹿者は賢くなりたかったので丘を降りることにした。

46.歩いてみたにつづく

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