日々棒組み  177〜204

Topへ
148〜176へ
205〜へ

204
ゴールデンウィーク最後の日、5月9日。みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか?
え?
こないだまでと言ってることが違う?ゴールデンウィークは6日で終わったはずじゃないか?日々棒203にそう書いてある?
そうね。

しかしよくよく考えたらゴールデンウィークって、ずーっと連休じゃなきゃだめってもんでもないと思うんだよ。
自分が「ゴールデン」だと、「ゴールデン」な「ウィーク」だと、そう思っていればいいんじゃないかな。
新宿ゴールデン街は無くなっても、「ゴールデンウィーク」は、みんなの気の持ちようで続くんだよ。
つまり「ゴールデンウィーク」は、みんなの心の中にあるんだよ。

お。今なんだかいいこと言ったぞ、俺。
「ゴールデンウィーク」は、みんなの心の中にあるんだよ!
もう1回言ってみた。

「ゴールデンウィーク」は、みんなの心の中にあんだよ!
ちょっと変えて言ってみた。

まぁ、今ごろ心で思ってももう終りだけどね、いくらなんでも。

思いの強さとは関係なく終わってしまうんだね、「ゴールデンウィーク」は。
そういう意味では「ゴールデンウィーク」は初恋に似ているね。

お。またいいこと言ったぞ。
「ゴールデンウィーク」は初恋に似ている。

今度は1回しか言わない。

そういえば昔、「カルピスは初恋の味」とか宣伝してたけど、まだそんなこと言い張ってるのかな?

2004.5.9


203
そんなわけでゴールデンウィークも終わり、普通のウィークがやって来ました。
え?ゴールデンウィークは九日までだろって?今そうおっしゃいましたか?


ザラキ!!

そんなわけでゴールデンウィークも終わり、一応報告しとくと、私の実家方面ではデュエリストは見つからなかったため、ショウヘーの夢は叶わなかったのでした。
本当のところ、雨がちで、デュエリストの探索すらままならなかったのでした。
本人はがっかりしているかというと、お祭りに行ってフルーツの粉を買ったのでご満悦のようでした。
「これさえ買えればいいんだ」と言いながらベロベロなめてました。
ええ。4月から中学一年生になりました。

アヤも「ドラえもんカステラ」とか「ピカチュウカステラ」とか食べてご満悦でした。
アヤにピカチュウカステラを見せて「これ何?」と訊くと「ピュウ、ピュウ(ピカチュウのこと)」と答えるくせに、耳をかじってから「これ何?」と訊くと「パン」と答えます。
「存在」ということに関してしばし考えてしまいました。
私も今は「とっちゃ」と呼ばれていますが、死んでしまったら、「肉」とか「骨」とか呼ばれるんでしょうか。

飴細工の屋台が出ていたので「ピョンピョン(うさぎのこと)」を作ってもらいましたが、自宅に帰ってからオカーがアヤに食べさせようとしたら頑なに拒否されていました。
あのテカり具合が食べ物に見えなかったのでしょうか。

そんなこんなでわが家のゴールデンウィークも暮れてゆきました(表現正しいか?)。

早くお盆休みになんないかなぁ…

あ、そうそう、あっちにいる時にアヤが、私の兄の息子(アヤたちの従兄ね)の名をあっという間に言えるようになったのはちょっとショックだったなぁ。

2004.5.7


202
ああ、なんてさわやかなんでしょう。
さわやかかつ連休。
嗚呼。
漢字で書きたくなるくらい嗚呼な気分。
顔を青空に向けて「んー」ってやりたくなる。
おっさんがそんなことしたら気持ち悪いか。
でもやってみよ。そっと。
「んー」
やっぱり気持ちわりーな。

そういえばテレビで、「今年は大型連休です」とか言っていて、「そうか?」と思って聞いていたら、「三十日を休んで六日と七日を休めば11連休です」だと。だとだと。

やつらいつもそうだ。テレビのやつら。それがやつらのやり口なんだ。
でも、そんな休み方してる人いるのかなー。いや、いるだろうけど、多数派じゃないよなぁ。多数派であってほしくないなぁ。

もしこれを読んでいる人で「当然11連休でぇーす」という人がいても、掲示板とかで申告しないで下さい。くやしいから。
でもまじめな話、11日も休んだらもう二度と会社に行きたくなくなっちゃうよな。
あーよかった、五連休で。
五連休で!

2004.5.1


201
ショウヘーは、「デュエルマスターズ」というカードゲームが好きで、友だちや、児童館などにいる見知らぬデュエリスト(このゲームをやる者をこう呼ぶのだ)とデュエルを楽しんでいる。
この連休に私の実家に帰るのだが、ショウヘーは、あちらのデュエリストと、デュエルしたいらしい。

「あっちでもデュエル流行ってるかなぁ?」
とか、
「どこでデュエルやってるかなぁ?」
などと訊いてくるが、私には答えようがない。
昔メンコをやっていた場所なら教えてあげられるが、デュエリストがどこにいるかは見当もつかない。

しかし。
まったく役に立たないというのは父として腑甲斐無い。
そこで、私にできる限りのことをしてあげることにした。

あちらのデュエリストは自力で見つけてもらうこととして、その後だ。
「デュエルをやろう」と、さそわなければならない。
その時に標準語で話しかけたら「スカした都会もん」と思われ、円滑なデュエルは望めない。
そう、あちらのデュエリストにとけ込めるように現地語の指導を行ったのだ。

「やあ、君たちはデュエルをやるのかな?やるよね?」→「おみゃーらデュエルやんにゃあ?やるら?」

「僕とデュエルしようよ」→「デュエルやらざぁよ」

「君のデッキ(カードのセット)は、ちょっと貧弱だね」→「おみゃーのデッキ、おぜーな」

「君は卑怯な手を使うね」→「おみゃーずりー」

「君に負けてもくやしくないよ」→「おみゃーに負けてもくやしくにゃーよ」

「もう絶対静岡でデュエルなんかするものか」→「もうぜってゃーしぞーかでデュエルなんかやんにゃーよ」

「君のカードなんか破いて捨ててしまえ!」→「おみゃーのカードなんか、しゃばいてうっちゃっちゃえ!このいなかもんがっ!!ペッペッ」

仲良くやれぇっ!!

2004.4.29


200
さて。
2004年も4月20日である。
この日は人類にとって永久に記憶されるべき日である。
手帳に書き込め。カレンダーに◎つけろ。手ごろな石を見つけて刻み込め。

今朝のことである。
あたりが明るくなり、布団の中で目が覚め始めた。
(ああ、きょうも会社に行くのか。めんどくせーなー。まだ火曜日かよ。早く金曜日の夜あたりになんねーかなー。あーめんどくせー、人生はめんどくせー)
と、目を閉じたまま朝からやさぐれていると、耳元で、

「とっちゃ」

目を開けると目の前にアヤの顔。

とっちゃ。
もちろん「父さん」と呼んでいるのだ。

一部の、記憶力に優れ、なおかつ人生に余裕のある人しか覚えていないと思うが、アヤは、「母さん」を「かーかん」「兄やん」を「うーあ」と呼ぶが、私のことはなかなか呼んでくれなかったのだ。それがついに。

とっちゃ。
窓から差し込む朝の光にウェーブがかかり、喜びと祝福を薔薇の花びらのように撒き散らした。
とっちゃ。
人生はめんどくさくなく、火曜日の朝は金曜日の夜より劣っているわけではない。会社に行くのはやっぱりいやだが。

まぁそんなわけで。
これからはハンドルネームを「トッチャ」に変えようと思っているのだが、どうだろうか?

もちろん「オトーラの書」は「トッチャラの書」である。

2004.4.20


199
ショウヘーぼっちゃん、ついに明日入学式、いよいよ中学生に。
中学の入学式って、親なんか出ないもんだと思っていたが、そうでもないらしい。出る人は出るのだ。私も考えを改めるべきか?
しかし明日は出られない。歯医者だから。
家族に言うと、「息子の入学式より自分の歯か?」と問い詰められそうなので内緒。って、ここで書いたらばれるか。
歯は一生使うものだけど、入学式はたった一日だもん。


入学式は一生に一度だが、歯医者は予約を取り直せるか。

まぁ、入学式は入るだけだからいいか。
ホントに出るべきなのは卒業式かな。よくここまで成長したって感動するのは卒業式だもんな。

卒業式も出なかったけどさ。

2004.4.7


198
さしたる混乱も無いままエイプリルフールが終わってやれやれだ。
一時はネット上に現れる情報すべてがウソに見えてしまった。
あえてウソっぽいところを探してたってこともあるんだけど。

「エイプリルフールのウソ」で、ぱっと思い出すのはこれだ。

「お前のうしろにオバケがいるぞ」

『ドラえもん』の、のび太くんが、スネ夫だかジャイアンについたウソだ。
詳しい話を書こうと思ったけど、めんどくさいからやめた。
これだけで非常に多くのものを読者に伝えている優れたセリフだと言っておこう。ひっひっひ。
もしも私が、なにがなんでもエイプリルフールのウソをつかなければならない立場に追い込まれたらこのウソをつこうと思っている。
そんな立場には追い込まれないと思うけど。

2004.4.3


197
「はたと気づいたシリーズ」第2弾

まぁ、たとえば公園であるとか、ちょっと広めのおもちゃ屋であるとか、家族連れが集まるような場所で時々見かけるのが、スーパー戦隊になりきっている坊やだ。

かっちりポーズを付けて、
「○▽*☆の■★△が*◎◇★!デカレンジャー!」
言葉がよく聞き取れないし、本人も何を言ってるのかわかってないだろうが、デカレンジャーになりきっているのはわかる。
彼の目には悪い宇宙人が見えていて、両隣にはブルーやピンクの仲間たちがいるのだろう。
新しい戦隊シリーズが始まるたび、各地で小さな正義の味方が大量発生しているはずだ。
実にほほえましい。日本は平和である。

こないだ、地下鉄から地上に出て会社に向かっていたら、前を歩いていた男が、持っていた傘を振り始めた。
ゴルフのスイングのつもりらしい。
私はゴルフをやらないので、こういう行為にはまったく理解が無く、バカにしか見えないのだが、彼が(傘で)3スイングほどしたところではたと気づいた。

「傘でゴルフのスイングをするのは、幼児がスーパー戦隊のまねをするのと同じである」

彼の目の前には緑まぶしいゴルフ場が広がっているのだろう。飛んでゆくボールも見えているだろう。場合によってはそのボールがころりと穴に落ちる瞬間も見えているかもしれない(あるいは穴の直前で止まってしまう光景が)。
幼児がスーパー戦隊のまねをするのといくらも違わないではないか。
私は長年、傘でゴルフスイングする者を、漠然と、「幼稚でとるに足りないやつ」だと感じていたが、漠然としていた思いが今、確信へと変わったのだ。

ゴルフをやる人は心外だろうか。
ではこんな話はどうだろう。

私は、駅のホームでボーリングの投球フォームを繰り返す男を目撃したことがある。
彼の目にはレーンもピンも、自分が投げたボールも見えていただろう。
ゴルフ好きのあなたはそのボーリング男を「成熟して信頼に足る人物」と判定するだろうか?
私の目には「ホームで見かけたバカ」にしか見えなかった。

ゴルフだけが特別ではない。

あ、そうだ。書いてて思い出したぞ。
知り合いのある人物(当時50歳くらい)が、折りたたんだ傘をゴルフクラブのように持って振りながら、
「パッシーィィン、ピュゥー」
と口で言ってるのを間近で見てしまったことがある。
「ピュゥー」の後で目が遠くを見ていた。

残念ながらかなりのバカに見えてしまった。

2004.3.29


196
ショウヘーぼっちゃん、ついに小学校卒業。
よくがんばりました。

卒業式はブレザーにネクタイだというので、昨晩、ネクタイの締め方を教えたのだが、何度やっても最後でおかしくなって、裏返ったり、言葉で形容できないような形になってしまう。
じーっと見ていてもなぜそんなことになってしまうのかわからない。途中までは正しいのだ。
それが最後にくるっと通した瞬間に摩訶不思議な形になってしまう。
まるで手品だ。びっくりして耳が大きくなりそうだ。

しばらくみんなでげらげら笑いながらやっていたが、いつまでたっても正しく結べないので、私が正しい輪っかを作っておいて、頭から通せば絞められるようにした。

それで無事卒業だ。
小学校なんてそんなもんだ。

2004.3.25


195
最近テレビ等で、「タバコを持つ手は子供の顔の高さだった」とか、「700度の火を持って人とすれちがってた」などと、「今頃気づいたのかボケ」と突っ込みたくなるようなJTのコマーシャルをやっているが、未だに気づいてない愚鈍な喫煙者を頻繁に見かけるので、放送や新聞紙面で、「お前がやっているのはこういうことなんだよ」と、教えてあげるのはいいことなんだろう。

私はもうタバコを吸わないのでこういうことを書かせてもらっているわけだが、喫煙者であった時でも、ある時期から歩きタバコはしなかったし、道に吸殻を捨てることもしなかった、と一応書いておこう。
しかし、いわゆる喫煙マナーを守っていても、喫煙が周りに及ぼす大小の迷惑というものは存在し、それが今ならわかる。
悪かった。周囲の非喫煙者様たち。と、ここであやまっとくか。読んでないだろうけど。

きょう信号待ちをしていたら、前に立っていた20代前半に見える男が、吸っていたタバコを自分の靴の底に押し付けて消していた。
道に吸殻を捨てやがんだろうな、と思ったが、火を消したタバコをそのまま持っている。
吸殻入れのようなものを出すのかと思えばそうでもなく、右手に持ち続けていた。

どこかで灰皿を見つけて捨てるつもりなのか。信号を渡った先には地下鉄の駅があり、階段を降りたところに灰皿がある。目的地はそこか。
気になったので彼の右手に注目していた。
ちなみに左手は携帯電話を取り出してボタンを押している。
電話がつながり、話し始めると、なぜか彼の右手の指はぐりぐり動き始め、やがて、吸殻の約半分くらいがちぎれて、ぼろりと路上に落ちた。
あらら。
ちょうど信号が変わり、彼は半分の吸殻を置き去りにして歩き始めた。
あと半分。彼の右手に隠れているあと半分の吸殻の運命を見届けるべく後を追った。

彼の指はぐりぐりし続けている。
ひょっとして、少しづつほぐして目立たないように道に撒いていく作戦か。
それとも道に迷わないように目印にするつもりか。ヘンデルとグレーテル作戦か(たった今命名)。
しかし、彼の右手からそれ以上吸殻が落ちることはなかった。

彼は通話を続けながら四車線ある道路を渡り切ると、目の前にあったガードレールの支柱の上に吸殻の残骸をぽんと置いた。
支柱のてっぺんは丸くなっているので、吸殻はころりと回って直下の路上に落ちた。
以上。

彼がなぜ、火を消し終わったタバコをその場で捨てずに、今見たような始末をしたのかわからない。
すべては無意識のうちの行動だったのかもしれない。
しかし、彼の行動を見ていて、私はあることに思い至った。

「喫煙者が路上で吸殻を始末する行為は、幼児が鼻くそを始末する行為にとてもよく似ている」

そこらにピロっとしちゃったり、一応見えないところに隠そうとしたり。処分する場所に、ほんのわずかでも他とは違う(場合によっては本人にしかわからない)理由があったり。
考えれば考えるほど似ている。

「歩きタバコ」は「歩き鼻くそ」と同じくらいみっともないぞ、と言い切ってやりたいが、もちろん私にそんな自信はない。
でも、鼻くそには「鼻くそ皿」は無いけど、吸殻には灰皿があるんだからちゃんと灰皿に捨てろよな、と一応良心的なアピールをしとくか。

汚ねぇ話になっちゃったな。

2004.3.23


194
ふと気づいたらホワイトデーは終わっていた。

というわけで世の中卒業シーズンである。
ショウヘーももうすぐ小学校を卒業する身である。

先日、クラスで色紙に寄せ書きをしたものを持ち帰ってきた。
「ずっと仲良くしよう」とか、「部活がんばれ」とか、みんなに書いてもらっていた。
クラス全員で作ったようだが、真ん中に自分の名前と、自分の好きな言葉を書くようになっている。
ショウヘーが書いたのは漢字でひと文字、

「仁」

このやろう。
「これ、宗方仁の仁だろ」
と問うと、
「えへへ、そうだよ」
「誰かに見抜かれなかったか?」
「大丈夫だと思う」

大丈夫って…。
思い出の色紙にその時たまたま観ていたドラマの登場人物の名前を書くなんて。
まあ「仁」ならそんなにおかしくはないか。
「ひろみ」とか「藤堂」じゃおかしいもんな。「蘭」ならいいか?
「お蝶夫人」はだめだろうな。

2004.3.15


193
ある日ショウヘーとお風呂に入っていたら、
「ねぇ、漫画ってどうやって描くの?」
と訊かれた。
たいていの日本のお父さんは、息子に漫画の描き方を質問されても困ってしまうだろうが、なぜか私は嬉々として答えてしまう。

どこから話せばいいのかと、逆にいろいろ質問すると、何やらストーリーを思いついたということだ。
しかし、もっと突っ込んで訊いてみると、それはストーリー以前の、設定の、さらにもう少し手前の「こんな感じの漫画」の断片程度の話だった。
私は、それだけではまだ描き始める段階ではないことをていねいに教えてあげた。
ふたりが読んでいる漫画、「NARUTO」の話をして、読む人に共感してもらうにはこれだけキャラクターの人生や、生きている世界を作らなければならないんだという話をした。
そして、ストーリーでもセリフでもキャラクターでも、とにかく思いついたことを書き留めて蓄積していったらどうかとアドバイスして風呂から上がった。

でも、後になって、「読む人に共感してもらう」なんて話は不要だったんじゃないかと思えてきた。

描きゃいいんだ。描きたいものを。
ノートにエンピツ描きで上等だ。それだけで漫画は描ける。定規だっていらないくらいだ。
ただただ描いて、描けなくなったらその時考えればいいんだ。何が足りないかを。
今度はそう言ってみようかな。
「とにかく描き始めるって手もあるよ」って。混乱しちゃうかな。
親父の言う通りやるもよし、自分で思ったようにやるもよし、だな。
まあ、描く前にいろいろ考えてる時が一番楽しかったりもするけどね。

しかし、公園なんかで、子供と本気でサッカーやキャッチボールをやっているお父さんを「ごくろーさん」と思いながら見ていたが、私も同じようなもんだな。

2004.3.15


192
私は今日土曜出勤だったが、ショウヘーはまたまた友達と映画を観に行った。
アニメ「ワンピース」だって。
この前が「ラストサムライ」で、今日は「ワンピース」。
幅が広いのか?そうでもないのか?
映画友達がいて、今度何観ようか、なんて話したりするのって楽しいだろうな。

映画と言えばアヤは「盲導犬クイール」の映画のCMが始まると
「ワンワンワンワンワンワン!」
と半狂乱になってテレビに突進してゆく。

映画と言えば私もきのう、仕事の後に「ロードオブザリング王の帰還」を観てきた。
王が帰還してたよ。これで3部作完結、めでたしめでたしだ。
6時20分からの回で、終わったのが10時だった。
3時間以上の長い映画だけど、見所いっぱいで面白くて、長く感じなかった。
3作通して観たらさらに面白いだろうか?
10時間くらいかけて。

やだよ。

2004.3.14


191
そういえば、こないだ書いた「耳が潰れていて聴診器型のイヤホンを求めている元柔道部の友人」が、こんな話もしていた。

「なぁ、パソコンでさぁ、イルカが出て来るじゃん」

ヘルプで出て来るキャラクターのことらしい。

「あいつ、助けてくれる?」

あはは。そういえば役に立った記憶が無い。

「質問を書けって言うから一生懸命入力してんのにさぁ、俺が訊きたいことなんか全然出てこねえんだよな。役立たねぇよあの野郎」

私を挟んで反対側に座っていた友人(MP3プレーヤーを持っていたやつ)も加わって、ひとしきり「イルカはつかえない」という話になる。
ちょっと気になったので聴診器の友人に、「どんなふうに質問したの?」と訊くと、

「例えばなぁ…そうだなぁ、『今まではかなで打っていたものをこれからローマ字で打つにはどうしたらいいのか?』とかな」

…会話してんのか。
ユーザーに親しみやすいようにキャラクターがヘルプするようになっているんだろうけど、親しみすぎだ。
ちょっとイルカに同情したね。

で、今日会社でパソコンを使っていたら、何の拍子でかイルカが出てきた。出てきてしまった。
それで友人との会話を思い出したわけだが、せっかくなので質問をしてみることにした。

「今日の私の運勢は?」
答えが返ってきた。役に立たないけど。

「吉野家の未来は?」
これも来るか。当たり前だけど無関係なことばっかりだ。

「人の役に立つ人間になるにはどうしたらいいでしょうか?」
これにも答えが返ってきた。ふーん。って、さっきと同じ項目じゃん。
何の手がかりも無い時はこれが出てくるんだな。機械的だな。
しょせんは血の通わないマシーンだな。

2004.3.10


190
私は柔道を十年やっていたが、耳は潰れてない。
同級生の半分以上は耳が潰れている。

ご存知ない方のために説明しておくと、耳というのは繰り返し強く擦られていると内出血して血が溜まり、そのまま固まってしまう。
ぷっくり膨らんで変形したまま元に戻らなくなり、やがてがちがちに硬くなる。
この状態の耳を「潰れてる」と表現する。

柔道以外にも、相撲、ラグビー、レスリングなどをやっていると耳が潰れることが多い。
潰れた耳のことを「カリフラワー」と呼ぶことがあると言えば形状が想像できるだろうか?

で、先日久しぶりに地元の柔道部仲間に会った。
昔の思い出話もしたが、最近の話題も出た。
CD-Rの焼き方とか、MP3プレーヤーの話とか。
一人がMP3プレーヤーを持っていて、ポケットから取り出した。とってもコンパクト。
握れば手の中に隠せるくらいの本体とステレオイヤホン。
私が、「小さくていいなぁ」なんて言っていたら、隣で見ていた一人が言った。

「俺、そのイヤホン使えないんだよなぁ」

彼の耳は潰れている。

「耳に入んねぇんだもん…無理に指でこうやってこじ開けて入れたことあるんだけどさぁ、すぐ痛くなっちゃうんだよね。鏡で見たら変な角度で飛び出してるし。それでも入れてたら血まで出てきやがってさぁ」

悪いけど爆笑してしまった。
こっちには他人事だ。しかし、

「なんかこう、聴診器みたいなイヤホンって無いのかなぁ」

彼にとっては重大問題のようだ。
誰か作ってやってくれ。聴診器型のイヤホン。

2004.3.6


189
ショウヘーが友だちと二人で、上野へ映画を観に行った。
『ラストサムライ』。
面白かったって。

私が自分の小遣いで映画を観るようになったのは小学校高学年からだったような覚えがある。
ただ私の場合、田舎の町に何軒か映画館があり、ぶらぶら歩いて行ったが、ショウヘーたちは電車でお出かけだ。

上野の映画館にはこわもてのおっちゃんがいてビビったって。
まぁ、そういうこともあるよね。俺もあったよ。
こわもてやらなんやらとは少しづつ免疫を作ってくのがいいかな。

アメ横を歩いていたら、時計を売っている外国人が近寄って来て、
「ロゥレックスロゥレックス」
って、言うんだって。
小学生相手に何売ろうとしてんだ、上野の外国人。

2004.2.29


188
気づいている人もいるかと思うが、私はこのところほぼ毎日blog「オトー球」に記事を投入している。
だって面白いんだもん。
だって書けるんだもん。

カテゴリ分けしただけでなぜこんなに書けるのか不思議でしょうがない。
日記サイトなんかで「毎日更新」と宣言しているところがあって、俺はそんなことできねぇなぁ、と思っていたが、結果的にblogは毎日更新している。

そのうち息切れするかもしれないが、(それは明日かもしれない)、今のところblogを始めたのがいい刺激になって、文章の生産力は上がっているように思える。

ちょっと割を食ってるのがここ「日々棒組み」かな。
でも、カテゴリ分けできなくて、かつ「文書の書」に入れるほどにはまとまらないことっていうのは必ずあるので、いい具合に差別化して書いていければと思っている。
肩が痛いとかそういう話ね。

なにしろ目標は千本だからさ。
弁慶か俺は。

2004.2.24


187
私は「ナンパ」というものをしたことがない。
されたこともないが、それはまぁいいや。
私は41年間ナンパしたことがない。これからもナンパすることなく死んでゆくだろう。
もしも今日死んでしまったら、「41年間ナンパしなかった男」としてこの世を去るのだろう。
もしも70歳で死んだら「70年間ナンパしなかった男」として、90歳で死んだら「90年間ナンパしなかった男」としてあの世へ行くのだろう。100年ナンパしなかったらもうホントにすごい。誰もほめてくれないだろうけど。

で、ヤクルトビューティーの話だ。
昔はヤクルトおばさんだったが今はヤクルトビューティーなのだ。知ってた?
昔は緑のおばさんだったが今ではミドリンビューティーだ。これはウソだ。

今日外回りをしていたら、なかなかきれいなヤクルトビューティーを見かけた。
もちろん41年間ナンパをしなかった男は声をかけたりなどしないし、ナンパ好きなやつだって声なんかかけないだろう。声かけてどうする?ふたりでジョアでも飲むのか?ジョアって今でもあるのか?まぁいいや、飲まないから。
しかし、ちょっとだけ考えてしまった。
このヤクルトビューティーに、

「本当にビューティーなヤクルトビューティーは初めて見ました」

と話しかけたらちょっといい感じになるのではないだろうか?
うまくいけばジョアの一本でももらえるのではないだろうか?
ジョアは無理でもヤクルトの一本くらいならなんとかなるんじゃないだろうか?
だからそんなもん飲まないって。

2004.2.18


186
今年もバレンタインデーがやって来る。
バレンタインデーを迎えるのは何十回目かになるが、子供の頃からバレンタインデーというのは、「世間の騒ぎをよそに、自分には特に何も起こらない日」だった。
なんだか仲間はずれで淋しかった。自分は世間に属してないんだと思い知らされた。
言葉は知らなかったが「疎外感」というものを最初に感じたのはバレンタインデーだった。

そんなわけで、バレンタインデーなんてデーは、世界三大ワーストデーとして撲滅したいと私は常々考えている。
ザ・ワーストデイオブザワールドだ。

「三大」が抜けてるな。
「三大」なのに「ワースト」ってのはおかしいか?

そんなこと言うなら、ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラと、四匹の怪獣が出ている映画のタイトルが「三大怪獣地球最大の決戦」なのはどういうわけか説明してもらおうじゃないか。
納得のいく説明があるまで、テコでも動かねぇぞ。

まあ。

お互い意地を張っていても話が進まないから、今回はこっちが折れるから次回は頼むよ。

ショウヘーは幼なじみの近所の女の子に昔からチョコをもらっているので「バレンタインの疎外感」とは無縁だ。今のところ。

今年もすでにもらっていて、今朝「これオトーにおすそわけ」と、見るからに手作りのチョコをいくつかもらった。
しかしこれは彼の優しさではなく、やがてやって来る「お返し」の日への布石であることを私は知っている。

そんなわけで「世界三大ワーストデー」のもうひとつはホワイトデーとかいうデーである。

そんなの昔は無かったぞ。

 

2004.2.13


185
きのうは、帰宅したのが夜の九時すぎだった。
年度末に向かって仕事も忙しくなり、やや疲れ気味、夕食も摂っていない私は、空腹を抱えての帰り道だった。冬の冷たい風が容赦なく吹きつける。
しかし。暖かい家庭が待っていると思えば、それも苦にならない。
 
我が家は風邪菌持ち込み厳禁なので、玄関から洗面所に直行し、手を洗ってうがいをして着替えを済ませてから、暖かい家族の待つ暖かい部屋に入った。
すると、オカーとショウヘーがさっと立ち上がって、

「待ってた待ってた待ってた。はいはいはい。これこれこれ」

と、立ったままの私に何やら赤い物を手渡した。
それは、セルロイドみたいにペランペランな赤鬼のお面だった。 豆と一緒にビニール袋に入れて売られている物だ。
 
「さ、さ、さ、アヤが怖がるからはやくはやくはやく」
見るとアヤが泣きそうな顔でいやいやしている。赤鬼が怖いのだ。
アヤに怖がられるのは不本意だが、しかたなく面を被ると即座に 、
ペシペシペシ(豆をぶつけられている音)

「はいはいはい鬼は外鬼は外。はい玄関玄関」
 
オカーのサンダルを履き、ドアを半開きにしてちょっとだけ外に踏み出す。

ペシペシペシ。

「鬼は外鬼は外。はい終わりはい終わり。寒いから早く閉めて」
 

「…福は内」
そっとつぶやいてドアを閉めた私は、相変わらずお疲れ気味で空腹のままだった。
 

2004.2.4


184
続報。
ウンチの話ね。
ますます汚い話になるので嫌いな方は要注意。

夜流せなかったショウヘーの一本勝負ウンチは、翌朝もまだ残っていた。
ブルーレットの青い水の底に突き立つように。
ゆうべ見たときと外見に変わりはない。なんてやつ。剛の者である。
あっぱれ。ウンチながらあっぱれ。

しかしこのままにしておくわけにはいかない。
やつを葬り去るなにかいい方法は無いか?
その時、私の頭にある言葉が閃いた。

「目には目を」

詳しくは言うまい。想像してくれ。

かくして私は「目には目を作戦」を決行した。
そして、想像してはいかん、想像してはいかん、と思いながらも、つい下方で起こっている状況を想像してしまった。下はなんていうか「戦場」である。

そして湧き上がる不安。
「勝てるのか?俺はやつに勝てるのか?」
もしも息子のウンチに負けるようなことがあれば、父親の威厳は丸つぶれである。
「世代交代」なんて言葉も頭をよぎる。

そんな大事な局面にも関わらず、私の武器は「びたたたたたっ」と、なんだか頼りない攻撃である。もっと「猛爆撃っ!」という感じで攻め込みたいのだが、ゆうべちょっと飲み過ぎちゃったかな。

そして、私の弾も尽き。
祈るような気持ちで水洗レバーをひねる。
勝負!
がんばれ。水もがんばれ。

やがて水の流れが止まり、静かになった便器の底には…
いつもと同じ、ブルーレットの澄んだ青い水だけがたたえられていた。
勝った。ウンチ戦争に勝った。
晴れやかな気持ちでトイレを後にする私の頭に、ある言葉が閃いた。

「柔よく剛を制す」

今年はオリンピックイヤー。
がんばれ日本柔道。

2004.2.2


183
汚い話ね。苦手な人は読まないで。

ウンチの話なんだけど。

ショウヘーのウンチがさぁ、流れないんだよ。ついさっきの話。
なんかもう、太くて、「一本勝負!」みたいのがトイレに残ってるわけ。あの、ほら、水があるじゃない。あの中に。突き刺さるように。

で、3回くらい流したんだけどびくともしないんだよね。満タンにして3回だよ。あきらめたよ。負けたよ。ウンチに負けたよ。人生で初めてウンチに負けたよ。
ウンチながらあっぱれなやつだね。まだあるよ。トイレに行けば。

俺もショウヘーくらいのころはあんなウンチしてたんだろうね。
当時は汲み取り便所だったから、はっきりと確認はできなかったけど、やってたね。負けないくらいのを。
目では見ていなくても体が覚えてるよ。肛門は正直だよ。肛門は嘘をつかないよ。
ずどーん、って。便面に突き刺してたね。
また出たよ「便面」。「水面」みたいな意味ね。

最近はだらしないウンチしかしてねぇな。
にょろひょろっとか、べたたたたたっとかいう感じの。

人間はウンチから衰える。

オトーくん今いいこと言ったぞ。

2004.2.2


182
いやー、なんつーんだろー、この中途半端な結果。

会社のボーリング大会の話ですけどね。
団体2位、個人は、えーっと、20人のなかで、まん中よりやや上くらいだったかな。
自分で思ってたアベレージよりマイナス5くらい。

あはは。
優勝してヤッホー、とか、全然ダメでその言い訳とか、いろいろ考えてたんだけど。
2位か。
賞品もらったからいいけど、ネタにはならなかったな。人生ままならないな。
あ、優勝は7枠でした。
ひょっとしたら気にしている人が読んでるかもしれないのでお知らせしときます。
じじいがこけるかと思ったらこけなかったよ。

2004.2.1


181
さあ、やって来ました。年に一度のボーリング大会。あしたです。
え?
まだやって来てないじゃないか?
おっしゃるとおり。あしたはまだやって来ていません。
でもあしたになったらもうこの件には触れたくない私がいるかもしれません。
でも、まだやって来ていないボーリング大会、書くこともありません。
どうしよう。

そうだ。今年は四十肩に優しい2ゲームマッチ。


そんだけ。

あした話題にしたくなるくらいがんばればいいってことね。

2004.1.31


180
各方面で話題沸騰中の「ウルトラ博物館」という本をやむに止まれず買ってしまった。
知っている人も多いことだろう。なにしろ話題沸騰中だから。

見たことも聞いたこともないというほんの一握りの方のために簡単に説明すると、この本は、「帰ってきたウルトラマン」以降、「ウルトラマンレオ」までの放送当時に、小学館の学年雑誌(「小学一年生」とか「小学三年生」とかね)に掲載された、ウルトラマン関係の記事を集めて、一冊にまとめたものだ。

私はちょうどこの時期、小学館の学年雑誌を講読していて、ドラえもんが「未来の国からはるばると」やって来たことははっきり覚えているが、ウルトラ関係の記事に関しては、あまり印象に残っていない。でも、見てたんだろうな。

まだ買ったばかりでパラパラっとしか見てないが、なんていうか、とってもほのぼのと笑ってしまう記述が目につく。
その中に「ウルトラマンレオに読者が希望すること」というようなコーナーがあり、ある男の子のこんな希望が載っていた。

「レオ、もっとトサカを使え
レオはもっと頭のトサカを利用したほうがいい。ほかの兄弟よりもりっぱなトサカを持っているのだから」

トサカ?

その横には、レオの頭部と、子供が頭を指さしているイラストが添えられている。
あれ、トサカだったんだ。ウルトラたちの頭の尖った部分。

鳥類かよ。
だから飛べんのかよ。
インフルエンザに気をつけろよ。
などと、ほのぼのと突っ込んでしまう。

大事にゆっくり読むことにしよう。

個人的に坂口尚のマンガ(『帰ってきたウルトラマン』)が載っていてびっくり(買って家で見るまで気づかなかった)。
もう亡くなってしまったが、とても好きな漫画家だった。
『12色物語』、良かったなぁー。
しかしこの人も『ウルフガイ』とか『帰ってきたウルトラマン』とか、いろんな仕事してたんだなぁ。
でもこの坂口ウルトラマン、ちょっと神経質そうだな。

2004.1.29


179
この世に「ブログ」というものがあると知ったのはついひと月ほど前である。
なんだそりゃ?モビルスーツか?
と思った人は黙って読みなはれ。
でも、そんな人はあまりいないくらい、インターネットの世界では「今はブログ」なんだってさ。「ブログがクール」なんだってさ。blogがcool!なんだとさ。
ぜーんぜん知らなかったよ。

「ひと月ほど前に知った」と言っても、「ブログ」という言葉を目にして、「なんだこりゃ?」と思ったのがひと月ほど前だった。
初めは、その文章を書いていた人の個人サイトが「ブログ」って名前なのかと思ったが、やがてそうではないことに気づいた。複数の人が「私のブログ私のブログ」と言っていたからだ。
「ブログって何だ?」と、疑問には思ったが、そのまま調べもせず放っておいた。
そういう性格なのだ。

一方私は、以前から、携帯のメールで画像も送れる無料レンタル日記を探していた。そして、年が明けてからは、なぜか、普通にパソコンで更新できる無料レンタル日記も探していた。
「なぜか」と書いたのは、なぜ普通のレンタル日記を探していたのか、どう使おうと思っていたのか、もはや忘れてしまったからだ。
「私のブログ」を手に入れた今となっては。

そう。私は、「レンタル日記」を探していて、「ブログ」を見つけてしまったのだ。
ルパンを追っていてニセ札を見つけてしまった銭形のように。どうしよう。

で、ブログってなんだ?
と訊かれるとまだうまく答えられない。使い始めたばかりだから。
おおざっぱにいうと「カテゴリ分けできる日記」かな。それだけじゃないけど。

私のブログはこちら↓

http://www.myprofile.ne.jp/gobdasha+blog

興味のある方は行ってみてください。「オトー球」というタイトルにしました。いやなんとなく。
何本か書いてみました。カテゴリ分けすると、意外と書けるものだということに気づきました。
右上の「diary」とか「myprofile」というところをクリックすると該当するページに飛びます。

ブログも日記も、携帯からメールで画像も送れて、更新できるので、とっても便利。
そんなこんなで、いろいろな場所に現れる準備だけは整った私であるが、すべてを活用できるのでしょうか?
「ひとりの人間にできることには限界がある」という言葉を肝に銘じて、これ以上自分の力を分散させないことを誓います。

2004.1.28


178
でさぁ、177では話が変な方に行っちゃって書きそびれちゃったんだけど、ああやって痛がりながらも左手で掻こうとした翌朝は肩の調子がちょっとだけいいんだよね。
やっぱり少しづつでも動かさなきゃだめだってことかね。
「がんばれば左手が届くゾーン」が痒くなるのは、体が、無理にでも左肩を動かすために痒くしているのかもしれないね。
自然治癒力ってやつだね。違うね。

で、ちょっと思ったのはさぁ、電車とかで「お年寄りに席をゆずりましょう」って、あれ、ダメだね。
立ってるのが危ないような人ならともかく、「どこかにつかまっていれば大丈夫」くらいの人は、立たせておくのが親切だと思うんだよね。
足腰の運動になるし、「近頃の若いもんは席も譲らん。なっちょらんわい!負けるもんか!」と、闘志も湧いてくると思うんだよね。

本人のためには、その場の親切より、長い目で見た行動が必要ってことだよ、何事も。あっはっはっはっはっ(なぜ笑う)。

2004.1.25


177
例によって肩が痛いんですけど(クレーム口調。誰に訴えてるんだか)。
運動不足と加齢による機能の劣化、であろうか。であろう。

以前は右肩がどうしようもなく痛かったが、今回は左肩だ。でも、前の右肩ほどの痛みは無い。
でも不便だ。
背中が痒い時不便だ。
会社では45センチの定規で背中を掻いている。
オヤジくせー。
オヤジだから全然平気だけど。

困るのは夜寝ていて背中が痒くなった時だ。
右手が届かないところは本来なら左手の守備範囲なのだが、左手の守備範囲が著しく狭くなっているので、かなり広い範囲が無法地帯と化している。
定規でも何でも持ってきて掻けばいいのだが、このところ寒いので、できるだけ布団から出たくない。しかたなく手が届かないところは布団にすりすりしてしのいでいるが、掻きパワーが弱いのですぐにまた痒くなってしまう。

悩ましいのは、「がんばれば左手が届くゾーン」の痒みだ。
できれば手で掻きたいのだが、そのためには肩の痛みに耐えなければならない。
できるだけ痛くないよう、慎重に、少しずつ左手を痒みゾーンに接近させてゆく。
肩にかかる負担を減らすために、全身をよじらせて最適な体勢をつくる。
それでも肩が痛くなって、左腕を後ろに回して、胴体が逆エビぞりの体勢で「いてて」なんて言っている。夜中に。
まるで「ひとりSM」だ。

「背中を掻いてほしいとお言い!」

「掻いてほしい」と言っても誰も掻いてくれそうもないので、がんばってみる。
痛くても結果的に掻ければいいのだが、結局掻けなかった時なんか、ホントにがっかりする。がっかりしながら布団にすりすりしているとだんだんくやしくもなってくる。

そんなわけで、痒いやら痛いやらくやしいやらで、ここんとこちっとも眠れない。
早く肩を治してゆっくり眠りたいものだ。

「ゆっくり眠りたいとお言い!」


2004.1.23