日々棒組み  148〜176

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176
ご存知の方もいると思うが、『ネット出版局ゴザンス』というところがあって、分類すると「テキスト投稿サイト」ということになるんだろうけど、去年の10月から私も投稿させてもらっている。
はじめのうちは今まで書いたものをちょっと手直しして投稿していたが、ゴザンスのテーマ募集などもあって、書ける時は書いている。

とても使いやすいシステムで、ネットにつながる環境があれば、IDとパスワードで簡単に投稿できる。掲示板に書き込むのとほとんど変わらない手間で、自分のページに蓄積され、ゴザンスのトップページに最新記事として表示される。とっても簡単。
希望者が登録すれば、あるライターの記事をメルマガとして送信してくれる。とっても親切。
手軽に文章を発表したい人には最適ではないかと思う。
何か書いて、誰かに読んでもらいたいけど、サイトを立ち上げて管理して定期的に更新して、と考えると気が重かったりする人なんかに。
あと、ちょっと読むものがほしい、という人なんかにも。
不特定多数の人が訪れる場としてはとても雰囲気もいいし。

『ネット出版局ゴザンス』
http://www.gozans.com/

私のページはここ
http://writer.gozans.com/writer/1450/

もくじのタイトルで、前に【 】で括ったものが付いているのがゴザンスのテーマに応募した物。
【ことばあそび】というのは、ある言葉を一文字づつ文の先頭にもってきて文章にしていくというもの。って、説明へただな。
ほら、大喜利とかでやってるやつ。
まぁ、行って、見てくださいよ。詳しい説明があるから。
皆様も登録して使ってみてはいかがなものでしょうか?

今回はいつになくいつになくな内容だったな。

2004.1.23


175
やっぱり今は「号泣」みたいだ。
世間のあっちこっちで「号泣」という表現を目にする耳にする。
なんだか信じられないような状況になっているが、ひょっとしたら私が知っている「号泣」と、世間の「号泣」は、別物なんだろうか?という疑問すら湧いてくる。

「号泣」といったら、涙が滝のように流れ落ち、下流で鼻水も合流し、のどが張り裂けんばかりに叫び声を上げ、挙句の果ては地面をのたうち回る。そのくらいのレベルに到達して初めて「号泣」を名乗ることができる、そういうものだと思っていた。
そう簡単にたびたび号泣状態に陥るとしたら、なんだか神経がインフレ状態のような気がするのだがどうだろう?

子供のころならともかく、大人になってから号泣なんてしたことない。できれば号泣などしないまま人生を終えたいと思っている。

嗚咽くらいならある。あん時とあん時。
2回だ。


3回かな。

まぁそんなもんだ。せいぜい。
そんなに「号泣号泣」言うなら号泣して見せてみろ。
涙を滝のように流してのたうち回ってみろ。

まだまだ続くんだろうか、「号泣ブーム」。
お笑い番組に「爆笑!」と付くように、泣ける番組に「号泣!なんとか!」って付けるようになるんだろうか?
『号泣!大家族の貧乏父さんにリフォームのチャンスと長女の結婚!』とかいう番組ができるんだろうか?
って、もうそうなってるか?

「爆笑!」はいいと思うんだよね。「爆笑」は。
私も日々普通に爆笑してるし。笑い死にそうになったのも1回や2回じゃないし。
「爆笑」はいいんだ「爆笑」は。
早く終わってほしいぞ。号泣ブーム。
私はやっぱり、
「泣くのはいやだ 笑っちゃお」
だな。

2004.1.20


174
いやもう小学生ってなんであんなにやかましいんだろ。

今日地下鉄に乗って座っていたら、ある駅で、あれは4年生くらいだろうか、十数人の小学生の集団がどやどやと乗り込んできた。
いやもううるせえうるせえ。
友達の名前を意味も無く連呼するかと思えば、ささいなことで車両じゅうに響き渡るような馬鹿笑い、座ったり立ったり、席を取ったり取られたり。

どこまで行くのかな?早く降りてくれるといいな。

早く降りてくれないかな。

早く降りろ。

とっとと降りやがれ!このクソガキども!!

という気持ちを必死で抑え、目を閉じて座っていた。
やがてある駅に着こうという頃、私の隣に座っていた男の子が、
「降りるよー、次、降りるよー」
そうかそうか次で降りるのか。よしよし。そういうことならおじさんも温かい目で見守っちゃうぞ。みんななかなか元気があってよろしい。

そしてその駅で電車が停止する直前、その男の子が、
「うっそーん。まだだよーん」

テメ、ぶっ殺すぞ!大人をなめんじゃねぇ!!こっちはガキの命のひとつやふたつ何とも思ってねぇんだっ!!ひねり殺してやるからおもてに出やがれ!!はぁはぁぜぇぜぇはぁはぁぜぇぜぇ…

え?

何?
きのうと言ってることが全然違う?



あホントだ。

人間って不思議ねー。そして哀しいねー。

2004.1.17


173
まぁ、そんなことを言ってるうちにもう一年である。

去年の今頃は家族揃って産院に居たってことだ。家族四人揃って。
あの時「赤ちゃん」だった綾は、おかしな方向転換をしながらもかなり歩き回り、よくわからないけれどたくさんおしゃべりするようになってきた。
ミルクはもう飲まないで、ほとんど大人と同じものを、ほとんど大人と同じくらいの量食べる。
あの日、ただじっと抱かれていた綾が、歩き、しゃべり、食べている(そして太っている)。
もうなんだかそれだけで感動してしまう。あたりまえのことなのかもしれないが、奇跡にも思えてしまう。

綾は生きていて、成長している。

もうなんだかそれだけで充分だ。

「赤ん坊が泣き止まない」と、殺してしまうやつ。
バカめ。
「子供が言うことをきかない」と、殺してしまうやつ。
バカめ。
バカバカめ。
お前らは知らないんだ。本当に大事なものを。
俺が教えてやる。
いいかよく聞け。この世で一番大事なもの、
それは命だ。

2004.1.16


172
そうこうしているうちに、またタバコを吸っている夢を見た。

実家の近くの神社でお祭りをやっている。
私は高台にいて、学校で使うような机と椅子に座って祭りを見下ろしている。
すごい人出で、何本もの行列になった人の頭が大蛇のようにうねっている。
「ああ、あんなに人がいるんじゃ、行くのやめよ」
と思っている。タバコを吸いながら。ぷーかぷーかと。
私のいる場所から神社まではかなり距離があるが、同級生の顔が見えたりする。
現在仕事でつき合いのある人が、横を通って神社へ向かったりする。
「なんであんなに人が多いところに行きたがるんだろ」
と思ってる。タバコを吸いながら。
そしてふと気づくのだ。
「俺、タバコ吸ってんじゃん」

現実の私は、タバコを吸いたいと思いもしないのだが、夢の中の私はちょっと意志が弱いようだ。
しかし、彼(夢の中の私)のために言っておきたいのは、夢の中ではいきなりタバコを吸っていたということだ。
タバコを手に入れたり、火をつけたりという過程をすっ飛ばして、いきなり煙を吸っては吐き、吸っては吐きしているのだ。
これでは喫煙を思いとどまるチャンスが無い。
夢の中の私にも同情の余地があるということだ。

これからどうなるのだろう?夢の中の私。
禁煙するのだろうか?吸い続けるのだろうか?
やがて肺ガンになって死んじゃったりするのだろうか?

そして私は自分が出ない夢を見続けるのだろう。現実に死ぬ日まで。

2004.1.14


171
月曜日から金曜日までの毎朝、テレビ東京で『ウルころ』っていう番組を放送していて、まぁしょうがないから観てる。録画して。

「ウルトラマンボーイ」という子供のウルトラマンが出てきて、過去に放送したウルトラマンシリーズのシーンを見ながらおしゃべりするという、賞味2分くらいの、それはそれはかわいらしい番組なのだ。

で、過去のシリーズを見せる前にボーイ君のちょっとしたおしゃべりがあって、例えば、「ウルトラ戦士になるのもいいけど、ウルトラ博士もいいなって、最近思ってるんだっ」とか、「ウルトラマンアグルさんて、ホントはお茶目な性格だって聞いたけど、ほんとかなー?」なんていう、まぁ、聞かなくてもいいような他愛の無い内容なんだけど、つい先日、聞き捨てならないことを言っていた。

「ウルトラ図書館ですごい情報を見つけたよっ。
生まれたてのツインテール(怪獣の名前)って、エビみたいな味がするんだって」

うわあ。

怪獣喰ってたんだ、奴ら。ウルトラの奴ら。

いや、前からちょっと怪しいな、とは思ってたんだ。
自分たちに何の利益も無いのに地球を守るって、そりゃどういうことだい?って。
こりゃ何かあるぞ、って。
でもまさか怪獣を喰ってたとはね。
食糧調達が目的ではるばる地球に来てたとはね。
しかも「生まれたてのツインテール」だって。
養殖でもしてんのか。

「レッドキングの肉はちょっとスジが多いよね」とか、「ジラースの襟巻きは珍味だね」とか語り合ってるんだろうか?食卓で。
ウルトラの父母もいる家族の食卓で。

念のために言っておくが、『ウルころ』は、円谷プロ製作の番組である。
つまり正式設定なのだ。ウルトラマンが怪獣を喰うというのは。
さぁ、よいこのみんなっ。心に刻もう!

「ウルトラマンは怪獣を喰ってる!」

みんなも好き嫌いせず、何でも食べてウルトラマンみたいに強くなろうねっ!

2004.1.13


170
あ、そうだ。成人の日なんだ、12日。
楽しみだなー、全国各地の成人式の模様。
今年の新成人たちはどんなちまちましたバカっぷりを見せてくれるのだろう。
今年はワイドショーとかで、バカっぷりを申年に引っ掛けたコメントも聞かれそうで楽しみだな。

やがては成人式本来の意味はすっかり忘れ去られ、「奇祭」と呼ばれるような行事になっていくのであろう。

【成人式】市町村単位で二十歳の人間が集まって、競って奇抜な行いをする祭り

なぜ二十歳なのか、なぜ市町村単位なのか、なぜ奇抜な行いなのか、誰も思い出せないし、気にする者もいない。

で、終わったらアルバムもらって帰るのね、みんなで。参加賞みたいに。
来年小学校に上がる幼児が、小学校の運動会でかけっこをしておえかきノートをもらって帰るみたいに。胸に抱えて。
まだまだあどけない笑顔で。
でも、なぜアルバムなのかは誰にもわからない。そもそも「アルバム」って何に使うものなのかすらわからない。そのころはすべての写真がデジタルになっているから。

今はその新しい時代へ向かってのさきがけってわけだ。
若人よ、誇りを持って突き進め。
バカみたいだけど。

ちなみに私は成人式には出ていない。アパートで寝ていた。
そのため、いまだに成人としての自覚が無い。
この正月に誰にもお年玉をもらえなかったのがくやしくてくやしくて。

2004.1.6


169
1月4日(日)天気:雲の多い晴れ

今日は冬休み最後の日なので床屋へ行きました。
すごく混んでいてびっくりしました。
これからは気をつけようと思いました。(おしまい)

いやホント。
散髪なんてみんな年末のうちに済ませちゃうもんだと思ってたら混んでやがんの。
いつだったか年末に床屋へ行ったらものすごく混んでたことがあって、年末に床屋へなんかいくもんじゃないなって思ったことがあったんだけど、年始も混んでんだね。勉強になったよ。年末年始は床屋へ行くべからずだね。行くなかれだね。

子供もたくさんいたけど、あいつらはまだ冬休みなんだから土日に来るんじゃねぇよ、って思っちゃったよ。
でもあれだな。
「お父さんと一緒に行って来ちゃいな」
なんて母親に言われて来てんだろうな。親子二人とか三人づれで。余計混んじゃうよな。不必要に混んじゃうよな。
毎年ドラえもんの映画がヒットするのと同じ原理だな。

しかしまぁ、これで無事散髪も済んで、もみあげも「普通」の、こざっぱりした頭で仕事初めに臨めるってもんだ。

そうなんだよ。床屋で毎回「もみあげはどうしますか?」って訊かれて、よくわからないまま「普通で」って答えてるんだけど、普通じゃないとどんななんだろ?
今度言ってみようかな。

「普通じゃないもみあげでお願いします」

どうしてくれるんだろう?
くるりん、とかしてくれるのかな?
兜甲児みたいなもみあげにされちゃうかも。
あれはどう見ても普通じゃないもんな。

2004.1.5


168

さて。
正月といえば「餅」である。
「餅」といえば「ノドに詰まらせて」である。

子供の頃の私は、餅をノドに詰まらせて人が死ぬということが理解できなかった。

「なぜ死ぬ前に飲み込まないのだろう?」

静岡弁で言えば

「なぜ死ぬ前にのっくまにゃーだら?」

そう思っていた。
しかし。
40才を過ぎた今ならわかる。
人は衰えるのだ。
肩が上がらなくなったりするのだ。
嚥下機能も年々低下するのだ。
わかる。今ならわかる。

「めでたい正月」に、「餅」を「ノドに詰まらせて」死ぬのは悲しすぎる。
めでたいだけに余計に悲しい。できれば回避したい。できればっていうか絶対回避したい。
そこで私は考えた。
正月に餅をノドに詰まらせたくない者はよく聞け。

「正月に餅をノドに詰まらせたくないなら年に4回餅を食え」

そもそも、正月に餅をノドに詰まらせるというのは、正月にしか餅を食わないことに原因がある。
人は自分の体の衰えに気づかないものだ。いや、目を背けたいものなのだ。
去年の正月には正常だった嚥下機能も、一年後には著しく衰えているということも充分考えられる。
それに気づかないまま餅を食うなど、危険きわまりない。自殺行為だ。リストカットだ。

そこで。
おのれの嚥下機能の確認のために、正月だけでなく、年4回、餅を食べることとしたい。
1月に食べたから、次は4月、その次は7月、というように3カ月おきに餅を食い、自分の嚥下機能を確認していくのだ。
そして、嚥下機能が衰えてきたな、と思ったら、ニュースのアナウンサーが言っているように、

「お餅は、細かく切るなどしてお召し上がり下さい」

これを実行すれば、正月に餅をノドに詰まらせて死ぬ人は激減するはずである。
60才以上の人には法による義務化を求めたい。4月、7月、10月は、市役所で餅を配布すべきだろう。正月は自分でつくか買うこととする。

これでめでたい正月をめでたいまま過ごせるのだ。さらに年間を通じて餅の売り上げも急上昇し、低迷する日本経済にひと筋の光明が射すことであろう。
素晴らしい提案をした私にサトウの切り餅一年分でも贈ってもらいたいくらいである。

いや、

待てよ…

まさかそんな…

でも、ひょっとしたら…ひょっとして。

これを実行したおかげで、1月、4月、7月、10月はお年寄りの死亡率が上がるなんてことは、…ないよね?

2004.1.4


167
そんなわけで2004年だ。

大晦日に体調を崩してしまい、素面で年を越した。
こんなの大人になってから初めてだ。
おかげで個人的に新年ムードが薄めだ。損した気分だ。

大晦日の格闘技イベントの録画を年を越してから観ていたのも新年ムードを薄くしている原因かもしれない。
あれ全部まともに見ると10時間以上になる。
一番長かった「PRIDE」は、昔の試合をたくさん放送していたからそういうのは全部とばして観たけど、でもしんどいな。
しばらく格闘技はいいや。
いい試合が多かったけどね。

そういえば「プライド」って、ドラマが始まるね。絶対観ないけど。
「プライド」って言葉は一般的な単語だけど、格闘技の「PRIDE」で、価値が高まってる単語でもあるから、きっとあやかろうとしてるんだね。
いじましいね。

あやかるといえば、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」からタイトルをパクって売れてる本もあるね。死んでも読まないから内容の出来不出来は私には一生わからないけど、他人が価値を作り上げた言葉を簡単に使ってはいけないね。
いやしいね。
あれ、作者じゃなくて編集者が付けたタイトルなんだって。
さらにいやしいね。

タイトルと言えば、去年「バカの壁」という本が売れて、タイトルの勝利だ、なんて言われていたけど、何年か前にアントニオ猪木の詩集「馬鹿になれ」が発売されたのに、ベストセラーになったって話は聞かないな。
みんな他人を「バカ」だと思いたいけど、自分が「馬鹿」なのはいやなんだな。

私はいやしい利口より馬鹿がいいや。

2004.1.3


166

アヤは「わんわん」が大好きだ。

散歩中に犬を見かけると手を伸ばして「わんわんわんわんわんわんわんわん!」。
その犬が逃げ出すくらいの勢いで叫びつづける。

テレビを見ていても犬が出て来ると大喜びで、にこにこしながら「わんわんわんわん」と、画面に寄って行く。ドッグフードのCMなんか大好きだ。
何かのCMで、片腕で逆立ちをしながら犬の散歩をしている男が出てくるものがあるが、あれを見ても「わんわんわんわん」だ。
片腕逆立ちの男完全無視でちょっとかわいそうだ。

実のところ、アヤにとっては、熊もタヌキもヒトコブラクダもみんな「わんわん」なのだ。
こないだ行った東武動物公園なんか「わんわん」だらけだった。

ちなみに鳥類はみんな「がぁがぁ」だ。
ダチョウもフラミンゴもみんな「がぁがぁ」だった。

ほほえましくていいんだけど、何日か前、オカーが私の携帯の画面をアヤに見せて遊んでいた時のこと。
「アヤの書」の「丸いもの」で使ったアヤの写真が待ち受けになっていたのだが、それを見せながら、

「ほら、これだぁれ?」

とアヤに訊ねると、とてもうれしそうに指さして、

「わんわん!」

2003.12.29


165
アヤちゃん離乳完了だそうだ。
それにしてもよく食べる子だ。朝から晩まで食欲全開だ。

夜私が帰るとうれしそうに笑うが、これは私の顔を見て笑っているのではないということに最近気づいた。
私が帰るころには、たいていアヤの夕食は終わっているのだが、私が食事を始めると寄って来て箸を引っ張る。何か食わせろというわけだ。
私が帰ってくれば何か食えると笑っているのだ。

アヤは、まだ上下合わせても8本くらいしか歯が生えてないが、たいていの物は大人と同じように食べている。
前歯だけで食べていると思うとちょっと不思議だ。噛みにくいだろ。
口の中を想像しながら見ていると、ひょっとしたら人間の奥歯って、気力で生やすもんなんじゃないかと思えてくる。

奥歯があればもっと食えるのに。
奥歯があればもっと食えるのに。
奥歯があればもっと食えるのに。
生えろ
生えろ
生えろ伸びろ
伸びろ生えろ。

オカーが読んでいる育児雑誌の読者相談コーナーにも、「食べなくて困る」という相談はよく載っているが「食べ過ぎて困る」という相談は載ってないそうだ。
食べ過ぎは気にすんなってことか。

そんなことないか?

まぁ結局「健康であれば」と、ありきたりなところに落ち着く話題ではあるが。
赤ん坊にとって「食べたい」は「生きたい」の意思表示だと思うことにしよう。

「生きたい」が強い子はお父さん大好きだぞ。

2003.12.26


164
嗚呼。
学校に通ってる間にもっと勉強しとけばよかったなー。

と思うことが年に2、3回ある。
例えばこんな時だ。

「ねぇオトー、これわかる?」
小学六年生は分数の割り算が宿題だ。
「はん?『4/5メートルで3/4キログラムの針金は1メートルでは何キログラムでしょう?』だーあー?」
「わかる?」
「…」
「わかんない?」
「4/5メートルっておめぇ、80センチだろ。素直にそう言えよ。それに3/4キロなんて目盛りのついた秤はねえぞ」

問題の本質とはかけ離れたところで親の威厳を保とうとするオトーであった。

ちなみに、オカーに同じ問題を投げかけたところ、

「針金は太さで選ぶ」

と、即答していた。

その翌日、またもや小六から質問が飛んで来た。

「ねぇオトー、板垣退助ってどういう人?」
「ああ、板垣退助ね。板垣退助ってのはねぇ…えと…
ええっと…

…刺された人」

嗚呼。
もっと勉強しとくべきだったよ。

ちなみに。
茶わんを洗いながらその会話を聞いていたオカーは、
「板垣が死んで誰が死ななかったんだっけ?」
と言っていた。

学校に通ってる間に勉強すべきだと真剣に思うね。

2003.12.24


163
二十日の土曜日は危険なくらい寒かったが、翌日曜日はやや暖かいように思われたので、突然東武動物公園に行った。
久しぶりに色々な動物を見て楽しかったのだが、キリンを見ていたらなんだか落ち着かない気分になってきた。

キリンて、変な形だ。
長い首だけに目を奪われがちだが、首から背中、尻までの傾斜はかなり変だ。腰の位置がとても低く、後ろ足が短く見える。変だ。
どういう骨格なんだろう?
馬とか鹿の背中が、おおむね地面に平行なのを考えるとやはり特異だ。
それにあの角。なんだあれ。中途半端。
歩き方も変だ。首を前後に揺すりながら前進していく。なんだかすごく疲れそうだ。いいからじっとしてろと言いたくなる。

皆さんも今度キリンを見かけたらじっくり観察するとよいでしょう。
まぁ、この年末の忙しいときにキリンの心配なんかしてられないだろうけどさ。

あ、年賀状作らなきゃ。

2003.12.22


162
さて、そろそろクリスマスについて語る季節がやって来たようじゃ。

クリスマスが近づいてくると思い出すことがある。
ショウヘーが3歳か4歳だったころ、家でクリスマスパーティーを開く準備をしていた。ショウヘーも、自分で出来ることをいい子でお手伝いしていた。
そのパーティーにはオカーの母親や、おじおばがやって来るのだが、少し数を数えられるようになっていたショウヘーに、「誰と誰が来るからその数だけ皿を並べてくれ」と頼んだところ、「ショウヘー、オトー、オカー、ばーば、…」と数えながら並べ始めた。
並べ終わったところで数えてみると、ひとつ多い。
「ひとつ多いじゃん」と言うと、そんなことはないと言う。
「いいか?ショウヘー、オトー、オカー、ばーば、…」と、皿を指差しながら数えていくと、皿を一枚余らせて参加者の名前が尽きた。
「ほら。これ誰の?」
という私の問いにショウヘーは、わかりきったことを訊くなという様子で答えた。
「サンタさん」

今年から家族がひとり増えてのクリスマスだが、そのおかげでしばらくはうちにもサンタさんが来てくれそうでうれしい限りだ。

2003.12.16


161
朝に夜に。
通勤電車内が酒臭い空気で満たされるいやな季節となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

自分も酒臭いから関係ない?
ごもっとも。
で、今日は臭いの話じゃなくて、電車の吊り広告の話。

『再見』という映画の広告が吊られているのをなんとなく見ていた。
子供の顔の写真が並んでいて、なんだかNHKの『こども輝けいのち』シリーズみたいだな、と思いながらコピーを読むと、何だか「泣ける」映画らしい。
「涙が渇くまでしばらく灯りは灯りません」という陳腐なコピーとともに、何人かの有名人の感想が書かれていた。
有名人たちは、「とても泣けた」という意味のことをいろいろな言い回しで表現していたが、私の心は動かされなかった。

私は、どちらかといえば涙もろいが、それは結果的に泣いているのであって、特に「泣ける」ものを求めているわけではないので、こういう方向で宣伝されてもこの映画は観に行かないだろう。
かてて加えて、下のほうにあった別のコピーが、「観に行かない」という気持ちを「死んでも観に行かない」にレベルアップさせた。「観に行かない」の最強レベルだ。そこにはこう書かれていた。

「館内号泣の嵐」

やだやだ。
「号泣」だと。
「号泣の嵐」だと。
どんな状態だ、館内。

2003.12.12


160
相変わらずアヤの言語能力が私の心を悩ませている。

「とーさん、って言ってごらん」と言ったら「た」と答えた、と書いたが、あれっきりだった。
オカーは安定して「かーちゃ」と呼ばれている。
それはいい。
それはいいんだ。オカーが一番長い時間一緒にいて、面倒を見てるから。
いいんだ。それは。
腹立たしいのはショウヘーだ。

「にーやん、て呼んでごらん」と言うと、
「うーあ」
ショウヘーを指差して「これ誰?」と訊くと
「うーあ」

完全に認識してる。
ところが、私が「とーさん、って言ってごらん」とか、自分を指差して「これだーれ?」と言うと、なんだか困ったような顔になる。
どうかすると目が泳いでたりする。
オカーを見て「かーちゃ」と言ってごまかしたりする。

なぜだ。
どう考えてもショウヘーより面倒を見ている私をなぜ認識してくれないのだ?
なぜだ。
何がいけないんだ?
何か欲しい物でもあるのか?
言ってみなさい。何が欲しい?おもちゃか、ケーキか、ダイヤモンドか?
言ってごらん。何でも欲しい物を買ってやるぞ。

言えたらね。

2003.12.8


159
今やモンチッチは忘れ去られてしまったのか?
あのお猿の人形。
いや、ある年齢層の人は覚えてはいるのだろうが、日本社会全体としては、もうモンチッチは忘却の彼方なのだろうか?そういうことなのだろうか?

ていうのは。
今朝通勤途中で見かけた、二人連れの若い男の一方が、額が狭い上に、大量の毛髪がこんもりと頭部を覆っているような髪型をしていたのだ。おまけにもみ上げも長く伸ばしている。
背も低くて、ややコロッとした体形だったため、私は即座にモンチッチを連想した。
彼はモンチッチだ。あのお猿だ。
その辺の通勤客をつかまえて、「彼にニックネームを付けて下さい」と頼んだら、十人が十人、「モンチッチ」と答えるであろうくらいモンチッチだった。
「彼はモンチッチ」。そう分類して済まそうとした。だがしかし。
彼らの近くを歩いているうちに、私はやや違和感を感じ始めた。
なんだか、その彼が「いい男風」にふるまっているのだ。言葉遣いやら、歩き方やらが、くどいくらいに「いい男風」なのだ。
「いい男風のモンチッチ」。これは私の中では成立しない組み合わせであった。
モンチッチは、「かわいい」とか、「ほのぼの」とか、「まぬけ」、などと組み合わさるべきものなのだ。
私は考えてしまった。考え込んでしまった。
彼は何ゆえに「モンチッチと呼んで下さい」と言わんばかりの髪形をしながら、それと矛盾するような言動を繰り返すのか?「モンチッチ」というキャラクターを選びながら、なぜ自らぶち壊しているのか?

答えはひとつ。
彼はモンチッチを知らないのだ。
そして、連れの男をはじめとする彼の周辺の人間もまたモンチッチを知らないのだ。

かつてはあのテの髪型をしていると必ず「モンチッチみてぇだな」と突っ込まれた。
言われた当人は深く恥じ入り、髪型を少しでもモンチッチから遠ざけようとする。
そんな文化が日本にはあったのだ。
しかしどうだ。
目の前にいるこの若者。
モンチッチでありながらいい男風のこの若者。
そしてそれを放置する連れの男。
日本は、モンチッチが「いい男風」に振舞っても良い国になってしまったのだ。
言ってやりたい。
彼の頭を指差して「モンチッチじゃん」と言ってやりたい。
しかし。
時計の針は戻せない。
日本人はモンチッチを忘れ、それに突っ込むことを忘れ、恥じ入り、自分を修正することを忘れた。
泥沼の大不況、政治不信、凶悪な少年犯罪、叫ばれるモラルハザード。それら、現代日本が抱える諸問題をもたらした一因は、モンチッチの忘却にあるのではあるまいか?

あるまいよ。

2003.12.5


158
最近アヤがなんとなく意味のある音声を発するようになってきた。
犬の鳴き声が聞こえれば「うぉうぉう」。
カラスが鳴けば「かぁか」。
アヒルのおもちゃを見せれば「がぁが」。
そして。
オカーが「かーさん、って言ってごらん」と言うと、「かーちゃ」。
しかし。
私が「とーさん、って言ってごらん」と言うと、「?」。
「何?」という顔で見返すばかりだ。
するとすかさずオカーが、
「『た行』は難しいかなー。かーさん、って言ってごらん」
「かーちゃ」
「まぁ、カラスの『かぁか』とあんまり変わんないんだけどさ」
というオカーの謙遜が言葉だけなのは、私を見るその勝ち誇ったような顔を見ればわかる。ちょっと鼻の穴がふくらんでたりする。
「とーさん、って言ってごらん」
「とーさん、って言ってごらん」
「とーさん、って言ってごらぁんっ!」
しかしアヤは無言か、オカーの方を見て、小首を傾げながら「かーちゃ」と言ったりするばかりだ。
さみしい。
父はさみしいよ。

と、思っていたのだが。
ついにきのう。
「とーさん、って言ってごらん」
「た」

「た」だって。「とーさん」の「た」だ。

よし。
「た」でよし。
もう「た」でいいや、俺。
「オトー」じゃなくて「た」。
もちろんハンドルネームも「た」。
したがって、「オトーラの書」も、「タラの書」。

「更新するでちゅー」

2003.11.27


157
最後のクライマックスに向けて今週も盛り上がっている「仮面ライダー555」。
人類と別の種との闘いは、原作版「デビルマン」を思わせるようなハードな展開を見せている。
しかしそんな中。
私は気づいてしまった。

嫌味な草加君の性格は「ちびまる子ちゃん」の永沢君によく似てる。

変なことに気づいてしまったおかげでクライマックスが台無しにならないことを切に願う。
これを読んだ「555」ファンの方も、草加君を見て、あのトンガリ頭の永沢君を思い出さないように気を付けて下さい。

2003.11.23


156
そんなわけで会社の配置変えも無事終わって、新しい席での生活が始まった。
配置が変わってみると、今まで日常生活の行動というのはかなり無意識に動いていたんだということに気付いた。
自分の席からトイレに行ったり、出かけたりするのにいちいちコースを考えてしまう。コピー機や書類の置き場も変わっているので考えてから動くことになる。
そのうち慣れて、無意識に動けるようになるのだろうが、ちょっとおかしな感覚。でも新鮮で楽しくもある。

それはいいのだが、机の引き出しがひとつだけ、前の持ち主の物品が入ったままだ。
早く引き取ってくれよぉ。俺の荷物が入らねぇよ。あの、キャビネットの上にあふれてる荷物がよぉ。
って、あれ?
あれ全部ひとつの引き出しに収まるの?
とうてい収まらねーなー。
おかしーなー。

2003.11.19


155
会社の整理整頓は、思ったより順調に進んでいる。
大きなゴミ袋をバンと置いて、不要な物を捨て始めると、「ひょっとしたらいつか必要になるかも」という程度で保管していた物もどんどん不要品の仲間入りをしてゆく。そして実際それらは不要品なのだ。
机の引き出しから「のりたま」の小袋が出てきたが、これも「いつかふりかけるかも」と、しまっておいたものだが、その日は来ないままゴミ袋に消えていった。
不要な物を処分して、身の回りに空間ができていくのは快感である。

ちょっとどうしようかな、と思っているのは、あちこちからガサガサと出てきたフロッピーディスクだ。
ホントはお客さんに返却しなけりゃいけないものだが、返し忘れて山になっている。
ちょっと厚いのはMOディスクだな。
「要返却」って赤い字で書いてあるよ。あはは。
せっかくだから返してあげようかな。
って、これ去年の仕事じゃん。今頃返したら怒られちゃうかな。
一年ぶりに返ってきたMO。

渡り鳥かよ。

あとはあしたの午前中少しやれば、夕方の配置変えまでにはなんとかなるかな。

2003.11.14


154
おそらく幼少期に受けた心の傷が原因だと思われるが、私は整理整頓がとても苦手だ。というか能力ゼロだ。SP(セイトンパワー)がゼロだ。
なんて話は前にも書いたが。
今また、身の回りを整理しなければならない崖っぷちに立たされている。
なぜだ?
大掃除にはちょっと早いんじゃないか?
と思われる方もいるだろう。
実は会社で、大幅な配置変えがあるのだ。14日の金曜日に。
14日の夕方には大移動が始まるので、それまでに私の周りに積み重なっている物を始末したうえ、今回はキャビネットを半分空けなければいけないのだ。

というわけで、きのうから身の回りの片づけを始めたのだが、いやー、いつものことだけど、ゴミばっかりだね。どうなってんだ。
きのうきょうで、東京都推奨のゴミ袋を4袋使っちまったぜ。しかもまだ終わってないぜ!ガッハッハッハッハッ!
何がおかしいっ!

しかし、物事は悪い面ばかりではない。
今回徹底的にやってしまえば、来る大掃除シーズンにはとても楽チンなことになるのだ。
どうだ。
今回きれいにして、そのまま維持していれば、ほとんど大掃除なんかやらなくていいのだ。
すんなり年末の休みを迎えられるのだ。どうだ。

維持していれば、か…

いち、にい、さん…

六週間か。

無理だな。

2003.11.12


153
先週の終わりころから考えていることがある。
「曙K-1参戦。デビュー戦は対ボブサップ」
一体どんな試合に?
家族からも「どっちが勝つの?」とストレートなQを投げつけられたが、答えられなかった。
一体どんな試合に?

なんとなく予想できるのは、曙は入場する時も退場する時も同じ表情だろうなってこと。勝敗や試合内容に関係なく、同じ顔で現れて同じ顔で去ってゆく曙。
では試合中は?
もちろん同じ顔。

ならばこんな試合か。
ゴングが鳴る。
猛然と飛び出すボブサップ。
ほとんど動かないまま、コーナーでファイティングポーズの曙。
ボブのパンチが曙の顔、腕、胸、腹に降り注ぐ。防戦一方の曙。しかし無表情。
打ち疲れて肩で息をするボブ。曙がずいっと前に出る。同じだけボブが下がる。
ずいっずいっ。いつしかふたりはリング中央へ。
ボブが再び猛然とパンチを繰り出す。
そして。
突然曙が右足を一歩前に踏み出す。パンチを打ちながらも下がるボブ。
打たれながらも前に進む曙。しかし突然足が前に出なくなり、上体だけが前にぐらりと傾く。どう、と左ひざが落ち、次に左手をマットにつく。
ダウンだ。どのパンチが有効だったのか誰にもわからないが。
カウントが始まる。
1、2、
曙は左ひざと左手をついたまま微動だにしない。
5、6、
カウントは進む。不動の曙、そして無表情の曙。
9、10!
打ち鳴らされるゴング。1ラウンド1分40秒、ボブサップのKO勝ちだ。
リング上で狂喜乱舞するボブ。コーナーによじ登り「ビーストはヨコヅナも大好物だぜ」とか言っている。客のノリはいまいち。曙はまだ同じ姿勢のまま無表情。
上機嫌で四股を踏む真似をするボブ。無表情に見つめる曙。客のノリはいまいち。
やがてセコンドに起こされてリングを去ってゆく曙。しかし無表情。
試合後のインタビューでも無表情。スポーツ新聞の写真も無表情。
曙の無表情だけが印象に残った一戦であった。

なんてね。
勝負は時の運だけどさ。2カ月足らずの準備期間で曙が勝ったら快挙だと思う。
北尾光司がプロレスデビュー戦でクラッシャー・バンバン・ビガロに勝ったのに匹敵する快挙だ。
大相撲最強説を信じたくなっちゃう。
いろんな意味で楽しみだ。

次回『格闘技アワー第2回 北尾光司は今どこに?』をお送りします。

嘘かもよ。

2003.11.10


152
アヤの日記(代筆オトー)

きょうのごご、きもちよくおひるねちていまちた。
だいちゅきなおとーのゆめをみていまちた。
とちゅぜんおちょとをうるちゃいくるまがとおって、あたちはなきながらおきてちまいまちた。
あたちにはよくわかりまちぇんが「きょーちゃんとーがにぽんをよくちる」なんていっていまちた。
おとーはとってもおこっていまちた。
「あかんぼおこすようなとんちきににぽんをよくできるんか!ぼけ!」
といっていまちた。あたちによくわかりまちゃん。
おとーはあたちをなかすこがだいきらいでちゅ。
「きょちゃんとーにはぜたいいれない」といっていまちた。
あたちにはなんのことかわかりません。
あたちはおこってないおとーがちゅきでちゅ。

2003.11.3


151
男の子が生まれたら親子でキャッチボール。
というのが日本に古くから伝わる風習らしい。
しかし私はその風習の外で生きてきた。

親父とキャッチボールした記憶は無い。
ショウヘーともキャッチボールしたことはほとんどない。おかげでショウヘーはボール投げがへたっぴだ。
会社の同僚にその話をしたら心底信じられないという顔をされた。
キャッチボールこそ親子の絆を強める行為だというわけだ。キャッチボールなくして良好な親子関係は望めないというわけだ。

キャッチボールはやらないけど関節技は教えたことあるぞ。アキレス腱固めとか三角締めとか。関節技のことを「キャッチ」と呼ぶこともあるからこれで許してはもらえぬか。
もらえぬのか。

しかしここへ来て状況が変わってきた。
ある日、アヤとオカーと私とで公園に散歩に行くと、友達と遊ぶショウヘーの姿が。
しかもキャッチボール。しかもへたっぴ。
ううむ。
そのうち、ショウヘーの口から野球の話題が語られるようになった。
しまいにゃ、日本シリーズは阪神を応援すると宣言する始末。こいつはホントにうちの子か?

訊いてみると、学校で仲の良い友達が野球少年で、つき合っているうちに感化されたらしい。そうか。
私がプロレスや格闘技で盛り上がっていても乗ってこなかったくせに。そうか。
実の父より友達か。そうか。よかった。まともで。

まあそんなこんなで他にもいろいろあって、こないだの土曜日にグローブとボールを買ってきちゃったよ。
んでショウヘーとキャッチボールしちゃったよ。
いいもんだね。
いや、親子の絆とかって話じゃなくて。ボールを投げたり取ったりするのは単純に面白い。
普段あんまり体を動かさないから余計ね。
でも、前に痛くした右肩が治っていなくて、おかしな投げ方になっちゃってるのが自分でもわかる。
肩が上がりきらないから途中でへにょろーんってひねくれちゃうんだよね。へにょろーんって。
おまけにショウヘーが変なところにばかり投げるので、走り回らなければならない。くやしいので私もおかしなところに投げてやった。
最後にはドッヂボールみたいなぶつけ合いになって、親子の絆はズタボロになってしまったのであった。
へたっぴ同士のキャッチボールは絆を損なうということを学習したオトーとショウヘーであった。
まあ続けていればふたりとももう少しうまくなるでしょう。

そういえば前にローラーブレードも面白がってやってたけどいつの間にかやらなくなっちゃったなぁ。あの靴は今どこにあるんだろう…。

え?
負けたの?阪神?ダイエー優勝?
ふーん。
あんまりくやしそうでもないな。
やっぱりうちの子ってことか。

2003.10.27


150
今は「マニフェスト」らしい。
で?「マニフェスト」って何だ?共産主義者か?そりゃコミュニストだ。
なんてやりとりは世間では行われていないようだ。みんな知ってるみたいだ「マニフェスト」。
要するに「公約」だよ、なんてところで落ち着いてないか?違うか?大丈夫かみんな。
だまされんなよ。

なんで今日は「マニフェスト」に突っかかっているかというと、見たのだ。街角で。「マニフェスト」を。街角マニフェストを。
それは神田駅西口通り商店街のパチンコ屋の前にあった。
ケバい看板にケバい字で「私たちのマニフェスト」。その下にやや小さな、でも黒くてはっきりした文字で、
「1.最新機種徹底導入宣言」
2も3もあったけど忘れちゃったよ。神田でナンバーワンを目指すとか、そんなんだったな。
これがパチンコ屋のマニフェスト。

こうやって言葉っていうのは消費されていくんだなぁ。なんだか勉強になったよ。

今は「マニフェスト」らしいが、もう「マニフェスト」ではないのかもしれない。
油断は禁物だ。常に。

2003.10.24


149
ここ「日々棒組み」の149番はなんだか難儀していて、「149」と打ち込んでから書き始めた文章がこれの前に四つくらいあった。
ひとつは考えた末、「文書の書」で公開した「言葉の獲得」、もうひとつは保留中、残り二つは完全に没にして削除した。
保留中のものも結果的には没になりそうだが、2000文字近く書いたので不憫で消すに消せない。
ネタが無ければ何カ月でも書かなければいいのだが、150という、中途半端にキリのいい数字を前に止まっているのがなんだか気になってしょうがないので、とにかく書いちゃうことにする。

ネタが無いよと書いているうちに何か思いつくかもしれない。思いつかないかもしれない。
今言えるのは
「『日々棒組み』は、149で壁にぶつかった」
ということである。

私も家族も毎日生きているので、日々いろんなことが起きている。
ショウヘーは先日、越谷市の陸上大会のハードルで4位に入賞した。その前の30人31脚の時も思ったが、目標を持って練習して、なんらかの結果が出るというのは子供にとって貴重な経験だと思う。
しかし、こういうことが続いたからといってスポーツ志向にならないところがうちの子だなぁ、と思ってしまうのだが。

アヤはつかまり立ちから伝い歩きがずいぶん早くなって、テーブルの上の物にすばやく手を出すようになった。食事時になると、アヤ対オトーオカーショウヘー連合チームの攻防が繰り広げられる。箸や皿、食糧をアヤの魔の手から守るのだ。気がつくとテーブルの片側に食器類がかたまって、三人でちまちま食べている。反対側でアヤがうーうー言いながらにらんでいる。
山ほどおもちゃがあるのになぜこんなことになるのだろう?ホント不思議だ。

オカーも30人31脚の記念品みたいのを作ったりして、なかなか忙しそうだ。
私は「さすらいロボ・ヤスジロー」の最終回がもう少し、というところまで進んでいる。
すでに前回から2カ月経ってしまったが、3年以上続けたシリーズの最終回だから悔いの無いようにしよう。しかし物語を終わらせるのって難しい。初めて知ったよ。

というわけで魔の149番もなんとなく形になったところでおしまい。

この計算で行くと、次の壁は299かな。違うかな。
次の壁は150ってことないだろうな。壁かと思ったら山脈だったりして。
それでも登るさ。そこに山がある限り(と、遥か彼方を見つめる)。

2003.10.23


148
近所のママさんが携帯電話を買い替えたということで、我が家でも買い替えようかという話がちょろっと出ている。Jフォンがボーダフォンになったことでもあるし。

最新の機種を使いたいというのでなければあまりお金もかからないらしい。
その最新の機種というのが、テレビが見られるというのがあるらしい。
誰が見るか、携帯でテレビ。
音はどうやって聴くんだろう。
画面を見て、パッと耳に当てて、また画面を見て、パッと耳に当てて、…なんてわけはない。

話せりゃいい、というようなコマーシャルもあったが、私には通話とメールとインターネットにアクセスできる(掲示板とかね)機能が必要だ。
カメラは、どうしようかな。
今はカメラ付きの物を使っているが、買った当初試しに撮ったくらいで、あまり使っていなかった。アヤが生まれてからオカーが時々写真を送ってくれるのでカメラ付きが楽しくなった。
まぁ、カメラも付けとくか。
最近は画像もきれいらしいし。
軽くてきれいな画像ならオトーラの書でも使えそうだし。
って、すっかり買う気だ。そうなのか?

災害時に役立つ携帯電話や、契約方式があればと思うことがある。
災害時、周辺の被害状況をリアルタイムで知ることが出来る。
緊急回線を使って家族と連絡がとれる。
ライトが点く。
ラジオを聴ける。
ナイフになる。
缶切りになる。
食える。

…飲める。

キズ薬がシュッと出る。
後ろのフタをパカっと開けるとバンドエイドが入っている。
アンテナを伸ばすと、シューっとワイヤーが出てきて高いところに引っ掛けるとぶら下がることができる。

こどもスパイセットか。

2003.10.10


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